四十二
デュラック伯爵の身体が、絶叫の余韻を残して崩れ落ちた。比喩などではなく、文字通り皮膚と肉が崩れ、血液と共に地面に広がったのである。
「っ⋯⋯⁉」
あまりの光景に、ミカエルシュナは言葉を失う。だがそれをかき消すように、ゴライアスから咆哮のような音が飛び出し、闇が激しい震動を開始した。
光は一切無いにもかかわらず、明滅しているような感覚に陥り、ミカエルシュナは目がくらみそうになる。それでも何とか持ちこたえていると、ゴライアスの姿が変化し始めた。
つるりとした頭部に盛り上がるようにして目鼻や口が現れ、鎧を押しのけるように身体が肥大化する。だが、できあがったパーツからはだらだら赤黒い液体が流れ出ており、唇の無い口からは液体と共に不気味な呻き声が垂れ流されていた。
岩のようだったごつごつした肌はどろりと蝋のごとく溶けかけ、その下の筋繊維が見え隠れする。そんな状態でも棍棒はしっかりと握り締めているため、肌とすっかり癒着していた。まるで腕の一部のようである。
堅牢な巨人は、二倍にも三倍にも膨れ上がった代わりに、できそこないの腐乱死体のような有様に変貌していた。腐臭こそしないものの、鉄錆と脂の臭いが混ざり合って濃縮した臭いが周囲に漂い、吐き気を催す。
「うっ⋯⋯」
ミカエルシュナは思わず後ずさった。
鉄錆の臭いも脂の臭いも、戦場に出ていれば慣れたものだ。だがそれらが煮詰められると、耐えがたいものに変化してしまった。
少しでもましにしようと、ミカエルシュナは魔法で風を起こして臭いを散らした。そして、気付く。
──妖精達との繋がりが、前回より感じる⋯⋯?
昨日の闇の中は、細い糸を手繰り寄せるような導線しか存在しなかった。
だが今は、外とほとんど変わらない太さの導線を感じる。依然召喚は無理だが、力を借りる分には問題無いように思えた。
──これなら、充分に戦える。
──それに、今はひとりではないもの。
不安要素は、ニヴィエだった。彼女はどこから取り出したのか、自身の上腕にも満たないほどの長さの短杖を持ち、淀んだ目でこちらを睨み付けている。
「ユリウス様が目を覚まされないのなら、無理矢理にでも覚まさせます⋯⋯!」
決意を秘めた言葉だが、その内容は妄想に片脚を突っ込んでいた。何より、父を犠牲にしての発言ではない。
ニヴィエは片半身に父デュラック伯爵の血と肉片をこびり付けながら、声高に命令する。
「ゴライアス! その邪魔な女達を殺しなさい‼」
その命令に呼応するように、ゴライアスは呻きから咆哮に声を切り替えた。
おおおぉぉぉぉぉぉぉ⋯⋯‼
それは怨嗟にも思える、禍々しい声だった。もし本当に怨嗟だったとして、果たしてそれはゴライアスのものなのか、犠牲になったデュラック伯爵のものなのか、それは判然としない。
はっきりとしているのは、ゴライアスが明確な害意を持って向かってくることだけだった。
肉と金属で構成された棍棒が、見た目とは裏腹な俊敏さで振るわれる。それを大剣で受け止め、ユリウスは声を張り上げた。
「王女!」
「”聖なる加護よ、彼らに守りを”!」
マリーヌは呪文──否、その神聖さからもはや祝詞と言うべき言葉を紡ぎ、ユリウスとミカエルシュナに白い光の鎧をまとわせた。
一見すると形の無い光だが、敵の攻撃を一、二撃程度なら跳ね除ける堅牢さを持った守りの神聖魔法だ。
ミカエルシュナも同じ魔法が使えるが、せいぜい攻撃を軽減する程度でしかない。それでも充分高度な魔法なのだが、マリーヌのそれははるか上を行っていた。
──ここまで来ると、最高位の神官なのでは。もはや聖人レベルだわ⋯⋯
心の中で感嘆の声を上げながら、ミカエルシュナは自身の周囲に幾つもの水球を浮かべた。
「”水の刃よ”!」
呪文と共に放たれる水の刃。ダイヤモンドすら斬り裂く鋭さを持って放出される水刃は、妖精と強く繋がった今だからこそできるものだ。
これが昨日の戦いでできていたら、と思うものの、今使えるのならそれでいい。実際、その威力は凄まじく、ゴライアスの皮膚を細切れにした。
だが、腕や脚を絶ち斬るまでには至らない。よほど硬いのか、剥き出しになった骨には、傷ひとつ付いていなかった。更に、筋繊維が完全に断裂しているにもかかわらず、その腕を持ち上げて攻撃してくる。
攻撃はゴライアスからだけではない。当然、ニヴィエからも放たれた。彼女は闇を支配下に置いているらしく、あちらこちらから伸びてきた闇の触手が、鞭のようにこちらを打ち据えてくる。随時かけられるマリーヌの加護が無ければ、絡め取られていただろう。
だが、ミカエルシュナを捉えた時のような縦横無尽振りは無い。おそらく、闇の支配力においてはデュラック伯爵の方が上だったのだ。その彼を生贄にしたものだから、コントロールがニヴィエの処理能力に追い付いていないのだろう。
それでも、厄介ではあった。加えて、ニヴィエの魔法は闇の触手だけではなく、ほかにもあったからだ。
「”炎よ、敵を焼き尽くせ”!」
ニヴィエはひと抱えもある火の玉を作り出し、ミカエルシュナに向かって放った。それを氷の矢で相殺しながら、ミカエルシュナは冷静に分析を進める。
おそらく、ニヴィエの魔法は黒魔法と四元素魔法だ。
四元素魔法とは、火、水、土、風を操る魔法のことであり、自然界に干渉して魔力によって動かすことに長けている。妖精魔法と違い自分の魔力のみで操るため、導線の有無で左右されないが、その分魔力に依存するため、高位の魔法を使おうと思うと、相応の魔力量が必要だ。
それを惜しげも無く、これほどの威力で放つとなると、ニヴィエの魔力量はかなりのものなのだろう。並のエルフや竜人なら、匹敵どころか凌駕するのではないか。
「曲りなりにも、陛下の妃を狙っていただけあるわね⋯⋯!」
「不本意だがな。魔術師としての腕は、業腹だが宮廷魔術師達にも劣らない!」
ユリウスは苦々しい顔で答え、ニヴィエに問いかけた。
「なぜその力を、正しいことに使わなかった!」
「今、正しいことに使ってますわ。ユリウス様を取り戻すという、正しいことに!」
だがニヴィエの返答は、妄想に浸ったままだ。
ミカエルシュナ達の前で拒絶され、今も剣を向けられている状況でも、彼女はユリウスと相思相愛だったと思っているのか。ここまで来ると、もはや哀れですらあった。
ミカエルシュナは闇の触手を、浄化の光を帯びた剣で斬り払った。それによってかばわれた形のマリーヌが、別方向の闇を防ぎながら問いかける。
「ミカエルシュナ嬢は、神聖魔法を使えますね?」
「ええ! 貴女ほどではないですが、相応に高位であると自負しております」
この状況で一体何なのか、と疑問に思いつつ、律儀に答えるミカエルシュナ。そんな彼女に、マリーヌは言った。
「手を貸していただきたいのです。巨人ゴライアスを浄化するために」
「え?」
ミカエルシュナはマリーヌを振り返った。直前に放った水刃が、ニヴィエの炎とぶつかって白煙を上げる。その白煙を斬り払って、ゴライアスに斬り込むユリウスが視界の隅に映った。
「このまま斬り結んでいても、ゴライアスを弱らせることはできても、斃すことはできません」
マリーヌは言葉を続ける。確信に満ちた声だった。
「ミカエルシュナ嬢、貴女の力が必要になります」




