六十六
光の刃はミノタウロスの首を絶ち斬ってなお、勢いを殺すことなく不気味に輝く球体に向かった。
だが、直撃する寸前にエドワルドが生み出した影に飲み込まれ、光の刃は消え失せてしまう。
ミカエルシュナは眉間にしわを寄せた。
そんな彼女に、エドワルドは笑いかける。
「危ない危ない。油断なりませんね。さすが、我らが祖を討ち取っただけあります」
「⋯⋯そう。そのこともご存知なのですね」
ミカエルシュナは剣を構え直した。
そんな彼女の横に移動しながら、フェリクスは問う。
「彼らの祖先というトリストラム公爵というのは⋯⋯?」
「わたくしの故郷を滅ぼした男ですわ。すでに仇は取っておりますが⋯⋯そもそもの発端は、アヴァロン王アルトゥールの命令だったそうです」
「それは⋯⋯」
「それが、お兄様が我が国を裏切った理由の一端ですの?」
同じく横に並んだマリーヌが、苦々しげに言った。
マリーヌだけではない。扉からは、同じく迷宮に巻き込まれたロビン、フィナリア、フェリクス少年が入ってくる。それらの面々を見、エドワルドは目を細めた。
「事情は察している、という顔だな」
「ああ。風の精霊を通して、ミカエルシュナ嬢が教えてくれた」
フィナリアの言葉に同意するように、彼女達に付いていた風の精霊がミカエルシュナの傍に移動した。それを眺めながら、エドワルドはため息をつく。
「ことここに至って、隠すことでもないか。ああ、そうだよ。僕は最初から裏切っていた」
「このことは、兄上の妻子は知っているのか」
エドワルドは結婚しており、子供もひとりいるという。
ただ、子供は病弱で妻は子供にかかりきりなため、表舞台には滅多に出てこない。実際ミカエルシュナは会ったことが無かった。
「いいや? あのふたりは、僕にとっては仮の家族だからね⋯⋯何も伝えていない。このまま陥穽に飲み込まれてもいいとさえ思っているよ」
まるで明日の天気を語るかのように軽く言い放つエドワルドに、マリーヌとフィナリアは絶句した。
何年も寄り添った妻と、自身の血を分けた子供に対して、一切の情を見せない姿。それまでのエドワルドをよく知るふたりにとって、衝撃以外の何物でもなかったに違いない。
ふたり共、もはやエドワルドを黒魔法使いとして捕えねばならないと覚悟している。それでも、自分達が見てきたエドワルドの姿を忘れたわけではないのだ。
それががらがらと、音を立てて崩れていくように感じた。
「陥穽は起こさせません、絶対に」
言葉を見失ったふたりに代わり、ミカエルシュナが答える。かばうように一歩前に出た彼女を、困ったようにエドワルドは見た。
「⋯⋯そもそも、貴女がこの国に来たこと自体想定外でしたが⋯⋯マリーヌの占星術の精度をなめていました」
「先ほどから⋯⋯貴方がたにとって、わたくしは一体どういう存在なのですか? まるで敬うべき相手かのよう」
眉をひそめて問いかけたミカエルシュナに、エドワルドは目を瞬いた。
「⋯⋯そうでした。貴女は知らないのでしたね」
「一体何⋯⋯」
「僕から説明せずとも、いらっしゃったようです」
エドワルドの言葉と共に。
周囲が、闇に染まった。
漆黒。暗黒。純黒。
黒。黒。黒──
一瞬で意識を飲み込んでしまいそうな真の闇が、部屋を覆い尽くした。
ニヴィエやデュラック元伯爵が操っていた闇とは違う。自分の手元さえも解らない暗闇。それが、今存在している全てだった。
「何⋯⋯これ⋯⋯」
ミカエルシュナは思わず呟いた。その声さえも、闇の中に溶け込みそうだった。
自分達の周りには、微かに人の気配がする。それぞれの戸惑う声も。だが、それらも今にも消えてしまいそうに頼りない。本当に存在しているのか、疑う気持ちさえ湧いてくる。
気の弱い者なら発狂してしまうのでは、という闇の中──
「頭を垂れよ」
声が、響いた。
男の声だ。極寒の吹雪のような、温度を奪う冷たい声。同時に、他者をはるか高みから見下ろす、傲慢な響きを備えている。
それと共に、闇が晴れた。先ほどまでの光景が質の悪い悪夢だったかのように、すうっと闇が消え去る。入れ替わりに、背筋が粟立つようなおぞましい魔力が部屋を覆った。
ミカエルシュナは反射的に言葉に従いそうになり、何とかこらえた。そして、正面を見る。
浮かぶ球体。その前に、男がひとり立っていた。
腰まで伸びたまっすぐな黒髪、白銀に輝く布地に金刺繍で飾り立てられた豪奢なローブ、長く尖った耳はエルフの証だ。
顔立ちは陶器の人形のように整っていて、温度が無い。小さく薄い唇は、ぴくりともしなかった。
そして、アーモンド形の目には、黄金の瞳が収まっている。発光しているのではというほど輝くそれは、イエローダイヤモンドによく似ていた。
突然現れた彼の足元では、ニヴィエとエドワルドがひざまずいている。恭しい態度に、彼がふたりの主であることが見て取れた。
「ミ、ミカエルシュナ嬢⋯⋯⁉」
不意に、マリーヌがミカエルシュナの手を引いた。その頼りない仕種に驚いて振り向くと、更に驚く光景を目にすることになる。
マリーヌ以外の面々が、なぜかひざまずいていたのだ。しかも頭を抑え付けて無理矢理そうさせられたかのような、不格好な形で。
「い、一体⋯⋯もしや、今ので?」
「おそらく⋯⋯」
ふたりは改めて男を見た。
そこでミカエルシュナは、その姿に既視感を覚える。
──どこかで会ったことがある?
──⋯⋯まさか、そんな馬鹿な⋯⋯
もしや、という想像が頭をよぎり、ミカエルシュナは息を詰めた。
ありえないはずだった。アヴァロンが滅びたのならば、かの人もまた亡くなっているのだと。
だが、それまでのピースが、ミカエルシュナに痛烈に訴えかけてくるのだ。
目の前の男が、何者なのかを。
「我が乙女以外に耐える者がいるとはな」
男は黄金の瞳をふたりに向け、言った。ゆったりとした口調に反して、どこまでも暖かみというものが無い。
「なるほど、そうか。おまえはゼルヌスの加護を強く得ているのか。あれはまだ、人類を信じているのか」
不敬にも神を呼び捨てにし、男はひた、とミカエルシュナを見つめた。
驚愕で固まっているミカエルシュナに向けて、男は口を開く。
「久しいな、我が乙女、ミカエルシュナ・ルフェよ」
「⋯⋯お久しぶりでございます、アルトゥール陛下」
ミカエルシュナがそう言うと、マリーヌが戸惑いの声を上げた。
「ミカエルシュナ嬢、アルトゥールとは、もしや」
「ええ。信じられませんが」
ミカエルシュナは慎重に言葉を重ねた。
「あそこにいるのは、かつて滅びたアヴァロン王国の国王、アルトゥール・アヴァロンで間違いないようです」




