四十六
その馬車は豪華な外装と裏腹に、堅実な造りをしていた。
乗る者の負担にならないように車輪に工夫が施され、骨組みから繊細な装飾に至るまで壊れにくい構造になるよう計算されて組み立てられている。内部の座席部分に使われてるクッションも、座っている人間の身体が痛くならないように柔らかいものだ。それでいて上質な布で作られているため、触り心地も非常にいい。馬車の中にいながら、高級ソファに座っているようだった。
「さすが王族が乗るだけあって、素晴らしい馬車ですね」
そんな馬車に乗り込んだ者のひとり──ミカエルシュナは、向かいに座った女性にそう声をかけた。
女性──ティレシス聖王国の王女マリーヌは、柔らかい微笑を浮かべる。
「我が国の職人の技術ですわ。ミカエルシュナ嬢に気に入っていただけてよかったです。よければ同じものを贈りましょうか?」
「ご冗談を⋯⋯」
うふふ、おほほ、と笑い合いながら、ミカエルシュナは思う。
──どうして、こうなったの。
───
ユリウスの誕生祭の翌日、ミカエルシュナは改めてマリーヌと対面していた。その場には、ユリウスとルキウスもいる。
「すでにミカエルシュナ嬢からお聞きしていると思いますが、ミカエルシュナ嬢にティレシスへお越しいただきたいのです」
マリーヌの真剣な表情に、ユリウスは難しい顔をした。
「王女が視た、ティレシス聖王国の滅亡の未来、か」
「はい」
マリーヌは頷き、自身が垣間視た未来の光景を思い出すように目を閉じた。
「黒魔法使いによって、王城を中心として謎の陥穽が発生し、それによって生まれた穴に王都が飲み込まれていく光景が視えました。原因や首謀者の姿までは解りませんが、それが起こる大体の日付は解ります。おそらく、今から一ヶ月半から二ヵ月の間に」
「思ったより時間が無いな⋯⋯回避方法は?」
「具体的にはまだ⋯⋯ですが、占星術では春の瞳のエルフが鍵を握ると出ました」
「それが、わたくしというわけですね」
ミカエルシュナはそう言いながら、ユリウスの方をうかがう。
ユリウスはしばらく考え込んでいたようだが、不意に顔を上げ、ミカエルシュナを振り返った。
「ミカエルシュナ嬢、頼めるだろうか?」
「⋯⋯ご命令とあらば。わたくしとしても、王女殿下にご恩を返したく思います」
ミカエルシュナは胸元に手を当て、微笑んだ。
「では、さっそく使節団の準備をしよう。急きょとなるため、あまり時間はかけられないが⋯⋯」
「あら、それほど人員はいりませんよ?」
マリーヌは小首を傾げ、ルキウスに指示を出そうとしたユリウスを止めた。
いぶかしげにこちらを見つめるローディウム側に、マリーヌはぱん、と軽く手を打つ。
「わたくしと一緒に、来ていただければいいのですもの」
「⋯⋯え?」
「ですから、わたくしの帰国と同時にミカエルシュナ嬢にティレシスに入国していただくのです」
マリーヌは唇に笑みを浮かべた。
「わたくしの国には、ゴライアスと共にフローディア様の化身の伝承があることは先日お話した通りですが⋯⋯その伝承は、大神殿内においてはそれなりに知られた話ですの」
「そう⋯⋯なんですね?」
「ええ。それで、ミカエルシュナ嬢にはその化身として、我が国においでいただければ」
「⋯⋯待て。そうなると、ミカエルシュナ嬢の身柄をそちらに受け渡すことにならないか?」
ぽかんとするミカエルシュナに代わり、ユリウスが厳しい眼差しでマリーヌを制した。対し、マリーヌは首を反対に傾げる。
「いけませんか?」
「いけないに決まっているだろう。ミカエルシュナ嬢は、余の妃候補だ」
──待って。それここで明言されたら逃げられなくなる⁉
ミカエルシュナは立ち上がって抗議しようとした。だがやんわりルキウスに肩を叩かれ、それができなくなる。思わず睨み付けるも、ルキウスは素知らぬ顔だった。
「わたくしの国としましても、奉じる神たるゼルヌス様の娘神フローディア様の化身を受け入れるのは大歓迎なのですが」
「それはミカエルシュナ嬢自身から否定されていると聞いている。確かにミカエルシュナ嬢は女神のごとき美しさと気品、教養の持ち主だが」
「叶うなら、大神殿に入っていただきたいのです。我が神殿は確かにゼルヌス様のためのものですが、それ以外の神々の聖堂もありますし、フローディア様の聖堂はその中でも大きい部類です」
「我が国の大神殿は、もとより複合神殿だ。大きさも、そちらに負けていない」
「我が王家は、ミカエルシュナ嬢を養子に迎える準備もできますのよ」
「それなら、我が妃の方がよほどいいに決まっている。すでに彼女には、最高の待遇と教育を与えることができているのだからな」
たったふたりの静かなやり取り──言い合いとも言う──にもかかわらず、喧々諤々という言葉が似合いそうなほど殺伐とした様子に、ミカエルシュナはしばし圧倒された。
ややあって、ルキウスを振り返る。
「⋯⋯論点、ずれてません?」
「兄上、必死だな⋯⋯」
呆れたようなルキウスの言葉に、何とも言えない気分になるミカエルシュナだった。
最終的に、ティレシス聖王国がミカエルシュナの後ろ盾になることでローディウム皇帝の妃になる後押しをするという形で落ち着いた。
──わたくしの意思は?
ミカエルシュナの疑問は、音になることなく消えた。
───
そして冒頭に戻る。
ミカエルシュナは現在、マリーヌの馬車に揺られている。
およそ三日ほどで荷物をまとめ上げ、同行する護衛や侍従の選別を行ったローディウム側の手際のよさに感心すると共に、完全に置いてきぼりになったミカエルシュナは気持ちの置き場所に困ってしまった。
ミカエルシュナは、ユリウスの妃になることにためらいがある。
そもそも始まりは元皇太后やニヴィエ・デュラックへの牽制のための対外的な地位であり、実際は婚約もしていないし、実質的な地位は客将だ。かつてはどうあれ今は無位無官の身である。妃になることは、明らかに無理があった。
それなのに、周囲の誰もがミカエルシュナが妃になることに疑問を持たない。美貌でごり押ししている部分やかつての教養が多分に助けになってしまった感はあるが、それだけユリウスの相手になりうる女性がいないということでもある。
かつてはマリーヌもその候補に挙がっていたらしいというのは、先ほど聞いた。だが結局その婚約は成立せず、マリーヌは別の男性と婚約している。
何より、ユリウス自身がミカエルシュナのことを望んでいた。彼からの好意は感じているし、それが異性に対するそれに変化しつつあることも理解しているミカエルシュナだが、それを受け入れられるかどうかは、別だ。
──陛下ご自身が嫌なんじゃない。
──ただ、わたくしはもう⋯⋯大切な存在を作りたくないのだわ。
エルフという種族は、常に置いていかれる存在だ。寿命に個人差があるため、場合によっては自分の子供にさえ置いていかれることもある。他種族との子供なら、なおさらだ。
本来なら長い時を生きる中で、置いていかれることに耐性と覚悟を付ける。実際ミカエルシュナも、母や何人もの領民、使用人の寿命を見届けている。
だが、千年前のあの日、ミカエルシュナは一度に多くのものを奪われてしまった。あの時の絶望と恐怖は、今も忘れることができない。
きっと、この傷は癒えることは無い。癒えたとしても、大きな跡になって尾を引くだろう。
──そんなわたくしが、人間の陛下を愛するなんて⋯⋯ましてや子供なんて、できるわけがないのよ。
ミカエルシュナは馬車の外を眺め、ため息を飲み込んだ。
もの問いたげなマリーヌの視線に、気付きながら。




