六十二
光が収まった気配を感じ、ミカエルシュナは恐る恐る目を開いた。
だが目の前の光景は、すでに中庭ではなくなっていたのである。
「ここは⋯⋯どこ?」
視界に映るのは、石畳の空間。等間隔に魔法の灯りが灯り、周囲は明るい。窓は一切無く、上下左右石壁に覆われているが、不思議とほこりやかびの臭いはしない。
「あの魔道具によってできた空間⋯⋯でしょうか」
ミカエルシュナの背後で、誰かが呟いた。振り返ると、大神官フェリクスが戸惑いの表情を浮かべている。
彼はローブの上から鎧を着用し、身の丈半分ほどもあるメイスを背負っている。左手には大きな盾が装着され、戦士の様相だ。
戦闘を想定してミカエルシュナ共々武装していたフェリクスだが、結果的にそれがよかったのかもしれない。何しろ、わけが解らない状況に放り込まれたのだから。
「おそらくは⋯⋯デュラック嬢もいませんし」
足元で拘束していたはずのニヴィエは、いつの間にか姿を消していた。蔓草が力無くとぐろを巻いていることから、自力で抜け出したのではなく、誰かしらが転移させたのだろう。
「わたくしの攻撃は、魔道具の破壊には至らなかったのでしょうか」
「いえ、遠目でしたが、ひびが入っていたように見えましたし、割れるような音も聞こえました。ただ、発動を邪魔するほどの効果が無かったというだけでしょう。それでも、無駄では無いはずです」
フェリクスは右手で近くの壁に触れた。
「ところどころに、ひびがあります。これが魔道具によって生まれた空間なら、魔道具の影響を強く受けているはずです」
「魔道具にひびが入ったから、この場所にもひびがある、と」
ミカエルシュナはなるほど、と頷いた。
「⋯⋯何があるか解りませんが、進みましょう。ここでじっとしていても、始まりません」
「そうですな」
フェリクスが同意したのを確認し、ミカエルシュナは風の精霊を喚び出した。前の闇の中とは違い、召喚は問題無くできるようだ。
「先行をお願いできる?」
”任せテ„
精霊はふよふよと先頭を進み始めた。それにミカエルシュナとフェリクスは付いていく。
”ココ、風の流れが無イね„
「そうなの? ということは、単純な出入り口は無いということかしら」
”そうカモー。デも、空気はアルよ„
「そう。なら少しは安心かしら」
ミカエルシュナは胸を撫で下ろした。少なくとも、窒息で死亡ということは無さそうである。
そんなやり取りを見ていたフェリクスは、首を傾げた。
「ミカエルシュナ嬢は、精霊と随分親しいのですね」
「そう、でしょうか。精霊魔法使いはこれぐらい普通では?」
「いえ、私もそう多く精霊魔法使いを知りませんが、親しく話せる精霊は直接契約した一柱だけの人達しか見たことがありません。妖精魔法と違って、ぽんぽん属性を切り替えて使えるものでもありませんし」
「⋯⋯え?」
ミカエルシュナの足が止まった。
ミカエルシュナは自身以外の精霊魔法使いを知らない。
妖精魔法使いは妖精に少しでも気に入られれば使えるが、精霊は妖精のように人類種を容易に好きにならないし、そもそも接触することが少ないからだ。
それぐらいはミカエルシュナも知っていたが、わざわざそれ以上のことを調べずとも精霊魔法の使い方はティターニアが教えてくれたから、ほかの精霊魔法使いのことを知ろうともしなかった。
ローディウムに来てからも精霊魔法使いは周りにいなかったから、差異に全く気付かなかったのである。
「⋯⋯そうなの?」
ミカエルシュナは思わず風の精霊にそう問いかけた。風の精霊は少し呆れたように肩をすくめる。
”姫君ダケだよ。ボク達は、ヒトにそう簡単に力貨さナイ„
「そ、うなんだ」
戸惑うミカエルシュナを見つめ、フェリクスは眉をひそめた。
「⋯⋯そもそも姫君というのは?」
「解りません⋯⋯ティターニアや、その周りの精霊達は、昔からわたくしのことをそう呼んでいて」
「あの⋯⋯ミカエルシュナ嬢が契約しているティターニアという精霊は、光の最上位精霊ですよね。フローディア様直接の配下とされている⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯はい」
ミカエルシュナは露骨に目をそらした。
そのことは、幼い頃ティターニアと契約した後に知ったことだ。
ミカエルシュナに精霊魔法の才があると解った時、両親はどんな精霊と契約するのだろうと楽しみにしていたらしい。そしたらまさかの最上位精霊、それも神に仕える存在を連れてきたものだから、父は膝から崩れ落ち、母はその場で気絶してしまった。あの時の混乱は、正直何度も経験したくはない。
すでに敬虔なフローディア女神の信徒にして神聖魔法を習得していたミカエルシュナも、自分のやらかしに固まった。知らなかったでは済まされない状況だったのである。
──でも、わたくしから契約を持ちかけたわけではないのよね⋯⋯
ミカエルシュナはティターニアの姿を思い浮かべた。
ティターニアとはフローディア女神の祠で知り合った。出会った当初から姫君と呼び、今日から貴女に仕えますと言ってきたのだ。その言葉と共に契約は成されたのだから、まさかそんな大物だとはミカエルシュナも思わなかったのである。
その後もティターニアはミカエルシュナを敬い、それに呼応してかほかの精霊もミカエルシュナに協力するようになった。
そして結果、精霊魔法使いとしては異様な状態ができあがったのだ。
もっとも、ミカエルシュナはそれを半分ほどしか自覚していなかったのだが。
「今まで誰も指摘する者はいなかったのですか?」
気まずそうなミカエルシュナの様子に察するものがあったのだろう、フェリクが恐る恐る尋ねた。
「はい⋯⋯わたくしの周りには、精霊魔法を使える者はおりませんでしたし、妖精魔法使いも母だけでしたので⋯⋯」
今思うと、なぜ母イグレシュナはミカエルシュナの精霊魔法の異質さを指摘しなかったのだろうか。
精霊魔法を使えなくとも、その下位魔法である妖精魔法の熟練者だったイグレシュナなら、何か感じるものがあってもおかしくないのだが──
”姫君!„
「っ⋯⋯!」
風の精霊の声で、ミカエルシュナは我に返った。
振り返った先には、変わらぬ石の通路が伸びている。
だがその奥に、幾つもの影が蠢いていた。
それは、明らかに異形の存在である。
「お喋りする暇は無さそうですね」
ミカエルシュナは剣を構えた。フェリクスもメイスを抜く。
「行きましょう」
「ええ」
言葉少なに言って、ふたりは走り出した。




