破滅の過ち
組み立てた設計図を壊す最大の敵は、自身が招いた過ち。幾ら緻密でも、幾ら確認を繰り返しても、意図せず隠れた過ちは見つける事が出来ない。そこに別に意志が働けば余計に…。
城が見えない地点に移動した飛行戦艦は、ゼロノートの指揮の下、無のコーティングを幾重にも重ね、更に衝撃緩和用の防壁を船体全部に展開する。理由を尋ねて返って来た答えは、次元境界が崩壊する為の準備。物騒な話に戒の身を案じる声が上がる。だが、ゼロノートは不可解な程の自信満々に胸を張る。
「絶対に大丈夫じゃ!」
艦橋には、ゼロノート、シーリア、謙二郎。
ゼロノートの態度にシーリアは憤慨。睨みつける。
「おじい! 戒に何かあったらどうするの!」
シーリアを宥めつつ、城の方角を指差す。
「何かあるとしたら、ローリアの方じゃ。完璧な演技でこちらの意図には気付いておらんかったしの」
「意図って何だ?」
謙二郎の問いに、シーリアを指差す。
「全てを理解していたのは、ローリアだけじゃなかったんじゃ」
ゼロノートが語ったのは、雪原理愛が仕組んだ罠。
雪原理愛が死ぬ前に行ったのは、人口脳を作り自分の全てを詰め込む事だけじゃなかった。戒と共に研究していた時の知識を利用して、次元に介入し起こり得る全ての事象を計算し予知した。その時に見つけたのがローリア介入の痕跡。幸い、ローリアは理愛が次元に介入している事に気付いていない。気付かれないようにローリアの目的を検索し、目論見を阻止しようと考えた。だが、ローリアが仕組んだ崩壊のシナリオは止められる段階を超えていた。そこで、止めるのではなく利用する事にした。ローリアの目的が滞りなく進んでいるように見せかけて、実は戒に有利な状況を密かに整える。ただ、それには大きな問題があった。全ての準備を整える時間が無かった。死は目前、人口脳の用意もある。このままではローリアの思いのまま。最後の希望を委ねる事にしたのが、知識の海。理愛の望みを叶える事を第一に考える潜在性人格AI。相応しい思考体と一体化し誘導する事でローリアに対抗する事にした。
「知識の海は人格を有し、創造主である理愛の為に必要な人材に知識を与える。恐らく儂の前はジートに入っていた筈じゃ。ジートが常識外れの知識を有していたのは、自身の素養と知識の海のお陰じゃ。世界崩壊後もしばらくはジートに残っていたようじゃが、儂の存在が生まれてから徐々に移動した。戒がジートの下を離れた時に、知識の海は全てを儂に移した。恐らく、知識の海が無くなってジートは研究が滞った筈じゃ」
ゼロノートが話す内容に、シーリアはむず痒い感覚が奔る。
「ねぇ、雪原理愛って…私の事でしょ? 何だか私が戒の為に頑張ったみたい」
シーリアには間違いなく雪原理愛の人口脳が入っている。言わば、記憶を思い出せていない雪原理愛。いつまでもシーリアと呼んで良いものか迷う。
「シーリアよ。雪原理愛になりたいと思うかの?」
「…まだ分からない。記憶が戻る日が来たら考えようかな…」
記憶は無くても、戒に対する強い感情が自分の真実を示している。出会ったばかりで心が躍ったのも、結婚を口にしたのも雪原理愛ならではの反応。シーリアは、もう受け入れていた。自分が雪原理愛だという事を。ただ、雪原理愛を名乗るにはまだ解決できていない問題が残っていた。
「さぁさぁ、そろそろ始まる筈じゃ。全てが思いのままだと錯覚した愚かな支配者の泣きっ面が拝めるぞ!」
ゼロノートの叫びと同時に城の方角から爆音が響く。
(懸念のままで終わって欲しいのじゃが…)
戒の勝利を信じている。雪原理愛の仕掛けを信じている。だが、たった一つだけ不可解な事案が脳裏を掻きむしる。
次元境界を波立たせる爆発は、城を跡形も無く吹き飛ばしていた。崩壊した城の残骸は次元境界に飲み込まれ消えていく。残っているのは放心状態で漂うローリアと、次元境界を颯爽と歩く戒。
「何故だ…次元を掌握できるのは私だけだ。だと言うのに、何故…?」
「次元は掌握できないよ。無限に存在し、無限に増え続けている。掌握できるとしたら、精々手の届く範囲だけだよ」
戒の姿が消える。
現れたのは、ローリアの背後。
「余談はほどほどにして…本題に入ろうか」
戒の拳がローリアに迫る。
ローリアは悪寒が奔り、咄嗟に別次元に移動。隔たる別の世界に居る以上攻撃は当たらない。その筈だった。だが、戒の拳はローリアの背中に激烈な打撃を与える。
「ぐあっ…」
別次元から強制的に弾かれ、次元境界に戻される。別次元からの帰還時に次元掌握能力を一時的に剥奪され、全身がボロボロに朽ちている。
「手に入れた筈…次元掌握の力…」
「僕は君が大嫌いだ。出来るだけ絶望を味わって欲しい。でも、その欲求は抑える。今はただ…消し去る!」
禍々しい黒い光が戒の右腕から溢れてくる。
「ローリア、我を騙した代償は大きいぞ!」
戒の右目が黒く染まり、口調が破戒のものになる。
右拳を固く握り、力の限りローリアに放つ。
「二度も受けてなるか!」
別次元世界を幾つも繋げ、複雑に世界が入り組む複合領域を形成。ローリアは視認できないように隠れて避ける。戒の姿は複合領域の中で複雑に湾曲し原形を留めない。だが、その状態でも拳だけは領域に飲まれていない。
「ディメンジョン・インパクト!」
放たれる拳は複合領域を切り離しながら、隠れたローリアの腹に抉るように叩き込まれる。悶絶するローリアだが、素体となっているジートは無傷。
「私だけを…」
「当然だよ。だって、ジートは被害者でしかない。道連れにはさせる訳がないよ」
今度の声は戒。
融合した事による存在淘汰は行われず、戒の中に破戒が共存している。しかし、同じ存在が同じ体に存在する事は出来ない。今の破戒は…。
「戒、我に名を付けろ! 植え付けられた人格に破戒は名乗れない」
「だったら、デストラクションだね」
「…破壊…言い方を変えただけじゃないか! まぁ…今の我には相応しい」
ディストラクション。そう、破戒が至ったのは破壊の概念存在。奇しくも同じ名を冠する概念存在に変貌していた。ローリアに植え付けられた人格は、記憶を切り離し真の意味で破戒へと至った。
「その名の意味する通り、完全に破壊する事にしよう!」
別次元世界を渡り逃げるローリア。
後を追う戒は、ローリアの逃げ先を予知して先回り。ディストラクションの拳で抵抗ごと殴り飛ばす。
「こんな筈が…ない。計画は完全だった。次元掌握の力も手に入った…だと言うのに…反則だ…」
ダメージで視界がぼやけるローリアの前に、複数の戒が迫ってくる。錯覚だと思い何度も目を擦るが、迫っている数は増えるばかり。脳内処理はもはや不可能。本能の赴くままに逃げる事を選ぶ。だが、逃げても無駄。次元について知り尽くしている戒は、何もかもを予知して完璧な先回り。無数の戒で代わる代わるに殴っていく。
「まだまだ殴り足りない! もっと、もっと! 闘争本能が満たされるまで殴らせろ!」
複数の戒は、別次元世界に順応して生み出した同存在。ローリアとは違い、自分自身だけを効果範囲に別次元を複合展開し分身のように呼び出している。分身を超えているのは、意思も行動も全部本人のためそれぞれが独自に動きながらも連携は完璧。ローリアに一切の隙を与えず流れるように攻撃を当て続ける。
「私が…支配者の筈だ…何故…こうも傷ついて…」
殴られ続けたローリアは、身も心もボロボロ。抵抗する力も意志も完全に抜け落ちている。
複数の戒が融合し一人に戻る。
「そろそろ終わりにしようか」
戒が地面を強く踏みしめると空間が割れ、次元境界に落ちるように戻る。しかし、戻った次元境界の雰囲気が違う。本来の次元間を守る役目を放棄して、何も飲み込まない状態になっている。
「デストラクション。先にジートを回収するよ」
「早くしろ! 勝利はほぼ確定かも知れないが、何か嫌な予感がする。完全に消し去るまで油断できない!」
「直ぐに終わるから」
ローリアの胸に触れ強く押すと、いとも簡単にジートが排出されレコードマーカーで出来たローリアが残る。次元境界が飲み込む事を止めていたのは、戒の仕業。ジートを安全に排出する為に用意していた。排出されたジートは無傷。しかし、レコードマーカーのみのローリアは原形を留めていない。
「…何も、かも…無駄だったのか…いや、違う。私は…私こそが…支配者。全てを手にする…者…終わらない。終わる筈が…ない」
瀕死にも拘らず、ローリアの欲望は治まらない。戒から逃げるように必死に体を動かす。だが、無情にもダメージが深刻で真面に逃げられない。
「踏み躙って来た罪の重さ…その身で堪能しろ!」
デストラクションの力で次元境界が震動。戒を中心に巨大な渦が現れローリアを飲み込んでいく。渦の中ではローリアの力が全て消滅していく。抗う事は出来ない。逃げる事も出来ない。その状態で迫ってくるのは、破壊と過ちの概念を合わせた戒の拳。
「ラスト・デストラクション!」
次元境界の渦ごとローリアを粉砕。
あまりにも強大な衝撃で、次元境界全体が崩壊し始める。
「これで…終わった」
ディストラクションから脱力を感じる。自分の全てを搔き乱した張本人の死は、解決と共に過ちと愚かさを容赦なく突きつける。単なる懺悔で済む話ではない。翻弄されていたとは言え、その代償に消えて行ったのは多くの命。懺悔の先には許しは無い。永遠に自身の中で苦しみ続ける以外に出来る事が無い。
「まだ終わっていないよ」
戒の言葉に、デストラクションは笑う。
「馬鹿な事を言うな。手応えはあった」
「それは…ローリアじゃないみたい」
戒の目を通して見えるのは、ローリアを抱えるアポカリプスの姿。ラストデストラクションを受けた事で腹に風穴が空いている。だが、見ている間に再生。傷は無くなる。
「あの渦に…いつの間に」
「それがアポカリプスだよ。誰にも縛られない、誰にも避けられない、最強最大の終局現象」
戒には使いこなせなかった最強の概念存在。どんな存在であっても確実に倒す事が出来る力は、どんな存在にも完全に扱う事が出来ない。理に刻まれた終わりは全てに等しく存在する。故に、倒す為には理から終わりを除外するしかない。
「アポカリプス! ローリアを渡せ!」
「それは出来ない」
「何故だ? 庇う意味がお前にあるとは思えない!」
アポカリプスは、瞼を閉じて唇を噛みしめる。
「その通りだ。この男を庇う意味は無い。ここで終わるなら…それが全てだ」
「だったら渡せ!」
首を横に振り頑なに拒む。
「教えてくれないかな? 拒むだけでは理由が分からないよ」
噛みしめた唇から血が滲む。
戒は、血を見て違和感を感じる。概念存在には、実体も生物としての機能も存在していない。実体があれば契約は出来ず、生物の機能は永続存在を不可能にする。例として挙げるなら、カオス。概念と生体を融合している為、ダメージを受け死ぬ事もあり、自分以外とは契約が出来ない。利点としては不確定因子に左右されず自分の意志で自在に動ける。
「…分かっている…分かっている。だが、どうしてもできない。救ってはならない根源悪でも、殺すべき絶対悪でも…父を殺す事は出来ない!」
衝撃の告白に、戒を首を振る。
「それは有り得ないよ! 終末の概念は他とは違う。誰かが意図して生み出す事は出来ない! 例え神が居たとしても!」
「…間違っていない。だが、起きてしまった。育鯖戒、お前のせいで…」
自分のせいだと言われても身に覚えがない。
「アポカリプスになる前は、デルタウィングだった。だがそれは、ジートの下に育鯖戒が居る事を条件にして、ローリアが作っていた進化プログラムの材料。自身の器としての強さを実現させ、完成したところで奪う。しかし、思惑通りにはならなかった。育鯖戒はゼロノートに下に行き器にする事が出来なくなった。この状態で進化プログラムが実行されれば、対抗できない最悪の敵になる。そこでデルタウィングを放棄して進化プログラムが破綻するよう工作した。放棄して消える筈だった。でも、受け入れなかった。創造したローリアの為に何かがしたかった。父の為に出来る事をしたかった。その願いが叶ってしまった」
消されたデルタウィングの願いが、破戒が作った世界によって叶った。消された事実が終末を意味し、役に立ちたい想いが人格として存在化した。アポカリプスが最初の概念存在になった事で、他の概念存在が生まれるきっかけになった。エラーとウィッシュがアポカリプスの下で顕現したのは、アポカリプスに終末として以外に概念存在の基点としての役割があったから。
「知識の海は間違っていなかった。状況の変質のせいで情報に齟齬が生まれた。以後の作戦が概念存在の収集に変化していったのも変質に対応する為…」
知識の海のお陰で柔軟に対応できたが、異質である事は変わらない。理愛が導いた結果にも尾を引く事になった。
「お前は間違っている。ローリアの勝手に振り回されて消されたんだぞ! 復讐を考えるべきだろ?」
「破戒よ。お前が間違っていても、カオスは止めなかった。父と慕い、シーリアではなく破戒を選んだ」
カオスを引き合いに出されると、デストラクションは何も言えなくなる。破戒だった時の犯した過ちの数々を知っていてもカオスだけは離れなかった。
「同じだ。庇うべきではないと思いつつも、庇わなければならないと体が動く。認識などした事など無かった。だが、思考とは裏腹に体は認識している。生み出した者と生み出された物。創造主と創造物。ただそれだけかも知れない。だが、それでも…」
アポカリプスの力で、次元境界が真っ白に朽ちていく。朽ちた次元境界は隔てていた別次元世界を出現させる。アポカリプスとローリアが別次元世界に逃げていく。
「戒、次元境界を活発化させろ! 如何にアポカリプスでも次元境界では無力!」
「それは出来ないよ。ジートが居るんだ…」
漂うジートを抱きかかえ、アポカリプスとローリアを見逃す。本当は見逃したくない。だが、ジートを被害者にするのはもっと嫌だった。
デストラクションは、犠牲にしてでも逃がしたくなかった。逃がす事で生じる被害の大きさを誰よりも知っている。
「今回はお前を尊重する。だが、次は何を犠牲にしてもローリアを消す! 良いな!」
ローリアと言う共通の敵が結び付けた関係。例え策謀のせいでも、戒を仲間だと簡単には認められなかった。長い間信じて来た関係性を否定するのには時間がかかる。
飛行戦艦に戻った戒は、慌てるように艦橋に向かった。艦橋では、来る事を知っていたゼロノートと、それを聞いて待っていたシーリアの二人のみ。アークは、カオスの看病で医務室。風は、空気を読んで展望デッキ。謙二郎は、戒に渡されたジートを空き部屋に運んでいる。
「戒、お帰り~~~!」
喜びを全面にシーリアが戒に抱きつく。
「ただいま」
少し照れつつもシーリアを抱えてグルっと一回転。新婚夫婦のような、恋人同士のような、見ている方がもっと照れてしまう状況。しかし、悠長に二人の微笑ましい姿を堪能している場合ではない。
「戒、ローリアはどうなった?」
「…倒せなかった」
ゼロノートは、激しく落胆。だが、落胆からの復活は早い。ほんの数秒でスイッチが入ったように質問責め。
「ローリアの形態は? 誰が救った? 何処に逃げた? 状況を教えてくれんか? 知識の海で予知した内容とどれくらい離れているのか検証したいのじゃ!」
「形態は、レコードマーカー構成体。助けたのは、アポカリプス。逃げた場所は、別次元世界だね」
質問の答えに、ゼロノートは唸り声を上げたまま腕を組んで座り込む。
「やっぱり…深刻だよね?」
「…そうじゃな。度合いで言うなら最悪。知識の海で予知した未来で最も避けたかったものじゃ」
戒の口を使ってデストラクションが話す。
「深刻なら余計に、我と戒が同体で行動するのは不味い。早々に体を用意してくれ」
知っていたのか、デストラクションの存在と反応に驚かない。眉を顰めて溜息を吐く。
「用意は出来ておる。じゃが、本当に良いのか? 儂は今の方が良いと思うのじゃが?」
「確かに戦力面だけで見れば今の状態は最善だ。だがな、我の精神がこの状況を良しとしない。違い過ぎる! 考え方に大きな隔たりがある!」
ここまで言われても、戒はデストラクションと一緒に戦いたいと思っている。だが、だからと言って強引に今の状態を維持したいとは思わない。別々の体、別々の考え方でも問題ないと考える。しかし、デストラクションは違う。考え方の違う戒と戦うより一人で戦った方が良いと思っている。別々の体、別々の考え方では危険だと考える。記憶と言う共通部分がデストラクションから消えたせいか、そもそも同じ考えに至る事が無かったのか、二人の性質は噛み合わない。
「分かった分かった。望むなら今直ぐに…」
ゼロノートがパネルを操作して呼び出したのは、フェルギーニ。戒の姿をしたナノマシン構成体と、精神移動用の機械を持ってくる。
精神移動用の機械を介して戒とナノマシン構成体を繋ぐ。接続が上手く行くと、機械からキーボードが現れる。
「一度乖離したら、二度と同じ状態には戻れん。本当に良いかの?」
「何度も言わせるな」
キーボードを操作し、緻密な設定を熟す。デストラクションとして、破戒だった存在として、必要な力、動き、記憶を体に設定する。設定に手を抜き今のデストラクションと符合しないと、概念存在の体にする事は出来ない。
「よし、これで良いじゃろ」
エンターキーを押して精神移動開始。数十秒と言う短さで完了。
「どうじゃ?」
ナノマシンのデストラクションが動く。手を握ったり開いたり、瞬きをしたり、立ち上がって屈伸をしたり、体の動きを確認する。
「良さそうだ」
デストラクションは、急ぎ足で艦橋から立ち去る。
「は? 何じゃ、何じゃ…儂に礼は無いのかの?」
戒とシーリアはデストラクションの気持ちを察し、顔を見合わせて微笑む。
デストラクションが向かったのは、医務室。カオスの事が気になって仕方なかった。だが、部屋の扉を開く事が出来ずウロウロしている。カオスを犠牲にしてしまった事に後ろめたさを感じている。
「…もどかしい…」
扉に耳を当てて中の様子を窺う。聞こえてくるのは、アークがカオスを心配する声。声の様子から深刻な状態で無いのは分かるが、未だ目を覚ましていないのかカオスの声が聞こえない。
カオスが起きていないならと、ようやく中に入る。
「アーク…カオスの様子は?」
入って来たデストラクションを見て、アークは泣きながら抱きつく。
「戒! 私…私…」
姿がそっくりなデストラクションを戒と勘違いしていた。だが、勘違いされた事に、悲しみも、嫉妬も現れない。温もりを感じても、愛情の欠片も現れない。自分にとって、あくまで創造物でしかないと認識してしまう。
「勘違いするな。我はかつての破戒だ」
「…え? あ…すみません…」
アークに宿った感情を垣間見ても、驚き以外何も感じない。カオスに対する感情がある以上、概念存在、機械の体は影響していない。
「カオスは我の子、今度面倒は見る。アーク、お前は戒の下へ行け」
「でも、私は…シーリアさんと戒が一緒に居る姿を見たくない」
「だったら余計に行くべきだ。お前も雪原理愛なのだろう?」
励ます意図があるのか自分でも分からない。ただ、何となくそうすべきだと感じた。いや、そうしなければならないと強く心を押している。それが感情なのか、何かの暗示なのか、知る術はない。
アークが医務室を後にして、カオスと二人きりになると深い悲しみが一気に込み上げる。
「カオス、不甲斐ない父を許してくれ。これからはお前が胸を張れる存在になる。だから、目を覚ましてくれ…」
アークもカオスも破戒が創った存在。しかし、寄せられる感情には開きがある。カオスには子としての最上の愛、アークには創造物程度の感情。もしかしたら、アークが自分の傍に居る事がないと心の何処かで悟っているのかもしれない。
艦橋に向かったアークは、扉の影からこっそり様子を窺う。寄り添う戒とシーリア。見ているだけで胸が痛む。だが同時に、シーリアの姿が自分に見える瞬間があり、その時は妙な落ち着きを感じる。
「シーリア、今でも夢を叶えたいかの?」
「当然だよ」
奥歯に物が挟まった顔で、重い口を開く。
「夢を叶える為には、アークの犠牲が必要じゃ…」
隠れて聞いていたアークはショックのあまり足が震える。今直ぐに走り去りたいが、震えのせいで動けない。
「おじい、それ本当? だったら、夢は一旦諦めるよ。でも、一旦だからね」
シーリアには戸惑いが無い。誰かを犠牲にする妥協をしたくなかった。その言葉を聞いて、アークの震えは止まる。だが、逃げ出しはしない。最後まで話を聞く義務が存在しているように思えた。
ゼロノートに代わって戒が口を開く。
「シーリアが人間になる為には体が必要だよね。で、その体を作る為には最低条件があるんだ。同じ存在の体は世界に一つしか作れない。限りなく似ているレベルなら複数作る事は出来る。でも、シーリアとして世界に認められた体は一つだけなんだ」
「それが…アーク?」
「うん。破戒が持っていた僕の記憶には完全な理愛がいた筈だから、それを再現すれば不可能ではない。現に、僕に会ったアークは直ぐに理愛としての感情を励起した」
少し考え込んだシーリアは、二人が驚く事を言い出す。
「ねぇ、私とアークが同じ体に同居する事は出来ないの?」
知識を海に慌てて潜るゼロノートを引っ張り、戒が説明を始める。
「出来るよ。でも、同居していられるのはごく短期間。長くても三日かな? それ以上同居し続けると精神の同化が始まる。シーリアとアークの境が無くなり、最終的にはどちらかが消えてしまう」
「必ずどちらかが消えてしまうの? 例えば、同人物の別人格として居続けるのは不可能?」
「う~ん…不可能かな。二人とも基になっているのが理愛だから、いずれ一つになろうとするのは当然なんだ。もし、二人が同じ体で存在したいなら、どちらかが概念存在になるしかないかも…」
アークが概念存在になる事を了承しようと飛び出した瞬間、戒が言い損ねた選択肢を述べる。
「もしくは、二人が全く同じ思考を有するなら…雪原理愛として一個の存在になれるかも?」
顔を合わせるシーリアとアーク。同じ顔だが、性格の若干の違いを感じる。想いのままに生きるシーリアと、想いのままになりきれないアーク。雪原理愛を基としていて非常に似ているが、今に至るまでの環境の違いがそうさせる。
「あなたがアークなの?」
「はい。シーリアさん…ですね?」
今の二人が融合すれば、いい結果が生まれないのは明白。融合を避けるか、犠牲を強いるか。二人の望まない選択肢しか待っていない。
「儂が言うのもなんじゃが…やはり一旦棚上げが良さそうじゃな」
二人はやや呆然と頷く。
二人は違う存在、シーリアとアーク。だが、芽生えた願い、戒を想う気持ちは同じ。性格の違いを克服できる可能性は低い。だが、共に在り続ける可能性を排除する事は出来ない。
別次元世界、崩壊した地球。
かつて戒、理愛、ローリアが生きていた地球。地面のひび割れは地殻奥のマントルまで至り、灼熱のマグマが煮えたぎっている光景が身近に存在している。だが、圧倒的にマグマの量が少ない。枯れかけの川のようにちょろちょろ流れているだけ。その僅かなマグマの流れに沿って置かれた資源掘削機は、長い間放置されてボロボロ。稼働していた痕跡には、紫色の鉱石が散らばっている。不可思議なのは、枯れかけとは言え生活にそぐわない熱量の場所に崩壊寸前のビルが数軒建っている。人の姿はとうの昔に無くなっているが、生活の痕跡は残っている。保存用の食料の袋、焼けた防炎服、紫色の鉱石、そして人の骨。折れた歯が残った頭蓋骨が幾つもある事から、どうやら紫色の鉱石を食した事が窺える。紫色の鉱石は、地球が生み出した毒。僅かな欠片でも体内に摂取すれば死に至る。行く先に絶望して命を絶った。
「…う…ここは?」
ビルの一室で目覚めるローリア。崩壊寸前のビルを見ても自分が支配していた地球である事を思い出せない。レコードマーカーで構成された体は不安定で、瞬間的に透けて見える。
「忘れたのか? 自身が壊した世界を」
ローリアを見下ろすアポカリプス。
その姿を見ても、ローリアは誰だか分からない。
「何者だ? 何故、私の生まれた世界を知っている?」
「…デルタウィングを覚えているか?」
「デルタ…ああ、ナノマシンの進化プログラムに組み込んだ試練の壁。ナノマシンへの成長因子の植え付け、ダメージ負荷効果による順応変化を促す…おや? 破壊した筈だが?」
アポカリプスは、ローリアの首を掴んで持ち上げる。
その目には、激しい憎悪と悲壮感が混在している。
「その通り。破壊され消える筈だったプログラムの一部。だが、消えなかった。僅かに生まれてしまった感情が死を拒んだ!」
「拒んだ結果、別の存在になった。で、何になった? 感じる力は概念存在。その桁は、これまで見て来た概念よりも果てしなく強大」
「アポカリプス…終末」
「ククク…ハハハッ! それは上々だな! 予期した以上の変化じゃないか。破棄して正解だったな」
掴んだ首を絞めていく。だが、絶命させる程の力には至らない。戒とデストラクションに語ったように、心の奥で父と慕い殺せない。
「お前を殺さなくてはならない。だが…殺せない。何度試みても…どうしても…」
アポカリプスは、ローリアを投げ捨て背を向ける。
「助けてくれた事に感謝する。だが、足りないな」
立ち上がったローリアが、アポカリプスに近づく。
「お前の力を寄こせ!」
ローリアが伸ばした手は、アポカリプスに触れる前に朽ち果てる。
振り向いたアポカリプスは涙を滲ませ睨む。
「殺せないが、許すつもりはない。このままこの世界で最後を迎えるがいい」
次元を超えて去って行くアポカリプス。
だが、次元を超えた先はローリアの目の前。
「弱い心では退けられない!」
アポカリプスの胸をローリアの腕が貫く。
「…父よ。こんな事をしても…何も変わらない。この世界のように…いつか滅びる」
ローリアの体にアポカリプスが吸い込まれていく。
「父か? 愚かな考えだが私には都合が良い。精々子として父に奉仕するがいい」
不安定な体がしっかり固着し、背中にアポカリプスの光輪が現れる。
落ちている紫色の鉱石を口に放り込む。
「…蝕まれる感覚が快感になる日が来るとは」
アポカリプスを取り込む事でローリアは終末の力を得た。だが、代償として終末因子を取り込まなければならない体になってしまった。終末因子とは、何かしらの存在を消し去る影響力を持ったモノ。人対象に例を挙げると、ウイルス、細菌、毒など。世界対象に例を挙げるなら、隕石、核兵器など。アポカリプスが必要としていなかったのは、終末を行使するのではなく終末そのものだった為。戒が行使した事で姿を消してしまったのも、代償を払った結果。疑問になるのは、片鱗を行使しただけの戒と比べてローリアは吸収。代償の総量は相当で、本来なら姿を維持する事は出来ない。だがそれは、ローリアが普通の存在だった場合。ローリアはブラックホールを取り込み生まれた次元変異体。存在そのものが終末因子。例え、レコードマーカーを器に使用しても本質は変わらない。
ローリアは、更に危険な存在に至ってしまった。次元掌握に加え、終末を自在に行使できる存在に…。




