六十八
ミカエルシュナの魔法を受けた球体は、音を立ててひび割れ始めた。それを見て、エドワルドは焦った顔をする。
「アステリオンが⋯⋯!」
球体とアルトゥールに走り寄ろうとして、しかしティターニアに阻まれて近付けない。
”行かせまセン„
「っく⋯⋯女神の走狗が⋯⋯!」
ティターニアに憎々しげな言葉を吐き、影を操るエドワルド。
影は棘を伴った触手としてティターニアを襲うが、彼女はひらりひらりとかわし、時に光でかき消してしまう。触れることさえ叶わない状況に、エドワルドは歯噛みした。
その間にも球体のひびは広がり、その間から光が漏れ出る。
そして、轟音が響き渡った。
衝撃が、全員の身体を打ち付ける。辛うじて立っていられたのはそれを予感していたミカエルシュナとアルトゥール、あとはティターニアだ。そのふたりと一柱も、衝撃をやり過ごすために身体を縮こませることになる。
更に光を遮るため、目を閉じねばならなくなった。そのため、周囲がどうなったのか解らなくなる。
目どころか肌もじりじりと焼いてしまいそうな光がようやく収まり──だがすぐに、別の轟音が鳴り始める。
それは、半壊した球体ではなく、部屋全体から聞こえていた。
「アステリオンが⋯⋯崩壊を始めた⋯⋯」
エドワルドは呻くように呟く。それさえも周囲の音に紛れて消えてしまう。
ミカエルシュナはアルトゥールの様子を見ることも無く、マリーヌ達の元へ走った。
マリーヌはフェリクス達をかばうようにしてニヴィエと対峙していたが、轟音と衝撃でふたり共その場にうずくまっている。
「大丈夫ですか⁉」
「ええ⋯⋯」
マリーヌはちかちかする目をしばたかせながら頷いた。
それにほっとし、次いで、ひざまずかされた面々を見る。
「皆様動けますか?」
「ああ⋯⋯何とかな⋯⋯」
フィナリアはかすれた声で答えた。よろよろと立ち上がろうとする彼女とフェリクス、ロビンに対し、フェリクス少年はようやく上体を起こすことができるという状態である。
「ロビン、フェリクス様をお願い」
「承知しました」
マリーヌの頼みに頷いたロビンは、フェリクス少年を抱きかかえた。
「この場を離れましょう。早く!」
ミカエルシュナはフィナリアに手を貸しながら、周囲を見回した。
気付けば天井から、土埃がぱらぱらと落ち始めていた。
エドワルドの言葉が本当なら、迷宮が崩壊を始めたはずだ。なら安全な場所に逃げなければならない。
この中で安全な場所などあるのかという疑問が浮かぶが、少なくともこの部屋にいていいことは無いだろう。
ミカエルシュナはフィナリアを補助しつつ歩み出そうとして──しかし、叶わなかった。
いつの間にか背後に迫ったアルトゥールが、ミカエルシュナの剣を持つ腕を掴んだからだ。
「なっ⋯⋯⁉」
「どこへ行く? 我が乙女よ」
アルトゥールは無表情のまま、強い口調でミカエルシュナに言い寄った。
「そなたがいる場所は、それらの傍ではない」
「離しっ」
ミカエルシュナはアルトゥールの手から逃れようともがいた。だががっちりと掴まれた腕は、どれだけ力を入れても離れようとしない。
「ミカエルシュナ嬢⁉」
マリーヌが振り返り、ミカエルシュナの窮状に気が付いた。慌てて駆け寄り、アルトゥールに杖を向ける。
「離しなさい!」
「⋯⋯うるさい」
アルトゥールは低く、心底煩わしそうに呟いた。その呟きと共に、槍の穂先に炎が灯る。赤ではなく、蒼い炎だった。
ぞわり。
ミカエルシュナの背筋を、冷たいものが這い上がった。その炎を放ってはいけないと、直感が警鐘を鳴らしている。
ミカエルシュナはとっさに、槍の柄を掴んだ。目を丸くするアルトゥールを無視して、ミカエルシュナは呪文を唱える。
「”氷結を成せ„!」
ぱき、と音を立てて、長大な槍はアルトゥールの手を巻き込んだ氷の塊と化した。穂先の炎はそれによって、じゅわ、と音と白煙を上げて消え去る。
それを確認する間も無く、ミカエルシュナは顔を上げた。
「早くお逃げください!」
「っ、でも⋯⋯」
「⋯⋯ティターニア! 皆様を安全な場所に連れていって!」
”姫君⁉„
「これは⋯⋯命令よ!」
ミカエルシュナがそう言ったとたん、びくん、とティターニアの身体が跳ねた。次いで、悔しそうに顔を歪め、手から光の帯を放つ。
帯はマリーヌ達を巻き取り、浮かび上がらせた。ティターニアが入口に向かって飛ぶと、それに引っ張られるようにマリーヌ達も移動する。このまま、外に出るのだ。
”すぐに戻りマス!„
ティターニアはそんな言葉を残して、マリーヌ達を引っ張って部屋を出ていく。
「そん、な⋯⋯ミカエルシュナ嬢!」
マリーヌは手を伸ばすが、ミカエルシュナにそれに応える気力は無かった。
精霊魔法には、契約した精霊に確実に命令を聞かせる絶対命令の魔法がある。
精霊は自我を持つため、時に精霊魔法使いの命令を聞かないことがある。
そんな時に、自分の魔力を消費して、精霊に命令を実行させる魔法だ。
勿論制限はある。これは自分と契約した精霊のみに行使できるものであり、また連続して使用することもできない。加えて、魔力消費は契約精霊の格が高ければ高いほど多くなる。
ティターニアの場合、光の最上位精霊ゆえに、ひとつの命令を聞かせるだけで莫大な魔力を消費することになった。
だから。
「っ⋯⋯」
ミカエルシュナは、魔力をごっそり失った感覚に膝から崩れ落ちた。
それまでの連戦で消耗していたことに加え、ティターニアへの命令で魔力を使ったのだ、当然限界が来ることになる。
マリーヌ達が白煙の向こうに消えたのを確認したミカエルシュナは、せめてもの抵抗でアルトゥールを睨み付けた。
そんなミカエルシュナに、アルトゥールは目を細める。
「ああ、やはりそなたは美しいな」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「だが⋯⋯それだけ減じていれば、たやすい」
アルトゥールの黄金色の瞳が妖しく輝いた。とたん、ミカエルシュナは意識がとろりと溶けるのを感じる。
──まずい。
──今ここで、意識を手放すわけには⋯⋯
だがそんな思いも虚しく、ミカエルシュナの思考は闇の中に沈んでいった。
──ユリウス、陛下⋯⋯
最後に、暖かな黄金の髪を思い出しながら。
かくん、と頭を落としたミカエルシュナ。そこに覗き込むように、アルトゥールは身体を寄せた。
「面を上げよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
命じられるまま、ミカエルシュナは顔を上げる。そこには、何の感情も浮かんではいなかった。春の瞳は焦点が合わず、あらぬところを見つめており、茫洋としている。
そんな彼女の頬を撫で、アルトゥールは唇を緩めた。
それはニヴィエやエドワルドが初めて見る、笑みらしきもの──だった。
「やっと手に入れた。我が乙女」
ミカエルシュナを抱き寄せて立ち上がったアルトゥールは振り返る。
「王都に戻るぞ」
「は⋯⋯しかし、アステリオンは」
「捨て置け。回収した魔力さえあれば、どうとでもできよう。重要なのは、魔力と、ミカエルシュナ・ルフェなのだから」
「かしこまりました」
エドワルドは懐から黒水晶の原石を取り出すと、ほとんどばらばらになった球体に近付けた。
すると、球体から黄色味を帯びた光が飛び出し、黒水晶に吸い込まれていく。
一分もしないうちに球体は浮くことも輝くこともなくなり、代わりに黒水晶が妖しい光を灯した。
「⋯⋯発言をお許しください」
その様子を横目に、ニヴィエが口を開いた。おとなしくアルトゥールの片腕に収まっているミカエルシュナを睨み付けながら。
「その者が⋯⋯本当に?」
「くどい」
緩んでいた唇を曲げ、アルトゥールは言った。
「疑問を呈することさえ不敬と心得よ。我が間違えるわけがない」
アルトゥールはミカエルシュナの額に唇を寄せた。
「この者こそが、我が探し求めていたもの──女神のかけらだ」




