VOICEにかける首輪
三浦が高山の議員会館の部屋へ入ると、応接用の机の上には、すでに分厚い資料が置かれていた。
表紙には大きく、
『VOICE適正運営及び公共的責任確保法案(草案)』
と書かれている。
高山本人の姿はなかった。
代わりに秘書が立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません。高山は前の面談が少し長引いておりまして、到着が遅れるようです。先にこちらの資料を三浦先生にお渡しするよう申しつかっております」
「ああ、そうですか」
三浦は笑顔を見せた。
「いや、僕のほうが急にお願いしたんですから。お気になさらず」
そう言いながら資料を手に取る。
厚い。
しかも条文案だけではなく、制度趣旨、想定問答、海外制度との比較らしき資料まで付いていた。
「これ、結構本格的ですね」
「はい」
「僕、こういう法律の文章、読むの遅いんですよ」
三浦は少し困ったように笑った。
「高山さんが来るまでに、ざっくりでいいので教えてもらえます? 僕でも分かるように」
「私でよろしければ」
秘書が説明を始めた。
その間も、三浦の頭の中では別のことが動いていた。
――今日の午後、こんなにすぐ時間が取れた。
昨日、自分のところへ北村が来た。
その翌日に、自分から連絡が入ることを高山が予想していたかのようだった。
偶然かもしれない。
しかし三浦には不自然に思えた。
――北村が来ることを知っていた?
――いや、北村本人とつながっているとは限らない。
総デジタル庁のどこかから情報が入っている可能性もある。
あるいはVOICE運営側に高山へ情報を流す人間がいる。
いずれにせよ、この男はかなり前から準備していた。
だが三浦は、そんな疑念を一切顔には出さなかった。
元芸人の、ちょっと法律に弱いタレント議員。
秘書にまで教えてもらう政治家。
いつもの顔を作った。
*
法案の柱は8つあった。
1、重大機能追加の政府承認制
2、所管大臣による監督権
3、緊急停止命令
4、VOICE運営機構の役員人事への政府関与
5、JPKI接続の認可制
6、財務監督
7、アルゴリズム及びAI監査
8、政治的中立義務
秘書が一つずつ説明していく。
三浦は、ときどき、
「なるほど」
「それは必要そうですね」
などと相槌を打った。
最初の条文案はこうだった。
『VOICE運営機構は、国民の政治的意思形成に重大な影響を及ぼす機能を新設又は変更しようとするときは、あらかじめ主務大臣の認可を受けなければならない。』
三浦は読みながら思った。
――うまいな。
文章だけ見れば、至極まともである。
国民の政治的意思形成に重大な影響を与えるシステムなのだから、勝手に機能を追加させてよいのか。
民主主義に関わる以上、政治責任を負う政府が確認するべきではないか。
そう言われれば反論しにくい。
だが三浦には、狙いがすぐ分かった。
これまでVOICEの機能追加は、
行政システムの改善
として処理されてきた。
利用者から要望が来る。
総デジタル庁が検討する。
技術的に問題がなければ実装する。
それで済んだ。
しかし「主務大臣の認可」が必要になれば、話は変わる。
大臣へ説明する。
官房と調整する。
与党の関係部会へ報告する。
法制上の検討も行う。
場合によっては党内の有力議員が口を出す。
半年でできる機能が、1年、2年とかかる可能性が出てくる。
そして何より、
VOICEの成長が政治家の目に入る。
三浦が最も避けてきたことだった。
――俺のやり方を分かってる。
そう感じた。
*
次は緊急停止命令だった。
『内閣総理大臣又は主務大臣は、国家安全保障上の重大な危険、重大なサイバー攻撃、公共の安全その他国民生活に重大な支障が生じるおそれがある場合、VOICEの全部又は一部の機能の停止を命ずることができる。』
これも、一見すると当然に見える。
国家規模のサイバー攻撃を受けた。
外国勢力がシステムへ侵入した。
大規模障害で投票結果の正確性を保証できない。
そんな状況なら停止する必要がある。
問題は、
「その他国民生活に重大な支障が生じるおそれ」
という部分だった。
――この「その他」が怖い。
三浦は思った。
解釈次第では、いくらでも広げられる。
大規模な抗議運動がVOICE上で拡大している。
政府の重要政策に反対する運動が急速に伸びている。
社会的混乱の可能性がある。
そう政府が判断すれば、
公共の安全のため
という理屈で機能を止める余地が生まれる。
もちろん、今の政権がそんなことをするとは思わない。
問題は10年後、20年後だった。
*
JPKI接続の認可制度も同じだった。
JPKI。
公的個人認証サービス。マイナンバーカードの電子証明書を使った本人確認の仕組みだ。
VOICEにとって、ほとんど心臓部と言ってよい。
1人につき一つの政治参加資格。
実在する人物であること。
年齢。
国籍。
居住自治体。
それを保証する。
ここがあるから、VOICE上の10万票は、
10万人の実在する人間
として政治家に重く受け止められる。
もし政府がJPKI接続の認可を停止できるなら、VOICEそのものを停止しなくても影響力を奪える。
財務監督も同じだった。
表向きは、
税金を使う以上、厳格な財務管理が必要
という話である。
反対しにくい。
しかし予算を絞れば、
サーバー増強を遅らせる。
新機能開発を止める。
サポート要員を減らす。
障害対応が遅れる。
結果として、
使いにくいVOICE
を作ることができる。
利用者は減る。
制度は形だけ残る。
それでも政府は、
「VOICEを廃止していません」
と言える。
役員人事への政府関与も巧妙だった。
VOICEが将来、市民の投票によって自らの利用規則を決めるようになったとしても、実際の運営は誰かが行わなければならない。
運営委員会。
理事会。
監督委員会。
名称は何でもいい。
その過半数を政府が任命できれば、最終的な支配権は政府側に残る。
――独立させるように見せて、首輪は残す。
三浦は思った。
*
ただし、すべてが悪いわけではなかった。
むしろ三浦自身、
これは絶対必要だ
と思うものも多かった。
セキュリティ監査。
財務監査。
個人情報保護。
AIやアルゴリズムの監査。
政治的中立性。
VOICEが本当に巨大なシステムになるなら、運営側の人間が全員善人であることを前提にしてはいけない。
内部の職員が特定政党を支持するかもしれない。
外国勢力が侵入を試みるかもしれない。
特定企業と癒着する人間が出るかもしれない。
AIが知らないうちに特定の意見を優先表示する危険もある。
監督そのものは必要だった。
子供に自由だけを与えて、誰にも叱られないようにするのが正しいわけではない。
叱ってくれる大人がいることは、成長には必要だ。
三浦自身そう思っていた。
問題は、
その大人が子供の首に鎖を付けるかどうかだった。
――巧妙だな。
率直にそう感じた。
半分は正しい。
だからこそ危険だった。
*
秘書の説明が終わると、三浦は何度もうなずいた。
「いやあ、ありがとうございます」
「いえ」
「難しいですね」
資料をぱらぱらめくる。
「正直、まだ半分くらいしか分かってないかもしれません」
「そんなことはないと思いますが」
「いやいや。僕、法律家じゃないですから」
三浦は笑った。
「でも、なるほどなと思うところは多いですね。ちょっと大げさかなって気もしますけど」
「はい」
「あとでじっくり読みたいので、これ持って帰ってもいいですか?」
秘書の表情がわずかに固まった。
「申し訳ありません。それは高山に直接お聞きいただけますでしょうか」
「ああ、そうですか」
「まだ草案ですので」
「分かりました。じゃあ高山さんに聞きますね」
ほどなくして秘書が席を外した。
数分後、高山が入ってきた。
「いや、三浦さん。大変申し訳ありません」
高山は机の前まで来ると、両手を軽く机につけて頭を下げた。
「前の面談が長引いてしまいまして」
「いえいえ」
三浦も立ち上がった。
「こっちこそ、急なアポイントに対応してもらって恐縮です」
「資料はご覧いただいたようですね」
「はい。秘書さんに随分丁寧に教えていただきました」
「概ねご理解いただいたと聞いております」
――もう報告受けたのか。
三浦は内心で思った。
高山は座ると、穏やかな口調で話し始めた。
「私もVOICEについては、非常に大きな可能性を持つ仕組みだと思っています」
「ありがとうございます」
「だからこそ、ここできちんと法的な位置づけを与える必要があると思ったんです」
「なるほど」
「責任ある仕組みとして、さらに発展させる。そのための法律です」
言葉だけを聞けば、VOICE推進派である。
――俺の言質を取りに来てるな。
三浦はそう判断した。
VOICEを長年担当してきた三浦が賛成した。
そういう形にできれば、高山にとって非常に都合がいい。
「実は」
高山が続けた。
「もし三浦さんさえよろしければ、共同起案者としてお名前を頂けないかと思っていまして」
「僕が?」
「もちろんです」
高山は笑顔だった。
「VOICEに関する三浦さんのこれまでのご尽力は、党内でも皆さんご存じです」
――ほんとかよ。
「同期でもありますし、私としても昔から親近感を持っています」
――そんなに話したことないだろ。
「なにより、私は三浦さんを政治家として尊敬しています」
――急にそこまで来たか。
三浦は警戒した。
ただし。
悪い気はしなかった。
自分でも分かるほど口元が少し緩んだ。
――俺、こういうの弱いな。
「いやいや」
三浦は笑った。
「僕のほうこそ、高山先生みたいな優秀な方にVOICEへ関心持っていただけて、ありがたいですよ」
――よいしょには、よいしょで返さないとな。
「ただですね」
「はい」
「今日、初めてこの法案を拝見したばかりなので」
三浦は「初めて」を少しだけ強く言った。
「正直、僕の頭だと理解できてないところも多いんですよ」
「もちろんです」
「一度これ、持ち帰って勉強してもいいですか?」
一瞬。
本当に一瞬だけ、高山の返事が遅れた。
「もちろん、それは構いません」
笑顔は崩れない。
「ただ、この案は私1人で作ったものではなく、何人かの議員仲間とも相談して作っています」
「そうなんですか」
「三浦さんへ今日お見せしたのも私の一存ですので」
「なるほど」
「問題はないと思いますが、一応ほかの方々にも了承を取ってから、秘書に届けさせます」
「もちろん。それで結構です」
三浦は笑った。
内心では別のことを考えていた。
――尊敬しているなら、完成直前の法案を持ってくるんじゃなくて、作る段階で相談しろよ。
やはり、仲間にするつもりはなかった。
後から名前だけ借りるつもりだったのだろう。
そこで秘書が入ってきた。
「先生、次の方がお待ちです」
「ああ」
高山は時計を見た。
「もうそんな時間ですか。三浦さん、申し訳ありません。また近いうちに」
「はい。今日はありがとうございました」
三浦は席を立った。
――時間押したの、あんたが遅れてきたからだろ。
そう思った。
だが口には出さない。
部屋を出ながら、三浦は妙な満足感も感じていた。
完全に軽く見られている。
つまり、自分の演出は成功している。
――まあ、素でも同じ扱いだった可能性はあるけど。
それについては考えないことにした。
***
自分の議員室へ戻ると、三浦はすぐに机へ向かった。
高山の資料を思い出せる限り書き出した。
文章そのものを完全には覚えていない。
だが三浦は、短時間で見た情報を一時的に覚えておく能力が昔から非常に高かった。
芸人時代にも、台本を短時間で覚えるのは得意だった。
見出し。
条文の骨格。
気になった言葉。
政府承認。
緊急停止。
JPKI。
人事。
財務。
監督。
できるだけ書き出した。
30分ほどすると、ほぼ形になった。
そして1本だけ電話をかけた。
「もしもし。……今、大丈夫ですか」
*
10分後。
三浦は議員会館の喫煙所へ向かった。
そこには村田がいた。
1人だった。
秘書もいない。
三浦は何食わぬ顔で入った。
「すみません、村田さん」
「ん?」
「1本もらえます?」
「タバコを?」
「忘れちゃって」
村田は少し笑った。
「喫煙所に来てタバコを忘れてる人も珍しいな」
「ですよね」
1本差し出された。
村田がライターを取り出そうとポケットへ手を入れる。
「あ、火はあります」
三浦が自分のライターを出した。
村田が笑った。
「どうもちぐはぐだな」
「僕の人生だいたいそんな感じです」
2人で笑う。
それから三浦は、折り畳んでいた紙を渡した。
「これです」
「何だ?」
「高山さんの法案」
村田の表情が変わった。
「もらえたのか」
「いいえ」
「じゃあこれは?」
「覚えてきました」
村田は紙を見た。
「……相変わらずだな、君の記憶力は」
「今日寝たら半分忘れますけどね」
「十分だ」
村田は無言で読み始めた。
数分後。
「まあ……」
紙を折った。
「法案としては合格点だな」
「ですよね」
「露骨なことは何一つ書いていない」
「はい」
「セキュリティ。財務。政治的中立。政府責任。全部正論だ」
「でも」
「ああ」
村田は低い声で言った。
「VOICEを自由にはさせない、という意図ははっきりしている」
「僕にも首輪に見えます」
「首輪か」
「しかも、かなり丈夫な」
村田は少し笑った。
三浦が聞いた。
*
「これ、どこの部会から出すと思います?」
「デジタル部会だろうな」
「まあ、そうなりますよね」
「ただし」
「はい?」
「その日、三浦君は欠席することになるだろう」
三浦は眉を上げた。
「僕が?」
「俺が高山ならそうする」
「どうやって?」
「党務をぶつける」
「どのあたりです?」
「高山が直接動かしても不自然じゃない範囲なら……地方選だな」
村田は少し考えた。
「三浦君の選挙区周辺で候補者調整があるだろう」
「あります」
「その詰めの会議を同じ時間へ持ってくる」
「ああ」
「選挙案件なら、デジタル部会よりそっちを優先せざるを得ない」
三浦はため息をついた。
「それ、やられたら出られないですね」
「だろう」
「どうします?」
「俺が出る」
三浦は少し驚いた。
「村田さんが?」
「ああ」
「でも村田さん、普段デジタル部会なんてほとんど出てないですよね」
「だから別の議題を一つ持っていく」
「何を?」
村田は少し考えた。
「自治体間の住民サービス連携だな」
「というと?」
「最近、生活圏と行政区域が合わなくなってる」
三浦は聞く。
「病院、図書館、保育、災害避難所。隣の市の施設を使う住民なんていくらでもいるだろう」
「はい」
「ところがデジタル行政は自治体ごとにバラバラだ。住民アプリも手続きも違う」
「ああ」
「マイナンバー認証を使って、一定の公共サービスは自治体をまたいで使えるようにできないか。制度的な問題点を部会で聞いてみたい、と言えばいい」
「村田さんらしいですね」
「知事経験者が持っていっても不自然じゃないだろ」
「確かに」
「まだ生煮えだから、『皆さんの意見を聞きたい』で済む」
三浦はうなずいた。
「そこで高山案を潰せます?」
「潰すところまでは無理だ」
村田は即答した。
「高山の政治力なら、政調審議会までは持っていくだろう」
「じゃあ何を?」
「傷をつける」
「傷?」
「部会で全会一致、異論なし、という形にはさせない」
三浦は理解した。
「懸念点を議事録に残す」
「ああ。両論がある形にして上へ送る」
「それだけでも審議会で止めやすくなる」
「そういうことだ」
三浦は少し考えた。
「政調審議会が勝負?」
「そうなるな」
「村田さんも出ます?」
「出るが、この件では何も言わない」
「どうして?」
「ここで俺と君がつながっていると気づかれると、次からやりにくくなる」
三浦は黙った。
「この件1回で終わりじゃない」
「そうですね」
「俺と三浦君は、表では距離があったほうがいい」
「高山さんの視野から外れていたい?」
「ああ」
「分かりました」
村田がタバコの灰を落とした。
「上のほうへは?」
「僕から動きます」
「できるか」
「できるとは言えません」
三浦は笑った。
「でも、やってみます」
そこから2人は急にプロ野球の話を始めた。
他の議員が入ってくるまで、わざとしばらく雑談する。
1人入ってきた。
「あれ、珍しい組み合わせですね」
と言われた。
「タバコ1本たかってただけですよ」
三浦が笑った。
数分後、2人は別々に喫煙所を出た。




