五十三
昼食を終え、食後の紅茶を出されたタイミングで、フェリクスが再び頭を下げた。
「まずは謝罪を。このたび、ティレシス側の願いを聞き入れていただいたにもかかわらず、ゴライアスを返却できず申しわけありません」
「いえ、封印措置を施されているのでしょう? そうやすやすと動かすわけにはいかないでしょう」
ミカエルシュナは首を振った後、眉をひそめた。
「それより、ひとつとはいえ封印されていた偽物と入れ替えられていたことが気になります」
「こちらもその件の調査を進めております。どうやら無理矢理破壊したのではなく、布をほぐすようなやり方で封印に穴を空けたようです」
布をほぐすよう、と言われて、ミカエルシュナは糸が出たリボンを思い出した。
端から糸が出たリボンは、その糸を引っ張るとそこからどんどん布から糸になっていく。子供の頃、絹のリボンを糸束になるまでほどいてしまい、母に怒られたことがあった。
封印をそんな風にして解くことができるとは、初めて聞いた。
「そんなことができるんですね」
「私も今回初めて知りました。悔しいですが、よほど腕のいい魔術師だったのでしょう」
フェリクスはため息をついた。
「なので、封印を強化しております。今度は正規の手順以外で解こうとすれば、即座に警報が鳴るように⋯⋯短い間かもしれませんが、その短い間に同じことが起きたらいけませんので」
「英断かと。わたくしとしても、わたくしのゴーレム──ゴライアスが奪われるような事態は避けたいので」
「そうでしょう。⋯⋯しかし、本来ならミカエルシュナ嬢以外が使うことができないゴライアスを、なぜ件の父娘は使えたのか⋯⋯しかも、あんな方法で」
「⋯⋯あんな方法だからこそかもしません」
ミカエルシュナは少し考えてから言った。それに、マリーヌが顔を上げる。
「どういう意味です?」
「ゴライアスは、本来の運用とは違う、上から巨人の存在を被せるようにして使われていました。まだ解析は上がっていませんが、あれが命令権を上書き、あるいは乱すことができるものなら⋯⋯説明が付きます。相手が黒魔法使いなら、なおさらです」
黒魔法使いはその禁忌性ゆえ、研究が進んでいない分野である。何しろ使用には生贄などが必要な上、使えば使うほど人間から遠ざかっていくのだ。研究目的だけでも危険が伴うので、探究も裏の個々人で留まっている。
表の人間が知らない黒魔法が使われたとしたら──と考えると、あの巨人形態だからこそ操れるようになった、と考えられる。
「今思い返すと、妖精魔法や精霊魔法より、神聖魔法の効きがいいように感じました。最終的にゴライアスを元に戻したのも、神聖魔法による浄化です。あの姿が黒魔法によるものだと考えれば、納得いきます」
「そうですね⋯⋯デュラック元伯爵の魂が生贄にされたからこそ、わたくしはミカエルシュナ嬢に協力してもらって浄化という手段を取りましたが⋯⋯もとより黒魔法によって操られていたなら、生贄で強化されるのは、むしろ当然だったのかもしれません」
マリーヌは巨人戦を思い出すように目をつむり、ため息をついた。
「ゴライアスの話はこれぐらいにして⋯⋯王都に発生する陥穽を防ぐ方法を考えましょう」
王族の誰かが黒魔法使いであることは伏せられている。知っているのは予知したマリーヌとその場にいたミカエルシュナ、ロビンを含めた一部の神殿騎士、そしてユリウスだけだ。
大神官にもまた伝えておらず、手紙にも検閲を恐れて書いていないそうだ。
こんな開けた場所では、当然そのことを話題にするわけにはいかない。
「そもそもの疑問なのですが、王都を壊滅させるほどの陥穽の発生など、いくら黒魔法でも可能なのでしょうか」
「通常は無理でしょうな」
ミカエルシュナが問いかけると、フェリクスが答えた。
「だが、過去に巨大な陥穽による崩落で滅びた小国がございます。それも、ほんの三年前に」
「そんな最近に、ですか⋯⋯⁉」
エルフの時間間覚を抜きにしても、本当に最近の出来事だ。覚えている者は大勢いるだろう。
「ミカエルシュナ嬢は、まだピクトル王国滅亡の件は、学んでおりませんか」
「はい、お恥ずかしながら」
「いえ、歴史的にはともかく、経済的にはほとんど影響の無い国でしたので、無理も無いでしょう。何しろ森の中にある、王都とその周辺だけが国土の小さな国でしたから。ですが、だからこそ国民のほとんどが陥穽に飲み込まれたのです」
凄惨な結果に、ミカエルシュナは息を飲んだ。
思わず想像してしまう。突如発生した穴に飲み込まれていく都。人も建物も一緒くたに土砂になって流れていく光景。あまりにも恐ろしい想像だった。
それが、過去にすでに起きていただなんて。
「その際の原因は、黒魔法によって造り出された魔道具でした。魔道具自体は、当時神殿騎士を率いて私自ら回収しております」
「その魔道具は、今どこに?」
「大神殿にて封印されております。破壊も考慮されていたのですが、下手に触って再び同じことが起こるとも限らないので⋯⋯」
フェリクスは当時を思い出したのか、重苦しいため息をついた。
「そちらも、ゴライアス同様封印し直されています。おそらく、マリーヌ殿下が視た陥穽はあれによって生み出されたものでしょう」
「では⋯⋯これで予知は起こらない?」
ミカエルシュナはマリーヌを見た。それに対し、マリーヌは首を振る。
「昨夜も星見をいたしましたが、結果は変わりませんでした。陥穽は起きる、と。ただ、もう少し具体的な予知も出てきました」
そのお話もしたかったのです、とマリーヌはミカエルシュナとフェリクスに視線を向けた。
「予知によると、ミカエルシュナ嬢がやはり鍵になるようです。事実、陥穽は明らかに小さくなって⋯⋯王城とその周囲のみに留まっていました」
「⋯⋯すでに未来は変わり始めているのですね」
少しだけほっとした。少なくとも、無辜の民の犠牲は前より少なく済みそうだ。無論、安心はできないのだが。
「それと、発動場所も解りました。やはりというべきか、この王城のようです。おそらくは中心部⋯⋯ここ中庭に」
マリーヌがなぜ中庭で昼食を摂ろうと提案したのか解った。
マリーヌはここで決定的なことが起こるというのだ。王城の中心である、この中庭で。
ミカエルシュナは思わず中庭を見回した。
百合が咲き誇り、人工池には睡蓮が優雅に花びらを開いている。清浄ささえ感じる、穏やかな風景だ。
──ここで、邪悪な行いが成されるというの。
ミカエルシュナの背筋に冷たいものが走る。
清らかだと思っていたものが突然汚濁に変化したような、そんな嫌悪感に似ていた。




