六十五
広い部屋に咆哮が響き渡る。
ぶもおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼
鼓膜だけでなく身体さえも震わせる怪音に、ミカエルシュナとフェリクスは反射的に身体をすくませた。
だが硬直しているばかりではいられない。ミカエルシュナとフェリクスは、同時に防護の魔法をかけた。
ミカエルシュナは更にティターニアを喚び出し、剣に魔力を込める。
「ティターニア、合わせて!」
”はイ、姫君„
ティターニアはミカエルシュナに呼応して、剣に光をまとわせた。
ミカエルシュナはその剣を持ってミノタウロスとの距離を詰める。振り下ろされるハルバードをかいくぐり、ミカエルシュナは喉元目がけて剣を突きだ出した。
だがミノタウロスは上体をそらしてそれを回避する。同時にハルバードを引き寄せるように振るったため、ミカエルシュナは盾でそれをそらしつつ退避する羽目になった。
「っく⋯⋯」
痺れに似た衝撃を腕に感じ、ミカエルシュナは呻きを飲み込む。
ミカエルシュナの盾は敵の攻撃を受けるためのものではなく、そらすためのものだ。ミカエルシュナ自身の身のこなしと合わせて、高い回避率を維持する一助となっている。
だが逆に言えば、正面から力押ししてくる相手を受け止める盾ではないということになる。
無論、魔法銀でできている上、防護の魔法をかけた盾はそう簡単に壊れるものではない。事実、今の攻撃でも盾はびくともしなかった。
だが、装備しているミカエルシュナ自身は、身体強化も含めてもそこまで膂力があるわけではない。
膨大な魔力に裏打ちされた強化はしているものの、元の華奢さを完全に打ち消すことはできないのだ。
それでも充分な強化と技術で受け流し、ミカエルシュナは無傷で距離を取ることができた。にもかかわらず、感じることのできる重い一撃。
見た目に違わぬ──否、見た目以上の怪力だと、それだけで察することができた。
「フェリクス様!」
「ええ! 防御はお任せください」
後退するミカエルシュナと入れ替わるように、フェリクスが前に出た。そして、盾を突き出すようにかかげる。
そこに、ミノタウロスのハルバードによる二連撃が叩き込まれた。
耳が痛くなるような金属音と共に、フェリクスの足元がひび割れる。衝撃が地面にまで伝わった証左だが、フェリクス自身はびくともしない。
フェリクスは大神官という地位にいるが、それ以前は神殿騎士だったという。それも、高い実力を持った重騎士だったそうである。
先の戦いでその実力は見ていたが、ミノタウロスの連撃を受け止めて健在でいられるほどの防御力を持ち合わせていたらしい。
フェリクスはミノタウロスに肉薄し、メイスを振るった。ミノタウロスはそれをハルバードで受け止める。
魔物ながら、その技量は惚れ惚れするほど鮮やかだった。訓練か調教か解らないが、一定以上の戦闘技術を修めているらしい。
そんなミノタウロスと、ミカエルシュナは再び距離を詰めた。
舞うような足さばきで盾とハルバードの合間を縫ったミカエルシュナの細剣が、ミノタウロスの鎧の隙間に差し込まれる。
即座に引き抜かれたそれに遅れて、肩から血飛沫が飛び散った。それを避けるように飛び退いたミカエルシュナを追うミノタウロスの一撃を、フェリクスが再び受け止める。
ミノタウロスは痛みなど感じていないかのように、ハルバードを振るい続ける。白い毛皮を紅く染め上げながらも、縦横無尽に動いていた。
「痛覚で鈍くなるのは、期待できませんね」
フェリクスはぼやきつつ、遅滞無くハルバードを受け止めていく。フェリクスもさることながら、盾自体も相当頑丈なのか、へこみも歪みもしない。
「フェリクス様、もう少しいけますか⁉」
「ええ!」
ミノタウロスから再び距離を取ったミカエルシュナが魔力を練り直しながら問うと、フェリクスは頷きながらハルバードを跳ね返した。
身体強化魔法をかけていることを加味しても、ミノタウロスの攻撃を真正面から受け止め続けていれば、早晩体力は尽きるだろう。
だが、それを感じさせないような威勢のよい応えだった。
「⋯⋯何なの、あの男」
それを見ていたニヴィエが、ぽかんとその様子を見ていた。
「あそこまでやれる戦士なんて、そんなのユリウス様以外にいたの⋯⋯?」
「フェリクス・ディグレは、百年以上大神殿の頂点にいたハーフエルフだ。緊急時には自ら前線に立つのもいとわない武闘派でもある。ひと筋縄ではいかないだろう」
一方エドワルドは特に動揺することもなく、冷静な眼差しで戦いの推移を眺めている。
しばらくフェリクスを見つめていたが、ふとミカエルシュナに視線を移した。
「おや、あの方がしかけるようだ」
その言葉に応えたわけではないが、ミカエルシュナの身体から魔力が立ち昇った。
それを感じ取ったのだろう、ミノタウロスが顔を上げ、フェリクスからミカエルシュナに意識を向ける。
ぶるおおぉぉぉ!
再びの咆哮の後、ぐ、と身体を沈めたミノタウロス。そして、蹄で地面を蹴る。
床材の石が砕け散るほどの威力で行われた突進。それにぶつかられれば、ミカエルシュナはただではすまないだろう。
「させん!」
だが、フェリクスはそれを受け止めた。盾を自身の前面に置き、腰を落とす。
金属同士が激しくぶつかり合う音が部屋全体を震わせた。びりびりと空気を震動させ、地震もかくや、というほど揺らしたぶつかり合いは、まさかの拮抗を見せる。
ミノタウロスの全身を使った突進を、フェリクスは見事受け止めてみせたのである。
だが、その拮抗は少しの間だった。数秒もしないうちに、ずるずると後方に後退させられるフェリクス。足元の石も砕け、彼の身体から人体から出たとは思えぬ軋みの音が上がる。だがそれでも、フェリクスは体勢を崩さなかった。
「う、ぐぉ⋯⋯!」
口からは耐えきれずに呻きが漏れ、口内には鉄の味が広がる。だが、フェリクスはミノタウロスの突進を止め続ける。
ミノタウロスはそれ以上押すのは止め、いったん後ろに下がった。そして再び突進するため、身体を低くする。
二度目の突進を受け止める気力は、フェリクスに残っているのだろうか。肩で息をし、よろよろと顔を上げる姿からは、その力は感じられない。今度受けたら、さしもの彼も吹き飛ばされるのではないだろうか。
だが。
「大神官様」
二度目は、無い。
「耐えていただき、ありがとうございます」
その声は、ミカエルシュナより更に後方から聞こえた。
ニヴィエは思わず扉の方を見る。
そこには、一体いつの間にたどり着いたのか、マリーヌが立っていた。その背後には、風の精霊が浮かんでいる。
──あれは、まさかミカエルシュナ嬢の⁉
もしや、ミカエルシュナは精霊を彼女の元に行かせたのだろうか。そして、この場まで誘導した。
思えば、彼女は現れた時に風の精霊を一柱しか連れていなかった。魔道具の発動以前は、複数従えていたのに──
「”神よ、邪悪なものを戒めよ„」
マリーヌが祝詞を唱えると、ミノタウロスの身体に光の鎖が巻き付いた。
魔法でできた鎖は、蔓草などよりよほど頑丈にできているらしく、ミノタウロスの怪力でも引きちぎれない。
「ミカエルシュナ嬢!」
「時間稼ぎをありがとうございます、おふた方」
ミカエルシュナは剣をかかげ、不敵に微笑んだ。見る者の心をとろけさせる、美しくも凛々しい笑みだ。
「ティターニア」
”いつデも、姫君〟
「⋯⋯”光よ、闇を斬り裂く刃となれ„」
ミカエルシュナは細剣を振り下ろした。その刃から、光の刃が放たれる。
フェリクスが退いた場所を通り過ぎ、光の刃はミノタウロスに向かう。ミノタウロスはそれをハルバードで受け止めた。
だが、光の刃はハルバードを断ち斬り、ミノタウロスの喉元まで届いた。勢いを殺さず直撃した光の刃は、ミノタウロスの首を切断する。
鮮血を勢いよく噴き出して、ミノタウロスは斃れた。




