六十
真夜中の王城の廊下を進む者がひとり。
その者──侍女姿のニヴィエ・デュラックは、鼻歌でも歌いそうな雰囲気で廊下を歩く。否、もはやスキップと呼べそうな足取りだ。
そんな危うげな足取りながら、足音は一切鳴らない。足元に、魔法による消音を施しているからである。
これは黒魔法ではなく、四元素魔法の風属性に由来する魔法だ。
隠密行動に非常に有利な魔法を使って、ニヴィエは前へ前へと進む。
その先にあるのは──中庭。マリーヌによって、陥穽の中心部と予見された場所である。
ニヴィエは中庭に出、そのまま足を止めずに進んでいく。
整備された通路だけではなく、花を植えた場所も含めてまっすぐ進んでいくため、花々を踏み潰していくことになるが、全く気にする素振りは無い。むしろ踏みにじる動作さえ加えて、どんどん進む。
その先に人影を見付けて、ニヴィエは唇を歪めた。
「王印、持ってきたわよ。ねえ、結果的に早くことを動かせるんだから、いい加減機嫌を直してよ。同じ主を戴く者同士、あんまり争うのもよくないし」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
無言で振り返った人影は、無表情でニヴィエを睨み付けた。
その眼差しを、ニヴィエは不快そうに受け止める。
「⋯⋯解ってるわよ。ミカエルシュナ・ルフェには手を出さない。でも、捕まえられるならそれでよかったでしょ? 妨害を阻止できるし、それに」
「⋯⋯ふ」
ふと、人影の唇が緩められた。それを見たニヴィエは許されたのかと安心し──
ぎゅるん。
突如、手足を取られた。
「え⋯⋯⁉」
両手足に何かが絡み付いてくる。そのまま地面に引っ張り込まれ、ニヴィエは石畳に叩き付けられた。
「ぐっ」
呻き声を上げるニヴィエ。その手から、ぽろりと何かが零れ落ちた。
それは美しい琥珀でできた小さな物体──ティレシスの王印である。
「幻術を使う手腕は見事だけど、それを見抜く目を養わなきゃ、意味が無いのではなくて?」
人影はそう言ってニヴィエに歩み寄り、王印を拾い上げた。その様子を、ニヴィエは苦々しげに睨み上げる。
「おまえ⋯⋯エドワルドじゃないわね⁉」
「気付くのが遅くてよ」
人影──エドワルドに化けた者はぱちんと指を鳴らした。
とたんにその姿は、プラチナブロンドに淡い紫の瞳のエルフ──完全武装したミカエルシュナ・ルフェに変化する。
ニヴィエは目を見開いた。
「なぜ⋯⋯⁉」
「精霊魔法使いについて、もう少し学んでおくべきだったわね。その気になれば、風──空気があるところなら、風の精霊達の手を使えばどこでも探れるの」
ミカエルシュナの背後に、たゆたうような姿で精霊がひとりふたりと浮かぶ。精霊はニヴィエに敵意を向けるような鋭い眼差しを向けており、今にも風の刃を飛ばしそうだ。
「っく⋯⋯」
「黒魔法使いは妖精や精霊に嫌われる傾向がある。特に妖精は近付くことさえ厭うけど⋯⋯その上位存在である精霊なら、姿を隠して様子をうかがうことはできるわ。ありがとう、みんな」
”姫君のタメダもの”
”ソウ、姫君のタメ。ティターニア様ニモ、よろしくッテ言われテタし!”
ニヴィエに向けるのとは違い、ミカエルシュナには満面の笑みを向ける風の精霊達。
その様子に、ニヴィエは歯噛みした。
「そう⋯⋯名持ち──上位精霊とも契約してるの。その上神聖魔法も⋯⋯本当に、そうなのね」
「⋯⋯?」
ニヴィエの言葉に、ミカエルシュナは眉をひそめた。
ミカエルシュナがニヴィエを拘束したのは得意の蔓草を使った魔法だ。魔法阻害も付与しているため、拘束され続ける限り強化魔法も使えない状態だ。
ニヴィエもそれは解っているはずなのに、全く焦った様子が無い。
「ねえ、ミカエルシュナ嬢⋯⋯どうして陥穽が起きると思う?」
「それは⋯⋯ピクトル王国と同じ魔道具を使ってのことでしょう? 大神殿に封印されている物とは別に、エドワルド・ティレシスが持っている」
「そう、そこまで解っているのね」
ニヴィエはため息をついた。
ニヴィエと接触し、自国を滅ぼそうとした黒魔法使い──それは、第一王子エドワルドだった。
エドワルドと話した時、ミカエルシュナは違和感を感じた。
自国が滅びる瀬戸際だというのに、王族としては楽観的な言動、零ではない可能性を無いと断じる発言、魔道具の効果を解らないと言い切る言葉。
その後フィナリアと話して、その違和感は確信に変わった。
エドワルドは解っていたのだ。ティレシスを滅ぼす魔道具は別にあることも。その効果も。
だから封印が破壊される可能性をありえないと言い切れたし、効果を悟られる可能性を考えて解らないとしか言えなかった。
「大神殿にある魔道具は不完全なの。だからピクトルなんて小国の王都しか沈められなかったし、本当はあれ、壊れているのよ。干渉防御が強力過ぎて、黒魔法使いにしか解らないだろうけど」
「⋯⋯なぜ知っているの?」
「お父様がゴライアスを盗んだ時に気が付いたのよ。本当はローディウムで発動するつもりだったのに、あてが外れたって言ってたわ」
ゴライアスを盗んだのは元デュラック伯爵だったらしい。娘に生贄にされたことが、結果的に脅威をひとつ取り除いたことになってほっとする。
もっとも、ニヴィエはそれに気が付いた様子は無いが。
「だから、新しく造って、エドワルドに渡したの。勿論改良版よ。でも、それでも不完全だった。魔力が足りなかったの。神聖な魔力が」
「神聖な⋯⋯」
「哀しいけど、黒魔法使いの魔力は濁っている。おまけに神聖な魔力と相性が悪い。でもそれを充填する方法はあった」
「⋯⋯! この王印ね?」
ミカエルシュナは手元の王印を見た。
触れた瞬間解った。琥珀でできたこの王印は、神聖な魔力──すなわち神官による魔力が込められている。
おそらくは歴代の王達──その中でも、神官の資格を持った王が少しずつ魔力を溜めてきたのだ。いざという時の切り札のために。
これほど魔力を込められたなら、もはや魔道具──否、聖具と呼んで差し支えないだろう。
だが、そんなものを持っていては、ニヴィエは──
「本当は、どこかに隠しておきたかったんだけど、そうもいかなくて⋯⋯それを持ってからずっと頭痛が酷いの。頭蓋の裏をがりがり削られてる気分よ⋯⋯それでも、魔法が使えなくなるような影響は出ないで済んだけど、それも時間の問題だったわ⋯⋯だからさっさとエドワルドに渡したかったのに」
まあ、でも──とニヴィエはにい、と笑った。
「結果的には変わらないわ⋯⋯来たもの」
「え?」
ミカエルシュナが眉をひそめると同時に。
王城の上部が、一部吹き飛んだ。
がらがらと崩れ落ちてくるがれきを障壁で防ぎつつ、ミカエルシュナは顔を上げる。
「あそこは、確か⋯⋯」
「ふふ⋯⋯貴女の味方は何人? マリーヌ王女はあっちよね? でも⋯⋯」
ニヴィエは哄笑を上げた。
「あの方の忠実な神官である彼だもの、どれだけ邪魔されようと役目を果たすでしょうね!」




