怒りが齎す奇跡、怒りが齎す代償
最も強い感情の一つ、怒り。それ故に制御は難しく、それ故に齎す効果は絶大。敵と対峙した時は何よりも頼りになり、暴走した時には何よりも恐ろしい結果に至る。強い感情は切り離す事が出来ない。必要に応じて使い分ける事は出来ない。いつ湧き起るとも知れない怒りは、覚悟を常に持ち続け、辛うじて向き合う事しか出来ない。
狂気の概念に至ったクレイジーウィズダムは、戒との戦いを前に奇妙な笑い声を上げ続ける。鞭を振り回しながら街を腐らせ、綺麗だった街を変貌させていく。愛の概念で一度は街を元に戻したが、今回は放置。愛の概念のエネルギー消費量は膨大で、クレイジーウィズダムの脅威に挑む為には街の復活は一時棚上げにするしかなかった。腐っていく街の中で住民達は、全員一丸となって避難を行う。ソフィー、ロジェ、アリスを中心で守りながら街の外に向かって進んでいく。護衛にあたるのは謙二郎。「今度こそ全員を守って見せる」と決意をたぎらせる。飛行戦艦で見守る風は、重火器の照準をクレイジーウィズダムに合わせてスタンバイ。ゼロノートは、記憶を頼りにクレイジーウィズダムの出方を予想する。最大の脅威との戦闘に全員で挑む体制。だがそれでも、敗北の気配が漂う。それを最も感じているのはゼロノート。クレイジーウィズダムを誰よりもよく知っていて、誰よりも評価していただけに、今の戒では勝ち目がないと思わずにはいられない。ただ一人シーリアは、戒の無事を信じて祈る。ソフィーがロジェとアリスの為に命を捨てたように、自分も戒の為に命を捨てる覚悟をして。
腐った街で狂喜乱舞するクレイジーウィズダム。
戒は、ただただ怒りを堪えて見ている。どうすれば勝てるのか、どうすれば守れるのか、どうすれば溜まっていく怒りを解放できるのか。倒す為の観察でありながら、守る為の観察でもあり、自身を納得させる為の観察。戒の中でも処理できない感情の波があり、時折流されて自我を保てない時がある。その時の戒は、強大な殺意に統率機が悲鳴を上げている。
「そろそろ始めようかしら」
「…早くしろ…」
戒は、戦いに専念できるレベルに怒りを何とか抑える。
その状態で、クレイジーウィズダムの出方を窺い待ちの姿勢。
「じゃあ行くわよ~」
しなる鞭を巧みに扱い、戒の行動を制限しながら敢えて直接的な攻撃をしない。代わりに足下の地面を腐らせて逃げるように促す。
戒は腐った地面を踏まないように回避しながら、極力クレイジーウィズダムとの間合いを一定に保つ。鞭の動きをしっかり見ながら自分を意図的に狙っていない事を悟ると、試しに右手を拳銃に変えて発砲する。銃弾は呆気なく鞭に弾かれ朽ち果てる。
「ダメダメ~。そんな小手先じゃ楽しくないじゃない~」
鞭を生き物のように動かし戒を囲む。
戒は敢えて動かず、鞭の様子を見る。
「…弄ぶ事しか考えていないのか?」
「当り前じゃない~。わ・た・し、苦痛に歪む顔が好きなの~。簡単に殺しちゃったら虚しいだけよ~」
鞭は幾ら待っても攻撃してこない。攻撃して終わりを迎えるのが勿体ないと思っている為。しかし、冷静な戒にそれが弱みになる。
「あまり油断すると痛い目を見る…」
戒は鞭に触れて掻い潜り、クレイジーウィズダムの顔面に掴んでいた鞭を押し当てる。
油断と楽しみを優先したせいで、クレイジーウィズダムの顔は腐っていく。自身の概念で自身を狂わせる。
「ギャー―――! 私の顔が――――! 何てね」
腐った顔がボトリと落ちると元の顔が下から現れる。
「油断したわ~。でも、やっぱり小・手・先」
鞭をしならせ、戒の右腕に巻き付かせる。
「罰としてもらっちゃうね~」
戒の右腕が無数の虫に変化。地面に落ちたり、空に飛んで行ったり、完全に戒の意思から離れて自由に動き回る。
「狂気の概念は腐らせるだけじゃないわよ~」
鞭で戒の体を満遍なく叩く。
叩かれた戒の体は、虫だけに止まらず、爬虫類、鳥、犬、魚、色々な生物に変化して体が無くなっていく。残ったのは鞭で叩かれていない統率機と顔面。それでも戒は、不安になる事も恐怖する事も無い。
「…リバース」
変質した生物達が一斉に戻ってくる。そして、戒は元通りに。
「気が付いていなかったのか? 鞭に触れてもなんともなかった事に? だとしたら、ゼロノートが考えるより馬鹿かもしれない」
「師匠は何て言ったの~?」
「能力的には師事したい。狂気は一段も二段の上」
「師匠らしい評価ね。恐怖で前が見えなくなった間違いだらけの評価」
腐った町全体が変化。建物が恐竜に変わり、地面は大量の蛇に覆われ、壊れた壁は大きな口を有したモンスターに変わる。恐竜と蛇は、戒の周りに集まり各々攻撃し始める。大口のモンスターは、逃げている者達を追う。
戒は、恐竜の対処をしながら蛇を躱す為に飛び上る。だが、それを阻止する様にクレイジーウィズダムの鞭が叩き落とす。落ちた戒を恐竜が噛み砕き、蛇が巻き付き毒を流し込む。噛みつかれた体は腐り、流し込まれた毒は機械にも通用するウィルスで統率機の機能を麻痺させる。
「ゼロノート、設計図を送ってくれ! 内容は思考を読んで判断!」
「分かった」
「風、援護射撃開始。狙いはクレイジーウィズダムじゃなくて、壁のモンスター。逃げている人達を守ってくれ!」
「はい!」
送られて来た設計図によって人口脳を生成。戒の意思を統率機から独立させ、頭部に生成された人口脳に移動。人口脳で体を動かす。ウィルスで麻痺した部分をリバースで回復して、尚且つ、もう一つ送られて来た設計図でウィルス除去機能を装設。ウィルスを完全回避。腐りに関してもリバースを使い回復。使う度に減っていくエネルギーを賄う為に、恐竜に飛び掛かり直接ナノマシンで分解吸収。
「不味い…」
「あなた人間だったとは思えないわね。野性的? 戦闘向き? もっと根源的に慣れている。人間の一生ぐらいでは辿り着けない位置に手を掛けている? 何故? 気になるわね~」
戒の分析を開始する。今回は輪郭も見えてこない。成果たるピースも作り出せない。人間だった時の状況を考え、幾つか想定できるパターン全てを当てはめる。だが、どれも今の戒には至らない。強い怒りを抱きながら、冷静で戦略的。戦闘訓練をこなせるほどの年齢でもなく、ましてや平和な世界で育った人間。如何に怒りを感じる場面があったとしても、戦闘に秀でる思考を練り上げる事は出来ない。戒の根源にある何かが不明なままでは、戒を知る事が出来ない。
「考えている暇があるのか?」
クレイジーウィズダムが考えている間に、間合いに踏み込んでいる。
右腕をドリルのように変えてクレイジーウィズダムの体を貫く。
「リバース!」
クレイジーウィズダムの変化が元にどもっていく。
だが、直ぐに気味の悪い姿に逆戻り。
「どうやら先に愛の概念を解析した方が良さそうね」
今度は、愛の概念の力を解析する。見えてきた輪郭は、愛=他者に対する強い感情。生まれるピースは、不変、記憶、残響。愛する者の健全な状態を維持、愛する者を記憶を辿って思い出す、愛する者の姿を記憶に残し続ける。街や人間、機人を蘇らせる、クレイジーウィズダムの姿を戻すは、記憶を辿って思い出すに該当。戒を狂気から守ったのは、健全な状態を維持に該当。未だ使っていない力は、残響。記憶を残し続ける。
「検証の時間よ」
鞭を腕に巻き付け、戒の懐に潜り込み拳を叩き込む。
たった一発で、戒の全身が消し飛ぶ。
「さぁ、どうなるかしら?」
愛の概念を使える状態には無い。声を出す事も、思考を伝える事も、動かす体も無い。今の状態なら普通は決着。しかし、戒は徐々に元に戻る。残っているエネルギーを消費してゆっくり時間を掛けて。
「…はぁはぁ…まだだ」
「検証終了。次は研究開発ね」
愛の概念を理解したクレイジーウィズダムは、自分の物とする為に研究開発を始める。完成したパズルを設計図に変えて完成させていく。ただし、本来の機能を逸脱した狂気の愛として。
「デッドリバース」
クレイジーウィズダムの体から黒く冷たい光が広がる。
光に触れた物は状態が不安定になり原形を保てなくなる。建物は倒壊し、道はグネグネに歪み、人間と機人は生と死を繰り返す。
護衛をしている謙二郎も、腹の傷が現れたり消えたり、立っていると思ったら座っていたり。とてもじゃないが逃げる事すらできない。迫っている壁のモンスターに焦りが尽きない。
「愛を移ろい、愛は残酷な姿を残し、愛は記憶に留まる事は無い」
喜びに浸るクレイジーウィズダムだったが、目の前の戒は影響を受けていない。
「おかしいわね。復活のせいでエネルギーは枯渇。狂気の愛に逆らえる筈がないなのに…」
その証拠に、戒の体は不安定な状態。ナノマシンがエネルギーの枯渇で分離寸前。意識は朦朧としていて、立っているのもやっと。視界は全く効かず、クレイジーウィズダムが居る場所を特定できない。
「僕は…絶対に負けない…」
戒の中では怒りが半暴走状態にあった。本当は発散したい。だが、発散できない。仮面をつけていた時には怒りを力として具現できていたが、今の戒には具現化できない。胸の奥で怒りが激しく脈度しているのに、ただただ押し留める事しか出来ない。溜まり続ける怒りは、行き場を与えられるどんどん膨れ上がっていく。その膨張が狂気を弾いている。
「…私に恥をかかせる存在。許す訳には行かないわね~」
解析できない戒に憤りを想えるクレイジーウィズダム。体中から鞭を出現させて、戒を四方八方から殴打する。
戒は、右に左に弾かれて腐りと変質を繰り返す。成す術もなくエネルギーは完全枯渇、人口脳によるナノマシンの統率も不可。鞭の衝撃に耐えきれず倒れ、壊れていく体を元に戻す事も出来ない。
「…絶対…に…壊す…何が…あっても…」
原形を留めている事が既に奇跡。それでも、怒りの増大は止まらない。
(…そろそろ良いんだぞ。俺を呼んでも…)
怒りに割り込む声。
何処かで聞いたことがあるが、混濁していて思い出せない。
(呼べないか? だったら、昔を思い出せ。理不尽に怒ったあの時を…)
戒は暴力者として生きてきた半生を思い出す。言い訳を振りかざし苦しめる者、自己の正義を押し付けて横暴を働く者、権力に塗れて残酷を許す者。どの顔も歪んでいて、どの顔も思い出しただけで虫唾が走る。
(俺はお前の鏡だ。俺が手に入れたモノは、全部お前のモノだった。お前は何と言われて生きてきた?)
戒は、記憶の奥に残り続けている言葉を呟く。
「過ち…」
(そう、それが俺の名だ)
戒の体に異変。
壊れた体が一瞬で元に戻り、背中から黒く歪な翼が現れる。翼の出現と共に、愛の概念の紋章は体の外に放出され、全身が漆黒の装甲に覆われる。立ち上がった戒の瞼が閉じられ、カウントを始める。
「5、4、3、2、1…0」
瞼を開くと翼の付け根に斜線の入った紋章が現れる。
空間が歪み、地面が壊れ、戒の周囲だけが別空間に至る。
「過ちの概念…」
クレイジーウィズダムは、嬉々として戒の異変を楽しむ。
そしていつものように解析を開始。過ちの言葉から否定の輪郭を作り、歪んだ世界から拒絶のピースを作る。輪郭に合わせてピースを埋める。だが、完全に埋まっていない。足りないピースがあって完成しない。何が足りないか今の戒から探る。黒い歪な翼、愛の概念が拒絶された、漆黒の装甲。新たなピースは、闇、憎悪、殻。足りない場所に埋めていく。今度は多すぎる。必ずピースが余って完成した筈のパズルが完成しているように見えない。
「何なの? 全く辿り着かない。こんな事今まで無かったわ…ふざけるんじゃねぇ!」
今までの口調が一変し、男らしい口調に。
それに合わせて強引に鞭を振り回して迫ってくる。
「死ね死ね死ね! 解析できねぇ奴は地獄で埋葬だ!」
炎を帯びた鞭で戒を叩く。
だが、炎も鞭も別空間に吸い込まれて消える。
「絶望しろ、アホ野郎!」
戒の姿が別空間ごと消える。
だが、直ぐに現れる。
「…ぐぎゃ…」
クレイジーウィズダムの体を裂いて戒が現れる。
狂気の愛を反転させて、クレイジーウィズダムは直ぐに完璧に再生。しかし、完璧に再生した筈の体には歪んでいる場所が幾つかある。愛の概念を何度行使しても直す事が出来ない歪み。しかも、増えていく。加速度的に増えていき、原形を残さない程グネグネに曲がる。
「か…解析…」
今の自分を解析。輪郭は過ちの影響。ピースは歪みと再生無効。だが、今回もピースが足りない。幾ら探してもこれ以上見つからない。そのせいで解析は完了しない。
だが、今回は解析できないでは済まない状態に陥る。何故かエラーと言う単語がピースとして無駄に現れる。自分が作り出した輪郭を壊して、作り上げたピースを思い出せないようにして、最後には解析の意味すら理解出来なくなる。
「何が…何でこんな事が…分からない…分からない…」
頭を抱える歪なクレイジーウィズダム。
戒が軽く蹴っただけで粉々に砕ける。
「エラーを起こしたんだ。もう戻らない」
崩れたクレイジーウィズダムの体は、地面に吸い込まれて消える。
逃げていた住民達の異変が治まる。
不安定な道も、倒壊した建物も、生死を繰り返した体も、全部元通り。クレイジーウィズダムの力が無くなったお陰だと皆気付き、勝利の歓声を上げる。後ろを振り向くと、追っていた壁のモンスターも元の壁に戻っている。だが、謙二郎は警戒を止めない。急かすように避難を開始する。
戒は、クレイジーウィズダムが消えた地面を掘り返す。吸い込まれた現象は戒が引き起こしたものではない。砕けた体の断片を探して掘るが、数m掘っても何も出てこない。あったのは、地下に続く長い穴。
警戒する謙二郎は、周囲を窺いながら全員を急かす。だが、勝利を疑わない面々は笑いながら速度を上げない。もう終わった認識を一度信じてしまったせいで謙二郎の言葉が聞こえていない。ロジェとアリスは、ソフィーの事で精一杯でそれどころではない。
「…早く…逃げなさい…早く…」
機械に戻った筈のソフィーの口が動く。
明らかな意思を持ち、言葉を紡ぐ。
「あんた達、急ぎな!」
飛び起きるソフィーに驚く面々だが、ソフィーの言葉に従順に走る自分に更に驚く。気が付けば全員が猛ダッシュ。
「ソフィーお母さん…?」
アリスの言葉に笑顔を見せ、ロジェ共々抱える。
「母さんが帰って来たからにはもう手離さないよ!」
器用に二人を抱えたソフィーは誰よりも早く走り、あっという間に先頭に立った。そして、全員を引き連れて街の外まであと一歩。
「残念で~~した」
地面から突如、クレイジーウィズダムが現れる。
茨と鎖だけで構成された体。
「全くあんなに厄介だとは思わなかったわ~」
歪んでいた体を鎖や茨に変えて捨て去り、愛の概念で失った部分を再生補填する。歪みは体を変えても、歪んだ部分を排除しても収まらない。しかし、既に持っている概念のお陰で状況相殺している。
「もう怒ったから…これからは残酷タイム! み~~んな、死んでもらうわよ」
「死に損ないのアホ野郎っ! 今度こそ私の子達は渡さない!」
ソフィーを守るように住民達が集結。
しかし、今度はソフィーが押し退けて前に出る。
「戒に返してもらった。何倍にも利子を乗せてね!」
ソフィーを中心に黄色いバリアが展開される。暖かい光を称える愛の概念。ロジェ、アリス、人間、機人、寄り添う全ての人を癒し守るソフィーの愛を具現化したバリア。
「そんなもの壊して、あ・げ・る」
変質した鎖と茨がソフィーのバリアに襲い掛かる。バリアは強固で鎖も茨も弾き返す。だが、触れた場所が紫に変色してバリアの機能が損なわれる。変色した部分が腐り落ち、触れた地面までも腐らせる。
だが、ソフィーに焦りはない。
クレイジーウィズダムもその余裕が気になる。
「…解析、分析…やっぱり出来ないわ。憎い…育鯖戒…」
「俺もお前が憎い…」
ソフィーの前に空間の歪みが現れ、戒が空間を抉じ開けるように出てくる。
戒の背中から生えている黒く歪な翼は、先程よりもかなり大きくなっている。広げれば後ろに控えるソフィー達が見えなくなるほど。そして、翼の奥には時折不可思議な空間が過る。記憶の断片のようで、過った空間には戒の姿が見える。頭を抱えている様子、拳を振り上げて怒りを堪える様子、憤怒の表情の裏で涙を流す顔がノイズのように走る様子。不可思議な空間の戒は、激しい精神的苦痛にもがいているように見える。
「何なの…これは?」
(お前は大きな過ちを犯した。思い知るんだな…傲慢に歪んだ代償を…)
クレイジーウィズダムの頭に響く声は、戒に囁いていた声と同じ。戒にとっては馴染みが深く、クレイジーウィズダムにとっては不快な声と同じ。自ずと憎しみが強くなり、気が付けばソフィーは眼中から外れていた。
戒は、引き付けるように街の外に向かって飛翔。
クレイジーウィズダムも後を追う。
「殺す殺す! お前だけは無残に千切り殺してやる!」
憎しみがクレイジーウィズダムの本質を呼び覚ます。こうなってしまっては前後不覚。戒以外の全てからの興味が消え、概念の本質である狂気を失う。概念を失っても、力を失った訳ではない。だが、概念無き力は、暴走状態に至り自身では制御できなくなる。その結果、クレイジーウィズダムの体は異常な巨大化をしていく。そして、鎖と茨で出来た巨竜へと至る。
「ぐおああああああああああっ! 殺す…ゴロス…お前…ヒヘヘ、殺して…て?」
もはやクレイジーウィズダムとは言えない。
ただの狂った巨竜。
街の形が辛うじて確認できる場所まで来ると、戒はピタリと止まりクレイジーウィズダムを待つ。耳に微かに聞こえる巨竜の雄叫び。戒は瞼を閉じて感情に割り込む声に問いかける。
「やっぱり、君なんだろ?」
(そうだぜ。ただ、もう育鯖戒じゃない。今の俺の名は、エラー。過ちの概念だ)
「会いたかったよ…」
戒は、声を聞きながら怒りの感情をゆっくり抑え、本来の笑顔を取り戻す。如何に怒りに無理が生じていたのかよく分かる清々しい笑顔。
(お前らしい顔だ。良かったぜ。もしあのまま限界を超えてしまったら一苦労だ)
「でも、そのせいで勝てるか分からなくなった…どうしよう?」
(…覚悟は出来ているんだろ? だったら、任せろ! 俺が説き伏せる! なんたって友達だからな」
エラーの声が途絶えて数秒待つと、戒の背後にアポカリプスが現れる。
「本当に良いのだな? 使えば代償は待逃れない」
「構わないよ、アポカリプス。アホ野郎は何が何でも倒さないと、また誰かが残酷に殺される」
「…良いだろう。友人に免じて一端を解放する」
アポカリプスが消えると、戒の背後に光輪が現れる。力と共に呪文が頭の中で再生される。それは、アポカリプスの力を他の要因に絡める事で代償を弱くする為。アポカリプスの力も弱くなるが、クレイジーウィズダムを倒す為なら十分。
「ぐおおおおおおおおおおっ! 殺すーーーー!」
クレイジーウィズダムの口から火球が連発される。火球には狂気の力が含まれている為、当たれば腐ってしまった挙句炎で焼却される。しかし、思考が殺戮に偏っている為、攻撃に一切の工夫が成されず真っ直ぐに向かってくるだけ。これならば、戒の全速力で回避可能。
戒は回避しながら、呪文を詠唱する。
「太古の大地に潜みし憤怒の炎、海を憎み大地を生み出し、生命を憎み命を焼き尽くす。憤怒の炎よ、今こそ全てを終わらせる時」
背後の光輪が深紅に染まり、戒の両手が炎に包まれる。
戒は回避しながら迫る火球を左手で殴り、炎を移しながら弾き返す。
「標は与える!」
弾き返された火球がクレイジーウィズダムに命中。一瞬にして全身から炎が噴き出し、暴走した思考が冷静な状態に引き戻される。
「あ…熱い…熱い熱い熱い! ぎゃああああっ! 何でこんな…」
愛の概念を使って再生を試みるが、再生よりも溶けていく速度が圧倒的に速い。鎖が融解し、茨が燃え尽きる。だが、人間サイズまで延焼が進んだら炎に包まれたまま状態維持。ただひたすらに熱く、ただひたすらに生き続ける。炎熱が永遠に続く地獄。
「それこそが、終わりの世界」
戒は炎纏う右手を天に掲げる。
光輪が右手と一体化し鋭い爪を有する手甲に変わる。
「フレイム・エンド!」
炎に包まれるクレイジーウィズダムを渾身の力で殴る。
クレイジーウィズダムを包んでいた炎が一瞬で消え、体が真っ白な灰に至る。痛みも苦しみも、怒りも狂気も、全部真っ新になって消えていく。クレイジーウィズダムは、クレイジーウィズダムではなくなった。模る全てを失った状態で個々を識別するモノは何も無い。今を表すなら、終末の残骸。
「…今、世界が終わった」
戒が指で突っつくだけで、クレイジーウィズダムだったモノは白塵になって空に消える。最後を迎えてしまえば、残るのは妙な虚しさ。勝利の余韻は無く、終わらせてしまった後ろめたさも無く、吹き抜ける風に身を任せて何も考えず無になる。
遠くで聞こえる歓声。
だが、戒の耳には届かない。
(身構えろ。代償が…来る)
エラーの言葉を最後に戒の存在が消える。
歓声を上げていた者達も誰に向かって叫んでいたのか分からなくなる。




