第十二話 新しい姿で踏み出す
エリザベスは、ろくに眠れなかった。
窓を開け、早朝の空気を吸い込む。
一日の始まりがこんなに楽しみなのは、転生してから初めてだった。
朝日は、輸入されたばかりの茶葉のような爽やかな匂いがした。
コンコン、と扉がノックされる。
「どうぞ」
返事をすると、ジェリーが勢いよく部屋へ入ってきた。
エリザベスは慌てて寝癖を手ぐしで整え、寝巻きの襟を正す。
「おっはよー! 起きててくれてよかった!」
木桶を抱えたジェリーは、にやりと笑った。
「せっかくの女王誕生祭、朝から仕込んでいくわよ!」
そう言うなり、
「てーい!」
と飛びついてきた。
「きゃっ」
顔がぺしゃりと濡れ、何かが張り付く。
慌てて鏡を見ると、白い仮面を付けたような自分が映っていた。
しっとりと濡れた薄い布が、肌へ吸い付いている。この感触に覚えがある。
「……シートマスク?」
「そう、それ!」
ジェリーは嬉しそうに笑う。
「ハーブで作った化粧水とオイルを混ぜて作ったんだ」
自分も同じようにガーゼを顔へ貼る。
白いお面を付けた二人が並び、肩が軽く触れ合った。
「ジェリーは何でも作ってしまうのね」
エリザベスは笑う。
寝不足だった肌へ潤いが染み込み、今日への期待まで満ちてくるようだった。
※
誕生祭の日は、使用人たちも祭りを楽しむ。
朝食はスープと焼きたてのパンだけ。
どうせ昼からご馳走を食べるのだ。
食事を済ませると、二人は支度を始めた。
「転生前はコスメ何使ってた?」
トランクケースから化粧品を並べながら、ジェリーが尋ねる。
「あまりお化粧はしなかったわ」
エリザベスは少し考える。
「セザンヌが多かったかしら。BBクリームを塗って、粉はたいて、眉を書き足すくらい」
「セザンヌ優秀だよね!」
ジェリーは大きく頷く。
「ウチ、キャンメイク大好きだった!バズるとすぐ売り切れちゃうじゃん? だから発売日はドラッグストア何軒も回ってた」
制服姿でドラッグストアを巡る女子高生。そんな光景が目に浮かび、エリザベスは思わず微笑んだ。
薔薇模様の陶器に入ったパウダー。
金色の蓋のリップ。
細いアイラインの筆。
透明な小瓶へ入った淡い桃色の粉。
ジェリーの手が器用に動く。
鏡の中の自分が少しずつ彩られていく。
まぶたへ色が乗る。
頬へ紅が差す。
まつ毛が長くなる。
瞳の中へ虹が宿ったようだった。
自然と胸を張りたくなる。
「はい、三つ編みほどくね」
ほどかれた髪は、ふんわりとしたウェーブになっていた。
丁寧にブラシを通し、高い位置で結ぶ。
ピンクのリボンが揺れた。
お揃いのワンピースへ袖を通し、全身鏡の前へ立つ。
そこにいた女性は、自分ではないようだった。
輝いている。
悪役令嬢ではない。
未来への期待を胸いっぱいに抱え、おしゃれを楽しんでいる十八歳の女の子だった。
「こんな姿になれるなんて……」
涙がこぼれそうになる。
「なーに言ってんの」
ジェリーは笑った。
「大袈裟だなぁ」
そう言いながら、自分の化粧を始める。
エリザベスはベッドの端へ腰掛けたまま、鏡の中の自分を見つめ続けていた。
転生してから、自分の意思で人生を選びたいと思ったことは、一度もなかった。
悪役令嬢を演じていれば楽だった。
転生前とはまるで違う世界が怖かった。
だから、小説に書かれている通りに生きてきた。
冒険を避けてきた。
「見て!」
ジェリーがくるりと一回転する。
「やっぱこのワンピース最高!」
「双子コーデ完成!」
膝が触れるくらい近くへ来て、鏡へ向かってピースをする。
同じ化粧、同じワンピース、同じリボン、同じ靴。
黒髪と金髪だけが違っているのが、同じの中に一つの個性で引き立てあっている。
「あー!」
ジェリーが突然声を上げる。
「やっぱスマホ欲しい! 写真撮ってインスタに載せたい! プリクラも撮りたい!」
エリザベスは笑う。
「記憶に焼き付けておけばいいんだよ」
「なにそれ」
ジェリーが吹き出した。
「エリザベス、名言じゃん」
二人で肩をぶつけ合って笑う。
「あ、そうだ!」
ジェリーが手を叩いた。
「この世界、魔法使いいるじゃん!
姿を紙へ焼き付ける魔法とかないのかな?」
その言葉に、エリザベスははっとした。
両親は魔術師をあまり好まなかった。だから身近ではなかったけれど、この国には確かに魔術がある。
誕生祭では魔術師の市も開かれる。
開け放した窓から、賑やかな音楽が流れてきた。
楽団のパレードが始まったのだ。
「始まってる!」
ジェリーがエリザベスの手を握る。
「行こう!」
部屋を飛び出す。
その手は温かかった。
エリザベスは思った。
――この人となら、どこまでも行きたい。




