五十七
ミカエルシュナは突き付けられた書類にざっと目を通した。
力強くも美しい字で、確かに騎士の言う内容と、ティレシス王の署名が書かれている。ご丁寧に王印も押されていた。
だが、これが本当にティレシス王が書いたものなのか、ミカエルシュナには判別できない。
ミカエルシュナは顔を上げ、冷たい笑みを浮かべた。気圧されたように、年嵩の騎士は一歩後ずさる。
「これは、貴方が国王陛下から直接渡されたものかしら」
「え? いや、陛下の側近から手渡しで⋯⋯」
「そう。それで、わたくしを暗殺容疑で拘束、ね。ローディウムからの国賓で、フローディア様の忠実な使徒であるわたくしを? それって、ローディウムとフローディア様の信徒に対する攻撃の意思に取られないかしら」
ミカエルシュナの指摘でそれに思い至ったのだろう、騎士達ははっとした顔を見合わせた。
対等の同盟国として交流しているローディウムとティレシスだが、軍の精強さはローディウムの方が上だ。加えてフローディア女神信仰は、ゼルヌス神信仰ほどではなくとも相当に広がっている。この国でも、ゼルヌス神ではなくフローディア女神を信仰しているという人々は少なくない。
ミカエルシュナはローディウムの国賓であり、フローディア女神の化身とされている。そんな自分を捕らえて、両勢力を敵に回すつもりなのか、とミカエルシュナは言ったのだ。一騎士でしかない彼らは、その事実におののき、尻込みしている。
ミカエルシュナはそんな彼らを横目に、エリル達を振り返った。
「夜遅いけれど、事態が事態だわ。誰か、殿下がたをお呼びしてちょうだい。それが無理なら、大神官様をお呼びして」
「「「はい!」」」
侍女が三人、部屋を出ていった。その後を、慌ててティレシス騎士がそれぞれ付いていく。おそらくは監視のためだろうが、その足取りには迷いが見られる。
今更恐ろしく感じても、もう遅いのだが。
ミカエルシュナはそれらを見送った後、間抜けにも書類を突き出したままの年嵩騎士を振り返った。
「ところで、王命まで持ち出したんだもの、証拠も当然そろっているのよね?」
「え⋯⋯」
年嵩騎士の目が泳いだ。
それを見て、ミカエルシュナはこれ見よがしにため息をつく。
「証拠も無く王命を持ち出してわたくしを拘束しようとするなんて⋯⋯本当に陛下のお考えなのかしら。陛下のしたことだとして、なぜそんなことをしでかしたのかしら。ねえ、下手をすれば⋯⋯国がひとつ滅びることになると思うのだけれど」
それは二重の意味でだ。陥穽で滅びるか、ローディウムに攻められて滅びるか。ミカエルシュナを捕らえるということは、そういうことである。
「あ⋯⋯あ⋯⋯」
年嵩騎士だけでなく、後ろに控える騎士達までもが、じりじりと後ずさりを始めている。
目の前にいるのは、現実離れした美しいエルフ。ここに来るまで、ただそれだけの女だと、騎士達は思っていた。
だが違う。彼女は国賓であり、神殿が認めたフローディア女神の化身とされる存在。加えて、対外的には未来の皇妃でもある。
それらを抜きにしても、彼女は一流の魔術師であり、剣士である。たとえ多勢に無勢でも、ここにいる騎士ぐらいは余裕で打ち倒すことができる実力者だ。
そのことを、上官から聞いていたはずだった。真の実力を見抜けずとも、決して対立してはいけない相手だと解っていたはずである。
──なのになぜ、俺達は簡単に拘束できると思っていた?
──あらゆる意味で、俺達には触れることさえできない相手のはずなのに。
騎士達は脂汗を浮かべていた。年嵩騎士は、突き出してた王命の書類を力無く下げ、身体を縮こませている。
そんな彼らに、それと、とミカエルシュナは口を開いた。まだあるのか、とおののく彼らに、ミカエルシュナは首を傾げてみせる。
「そもそもの話、外国人のわたくしに王命って、おかしいのではなくて? 王命とは、拘束力を持った命令でしょう? わたくしは皇帝陛下に仕えてはいるけど、ティレシス国王陛下の臣下でもなければ、臣民でもないわ。二君に仕えた覚えは無くてよ」
「あ⋯⋯」
騎士達は前提の事実に、今更気が付いた。
正式な捜査が行われて、結果として容疑にかけられているならまだ解る。だが、王命を持ち出しても効力があるのは、ティレシス聖王国内に住む者に限る。
外国人であるミカエルシュナ達は、その王命に従う義務は無いのだ。
そんなことに今更気付くなんて、と騎士達は青ざめる。
そこへおりよく、侍女と騎士が戻ってきた。その後ろには、簡素なワンピースの上にガウンを羽織ったマリーヌがロビンと自身の侍女を連れて追従している。
「ミカエルシュナ嬢!」
「マリーヌ殿下、夜中にご足労いただいて申しわけありません」
「そんな⋯⋯緊急事態ですもの」
マリーヌは首を振り、鋭い眼差しを騎士達に向けた。
「貴方達、ミカエルシュナ嬢に王命を突き付けるだなんて⋯⋯正当な理由と証拠があって行ったんでしょうね?」
ミカエルシュナがすでに指摘したことであるが、自国の姫君に言われたことで、ますます自分達の行いがおかしいと念押しされたようでいたたまれなかった。
それでも、年嵩騎士は何とか反論を試みる。
あるいは、聖女と呼ばれるマリーヌなら自分達の味方になってくれると期待したのかもしれない。
「ですが、これは貴女様のお父上たる国王陛下直々の勅命ですぞ! それを覆すなど⋯⋯」
「たとえ本当に王命だとしても、それを他国の人間である彼女が従う理由は無いわ」
だが、これまたミカエルシュナと同じ指摘が返ってくるだけだった。
呆然とする年嵩騎士の手からロビンが書類を抜き取り、それに目を通したマリーヌは眉をひそめた。
「⋯⋯確かに、陛下の字ね」
「でしょう!」
「ですが、陛下はたび重なるアレルギー症状によるダメージで、起き上がることさえ大変の有様。今日お会いした時も、喉や身体の発疹によるかゆみで字を書くことすらひと苦労のご様子でした。どうしてこの書類は、乱れの無い綺麗な字なのかしら」
マリーヌはぺらりと書類を振った。
力強くも、美しい字。病床にいる人間の字としては、綺麗過ぎた。
代筆というのならともかく、マリーヌははっきりとティレシス王の字だと言った。ならば、それは誰が書いていたというのか。
「⋯⋯マリーヌの言う通りだな」
別方向から、そんな言葉がかかった。
そちらに目をやれば、フィナリアとエドワルドが厳しい顔で騎士達を睨み付けている。この国の王子と王女達の鋭い視線を受けた騎士達は、青を通り越して白い顔でその場に崩れ落ちそうになった。
「僕も父上にお会いしたが、とてもそんな王命を出すご様子なんて無かったよ。そもそも、ミカエルシュナ嬢を疑ってすらいなかった」
「第一、陛下を害する理由が、彼女のどこにあるというんだ。本当に、それは我らが王のものなんだろうな」
「それは⋯⋯その、側近の、方に⋯⋯」
「その側近は誰だ。⋯⋯いや、ここでする話ではないな」
「だね。⋯⋯連れていけ」
エドワルドの指示で、ふたりに付き従っていた騎士がへたり込んだ同僚達を連れていく。
それを見送ったミカエルシュナの手を、マリーヌが取った。
「申しわけありません、ミカエルシュナ嬢! 我が国の騎士が、何と不敬な⋯⋯!」
「マリーヌ殿下が謝ることではありません。それより、王命を偽った者の方が気になります」
「そうだな、一体誰がそんなことを⋯⋯とりあえず、奴らを尋問せねばなるまいが」
「そっちは任せるよ。その間、フィナリアの政務も僕が担う」
「すまない、兄上。任せる」
フィナリアとエドワルドはそれぞれの仕事に向かっていった。すでに夜も遅いというのに、大変なことである。
「わたくしは、もう少しだけミカエルシュナ嬢と一緒にいますわ。中で少し話しましょう」
「⋯⋯では、ハーブティーでも淹れてもらいましょう。改めて、ご足労ありがとうございます」
「気にしないで」
マリーヌはほっとしたように微笑んだ。
夜の薄暗い廊下に、冷たい声が響く。
「⋯⋯おまえだろう。ティレシス王を操って王命を書かせたのは」
「⋯⋯ええ、そうよ」
その声に答えたのは、可憐な少女の声だった。
「健常な状態ならともかく、弱ったままなら簡単に操れるわ。側近の方も、ね。きっとふたり共、操られたことすら気付いていないわ。側近は反逆罪にかけられて慌てるんじゃないかしら」
楽しそうなその声と共に現れたのは、ひとりの少女だ。王宮侍女のお仕着せをまとい、ストロベリーブロンドをひっつめにして、更に眼鏡をかけて翡翠の瞳を隠している。
「あの女を拘束できたらと思ったんだけど、残念」
「⋯⋯あの方は我らが王のものだ。勝手なことをするな」
冷たい声は最後まで温度を取り戻すことなく、去っていく。
それを見送り、少女──侍女に化けたニヴィエ・デュラックは、ふん、と鼻を鳴らした。
「誰も彼もあの女を欲しがっちゃって⋯⋯どうしてあんな美しいだけのエルフが欲しいのかしら」
そう忌々しく呟いて、ニヴィエもまたその場を後にした。




