五十四
冷え込んだ空気を換えるために淹れ直された紅茶を飲んでいると、不意にフェリクスが顔を上げた。
「話は変わりますが⋯⋯ミカエルシュナ嬢は、ローディウムのユリウス皇帝陛下の妃候補なのだとか」
ちょうど紅茶を口に含んだところだったミカエルシュナは、危うく吹き出しそうになった。
辛うじて取りつくろい、淡い笑みをフェリクスに向ける。
「ええ、一応」
「⋯⋯この上ない慶事かと思うのですが、ミカエルシュナ嬢はそう考えてはいないのですか?」
微妙な雰囲気を感じ取ったフェリクスが、不思議そうに首を傾げた。
「大神官様、ミカエルシュナ嬢は、自身の出自と種族差を気にしておられるのです」
マリーヌの言葉に、ミカエルシュナはゆっくり頷く。それを見たフェリクスは、困ったように眉をひそめた。
「種族差は解りますが⋯⋯出自とは?」
「すでにお聞き及びかもしれませんが、わたくしは千年前に存在したアヴァロン王国からの異邦人です。かつては辺境伯の後継として教育されておりましたが、現代では無位無官の身。そのような出自の怪しい者が、皇帝陛下の妃になどなれようはずがありません」
「⋯⋯ローディウムの皇族に求められるのは、民を守る強さと聞いております。ミカエルシュナ嬢は魔術師として熟練の腕とのこと。充分資格があるのでは?」
「妃に必要なのは武力だけではありません。国と陛下を愛し、その身を尽くすこと。⋯⋯その部分が、わたくしには欠けております」
ミカエルシュナはうつむいた。
罪を告解するような気分だった。ローディウムに身分を保証されていながら、ローディウムを愛することができないと言ったも同然なのだから。
「ふむ⋯⋯」
ミカエルシュナの言葉を受けたフェリクスは顎に手をやり、しばし何やら考え込んだ。そして、口を開く。
「なぜ、ミカエルシュナ嬢はローディウムを愛せないとお考えになっているのでしょうか」
「それは⋯⋯わたくしがかつての故郷を忘れられないからですわ」
ミカエルシュナは軽く目を閉じた。
「今は無き我が故郷⋯⋯今はニーベル公国となったかの地の千年前の姿を、わたくしは今でも思い出せます。その光景がちらついて、ローディウムという国のことを深く想えないのです」
「忘れなくていいのでは⋯⋯という答えは、ミカエルシュナ嬢には軽過ぎますね」
フェリクスは微笑んだ。
「それほどに、深く故郷を愛しておられるのですね」
「はい⋯⋯きっと忘れることはできないのでしょう。いつか、薄れることはあるのかもしれませんが」
だがきっと、それはまだまだ先の話だ。今のミカエルシュナは、はっきりと思い出せる。
故郷の姿を。その滅亡の様子も。
鮮烈なまでに、鮮明に。
「では、逆に問いますが⋯⋯ローディウムのことは、お嫌いですか?」
「え?」
突然そんなことを言われ、戸惑った。
質問者のフェリクスを見つめ、ミカエルシュナは瞬きをくり返す。ややあって、応えた。
「⋯⋯いいえ。ローディウムのことは好ましいと思います。アヴァロン王国の面影が無いほどに新しい国ですが⋯⋯いえ、だからこそ、その新しさに心惹かれるものがあることは否定しません」
「では、かの国が滅亡するようなことがあれば、どうしますか」
「それは」
一瞬言葉が詰まった。だが、その答えは決まっている。
「抗います。それによって、傷付き、苦しむ民がいるのであれば」
故郷がはるか遠くなろうとも、消えない傷跡が残り続けようとも、これだけは変わらない。
己の力を、力無き民のために振るう。それだけは、どれだけ時代を経ようとも変化しないミカエルシュナの自己だった。
「であれば、ミカエルシュナ嬢はローディウムという国に充分向き合っている。愛せるかどうかは別にして、それは誇ってよいことです。愛せないと嘆くことはないでしょう」
フェリクスは笑みを深めた。その言葉に、ミカエルシュナは虚を突かれる。
ユリウスを愛せない。ローディウムを愛せない。それほどに、故郷の記憶と喪失は深いところに根差している。
それでもローディウムという国を想っているのだから大丈夫だと、フェリクスは言った。
「それと、種族差ですが⋯⋯これは、当人達の問題としか私は言えません。ですが、たとえ種族が違えど、どちらを置いていくことになったとしても⋯⋯想い合えると、これだけは断言できます」
「それは⋯⋯なぜ?」
「私自身が、その証明のひとつだからです、私は、ハーフエルフですから」
それは察していた。
純粋なエルフは二十歳を過ぎると老化することは無い。老衰で亡くなったとしても、若々しいまま亡くなることになる。
だが目の前のフェリクスは、中年にさしかかった容姿をしている。ハーフエルフは、中年程度までは老化するのだ。
「私の両親はすでにどちらも亡くなっていますが、当然ながら人間の母の方が早くに亡くなりました。父は母の死こそ嘆きましたが、けっして結ばれなければよかったと思ったことは無いそうです」
「そう、なのですか?」
「はい。もとより見送る覚悟をしていたこともそうですが、その人生を見届けられたことに満足していたからです」
フェリクスは両親を思い出すように目を細めた。
「父曰く、自分より短い人生を送る種族と結ばれることに迷うのなら、相手の人生を見届けたいかどうかを考えろとのことでした。私も、その人生を見届けたいと思った相手と結婚する予定なのです」
「まあ⋯⋯それは、おめでとうございます」
「ありがとうございます。彼女は獣人なので、やはりどうしても私の方が寿命が長い。だからその人生の最後まで見届け、笑って見送りたいと思っております」
フェリクスはミカエルシュナを見つめた。
「ミカエルシュナ嬢はどうですか? 皇帝陛下の人生を見送りたいと思えますか?」
「それは⋯⋯」
「今はまだ、解らなくてよろしい。ですが、考えることは無駄ではないはずです。いつか答えが出るでしょう」
フェリクスは喉を潤すように紅茶を口に含んだ。
「さて、話を戻しましょう。陥穽の発生、黒魔法使いの目的は、必ず止めねば。でなければ、私だけでなく人生を見届けると約束した伴侶の命まで危ういので」
「そうですね」
ずっと様子を見守っていたマリーヌが口を開いた。
「今この国で起きていることを解決せねば、ミカエルシュナ嬢が答えを出すことすらできませんもの」
「⋯⋯そうですね」
ミカエルシュナは苦笑した。
答えは出ている。ユリウスの妃にはならない、それがミカエルシュナの応え──のはずだ。
だが、フェリクスに問われて、考えてしまう。
好ましいと思っている相手──ユリウス。
彼の人生を、はたして自分は見届けたいのか。
答えは、まだ出ない。




