三十八
闇の触手から解放されたものの、ミカエルシュナが地下から出ることは叶わなかった。
「心苦しいですが、ミカエルシュナ様にはしばらくここで過ごしていただきます」
慇懃にそう言ったデュラック伯爵は、娘ニヴィエを部下に回収させた後、部屋を出ていった。その後、ほどなくして使用人達が家具や生活雑貨等を持ち込んできた。彼らを倒して外に出ようか、と思ったが、彼らの背後には武装した男達が控えていたため、一旦保留にする。
この地下室自体、人が住む設計をしたものらしく、大きな家具や浴室は元から存在していた。入れられたのは、姿見やドレス、化粧品類など、女性の必需品ばかりだ。ちなみにシーツやベッドカバーは初めからかかっていなかったため、それらも持ち込まれた。
ミカエルシュナはひとりになったところで、改めて部屋を見回した。
定期的に掃除されていたのだろう、多少こもった臭いはあるものの、清潔な環境が維持されている。扉が頑丈な鉄扉であることを踏まえると、もとより誰かしらを閉じ込めることを想定して作られたものなのかもしれない。それはそれでぞっとしない話だが、こうも準備よくミカエルシュナを閉じ込めることができたのは、事前に自身を幽閉するつもりだった──少なくともデュラック伯爵はそう考えていた可能性が高い。
それがニヴィエの思惑とは異なっていることは、すぐ知れた。目を覚ました彼女が、鉄扉越しにミカエルシュナを怒鳴り付けたからだ。
「なぜ生きているの⁉ ゴライアスと相対したのなら、おとなしく潰されなさいよ!」
どうやらあの巨人はゴライアスと言うらしい。思えば敵の正式名称が解ったのは久しぶりだな、とミカエルシュナは場違いにも思った。
ちなみにニヴィエは即座にデュラック伯爵に回収された。その時も伯爵は申しわけありませんと丁寧に謝罪していたことから、ミカエルシュナを敬う気持ちは本物なのだろう。ただ、彼女の気持ちを尊重しないだけで。
──思えば、トリストラム公爵もそうだった。
ミカエルシュナは苦々しい気持ちで銀髪のエルフを思い出した。
ミカエルシュナをアルトゥール王の未来の伴侶だと思っていたからなのか、ミカエルシュナに対して終始慇懃な態度を崩さなかった。だが実際のところミカエルシュナの意思など全く考慮に入れず、己の目的を果たすことに重きを置いていた。
彼にとってミカエルシュナがアルトゥールに嫁ぐことは決定事項であり、確定した未来だった。その未来はミカエルシュナ自身の手で潰されたのだが、おそらくは最期までそう信じていたに違いない。
そんな彼の子孫であるデュラック伯爵は、なぜミカエルシュナを監禁するのか。そして、なぜユリウスの妃にするわけにはいかないと言ったのか。
ミカエルシュナは薄暗い部屋に設置されたソファに座り、じっと考え込んだ。
まさか、今更アルトゥールの妃に、などと考えているわけではあるまい。アヴァロン王国もアルトゥール王も、すでにこの世には無いのだから。
ならニヴィエを皇妃にしたいのかといえば、それは伯爵自身に否定されている。本心は解らないが、少なくとも表向きの理由は別にあるだろう。それは解らないが、ミカエルシュナをここに閉じ込める訳があるはずだ。
ミカエルシュナは改めて部屋全体を見回した。
一見すると解りにくいが、壁や天井、床に至るまで、魔法阻害の術式が刻まれている。鉄扉のことといい、決して粗末とは言えない家具の数々といい、やはりここは誰かを閉じ込める場所──表には出せないが粗略には扱えない者を閉じ込めるためのものだろう。特にミカエルシュナのような何かしらの存在と契約して魔法を行使する者にとっては、外部のとの連絡が取れないこの状況は最悪と言えた。
通常ならば、だが。
ミカエルシュナはドレスのスカートの下に忍ばせていた宝石をひとつ取り出した。
この宝石は、ミカエルシュナ秘蔵の物である。いざという時──例えば今みたいにどこかに閉じ込められた時に、通信手段として使用できる。攻撃にも転用できるが、その場合は使い捨てになってしまうので、巨人戦では使わなかった。
宝石は対になっており、今手にしている物の対はオリヴィアに持たせてある。
ミカエルシュナは外に誰もいないことを確認した後、宝石に魔力を通した。蒼い宝石はぽう、と淡い光を帯びて、僅かに熱を放つ。
──ここも導線は通っているから、通信も可能だと思うけど⋯⋯
無理だった場合は、自力で脱出するしかない。
祈るような気持ちで魔力を込めることしばし、やがてその願いが届いたかのように、宝石から声が響いた。
『⋯⋯ミカエルシュナ嬢か?』
ただ聞こえてきたのは、低い男の声だったが。
「ユ、ユリウス陛下?」
『ああ、そうだ。無事か⁉』
てっきりオリヴィアの声が聞こえてくると思っていたミカエルシュナは、動転して宝石を取り落としそうになった。それでも何とか宝石を握り締め、声に聞き返す。一方男の声──ユリウスは、少し慌てたように安否を尋ねてきた。
その声音に驚くと同時に、ほっとしてしまう。ユリウスに心配させてしまった申しわけなさと、彼が心配してくれているという安堵で、どういう気持ちでいればいいのか解らなくなる。とりあえず、大丈夫です、とだけ返した。
「あの、わたくしがいなくなったのは体感で数時間ほどだと思うのですが、実際はどれほど経ったのでしょう?」
『そう齟齬は無い。だいたい三時間ほどだな。それで、状況は?』
ユリウスはなおも緊張した様子で尋ねた。ミカエルシュナは再度、周囲を見回す。
「おそらくは、デュラック伯爵家が所有する邸宅の、魔法阻害を施した地下にいます。幸い宝石を使用した通信は可能のようですが、妖精や精霊を喚び出したり、魔法での破壊行為は無理でしょう」
『デュラック嬢に連れ去られたと聞いているが、彼女に閉じ込められたということか』
「いえ、それが⋯⋯」
ミカエルシュナはことのあらましを簡単に説明した。その中で、オリヴィアは悪くないことを伝えるのを忘れない。
ただ、デュラック伯爵家がトリストラム公爵の子孫であることは伝えなかった。混乱させるだけだし、そもそもトリストラムの名前を知らない可能性が高いからだ。ミカエルシュナ自身も名前を出したことが無いし、現代まで伝わっているかどうかも解らない。
全て聞き終えたユリウスは、盛大なため息をついた。
『自分の見る目に自信が無くなるな⋯⋯デュラック伯爵がそんな大それたことをしでかすとは』
「あの⋯⋯ところで、なぜ陛下が対の宝石をお持ちなのでしょうか」
『ああ、オリヴィアが渡してくれたんだ。これにミカエルシュナ嬢から連絡が来るはずだと。ちなみに、彼女は特に罰していないから安心しろ。貴女が戻った後は、謹慎ぐらいはさせるつもりだが』
ユリウスの言葉に、ミカエルシュナはひとまず安心した。
オリヴィアではどうしようもなかったとはいえ、護衛対象をみすみす連れ去られたのである。さすがにお咎め無しというわけにはいかないだろう。それでも重い罰は望んでいないため、そう大したことにならないのはよかった。
『とりあえず、タウンハウスを含めたデュラック家所有の邸宅を調べさせる。皇都から出てないといいが⋯⋯』
「そればかりは何とも⋯⋯距離を超越されていたら、どうしようもありませんから」
『まあ、そこにデュラック嬢がいるというなら、そう遠くあるまい。彼女は何をおいても、俺の誕生祭に参加したいだろうからな』
「それは、確かに⋯⋯」
ユリウスへの執着を考えると、彼から離れる選択肢すら無さそうだ。おそらく皇都を出ることも嫌がるのではないか。
『とりあえず、貴女はそこで静かに待機していてくれ。決して無茶な行動はしないように』
「はい」
『救出の際には、剣と盾を持っていこう。その時まで我慢だ』
ユリウスの笑みを含んだ声を最後に、通信は途切れた。
宝石による通信は、発信こそミカエルシュナ側だけだが、切る分にはどちらからもできる。おそらく、ミカエルシュナの情報で即座に動いてくれるだろう。
ミカエルシュナはひとまず緊張が解けたようにソファに沈みかけ──
「⋯⋯待って。今持っていこうって言わなかった?」
──持っていかせようじゃなくて?
ユリウスの言葉を反芻し、言葉を失うのだった。




