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デストラクションエラー  作者: 仕方舞う
30/34

カオス・ディザスター

 混沌が齎す嵐は、築き上げた世界を破壊する。その気が在ろうが無かろうが、巻き込まれた者は一切の抵抗も出来ず最悪の結果を目の当たりにする。抗う術は用意されていない。用意されているのは、最悪を受け入れる選択。

 戒の真実を知った謙二郎は、しばらく戒に会う事が出来なかった。会ってしまえば励ましてしまう。励ませば、また思い出させてしまう。心の整理がついて真実を受け入れるまで見守る事にした。半面、どうしても気になってしまうのがシーリア。雪原理愛の記憶が無くても、戒への接し方は理愛そのもの。記憶の片鱗が残っているのか聞きたくて仕方がない。だが、シーリアに話を聞こうと思っても、シーリアはシーリアで深く落胆している。動揺による拒絶を嫌われたと勘違いしている。根底にあるのは戒を愛してはばからない雪原理愛だけに、その心的ダメージはかなり大きい。戒は絶対にシーリアを嫌いになったりしない。それを伝える事が出来ればシーリアは一発解決。結局何も出来ないまま暗澹たる日々を送る事になった。



 飛行戦艦、展望デッキ。

 戒は一人、空を見上げてエラー相手に呟いている。

「エラー、話を聞いた時どう思った?」

(さぁな…俺はお前が作った仮面。記憶が在るか無いかはあまり関係ない。ただ、このままで良いとは思わない。欠けてはいけないモノは確かにある)

「欠けてはいけないモノ…」

 映像を見ても戒の心を揺さぶるものは一切無かった。ただ、自分そっくりな誰かが自分の知らない事をしていたぐらいにしか考えられない。それが大事な記憶で、シーリアを真に理解する為にも必要なのは良く分かる。だから、考え込むあまりに塞ぎ込んでいた。

(まぁ、大事なのは今のお前がどうしたいかだ)

 戦いに心を置いていたエラーとは思えない言葉に、戒の心は解れる。

「エラー、もう戻っていいよ。アリアを待たせているんだよね?」

(悪いな。必死に考えた名前候補があるらしい)

 エラーの意識が戒から離れていく。

 一人になった途端、シーリアに会いたくなる。

「…記憶は無くても、心は通う」

 記憶の無さを悔いる事を止め、シーリアとして真に理解する事にした。しっかり話をして、今を生きる者として今を生きる記憶を大事にしておこうと思った。



 戒がシーリアの部屋に赴くと、部屋には風しか居ない。

 風は困った顔で手紙を読んでいる。

「風、シーリアは?」

「それが…これを見てください」

 渡された手紙には、読むのが困難な文字がのたうち回っている。シーリアの字を見た事は無いが、直感では違う誰かの字だと判断。

「誰の手紙かな?」

「私も分かりません。文字自体もですが、何処から読んだらいいのか…? ただ、この手紙はシーリアちゃんが外に出た瞬間に置かれていて…」

 嫌な予感が脳裏に過る。

 そして、それを裏付けるように艦内放送が響く。

「た、大変じゃ! 中国管理区が何者かの襲撃を受けておる! 早くしないと全滅じゃ!」

 シーリアが気になりつつも、艦橋に向かう。

 根拠は無いが、シーリアが関わっている予感がする。手紙のタイミングから勘ぐってしまう。



 艦橋では、謙二郎が四本足状態でスタンバイ。

「戒、行くつもりだろ?」

「…今回は連れて行ってくれるのかな?」

 謙二郎が言葉を発するよりも先に、ゼロノートが捲し立てる。

「シーリアが中国管理区に居るようなのじゃ!」

「…急ごう!」

 逸る気持ちは動揺となって広がり、シーリアの顔が闇に消えていく想像をしてしまう。膨らむ想像は、映像で見た別次元世界の話を連想させる。



 中国管理区の上空。

 見下ろしただけで、最悪の現状が窺える。施設中から火が上がり、逃げ惑う人々の悲痛な叫びは炎に飲まれる前に消える。異常なのは、被害を受けているのは人間だけではなく、機人までも次々破戒されている。目の前で殺され破壊されているが、何者の仕業なのか全く分からない。尋常ではない速度で行っているのか、見えない攻撃を術にしているのか、降りてみないと判別不可。

「ゼロノート、状況の説明は出来そうか?」

「無理じゃ! 知識の海に潜ってみたが、分かったのは相手が将である事ぐらいじゃ…」

 戒は、冷静な分析を無視してハッチから飛び降りる。

 慌てる風がハッチを閉めた時には、既に落下済み。後を追うように謙二郎も飛び降りる。



 中国管理区の奥から悲鳴とは違う叫び声が聞こえる。

「もう止めて! こんな事をしたらダメ!」

 声の主はシーリア。

 誰かが反応しているのは間違いない。シーリアの叫びに応じて、殺害が一旦止まる。しかし、姿が見えない。声が聞こえない。

「お願い! 私はそんな事望んでいないよ!」

 炎を掻き分けてシーリアが扉を開く。逃げ遅れた人間が束になって死んでいる。悲しむシーリアの耳元で一瞬声が聞こえる。

「人間は醜い。機人はおもちゃ。壊しても良いよね」

 幼い男児の声。人間の年齢で言えば5歳前後くらい。

「壊して良い物なんてない! どんなに醜くても絶対にダメ!」

「どうして?」

 シーリアの横に、幼い男児がひょっこり現れる。黒いマントを羽織り、下には短パンしか履いていない。上半身には目のような紋章が刻まれている。黒い短髪で、目は白銀色。シーリアの手を掴む腕には、今日の予定がマジックで書かれている。

 ニコニコしながら、束になる人間を完全に焼き尽くす。その挙動は一切不明。

「壊れたモノに未来は無いの。私…そんなの嫌!」

「…折角喜んでくれると思ったのに…お母さんが嫌なら仕方ない…」

 男児は施設を焼く炎を消し去る。

 シーリアは、死体の数々を眺めながら込み上げる悲しみに膝をつく。

「何でなの? 何で…私がお母さんなの?」

「雪原理愛って名前でしょ? だったらお母さんだよ」

 シーリアは首を傾げる。身の覚えが無い訳では無い。聞き覚えはあるが、自分の名前とは思っていない。

「私はシーリア。雪原理愛は別の人だよ」

「え~~~! でもでも、お父さんが雪原理愛って言ってたよ?」

 自分の夫となると戒以外思いつかない。そもそも、シーリア本人が子どもを産んだ記憶が無い。ある筈がない。

「…お父さんって誰なの?」

「知らないの? 育鯖戒だよ」

 戒の名前に混乱は酷くなる。いつの間に子どもを産んだのか、いつの間に結婚したのか、いつの間に人間の体を手に入れたのか。何もかもが足りていない状況では納得は程遠い。だが、たった一つだけ可能性がある。

「ねぇ、君は人間?」

「僕? 僕は人間でも機械でもないよ。え~っとね…お父さんは、概念と生体が融合して生まれた新人類って言ってた」

 融合と言う言葉で片鱗が明らかになる。目の前に居る子どもは、誰かが創った存在。創った誰かが知識を教える際、母を雪原理愛、父を育鯖戒と教えたらしい。しかし、根強く残っている疑問は、何故シーリアである自分を雪原理愛と呼んだのか。教えた誰かの正体が気になる。

「お父さんは、何処に居るの?」

「次元境界にあるお城だよ」

 この時点でシーリアが想像する育鯖戒ではない事が判明。ようやく安堵して胸を撫で下ろす。

「お母さん、一緒に帰ろう? お父さんも喜ぶよ」

「ごめんね、それは出来ないよ。私が大好きな人は君のお父さんとは別人なの」

 男児は、何度も首を傾げながらシーリアの手を握る。

「…でもでも、お父さんが言っていたんだ。アークと同じ顔をした機人がお母さんって」

 聞き覚えの無い名前に、新たな疑問が生まれる。


「シーリア!」


 慌てて駆け付けた戒が、シーリアを抱きしめる。シーリアは嫌われたと思っていただけに、嬉しくて仕方がない。

 横で見ていた男児は不快感を顔に出す。

「戒、来てくれたんだ。私…嫌われたとおもっちゃった」

「そんな訳ない。ちょっと考え事をしていただけだよ」

 抱き合う二人の間に男児が入り、戒を睨みつける。

「お前が偽物だな! お母さんから離れろ!」

 戒の体が突如炎に包まれる。

 ナノマシンの体を焼く強力な炎。

「中国管理区を燃やしたのは君か…」

 エラーの概念を行使し、一部の炎の性質を歪曲。強力な冷気で炎を消す。

 落ち着いた状態で男児を見るが、初めて見る顔。

「偽物のくせに!」

 戒に怒りを募らせる男児の肩をシーリアが抱きしめる。

「止めて!」

 シーリアがお願いすると決まって男児は動きを止める。動きを止めたまま、悲しそうな顔でシーリアに質問。

「お母さん、偽物の事が好きなの?」

「偽物じゃないよ。私の好きな戒は一人しか居ない」

 シーリアの言葉が男児の引き金を引いた。

「お母さんを騙したな! もう許さない! 跡形も無く消してやる!」

 男児の周りに黒い空間が現れる。

「僕はカオス! 混沌の将!」

 黒い空間から炎が噴き出し、施設全体を灰燼に帰す。



 遅れた謙二郎が近づこうとするが、見えない壁に阻まれて進めない。

「断鏡翔ッ!」

 降下しながら断鏡翔。しかし、見えない壁は壊れない。

「極地ッ! 奥義、夢想抱懐ッ!」

 全ての感情を詰め込んだ光の一太刀。

 ディスペアを恐怖させた一撃だが、見えない壁によって威力が消滅。ただ、剣を壁に向かって振っただけに終る。

「ゼロノートが言っていた最強の5体か?」

 何とか見えない壁を壊そうと様々な攻撃を試みる。



 怒り狂うカオスの力で中国管理区は断絶された。景色は見える。謙二郎が必死に壁を破壊しようとしている姿も。だが、見えない壁が遮断する空間は外には変質して見える。戒、シーリア、カオスの姿が謙二郎には見えない。

「混沌の将…この子が?」

 シーリアは、敵とは思いたくなかった。無邪気に母と呼ぶ姿に少なからず心を擽られていた。だから、戒と戦う構図を何とか変えたい。

「戒、攻撃しないで! きっと分かってくれる。この子はそんなに悪い子じゃない!」

 シーリアの言葉で戒は交戦を踏み止まる。

 だが、エラーは激しく警告する。

(ダメだ! 甘い対応で乗り切れる相手じゃない!)

「アポカリプスと同等だから? 気持ちは分かるけど、今はシーリアに委ねてみよう」

 エラーは、密かに準備する。いつでも本気で対応できるように。

「カオス、どうしてここに来たの? 私に会いたかったから? それとも悲しませたかった?」

 カオスの力が弱まる。

「僕は、お母さんに会いたかったんだ。悲しませるつもりはないよ。一緒に帰ろう、お母さん」

「…ごめんね。私は戒と離れたくない。だから一緒には帰れない。でも、戒の傍なら一緒に居られる。このままここに残って一緒に暮らそう?」

 妥協案でカオスを納得させるつもりのようだが、カオスは頬を膨らませて嫌悪する。戒を顔を何度も見ながら舌を目一杯出して怒りを表す。

「お母さん、気付いてよ。あれは偽物だよ。本物はお城に居るお父さんだけだよ」

「カオスのお父さんはお城に居るかもしれないけど、私にとっての本物はここに居るよ」

 カオスの頭は二人の戒の顔で混乱する。しかし、父と慕って来た破戒を否定する事は無い。目の前に居る戒に対して激しい怒りを抱く。

「お母さん…僕…壊してあげる」

 カオスの背後から黒い空間が広がり、見えない壁に囲まれた空間を埋め尽くす。黒い空間の中は一切見通しが効かず、音や感覚も奪われている。

「シーリア…」

 戒の声は、戒にしか届かない。

「戒ーーーーー!」

 シーリアの声は、シーリアにしか届かない。

 この状態では、カオスの攻撃に対応できない。

(…エラー、力は使えるかな?)

(ああ…何とか。だが、本来には程遠いレベルしか発揮できない。この闇には力を無力化する効果もあるらしい…)

 エラーは、力を行使して闇の一部を光に転化。しかし、ランプ程度の範囲しかなく、辺り一帯が死角状態。これではカオスの攻撃に備える事もシーリアを救い出す事も出来ない。

「エラー、ありがとう…声が出た!」

(光の中だけは普通と同じだ。だが、攻撃は無理だ。維持するだけで全力行使だ…今は逃げるのが得策だ…)

 エラーには逃げる方策が無い。可能性があるのは、外で頑張っている謙二郎。見えない壁も黒い空間と同様の効果があるなら望みは薄い。だが、期待を寄せるしかない。

「いや、逃げない。シーリアをこのままにしておけない」

(安心しろ。カオスはシーリアに危害を加えない。お前だって分かっているだろ?)

「それでも、今は離れてはいけない。そんな気がする…」

 戒にとって怖いのは、シーリアが破戒の下で記憶を取り戻す可能性。理愛だった記憶が戻れば、目の前にいる破戒を育鯖戒だと思っても仕方がない。理愛としてはそれで良いかもしれない。でも、もしシーリアとしての記憶が同居していたらシーリアの拒絶は大きい。戒は、シーリアを守りたかった。

(…困った奴だ。まぁ仕方ないな、今の俺には気持ちが分かる)

 エラーは限定的にアリアとの契約を閉じ、戒に専念。ついでにシーリアについているウィッシュにアクセス。二つの契約を重複させ黒い空間に抵抗する力を捻出。

「ありがとう」

(シーリアの為にも絶対勝ってチュン!)

(戒、チャンスは一度だ。俺とウィッシュで空間を裂く、その隙をついてカオスからシーリアを救い出せ!)

 奪い返した後の事は考えていない。ただ、取り返せば攻撃の手が緩むと思っていた。

「分かった!」

 エラーの力をウィッシュが増幅。光の範囲が広がっていく。

 黒い空間の端では、カオスがシーリアを連れ出そうとしていた。見えない壁に扉を作り、シーリアの手を引っ張っていく。

「お母さん、帰ろう」

「いや、私は戒の傍に居たいの!」

「お母さんは騙されているんだ。今は辛いかもしれないけど、帰ったら全部思い出すよ。お父さんの事が好きになる」

 シーリアが幾ら拒んでもカオスの耳に言葉が届かない。母を想っての行動かもしれないが、シーリアにしてみれば愛する人から引き離される辛さしかない。


「カオス、お止めください」


 カオスの前に、シーリアそっくりの女性が現れる。

「アーク、邪魔しに来たのか?」

「マスターからの命令です。従ってください」

 アークを呼ばれる女性を見ていると、シーリアは不思議な感覚に襲われる。昔の自分を見ているような懐かしさと、見たくない虚像(かこ)をみているような息苦しさ。失った記憶を刺激して吐き気に似た感覚を催す。

 それを察したカオスは、アークを睨む。

「お母さんを虐めるな!」

 黒い空間がアークを飲み込む。

 その瞬間、広がる光がアークを解放する。


「シーリア!」


 戒はアークを横切り、シーリアの腕を掴み救い出す。

 だが、確かに掴んだ筈の腕はアークの腕に変わっていた。

「君は…誰だ?」

 慌ててシーリアを探すが、姿が見えない。

 黒い空間は光を塗りつぶし、折角のチャンスは無駄に終わる。



 数秒後、黒い空間が消えた跡にはシーリアとカオスの姿は無かった。必死に探しても何処にも居らず、残されていたのはシーリアそっくりの女性。戒は憤りを感じながらも、シーリアそっくりの女性に尋ねる。

「君は?」

「…アークです」

「何故ここに? シーリアを奪う為の手伝いかな?」

「…」

 アークは悲しそうな顔をして答えようとはしない。

「シーリアの居場所を教えてくれないかな?」

「…申し訳ありません」

 謝罪はあっても核心は答えない。頑なな対応には強い意思と言うより強い悲壮感が漂っている。

 戒にはこれ以上質問が出来なかった。シーリアとは違っても、シーリアに似ている女性。詰問を続ける事には抵抗がある。

「…もういいよ。君に聞いても仕方がない…」

 戒は、待っている謙二郎の下に向かう。

「待ってください。このまま見逃すのですか?」

「そうだよ。辛い思いをしている人を弄ぶ趣味は無いからね…」

 アークは、戒の手を握る。感じた事の無い衝動が体を突き動かし、知らず知らず握っていた。戒の顔を見るたび心が鼓動し、戒の温もりを感じるたび喜びが込み上げる。何故ここまで戒に心が動かされるのか理解できない。

「私を連れて行って下さい」

「何処に? まさか、シーリアの場所…じゃないよね」

「…はい」

 示唆しているのは飛行戦艦への同行。本来なら断るべき案件だが、戒はアークの眼差しを無下には出来ない。例え敵であっても、泣きそうな顔で頼まれたら断れない。非情に徹する事も、敵だからと割り切る事も出来ない。

「はぁ…分かった。でも、客人として招く訳には行かないよ」

「理解しています」



 飛行戦艦は、激しい動揺に包まれる。風はシーリアそっくりの敵が現れたと戸惑い、謙二郎とゼロノートは雪原理愛だと思えて混乱。共通しているのは、シーリアが居なくなった代わりに現われたタイミングの良さに困惑している。

「アークと言ったかの…どうして敵の居に乗り込んだのじゃ?」

 アークは、何も答えず会釈する。

「目的は何であれ、敵なのは確かだ。甘い顔は出来ない」

「…構いません」

 謙二郎の言葉を受けて、何らかの拷問を受けても仕方ないと捉えている。

「あ、あの…シーリアちゃんは?」

「…マスターの居城だと思われます」

 風の質問に対する答えは絶望的。

 破戒の元に居るとなると、簡単には取り戻せない。

「皆、僕は先に休んでいるよ…」

 激しく落胆した戒は、一人部屋に戻っていく。

 悲痛すぎる背中に誰も声を掛けられない。シーリアを大事に想っていた戒の辛さを和らげる言葉が思いつかない。

 戒が居なくなると、アークはいきなり質問をする。

「あの方が育鯖戒なのでしょうか?」

「そうじゃ。それがどうしたんじゃ?」

「…あの方は、何故私を許してくれたのでしょうか?」

 謙二郎とゼロノートは口を噤む。気を抜けば雪原理愛の名が出てしまいそう。

 代わりに口を開いたのは、風。

「戒さんは、とっても優しい人です。例え敵でも、悲しんでいたり苦しんでいたら手を差し伸べてしまいます。だから…裏切らないで下さい。戒さんの善意を…」

 アークは小さく頷く。

 胸の奥で蠢く感情に戸惑いながら。



 戒は、畳の上で大の字に寝ていた。頭に過るのはシーリアの笑顔。怒りよりも悲しさ、憎しみよりも絶望。奪ったカオスに対する感情は無く、ただただシーリアが居ない現状に苦しむ。

「僕が、もっと強かったなら…」

(戒、お前は悪くない。あの状況では誰が何をしても奪われていた)

 エラーの慰めはありがたい。でも、慰めで楽観できるほど戒の心に余裕はない。サードの時の二の舞を避けたかっただけに、考え過ぎて塞ぎ込んだ自分が嫌になる。


 トン、トン、トン。


 誰かが扉をノックしている。

 だが、戒は反応せず黙っている。


 トン、トトン、トン。


 リズムが変わったノック。

 戒は、少し興味を示す。


 トトトン、トン、トーーーン、トントン、トトン。


 リズミカルなノックに思わず笑ってしまう。


「育鯖戒…あなたと話がしたいです。無かった筈の心を揺さぶる理由が知りたい」


 ノックの主はアークだった。

 戒は複雑な感情を抱えたまま会いたくは無かった。でも、これ以上籠城していても解決にはならない。意を決して話をする事にした。



 展望デッキ。

 戒とアークはベンチに座って数分間黙っている。

「…」

「…」

 話がしたいと呼び出したアークだったが、戒を目の当たりにすると急に話せなくなる。まるで、恋焦がれる相手に会った時のように。

「何を話したいのかな?」

「…あなたは、私の事をどう思いますか?」

 似て非なるシーリア。もしくは記憶を無くした理愛。どちらの答えもアークを否定していて、簡単には言葉に出来ない。

「カオスの母代わり…かな」

 カオスの反応に落胆していたと判断。無難な答えとして利用した。

 だが、アークは暗い表情で下を向く。

「よく分かりましたね。それ以外の答えは無いのですか…」

「どんな答えを期待していたのかな?」

「…離れるしかなかった恋人…」

 意外なほど直球で、シーリアを思い浮かべる。

 今度は戒は落胆。

「申し訳ありません」

「いや、気にしないで。自分の不甲斐なさにガッカリしているだけだから…」

「シーリアさんが大事なのですね…」

「うん。結婚の約束もしているんだ」

 結婚の言葉に胸が騒めくアーク。

「結婚…良いですね」

 アークにも理解出来ない感情の渦が結婚の言葉に翻弄される。全ての感情を巻き込んで他に聞きたかった事を全部忘れさせる。結婚を意識した事が無かったが、急に結婚が脳裏に染みついて離れなくなる。

「逆に質問良いかな?」

「はい…」

「破戒は何を望んでいるんだ? 僕にはよく分からなくなった。カオスと言う子どもを作ったり、アークと言う人間を傍に置いたり、僕の知る破戒とはかけ離れているんだ。僕には戦乱を望む好戦的なイメージしかない」

「マスターは、いつも悲しそうな顔をしています。何か思い詰めたように考え込み、失った何かを求めて夢の中でうなされる。私のイメージは、弱さを隠して足掻いているように…」

 乖離する二人の印象。

 戒は、アークの印象を受け入れる。

「少し考えた方が良いかもしれないね。破戒との向き合い方を…」

「戒…あなたは」

 戒の優しさにアークの心は激しく揺さぶられる。今まで感じた事の無い激情が体を突き動かす。

 アークは、気が付いたら戒に口づけをしていた。

「…えっ! アーク?」

「…ご、ごめんなさい!」

 自分の行動が理解出来ない。何故こんな事をしてしまったのか全く理解出来ない。ただ、口づけをした瞬間、整理がつかないほど嬉しくて、待ちに待った瞬間が来たと感じてしまった。自分ではない何かが蠢いているようで気味が悪い。

 その様子を隠れて見ていたゼロノートと謙二郎は、雪原理愛の心が在るのではと勘ぐってしまう。



 一方、次元境界の城では。

「カオス! 何を考えている!」

 怒りを露わにする破戒。

 カオスは、何食わぬ顔をして自分は悪くないと思っている。

「お父さんだって探していたでしょ? だったら僕が連れてきても良いよね?」

「お前は自分の立場を分かっていない! 将の一人としての振る舞いを考えろ!」

 連れて来たシーリアを差し置いて、破戒とカオスは口喧嘩を繰り返している。見ようによっては中の悪い親子、見ようによっては中の良い親子。

 二人の喧嘩を黙って見ていたシーリアが口を開く。

「ねぇ、そんなに怒るんだったら帰してよ。私は戒に会いたい!」

「それは出来ない。確かに予定にはなかったが、お前が必要な事に違いは無い。役に立ってもらう」

 カオスはシーリアの手を引いて逃げ出す。

「お父さん、お母さんを案内してくるね~」

 破戒が止める隙無く、カオスは既に居なくなっている。

 仕方なく怒りの拳を振り下ろし、椅子に座って眉を顰める。

「…予定は狂った。だが、これはこれで…」

 破戒の手には古びたフロッピーディスクが握られている。貼られたラベルには、雪原理愛の記憶と書かれている。

「アークは失敗した。だが、シーリアならば成功するだろう」

 企みはシーリアにとっての絶望。

 カオスが齎した嵐は、悲劇に見舞われて来た二人を再び引き離す。

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