四十五
皇帝ユリウスの誕生祭は、始まりから華やかなものだった。
皇都では至るところで屋台が立ち並び、野外での舞台や曲芸が人々を楽しませた。日が沈むと花火が上がり、星が瞬く夜空を彩ることになる。
一方皇宮では、国内の貴族だけでなく、国外の貴賓も集まった夜会が開催されていた。広い会場ではあちらこちらで華美な衣装を身にまとう人々が談笑している。特に貴賓は自国の伝統衣装を着用している者もおり、目にも鮮やかだ。
更に男女で差はあれど煌びやかな宝飾品を身に付けており、灯りに照らされてきらきらと輝いていた。会場そのものが大きな宝箱のようである。
そんな彼らの前に、ユリウス帝がひとりの女性をエスコートして現れた。
ユリウスは白いクラヴァットとシャツに深紅のベスト、袖口や裾に金糸で刺繍を施した黒のフロックコートとズボンを着用していた。クラヴァットピンとボタンは金細工にルビーをあしらったもので、シンプルだが十二分に人目を惹く格好だ。
更に着ている本人が豪奢な黄金の髪にサファイアの瞳の、貴公子然とした美丈夫なのもあって、艶麗な雰囲気をかもし出していた。事実、彼を見て頬を赤らめる貴婦人は数えきれない。
だが、黒い革手袋をはめた彼の手を取って現れた女性の姿は、それ以上の人々の心を奪い去った。
紅薔薇の造花と金細工でできた髪飾りでまとめ上げられた艶やかなプラチナブロンド。
おしろいなど必要無いほど真っ白で、内側から光り輝いているのではと錯覚する肌。
神々の手で作られた人形のごとく完璧なパーツと位置によって完成された結果、人ならざる領域に達した美貌。
何より目を惹いたのは、髪と同じプラチナのまつ毛に縁取られた瞳だ。春の花を思わせる淡い紫色は、目が合ったとたんそれまで何をしていたかを忘れさせる幻想的な魅力があった。
長くとがった耳は、彼女の種族がエルフであることを示している。それが余計に、美女を人外じみた存在に演出しているようだ。
浮世離れしたその女性は、裾に紅いグラデーションが入った黒いドレスを着ていた。胸元を金刺繍で彩り、透け素材のケープ、繊細な造りの金細工とルビーの首飾りを身に付けた姿は、夜の精霊女王のようである。夜露が滴るような妖艶さに、男性だけでなく女性すらもごくり、と生唾を飲み込む。
そんな彼女を隣に据えながら、しかしユリウスの存在感は全く衰えることはなかった。彼は雄々しいほどに堂々とした足取りで会場の中心まで移動すると、隅々まで響き渡る美声で挨拶を始めた。
「今宵は余の誕生を祝う夜会に参加してくれて、礼を言おう。今年は様々な災難があったものの、こうして無事に誕生祭を迎えられた」
ユリウスが話し出したとたん、ぴり、と切り替わるように全員が彼を見た。その一瞬で、美女から自身に視線を取り戻したのである。
「余が帝位に就いて早七年、国主としてはまだ若輩の余がこうして皇帝としていられるのも、数々の災難を打ち払ってこられたのも、余自身の采配だけでなく、ここまで支えてきてくれた臣下のおかげでもある。今後も、そなたらの変わらぬ忠誠を望む。そして、我が国との盟約と繋がりを重んじてくれている国々にも、これからも変わらぬ和平を願おう。では、改めて楽しんでくれ!」
ユリウスの言葉が終わると共に、オーケストラの演奏が流れる。その音楽に合わせて、ユリウスと美女は寄り添い、ステップを踏み始めた。
夜会のファーストダンス。今までは高位貴族の夫人達が持ち回りでしていた皇帝の相手を、謎の美女がしている。その事実に、その場の誰もが衝撃を受けた。
同時に、思う。彼女こそが、噂の妃候補なのだと──
「⋯⋯と思っているでしょうね」
ユリウスとステップを踏みながら、美女──ミカエルシュナはため息をついた。笑顔を崩さないままため息を吐くという、何とも器用なことをしている。
「間違ってはいないだろう。対外的には、貴女は俺の妃候補だ」
「あくまで皇太后やデュラック嬢対策だったはずでは?」
「⋯⋯みなまで言うべきかな?」
ユリウスは目を細め、小首を傾げた。それに対し、ミカエルシュナは眉尻を下げる。
「いえ⋯⋯理解はしております」
「気にしているのは、貴女の境遇と、種族差かな」
「ええ⋯⋯わたくしは千年前からの異邦人。加えて、人間の陛下と違いエルフです。どうしたって置いていかれてしまう。それが⋯⋯わたくしには、怖い」
ミカエルシュナは様々なものに置いていかれた。
故郷、家族、領民、国──それらはエルフとして長い時を生きるのであれば、いずれ見送る存在だ。
だが、ミカエルシュナは全てを唐突に奪われた。覚悟も心構えも、何も無いままに。同じことが起こらないと、どうして言えようか。
そうでなくとも、ミカエルシュナはもう、大切なものが喪われるところを見たくない。
「なるほど」
ユリウスはにやり、と笑った。ミカエルシュナのやんわりとした断りなど無かったかのような、ふてぶてしい笑みだった。
「つまり、俺は貴女にとって喪いたくない存在になりつつあるということだ」
「⋯⋯!」
ミカエルシュナの笑顔が、一瞬消えた。本当に一瞬のことだったので、周囲の者は解らなかっただろう。
だが正面のユリウスには、ばっちり確認されてしまった。
「俺は人間だからな、気長に待つことはできないが⋯⋯じっくり落とさせてもらおう」
「⋯⋯そ、そんなことより」
ミカエルシュナは露骨に話を逸らした。自分でもびっくりするほどわざとらしい転換だが、聞きたかったことがあったのも事実だった。
「デュラック嬢の最後の言葉⋯⋯あれは貴方のことを言ったと思いますか?」
ニヴィエは”穴”に吸い込まれる直前に言った、陛下、と。近くにいた騎士達はユリウスのことを指していると思ったようだが、ユリウスの答えは。
「⋯⋯違うだろうな」
ユリウスは首を振った。
「あれは最後まで、俺のことを名前で呼んでいた。拒絶や剣を向けられた程度で、呼び方を変えるようなことは無いだろう。それを抜きにしても、俺の直感が違うと言っている」
「わたくしも同意見です。デュラック伯爵の発言も踏まえて、彼らには皇帝陛下とは別に、陛下と呼ぶ者がいるのでしょう」
そしてそれが、ユリウスの帝位を狙う簒奪者なのだ。だが、それが誰なのか、現状全く解らない。
「ふむ⋯⋯現在継承権を持つ者は、おそらく軒並み違うだろう。デュラック家とは全く関係の無い者、どころか敵対してきたことさえある者達だからな。継承権は無いがカルンシュタインの血を引く者か⋯⋯引き続き調査を続けよう。⋯⋯ところで」
ユリウスはぐい、とミカエルシュナの顔を覗き込んだ。唇が触れ合いそうなほどの近さに、ミカエルシュナの頬が熱を帯びる。
「そろそろ、皇帝陛下ではなく、名前で呼んでほしいものだな」
「⋯⋯お戯れを」
曲の終わりにかこつけて身体を離したミカエルシュナは、礼をする振りをしてうつむいた。
───
鬱蒼とした森の奥、そこには、長年人々に忘れ去られた廃墟がある。
森の廃墟の、更に奥。
そこで、ひとりの少女がうずくまっていた。
華やかなピンクのドレスは赤黒く固まり、ストロベリーブロンドは艶を無くしてぼさぼさになっている。本来なら翡翠に輝く瞳は、瞳孔が開いてゆらゆらと不安定に揺れていた。
少女──ニヴィエ・デュラックは、身体をぶるぶる震わせ、起こせないでいた。
「──誰が、命令を破れと言った」
そんな彼女に、重々しい声がかけられる。
若い声だった。それに反して心胆を凍えさせるような威圧を含んだ、人に命令しなれた声である。
「あれは我のものだ。我のものを身勝手に損なうのは、万死に値する。貴様の妬心など、些事と心得よ」
「申しわけ⋯⋯ありません」
心の中で様々な言い訳と反論が流れていくが、ニヴィエの口から漏れ出たのはひび割れた謝罪の言葉だった。
そんなニヴィエに、声は新たな命令を下す。
「今度こそ成し遂げよ。そのための手はすでに放っている」
「は⋯⋯はい」
「解っているな」
声はニヴィエをはるか高みから見下ろし、言葉を紡いだ。
「今度こそ、我が王位を取り戻し、神の位階に返り咲くため⋯⋯貴様はそのための道具と心得よ」
見下ろす瞳は、黄金の色をしていた。




