五十
「⋯⋯ということがあったのです」
客室に戻ったミカエルシュナは、一旦寝室に引っ込むと、通信用の宝石を起動した。
相手は、ローディウムにいるユリウスだ。デュラック家の地下室から救出された際に持っていたあの通信用宝石で、ミカエルシュナは今日の出来事を報告していた。
『⋯⋯そうか。ティレシス王は無事なんだな?』
「王女殿下がすぐに魔法で治しましたので。ただ、過敏症は毒とは違い、すぐ回復するようなものではありません。扱いは病気と同じですから」
神聖魔法を含めた回復魔法は、怪我や毒の治療には効果を発揮するが、病には薄い。今回の場合は、過敏症による喉の炎症は即座に治ったものの、肉体へのダメージは残ったままになる。
「そうでなくとも、ティレシス王はお会いした時から体調があまりよくなさそうでした。回復には、時間がかかるかと」
『ふむ? ティレシス王が病だという話は聞かないが⋯⋯しかし、そうなると、しばらく王城からは出られないな』
「ええ。犯人が見付かるまでは、出入りが制限されるでしょう。大神殿には、しばらく行けないかと」
意図的にティレシス王に果物を摂取させた者がいるのは明らかだ。証拠はすでに胃の中である以上、見付かる可能性は低いが、確実に数日は大神殿に行けない。
『一番警戒しなければならないのは、ミカエルシュナ嬢やマリーヌ王女が犯人に仕立て上げられることだな』
「ええ。対外的にはおとなしくしなければならないでしょう」
『⋯⋯ミカエルシュナ嬢、今何をしている?』
ミカエルシュナの含みのある言葉に気が付いたユリウスが、低い声で問いかけた。
ミカエルシュナはしれっと、何をしているかを話す。
「風の精霊に、王城にいる者の様子を確認してもらっています。明日には、ある程度城内の人間関係が解るかと」
『⋯⋯貴女が間者じゃなくてよかったと、心底思うよ』
ため息まじりの声に、ミカエルシュナは苦笑した。
「普段はしませんよ。プライベートなこともございますし⋯⋯ただ今回は王城が中心に災害が起きると明言されておりますし、王族が敵である以上、打てる手は打っておきたいのです」
『それは、まあそうだな。だが、無理はするな』
「⋯⋯はい。ありがとうございます」
『うん。では、今日はもう休むように』
ユリウスの言葉を最後に、通信は途絶えた。ミカエルシュナは息をついて宝石をしまう。
ユリウスに定期的に連絡をするよう言われたのは、出発の前日だ。最初は報告のためかと思ったが──そしてその部分があるのは否定されなかったが──それだけでなく、心配なのだと言われた。
ミカエルシュナの実力はユリウスも知っている。なのになぜ心配なのかと問うミカエルシュナに、ユリウスは言った。
「強いのを知っていることと、心配しないことはイコールじゃない。例え貴女が世界最強だったとしても、俺は貴女を心配した。それぐらいには、貴女に気持ちがあるんだ」
その言葉は、ミカエルシュナの心の柔らかい部分に触れた。
かつて、無茶をしたミカエルシュナに父ゴロワントが言ったことと同じだったからだ。
『ミカエルシュナ、おまえが強いことは知っている。だが私は、例えおまえがこの国の誰より強くとも、おまえを心配するよ。おまえは大事な私の娘なんだからな』
もう会うことも、声さえ聞くこともできない父と同じことを言ったユリウス。
勿論彼はゴロワントのことは知らないし、ミカエルシュナも話したことが無い。
それでも同じ言葉が出たということは、ユリウスの気持ちが父と同じかそれに近い強さになっているということだ。
それでも、彼を受け入れられないと自分に言い聞かせてきたが、こうして密やかに連絡を取り合い、そのたびにこちらを案じる言葉をかけられると、胸の奥がうずいてしまう。
それは過去の傷が悲鳴を上げているのか、生まれつつある感情の産声なのか、まだ解らない。だが、ユリウスを強く拒むことができないのは事実だった。
もしミカエルシュナが本気で嫌がっているなら、ユリウスも身を引いただろう。強引なところはあるが、相手の気持ちを考えないほど自分勝手ではない。
そんな彼だからこそ、ミカエルシュナも臣下として仕えるのはやぶさかではないのだが──
「お嬢様、湯浴みの準備が整いました」
外からエリルの声がした。今行くわ、と答えて、ミカエルシュナは思考を無理矢理止める。
考えてもしかたがない、と自分に言い聞かせ、ミカエルシュナはその日の疲れを落としに向かった。
───
翌日、やはりというべきか、大神殿行きは急きょ中止になった。
代わりに、マリーヌが午前から会いに来てくれた。
「申しわけありません。こちらの都合で来ていただいたにもかかわらず、このようなことになってしまって⋯⋯」
「殿下がお気になさることはございません」
ミカエルシュナは首を横に振った。
「それより、国王陛下の容態はいかがでしょうか」
「侍医の治療の甲斐あって、だいぶ落ち着いております。それと⋯⋯これはわたくしも知らなかったのですが、陛下はここ数日体調があまりよくなかったようなのです。喘息のような症状がたびたび出ていたと」
「⋯⋯それは、もしや」
「ええ。おそらく、アレルギー症状です」
マリーヌはため息をついた。
「今回アレルギー症状が強く出たのも、連日摂取させられていたからだろうと⋯⋯体調の異変に気が付いた時、もっと強く尋ねるべきでしたわ」
マリーヌも、謁見の間でのティレシス王の顔色に気が付いていた。
だが、大丈夫だと本人が頑なに言っていたので、それ以上追及できなかったのだという。
「犯人はまだ見付かっておりません。ただ、果汁を少量かけただけですし、最悪果物自体を持ち込まなくてもいいですから、証拠の隠蔽は容易です。発見は難しいでしょう」
「そうですね。城のものに手を出せば足がつくでしょうが、果物やその果汁の持ち込みなら怪しまれないでしょうし。自分が食べるものだと言えばいいだけですから」
「実際、自分の間食用に果物を持ち込む使用人は少なくありません。父のことがありますから、果物を使用した料理がありませんし、使用人の食堂でも、それに呼応して果物が出ることはありませんから。だから、本人が食べる分は見逃されてきた部分があります」
王族が口にする料理は、使用人に下げ渡されることがある。これは貴族家でも同じことがあるが、それなら自然と果物は無いだろう。
千年前ほどではないにしろ、砂糖や蜂蜜はそれなりに高級品だ。果物はその代わりの甘味料となる。仕事に疲れた使用人達にとっては、果物は自身を癒すツールだっただろう。それを制限しなかったことが、今回仇となってしまった。
「今後、お父様の食事は今まで以上に徹底して管理されます。果汁を混入する隙は生まれないでしょう。ひとまずは、安心かと」
「そうですか⋯⋯陛下に問題が無いのなら、よかったです」
ミカエルシュナはとりあえずほっとした。未だ油断ならないが、しっかり確認されるなら少なくとも混入の可能性は低くなる。
「それと、ゴライアス返却なのですが⋯⋯大神殿にお越しいただけない以上、お渡しはできないかと」
「でしょうね」
「その代わり、色々お聞きしたいことや、協力者が必要かと思いまして、大神殿に朝から連絡を取りました。今日中に返答が来るかと⋯⋯」
言いかけたマリーヌは言葉を切った。応接間の扉がノックされたからだ。
「殿下、失礼いたします。大神殿より返答が届きました」
その言葉に、ミカエルシュナとマリーヌは顔を見合わせた。




