五十八
翌日、疲れた顔のフィナリアが客室を訪ねてきた。
結局朝までいてくれたマリーヌと共に、彼女の報告を聞くことになる。
フィナリアはなぜかいる妹にいぶかしげな眼差しを向けたものの、そのまま報告を始めた。
王命のことを、ティレシス王と側近は全く知らなかったらしい。ただ、彼らに黒魔法による魔力残滓が残っていたため、現在詳しい調査が行われているとのことだ。
おそらくふたりは、黒魔法で操られていたのだろう、というのがフィナリアの見解である。
「魔術師ではない側近はともかく、陛下は普段ならゼルヌス様の加護によって黒魔法に抵抗力があったはずだ。だが、今は身体が弱っていた。それでも、生半な魔法は効かないはずなのだが⋯⋯」
「相手が相当の使い手だったということですね」
「ああ」
マリーヌの言葉に、フィナリアは眉をひそめて頷いた。
加えて、あの時来ていた騎士達には、暗示がかけられていた形跡があったそうだ。こちらも黒魔法によるもので、だからこそ王命があれば問題無いと思い込んでいたのだろう。もっとも本当に軽いもので、あの場で指摘を受けたことで解けたと思われる。
「そして、こちらも相当に問題なんだが⋯⋯王印が盗まれていた」
「え⁉」
ミカエルシュナとマリーヌは顔を見合わせて目を見開いた。
王印は国王が王命を出す時や重要書類に自身のサインと共に押す大切な物だ。偽造するだけで相当重い罰が課せられるし、ましてや盗むなど、下手をすれば死罪もありうる。
「陛下を操った黒魔法使いの仕業、ですわよね⋯⋯」
「だろうな。まだ調査中だが、一部記憶の欠落があった。おそらくそこで、王命の偽造と王印盗難を成したのだろう。違和感を感じないよう、入念に記憶をいじっていたらしい痕跡もあるし⋯⋯相当手馴れているぞ」
フィナリアの声は苦々しげだ。
彼女としては、自身の父とその腹心がいいように扱われ、国賓であるミカエルシュナを不当に扱われたのだ。はらわたが煮えくり返っているのだろう。
「まったく⋯⋯陥穽のことだけでも足がすくむのに、この上王印まで盗まれるとは⋯⋯向こうは、とことん我がティレシスを馬鹿にしているらしい」
フィナリアはよほど腹に据えかねているのか、魔力が僅かに漏れ出ていた。怒りを含んだ魔力は部屋にいた侍従達をすくませるが、ミカエルシュナとマリーヌはそれを静かに受け止める。
「お姉様」
たしなめるようにマリーヌが呼ぶと、フィナリアははっと顔を上げ、出ている魔力に気が付いた。
「⋯⋯すまん」
「いえ、お気持ちは痛いほど解ります。弱ったお父様を黒魔法で操り、王命を偽造するだけでなく王印まで盗むなど⋯⋯もはや、容赦をする必要はございませんもの」
マリーヌは硬い声で言った。
陥穽を生み出すのは国家反逆罪、王命の偽造は先の罪に加えて公文書偽造、王印盗難はもはや窃盗罪という枠組みですらない。
そもそも黒魔法は使用するだけで罪に問われる。例え研究目的だとしても、行使すればそれだけで重罰の対象だ。
王族だとしても、死罪は免れないだろう。そうなっても、楽には死ねないが。
「とにかく、こたびの件でミカエルシュナ嬢にはご迷惑をおかけした。今は何の詫びもできないが、この失態の謝罪は、後日改めて」
「解りました。可能なら、わたくしもご協力いたしますわ」
「いや、こんなことを外部の貴女に頼るのは⋯⋯」
「こたびの件、陥穽を生み出す黒魔法使いの仕業と見て間違いないでしょう。たとえ巻き込まれなくとも、わたくしに無関係というわけではございませんわ」
ミカエルシュナは首を振った。
一連の騒動が件の黒魔法使いと無関係とするには無理がある。別の人間がそれぞれ動いていたとしても、連携を取っていると見てまず間違い無いだろう。
ならば、ミカエルシュナにとっても決して無縁というわけではない。
なにせ、ミカエルシュナは陥穽を防ぐためにティレシス聖王国に来たのだから。
「⋯⋯解った。何か進展があれば、ミカエルシュナ嬢にも共有しよう。では、私はこれで」
「お姉様、きちんとお休みなさっておりますか?」
立ち上がったフィナリアに、マリーヌはそう声をかけた。
彼女が尋ねるのも無理は無い。フィナリアの目の下には、化粧で誤魔化されているものの薄っすら隈がある。それに昨日現れた時も、エドワルドと共に寝間着ではなく日常着だった。そして両者共に疲れた顔をしており、遅くまで執務に励んでいたのは明らかである。
それに加えて今回の騒動だ。執務からは解放されたとはいえ、また別の気苦労を背負っただけに過ぎない。
妹の心配を、フィナリアは一笑に付すことはなかった。ただ、困ったように眉尻を下げるだけだ。
「⋯⋯さすがにこの後は仮眠を取るよ」
「仮眠ではなく、しっかりお休みなさってください」
「そうは言うが⋯⋯この状況でぐっすり寝られない。せめて一連の騒動が終わるまでは、仕事に打ち込まないと」
「でも」
言い募ろうとしたマリーヌを振り切って、フィナリアは部屋を後にした。残されたマリーヌは、深いため息をつく。
「お姉様⋯⋯お兄様も、どうしてお休みなさらないの⋯⋯?」
「責任感、でしょうね⋯⋯片方は。いえ、ある意味どちらもかしら」
「え?」
マリーヌはきょとんとした顔をした。しかし、みるみるうちに暗い表情になる。
「そう⋯⋯ですわね」
ティレシス王が倒れた今、黒魔法使いはふたりのうちどちらかに絞られた。その意味が解らないマリーヌではない。
うつむくマリーヌに、ミカエルシュナは少し間を置いて口を開いた。
「⋯⋯殿下、お耳にお入れしたいことが」
「え?」
「お人払いを」
ミカエルシュナはちらりと侍従や騎士達を見た。
それを受けてマリーヌはロビン以外の侍従や騎士の席を外させる。ミカエルシュナもエリル以外のローディウム側の侍従や護衛達を外に出した。
更に盗聴対策に結界を張り、マリーヌに向き直る。
「殿下、実は⋯⋯」
ミカエルシュナはエドワルドとフィナリアと会話したこととその内容、受けた印象、そして風の精霊によって王城の情報を探り、それを精査した結果を話す。
風の精霊からの情報は現在進行形だ。それによって得られた事実を、ミカエルシュナは説明した。
ミカエルシュナの話を聞いていたマリーヌは、だんだん青ざめていった。それでも、ミカエルシュナの言葉を遮ることなく、黙って聞き続ける。
最後まで聞いたマリーヌは、力無く椅子に沈み込んだ。それに、ミカエルシュナはうつむく。
「申しわけありません、殿下。こんなことをお聞かせすることになるんて」
「いえ⋯⋯いいえ。解っていたことでした。あの日、星見をした日から⋯⋯覚悟していました」
でも、とマリーヌは顔を覆った。その指の間から、雫がひとつふたつと零れる。
「信じたく、なかった⋯⋯あの人を、信じたかった⋯⋯!」
声も無く崩れ落ちるマリーヌを、ロビンが沈痛な面持ちで支える。
ミカエルシュナは手を差し出すこともできず、ただ唇を噛んだ。




