第十一話 前夜祭のお泊まり
女王誕生祭の前日。
エリザベスは刺繍も読書も手につかなかった。
日傘を差して中庭を歩く。
午後の日差しを浴びたピンクの薔薇が、明日着るドレスの色を思い出させた。
噴水の水音が、いつもより早く聞こえる。
そこへメイドのソフィーがやって来た。
彼女は誕生祭を前に、金髪を染め直している。アイラ女王の大ファンで、髪色を真似しているのだ。
「お嬢様、ジェリー様がお見えです。寝る場所はどこでも構わないので、今夜は泊めてほしいとのことですが、いかがいたしましょう?」
ソフィーは嬉しそうに笑った。
なんて気の早いことかしら。
胸が高鳴る。
これは動揺なのか、それとも嬉しいのか、自分でも分からなかった。
「お部屋の準備をお願い」
「かしこまりました」
エリザベスは少しだけ早足で屋敷へ戻った。
※
「やっほー!」
革のトランクケースを二つ抱えたジェリーが、玄関で大きく手を振る。
「あしたの準備は今夜から必要なの!」
「そんなにたくさんの荷物で……そんなに準備が必要なの?」
「あるある!」
どんな大掛かりなことをするのだろう。
ジェリーはすっかり屋敷の使用人たちとも仲良くなっていた。
「ソフィー、その髪色めっちゃ似合うじゃん!」
「本当ですか?」
ソフィーは頬を赤くして笑う。
褒められるのが嬉しかったのだろう。
いつも一人で食べる夕食も、その日は賑やかだった。
ジェリーは「おいしい!」と目を輝かせながら食べる。
その笑顔を見ているだけで、食卓まで明るくなる。
両親は今年も女王の誕生祭には帰って来なかった。
広い屋敷には、二人の笑い声だけが響いていた。
※
夜、ジェリーが寝室へやって来た。
「はい、ここ座って」
鏡台の前へ座らされる。
背後へ回ったジェリーが、小さな硝子瓶を取り出した。
琥珀色の液体を手のひらへ落とす。
それをエリザベスの腰まである黒髪へ、ゆっくりとなじませていく。
頭皮へ触れる指先が優しい。
くすぐったい。
ふわりと甘い香りがした。
「アーモンドオイルにローズを混ぜたヘアオイルだよ。これで髪ツヤツヤになるから」
指が髪を梳くたび、黒髪が艶やかにまとまっていく。
「それじゃ、三つ編みしていくね」
ジェリーは器用に髪を三つに分けた。
「これで明日はくるくるの巻き髪になるから」
きゅっ。
きゅっ。
三つ編みを編む小気味よい音が響く。
「明日、ウチらバービー人形みたいに可愛くなるんだよ」
「バービー人形?」
エリザベスは鏡を見る。
「この私が?」
「そう!」
ジェリーは笑った。
「絶対かわいい」
その言葉に、また頬が熱くなる。
「バービー双子コーデ、女王様の誕生祭にぴったりっしょ」
三つ編みを編みながら、ジェリーがため息をつく。
「あーあ、ヘアコテがあればもっとくるくるになるのになぁ」
「Dr.STONEの千空ちゃんがいたら一発なのに」
思わず笑ってしまう。
「ヘアコテの前にドライヤーでしょう。髪を乾かすだけでも一苦労だもの」
「それな!」
ジェリーが声を上げる。
「ダイソンのドライヤー欲しい!」
二人で笑った。
転生前に観たアニメの話。
便利だった家電の話。
この世界にはないものばかりなのに、不思議と懐かしい。
話しているだけで楽しかった。
※
「じゃ、おやすみー」
「ええ、おやすみなさい」
「絶対いい一日にしよう」
ジェリーはとびきりの笑顔で言った。
その微笑みに目を奪われながら、「うん」とうなずいた。
ジェリーは客間へ向かった。
眠れない。
部屋には、まだローズの香りが残っている。
ジェリーがさっきまでここにいた。
そう思うだけで胸が落ち着かない。
客間に彼女がいる。それだけで、屋敷がいつもと違う場所になった気がした。
部屋の隅にある、トルソーに着せたピンクのドレスを何度も見つめる。
明日、ジェリーとお揃いの服を着て、一緒に祭りへ行く。
考えるたび、胸がどきどきと鳴った。
前世でも感じたことのない気持ちだった。
楽しみで、眠れない。
その夜、エリザベスは人生で初めて、「わくわくして眠れない夜」を知った。




