第11話 店じまい
協力を決めた数日後、リラは店の扉に、いつもと違う札を掛けた。
「臨時休業」ではない。
「しばらくの間、閉店します」
ありあわせの木片に、そう彫っただけの簡素な札だった。
彫刻刀の跡が、まだささくれ立っている。
指先で縁をなぞると、木の粉が、ざらりと爪の間に残った。
七年、この場所で商いを続けてきた。
多くを語らず、多くを求めず、ただ必要な物を必要な相手へ渡すだけの日々。
その日々に、初めて自分の意志で区切りをつける。
店じまいは、思っていたより時間がかかった。
棚を一段ずつ空にしていく。
古い駆動子、焼けた基板、名前も忘れた惑星の通貨、いつか直そうと思って直さなかった時計。
手に取るたび、埃の匂いの奥から、値切っていった客の顔や、押しつけられた曰くつきの品の来歴が、順に立ちのぼる。
売り物にならないと分かっていて、捨てられずに残していたものが、こんなにあった。
扉の鈴が鳴った。
「……手伝う」
カイルだった。
返事も待たず、上着を脱いで、空いた木箱を一つ引き寄せる。
慣れない手つきで、棚の品を包み始めた。
「壊れ物と、そうでないのを、分けて」
「……ん」
言われた通りに、彼は黙々と手を動かした。
二人分の、布を裂く音と、金属を置く硬い音だけが、しばらく店に続く。
埃が、傾いた西日の中で、ゆっくりと舞っていた。
「……なあ」
積み重ねた基板を眺めながら、カイルが、ふと口を開いた。
「お前、この店を開ける前は、どこにいたんだ」
何気ない問いだった。世間話の域を出ない、軽い調子で。
リラの手が、止まった。
答えは、喉の手前で凍りついた。
どこにいたか。何をしていたか。
辿れば、隠し通してきたものの全部に行き着く。
名を変え、顔を変え、痕跡を消しながら渡り歩いてきた歳月。
そのどれ一つ、口にできるものはなかった。
「……あちこち」
ようやく、それだけを返した。
布を持つ指先が、僅かに強張っている。
カイルは、その短さと、返答までの間の長さに、気づいたようだった。
だが、それ以上は聞かなかった。
ただ、「そうか」とだけ呟いて、また手元へ視線を戻す。
踏み込まない――それが、この男の距離の取り方だった。
その不器用な遠慮に、リラは、僅かに救われた。
同時に、隠しごとの重さが、胸の底で鈍く疼いた。
しばらく、金属を仕分ける音だけが続いた。
その沈黙が、自分の詰まった返事のせいで生まれた気がして、リラは、柄にもなく口を開いていた。
「……あなたは」
「あ?」
「軍。……なんで、入ったの」
聞いてから、自分でも意外だった。
他人の来歴になど、興味を持たない質だったはずだ。
それなのに、言葉は、勝手に出ていた。
カイルは、手を止めて、少し考えた。
「……食っていくためだ。半分は」
基板を一枚、木箱に収めながら、言葉を探す。
「親が、早くに死んでな。引き取られた先も、裕福じゃなかった。軍学校なら、金がかからない。奨学生として入って、そのまま……気づいたら、軍にいた」
淡々とした口ぶりだった。同情を引こうという色は、どこにもない。
ただ、そういう事実があった、というだけの話し方だった。
「……残り半分は」
リラが、続きを促す。
カイルは、少し黙った。
「……たぶん、意味が欲しかったんだと思う。誰かの、何かの役に立ってる、っていう。……そういうのがないと、自分が、ここにいていい気が、しなかった」
飾りのない答えだった。うまく喋れない男が、それでも正直に言葉を選んでいるのが、伝わってくる。
「……変な理由か」
「……ううん」
リラは、小さく首を振った。
親を、早くに亡くした。その一言が、思いのほか、胸に残っていた。
詳しくは、聞かなかった。
ただ、生きる意味を後から探さなければならなかった男の輪郭が、償いのためだけに日々を継いできた自分と、どこか、遠く重なる気がした。
それきり、二人はまた手を動かした。
だが、さっきまでの気まずい沈黙とは、少し違っていた。
同じ基板に、二人の手が、同時に伸びた。指先が、触れる寸前で止まる。
どちらからともなく、顔を上げた。
思ったより、近かった。
西日が斜めに差し込んで、埃の粒が、二人の間でゆっくりと光っている。
カイルの視線が、リラの目の上で、止まった。
赤い。
薄暗い店では気づかなかった。
だが、傾いた光を正面から受けて、その虹彩は、澄んだ血のような赤に透けていた。
人の目の色ではなかった。
少なくとも、カイルが、これまで見たどの目とも違う。
「……お前、目」
「……ん?」
「赤いんだな。……初めて、気づいた」
リラの動きが、ほんの一瞬、固まった。
それから、何でもないことのように、視線を手元へ落とす。
「……珍しい色ってだけ。よく言われる」
そっけない声だった。
慣れた逸らし方だった。
何十年も、同じ問いを、同じ言葉でかわしてきたのだろう。
カイルは、それ以上、追わなかった。ただ、光の中で見た赤が、妙に、目の裏に残った。綺麗だと思ったことと、どこか、この世のものでないような気がしたことが、うまく、ひとつに繋がらなかった。
「……変?」
リラが、手を止めずに、ぽつりと聞いた。
いつもの素っ気なさの中に、ほんの僅か、探るような色があった。
「……いや」
カイルは、少し考えてから、短く答えた。
「綺麗だと、思った」
飾りのない一言だった。
だからこそ、リラは、返す言葉を失った。
手元の基板を、意味もなく、もう一度包み直す。
その指先が、ほんの少し、落ち着かなかった。
指を止めたのは、カウンターの端だった。
壊れかけの部品が一つ、いつもの場所に転がっている。
カイルが来るたび、意味もなく手に取っては戻していた、あれだ。
焦げた端子に、指の腹で触れる。
冷たい。ただの金属くずだった。
それを、リラは布に包んで、背嚢の底へ入れた。
カイルには、見えないように。
理由は、自分でも問わなかった。




