五十九
マリーヌが落ち着くのを待っていたら、昼過ぎになってしまった。
マリーヌの目を魔法で冷やしていると、マリーヌ付きの侍女が恐る恐る入ってくる。申しわけなさそうな表情だった。
「殿下⋯⋯具合がよろしくない時に失礼いたします。婚約者様がいらっしゃいました」
「え⋯⋯あ」
マリーヌははっとした。
「嫌だわ、わたくしとしたことが⋯⋯今日だったのね」
「殿下、もしや今日は婚約者様との交流日でしたか?」
ミカエルシュナは頬を強張らせた。
マリーヌに婚約者がいることは知っていたが、さすがに交流日までは把握していない。結果的にその邪魔をしてしまっていたことに、申しわけなさが募った。
「すみません、そんな日になんてことを!」
「いえ⋯⋯いえ、彼にもこのことは伝えねばならないかもしれません」
マリーヌは顔を上げた。
「貴女、フェリクス様をここにお呼びして。それと、大神官様もお呼びしてほしいわ」
「か、かしこまりました」
侍女は戸惑いながら、客室を出ていった。
それを見送ったミカエルシュナは、マリーヌを振り返る。
「フェリクス様?」
「わたくしの婚約者は、大神官様からお名前をいただきましたの」
マリーヌはそう言って、目を細めた。
「あの方は、今はティレシス聖王国の侯爵家に入っておりますが、もともとはピクトル王国の王子でした」
「え⋯⋯」
ミカエルシュナは目を丸くした。
「崩壊した時、たまたま王都の外に出てらして⋯⋯地響きとおぞましい気配を感じて、供回りと共にティレシスに助けを求めてきたのです。それで、大神官様がピクトル王国に神官や神殿騎士達を連れてピクトルに向かい、結果陥穽に飲まれた王都を発見したとのことでした」
「そう、でしたか」
「我が国の侯爵家に入ったのは、ピクトル王国の王妃の生家だったからです。現在の侯爵は、彼の祖父になります。わたくしとの結婚後は、大神殿に入る予定ですわ」
「なるほど⋯⋯それで、彼にも伝えようと」
「はい。彼は神聖魔法は使えませんが、魔術師として優れた素養があります。神官は無理ですが、司祭はできましょう」
司祭は聖職の一種で、神聖魔法を使えないが神殿と神に仕え、祭事を管理する役職だ。中には神殿騎士と兼任する者もおり、また神聖魔法以外の魔法を修めている者も多い。
ちなみに魔術師を兼ねている者は魔術司祭と呼ばれており、主に魔道具の研究や魔法の発展に寄与する研究者のような立ち位置になることが多い。
ミカエルシュナは大神官と元王族を迎えるために、エリル達に準備をさせた。その際極秘の話があるので、ふたりが来た時点で退室するようにとも言い含めておく。
そうこうしているうちに、ふたりが客室を訪ねてきた。
「初めまして、ミカエルシュナ・ルフェ嬢。私はフェリクス・アンベル。マリーヌ様の婚約者です」
マリーヌの婚約者は、まだ十代前半の少年だった。
青がかった黒髪に、深緑の瞳、どことなく大神官フェリクスに似ているのは、彼が大神官の従甥だかららしい。彼の母の従妹が、ピクトル王国最後の王妃だったのだという。
フェリクス少年は、困ったように微笑んだ。その顔にはどことなく、哀しげな色が含まれている。
「あの時、大神官様が保護してくださらなければ、私はどこかで野垂れ死にしておりました。私には、帰る場所がありませんでしたから」
「そう、ですか」
ミカエルシュナの声はかすれていた。
ミカエルシュナは、その痛みを知っている。
故郷を理不尽に奪われ、帰る場所を亡くしてしまった者の痛みは、当人にしか解らない。
ミカエルシュナはそれを成したトリストラム公爵を討つことである程度溜飲は下がったが、フェリクス少年はただ不条理に耐えるしかない。
だが、一矢報いる助けはできるかもしれなかった。
ミカエルシュナは再度人払いをすると、マリーヌにした説明に幾つか付け加えてふたりのフェリクスに話した。
大神官は難しい顔で受け止めたが、フェリクス少年は目を剥いたまま固まっている。ややあって、唇を震わせながら訊いた。
「そん、な⋯⋯あの方が⁉ ぼ、私にも優しくしてくださったのに⋯⋯」
「間違いありません。それまでは証拠はありませんでしたが、彼女と接触しているところを確認しました」
「彼女⋯⋯ローディウムにて反逆罪に問われたデュラック家の娘、ですか」
大神官フェリクスは眉をひそめた。
「魔術師としては、かなりの腕とのことですが」
「はい。実戦慣れこそしていませんでしたが、魔術師としては目を見張るものがありました。正しい使われ方をしていれば、と惜しくなるほどに」
「そんな黒魔法使いがいるとなると、厄介ですな。居場所は掴めないのですか?」
「はい。侍女に変装して動いているところは何度も確認しているのですが、都度姿を消しています。おそらく、王城の隠し通路を使ったり、闇に文字通り沈んだりしているのでしょう。闇を自在に扱えるのなら、そういったことも可能かと」
「王城の使用人への変装は身分の詐称になりますわ。そうでなくとも、彼女はローディウムの犯罪者。ティレシスでも捕まえることは可能でしょう」
「加えて陛下への黒魔法使用、王印の窃盗容疑もある、と。その場で斬り捨てられても文句は言えませんね⋯⋯」
フェリクス少年の言葉に、ミカエルシュナは頷いた。
「あくまでわたくしが重点的に精霊に追わせていたのは、王子王女両殿下でした。国王陛下にも付けるべきだったと、悔やんでおります」
「その時点ではデュラック嬢の侵入は誰も知らなかったんですもの、しかたがないですわ。それに、普段であればお父様も黒魔法に操られることは無かったですし⋯⋯」
マリーヌはため息をついた。
「改めて考えると⋯⋯確かにあの人ならお父様の食事に果物を混入することも可能ですしょうし、現在王城を掌握しつつあるでしょう。誰があの人の手の者なのかも、考えねばなりませんね」
「ここまで来て、物的な証拠は何も無いのです。わたくしの証言だけで告発しても、下手をすれば国際問題になりますので⋯⋯」
「結果的にはどうあれ、まあそうなりますな」
ミカエルシュナの言葉に、大神官フェリクスが頷いた。
「それなら、わたくしを使ってくださいませ」
マリーヌは自身の胸に手を当てた。
「ミカエルシュナ嬢は勿論、大神官様が声を上げても問題になりますし、フェリクス様も同様。それなら、わたくしが適任でしょう」
「いいのですか」
「⋯⋯実の家族ですもの。引導ぐらい、自分の手で渡しますわ」
ミカエルシュナの確認に、マリーヌは寂しそうに微笑んだ。
「⋯⋯解りました」
ミカエルシュナはふう、とため息をつくと、表情を引き締めた。
「では、かの方を⋯⋯いえ、黒魔法使いを捕らえるための作戦会議を致しましょう」




