六十一
その夜、エドワルドは久しぶりに休息を取ると言って側近を下がらせた。自室に戻った彼は、そこから寝間着に着替えることもなく、幾つかの荷物を引っ張り出す。
それらをトランクに詰め終わると、そのまま部屋を出た。だが。
「お待ちになって、お兄様」
背後から、声がかかった。それは聞き慣れた、しかし聞き慣れない妹マリーヌの硬い声だった。
驚いて振り返る直前、ばしゅ、と空気を切る音が聞こえる。そして、振り向いたエドワルドのトランクを持つ手に、衝撃と痛みが走った。
「ぐあ⁉」
その勢いに、思わず後ろに倒れ込むエドワルド。辛うじて腕を確認すると、短い矢が前腕部に突き刺さっていた。
その矢からじわじわと広がるように、灼熱に似た激痛が腕を覆っていく。
「⋯⋯申しわけありません、手放しませんでした」
そう言ったのは、マリーヌとその隣のフェリクス少年を守るように立つロビンだった。
彼は籠手を装着していた左腕を突き出し、エドワルドを睨み付けている。
その籠手は、まるで鳥の翼のようにその機能を広げていた。
腕の左右に弓のリム部分が飛び出し、弦が張られた籠手。形状としては、クロスボウが一番近いだろう。
聖別された木と銀でできたクロスボウカントレット──それが、ロビンの得物である。
「マ、マリーヌ⋯⋯何、を」
「神聖魔法を付与した矢を受けて変色した⋯⋯マリーヌ殿下、やはりエドワルド殿下は」
苦悶の声を上げるエドワルドを眺め、ロビンはそう口にする。
エドワルドは痛みも忘れて慌てて腕を検めた。
トランクを持つ手が──矢を受けていない部分が、火傷のようにただれている。
それはつまり、エドワルドの身体が神聖魔法の聖なる魔力を拒絶しているということ。
邪悪な魔法──黒魔法を使っている証拠だった。
「⋯⋯本当だったのか」
マリーヌの後ろから、フィナリアが姿を現した。彼女は沈痛な面持ちで、兄を見つめている。
マリーヌも哀しそうに──真実悲哀に満ちた気持ちで、断罪の言葉を口にした。
「エドワルド・ティレシス──我が国に仇成す黒魔法使いよ。大神殿の名において、貴方を拘束します」
「⋯⋯ああ」
エドワルドはもはや使い物にならない腕と妹達を見比べ、ため息をついた。
「おまえ達には知られたくなかった⋯⋯本当だよ。何も知らないままでいればよかったのに。そしたら」
エドワルドは、暗い笑みを浮かべた。
「何も知らないまま──苦しんで死ねただろうに」
ぶわり。
突如、エドワルドの影が膨れ上がった。床に落ちていた黒は実体を持って浮かび上がり、彼の背後でドームのような形になる。
止める間も無くエドワルドを包み込み──影はすぐ傍の壁を破壊した。
「なっ⁉」
マリーヌ達は慌てて壁の穴に駆け寄った。
その下は、ミカエルシュナがいるはずの中庭だ。
「⋯⋯まずい」
マリーヌは青ざめた顔で呟いた。
ミカエルシュナはすでにニヴィエを拘束している。おそらく王印も回収しているだろう。
身を隠していた大神官フェリクスが駆け寄るのが見える。そんなふたりの前に、エドワルドが降り立った。
影を鎧のようにまとったエドワルドは、ずっと離さなかったトランクを開いた。
開いた勢いで、トランクの中身が辺りに散らばる。
地面に広げられたのは、数々の魔道具だ。そのひとつを取り、エドワルドはミカエルシュナを睨み付ける。
「ミカエルシュナ嬢、王印を奪ったのでしょう? お返しください」
「奪ったのは貴方達です。わたくしはティレシスのために、それを取り返したに過ぎない」
ミカエルシュナは背後に現れたティターニアに王印を渡した。それを見たエドワルドは、唇を噛む。
「⋯⋯しかたがありません」
エドワルドは魔道具に魔力を込めた。
それは、幾つもの金属の円環でできた魔道具だった。複雑に絡み合ったそれは、一見するとパズルのように見える。
それに魔力を通そうとしたエドワルドは、しかしそれが叶うことは無かった。
ミカエルシュナがひと息で間合いを詰め、その腕を剣で斬り飛ばしたからだ。
「あ、が⋯⋯⁉」
「油断大敵ですわよ」
冷徹にそう言ったミカエルシュナの前で、魔道具はエドワルドの腕ごと宙を舞う。それを掴もうと走り出したミカエルシュナは、しかし目を見開いた。
魔力を通す前に投げ出されたはずの魔道具が、こう、と輝き始めたからだ。
魔道具からエドワルドの腕は離れていない。血の軌跡を描いて、くるくると回っている。
その血が、エドワルド本体と繋がったままのことに、ミカエルシュナは気が付いた。
──まさか⋯⋯血を伝って⁉
ミカエルシュナはとっさに魔道具とエドワルドに向かって風の刃を放った。王城の穴からは、ロビンがボウガンの矢を射る。
ロビンの矢は弾かれたが、ミカエルシュナの風刃は両者に到達する。
だが、エドワルドにも魔道具にも防護の魔法がかけられていたのか、エドワルドに僅かに切り傷を作るだけに留まった。ミカエルシュナは次いで、神聖魔法の光弾を放つ。
魔道具を狙って放たれたそれは、過たず打ち込まれる。だが。
「”真の姿を示せ„」
短く唱えられる呪文。エドワルドが唱えたものだ。
その声は、今まで聞いたことも無いような冷たい声だった。
ぴし。
何かが割れる音がした。それは、魔道具からした音である。
そのひび割れから、光が漏れ出た。闇夜の中でも目立つ、もったりとした黄色い光だ。
それが視界を覆っていく。その場にいた者全てが、その光に飲まれていく。
ミカエルシュナはとっさに目を閉じた。鋭敏になった聴覚に、ぴし、ぴし、とひび割れの音が届く。
「⋯⋯やはり、足りないか」
無機質なそんな声が、聞こえた気がした。




