第14話 ノック
カイルは、跳ね起きていた。
何が起きたか理解するより先に、体が寝台を離れていた。
遅れて、耳が音を捉える。
低く、腹に響く警報。
三度。
それから、けたたましい断続音に変わった。
照明が赤に切り替わる。
通路を人が走る。
靴音が幾重にも重なり、壁に跳ね返って、方向が分からなくなる。
「戦闘配置!総員、戦闘配置!」
カイルは通路へ飛び出した。
すれ違う兵士の顔が、赤い光の下で全て同じ色に見える。
走る先は決まっていた。
格納庫。
自分の機体だ。
*
リラは、通路の途中で立ち止まっていた。
人が走っていく。
誰もが、行き先を持っている。
肩がぶつかり、詫びる声もない。
赤い光の中で、全員が同じ方向へ流れていく。
その流れの中で、彼女だけが動けなかった。
どこへ行けばいいのか、分からなかった。
「リラ」
声がした。
レインだった。
流れを縫うでもなく、ただそこに立っている。
彼が立っているだけで、その周りだけ人が割れていた。
「こちらです」
それだけ言って、先へ歩く。
リラは、一瞬だけ止まった。
「……ありがとう」
小さく、返した。
レインは、振り返らなかった。
*
管制室は、狭かった。
壁一面に画面が並び、その前に人が詰まっている。
指がコンソールを叩く音。
数字を読み上げる声。
それが幾つも重なって、部屋の中で澱んでいた。
赤い照明が、全員の顔を同じ色に染めている。
「そこに」
レインが、部屋の奥を示した。
壁際の、誰の動線にもかからない一角だった。
リラは、そこへ移った。
背に、壁があった。
冷たい。
薄い上着越しに、その冷たさが直接届いてくる。
『熱源、接近。方位、下方三十』
オペレーターの声が、部屋に響いた。
『規模は』
『……小さい。単体です。人間ひとりぶん、程度の』
声が、そこで一度止まった。
『……速度、こちらとほぼ同期。並走しています』
指が、コンソールの上で速くなる。
主砲、副砲、全て解放。
数字が読み上げられていく。
誰もが、画面を見ていた。
リラは、その全部を、後ろから見ていた。
数値が読める。
声が聞こえる。
何かが近づいているのかも分かる。
それでも、彼女には何もできなかった。
*
『映像』
誰かが言った。
主画面に外部映像が展開される。
――何もいなかった。
暗い宙。
名も知らぬ星の光。
それだけだった。
『熱源は』
『まだ、あります。すぐそこに。……ですが』
オペレーターの声が、震えていた。
『映って、いません』
沈黙が落ちた。
誰も、何も言わない。
砲は解放されたまま、向ける先がない。
機械の稼働音だけが、淡々と続いていた。
その時だった。
リラの、うなじが、粟立った。
背中の壁。
その、すぐ向こう。
彼女は、振り返った。壁があった。
灰色の、継ぎ目のない金属板。
何もない。
だが、そこにいた。
すぐそこに。
装甲一枚を隔てた、真裏に。
リラは、動いていた。
考えるより先だった。
一歩、下がる。
壁を背にするのをやめ、壁に向き直る。
そして、そのまま、もう一歩。
腰が、落ちた。
膝が、僅かに曲がる。
右手が、後ろへ回った。その掌が、背後の空間を探る。
そこに、レインがいた。
彼女は、その前に立っていた。
壁と、レインの間だった。
*
レインは、画面を見ていた。
視界の端で、何かが動いた。
振り返る。
リラだった。
壁を向いて、立っている。彼の、すぐ前に。
腰が、落ちていた。
膝が曲がり、重心が沈んでいる。
そして、右手が。
彼の、腹のあたりに伸びていた。
触れてはいない。僅かに、離れている。
だが、その掌の向きを、レインは知っていた。
――突き飛ばすための、手だ。
自分の背後にいる者を、後ろへ弾き飛ばす。
そのための、構えだった。
「……何を」
言いかけて、レインは、口を閉じた。
彼女は、動かない。
壁だけを見ていた。
誰も、その理由を訊かなかった。
訊けなかった。
画面には、何も映っていない。
誰もが息を潜めていた。
――こつ。
音が、一つ。
艦全体を伝って、床から靴底へ、脛へ、腹の底へと届いた。
ごく小さな音だった。
厚い装甲の、その向こう側。
誰かが、指の背で扉を叩いたような。
部屋が凍りついた。誰も動かない。
次を待っている。
息を殺して、待っている。
来なかった。
音は、それきり沈黙した。
リラだけが、動いていなかった。
最初から、動いていなかった。
音が鳴る前から、彼女はそこに立っていた。
*
『……熱源』
レインの声は、静かだった。
『……消失、しました』
「消失?」
「反応が、ありません。どこにも。……離脱した、という速度でもない。……ただ、消えました」
部屋の空気が、少しずつ緩んでいく。
誰かが息を吐いた。
誰かが椅子に座り直す。
やがて、戦闘配置の解除が告げられた。
それでも、リラは動かなかった。
壁を、見ていた。
レインは、その背中を見ていた。
声はかけなかった。




