政治には運もいる
数日後の夜。
三浦は、党最大派閥の領袖である酒井と会食する機会を得た。
三浦が初めて国政選挙へ出たころから支援を受けてきた派閥であり、形式上、三浦もその名簿に名前を連ねている。
もちろん酒井との2人きりの会食ではない。
若手議員を何人か集めた席だった。
酒井は三浦を比較的かわいがっていた。
元芸人という変わった経歴。
最初の選挙を金も組織も乏しい状態で戦ったこと。
タレント議員と思われながら、一つの政策だけは10年近くしつこく追い続けていること。
その辺りが酒井には面白かったらしい。
「おお、三浦」
酒井が手招きした。
「こっち来て座れ」
「あ、先生。失礼します」
三浦は隣の席へ移った。
「最近どうだ」
「何とか生きてます」
「あれだ。VOICE」
「ああ、はい」
「最近テレビでも見るようになったな」
「ちょっとずつ出るようになりました」
三浦は笑った。
「今度こそ、僕みたいな一発屋にならないよう頑張ります」
周囲が笑った。
酒井も笑ったあと、少し声を落とした。
「どうなんだ」
「何がです?」
「あれ、このままブームで終わるのか?」
三浦は酒井の顔を見た。
「高山あたりは、随分警戒して動いてるって話も聞いてるぞ」
――もうここまで来てる。
三浦は瞬時に考えた。
高山本人からか。
高山の派閥からか。
官僚側からか。
あるいは酒井の支持団体からか。
そして、酒井はどう思っているのか。
決めているのか。
まだ迷っているのか。
表情。
声。
質問の仕方。
――まだ決めてない。
三浦はそう読んだ。
「どうでしょうね」
三浦は少し首を傾げた。
「高山さん、頭いいですからね」
「ほう」
「先の先の、そのまた先くらいまで読んでる感じしますよ」
「お前は?」
「僕なんか、もっと目の前に怖いものいっぱいあります」
「何だ?」
「次の選挙ですよ」
周囲がまた笑った。
「うちの選挙区、保守系もリベラル系も新興政党が元気で。次も先生、よろしくお願いします」
三浦は頭を下げた。
「そりゃ、お前の頑張り次第だろ」
「確かに!」
三浦は大げさに頭を上げた。
「失礼しました」
笑いが起きる。
酒井は箸を置いた。
「ただな」
「はい」
「うちの支持団体からも、VOICEは慎重に進めろって言ってきてるところがある」
――そっちか。
ようやく三浦は、酒井が気にしている理由を理解した。
「“ところがある”ってことは、違うこと言ってる団体もあるんですか?」
「ああ」
酒井はうなずいた。
「経済界の一部は、むしろ便利だと言ってる」
「便利?」
「世論が読みやすいそうだ」
「ああ」
「新しい規制を出したとき、どこが反発しているのか、どの年代が反対しているのか、以前より早く分かる」
「なるほど」
「企業も商品や投資計画に使えると見てるらしい」
三浦は少し身を乗り出した。
「それなら、なおさら今すぐ止める必要なくないですか?」
「ん?」
「もう少し様子見てても」
酒井は三浦を見る。
*
「それにですね」
三浦は少し間を取った。
「仮にですよ」
「うん」
「VOICEがもっと大きくなって、国民が政策に意見を言うようになったとして」
「うん」
「それ、うちの党に不利ですか?」
酒井の目が少し変わった。
「どういうことだ」
「僕、むしろ野党のほうが困ると思うんですよね」
周囲にいた若手議員も耳を傾けた。
「野党の一部って、強い少数意見を、あたかも国民全体の声みたいに言うことあるじゃないですか」
「まあな」
「『国民は怒っています』とか」
酒井が少し笑った。
「VOICEだと数字出ちゃうんですよ」
「ほう」
「10万人反対なら10万人。100万人なら100万人」
「なるほど」
「逆に言えば、本当に大多数が反対してないことも分かる」
三浦は続けた。
「だったら、我が党は野党じゃなくて国民と直接対話すればいいんです」
「直接?」
「はい」
「うちの政策に反対が集まったら説明する。誤解なら解く。直したほうがいいなら直す」
「……」
「今まで国会対策に使ってたエネルギーを、政策作りに回せるかもしれませんよ」
酒井は黙って聞いていた。
「なんでも反対する野党の顔色じゃなくて、国民の数字を見ればいい」
そして三浦は急にトーンを落とした。
「まあ、僕が考えてることですから」
「うん」
「全然違ってるかもしれませんけど」
酒井が笑った。
「へえ」
「何です?」
「お前なりに考えてるんだな」
三浦は一瞬真顔になった。
「先生」
「何だ」
「俺だってバカじゃない!」
昔からのギャグを、少し大げさなポーズ付きでやった。
「出た出た、それそれ」
酒井が笑った。
周囲も笑う。
その笑いが収まってから、酒井が言った。
「案外、お前の言う通りかもしれんな」
三浦は何も言わなかった。
「もちろん別のシナリオもある」
「はい」
「ただ、今すぐ首輪を付けるほどの話かと言われれば……」
酒井は少し考えた。
「しばらく様子見でもいいか」
「僕もそう思います」
三浦は軽い調子で答えた。
「危なくなったら、そのとき止めればいいんですよ」
「まあ、それはそうだ」
三浦は手応えを感じた。
だが喜びすぎない。
相手は何十年も政治の世界を生きている男だ。
どこまで本音なのか。
どこまで三浦に合わせているだけなのか。
分からない。
それでも、やれることはやった。
***
数日後。
自由共和党のデジタル部会が開かれた。
三浦は出席できなかった。
村田の予想どおりだった。
同じ時間、三浦の選挙区に関係する地方選挙の候補者調整会議が設定された。
候補者の最終決定に近い会議だった。
欠席するわけにはいかない。
――やっぱりやったか。
三浦は知らせを受けたとき苦笑した。
一方、高山は部会の席で、ここまでは想定どおりだと思っていた。
三浦はいない。
VOICEについて最も細かく反論してくる可能性のある議員を外せた。
ただ1人、少し珍しい顔があった。
村田である。
しかし村田自身が議案を一つ提出していたため、不自然とは思わなかった。
*
最初に村田の案件が扱われた。
題名は、
『自治体間をまたぐデジタル住民サービスの相互利用に関する検討』
だった。
村田が説明する。
「最近、住民の生活圏と行政区域がかなりずれてきています」
資料が配られる。
「例えば、市境を越えて病院を利用する。隣の市の図書館へ行く。勤務先の自治体で子育て支援施設を使う。災害時には居住自治体ではない避難所へ逃げることもある」
議員の何人かがうなずいた。
「ところがデジタル行政は、まだ市町村単位で区切られている」
村田は続ける。
「マイナンバーによる本人確認があるなら、一部の行政サービスについて、自治体間で利用資格を相互認証する仕組みを検討してもよいのではないか」
1人の議員が聞いた。
「費用負担はどうするんです?」
「そこが難しいところです」
村田はあっさり答えた。
「だから今日は結論を求めていません」
「なるほど」
「私自身まだ生煮えです。自治体側の負担、住民情報の共有範囲、費用精算。問題点を皆さんから出していただきたい」
数人が意見を述べた。
地方交付税との関係。
個人情報。
大都市側へ利用者が集中する可能性。
村田は簡単に返した。
15分ほどで終了した。
「では、引き続き検討ということで」
部会長がまとめた。
次の議題に移る。
*
いよいよ高山の、
『VOICE適正運営及び公共的責任確保法案』
だった。
高山が説明する。
語り口は穏やかだった。
「私はVOICEの発展そのものに反対しているわけではありません」
最初にそう断った。
「むしろ国民参加を促す重要な基盤になりつつあると評価しています」
そのうえで問題を挙げる。
「ただ、国民の政治的意思形成へ大きな影響を及ぼす仕組みが、明確な法律上の位置づけを持たないまま拡張を続けてよいのでしょうか」
セキュリティ。
政府責任。
個人情報。
財政。
外国勢力による干渉。
AIの政治的偏り。
どれも否定しにくい。
高山に近い議員がいくつか質問をした。
「政府の監督が強すぎるとの批判は出ませんか」
「だからこそ、監督事項を法律で限定する必要があります」
「緊急停止命令が恣意的に使われる可能性は?」
「要件を明文化し、事後的な国会報告義務も設けることを検討しています」
回答はよどみなかった。
よく準備されている。
議論も終盤に入った。
そこで村田が手を上げた。
「一つ、よろしいですか」
高山が振り向いた。
「どうぞ」
「私はVOICEについて詳しいわけではありませんので、制度論として教えていただきたいんですが」
村田は、今思いついたような口調だった。
「この法律で守ろうとしているものは、何でしょう」
高山が少し考えた。
「国民の政治的意思形成の健全性です」
「なるほど」
「そしてVOICEの安定的な運用です」
「よく分かります」
村田は資料をめくった。
「では、政府自身がVOICEによって不利益を受ける当事者になった場合はどうなります?」
部屋が少し静かになった。
高山が聞き返す。
「不利益、とは?」
「例えば政府が進める政策について、VOICEで大規模な反対運動が起きたとします」
「はい」
「その政府がVOICEの重大機能追加を認可し、役員人事に関与し、緊急停止命令まで出せる」
村田は穏やかなままだった。
「これは、競技に参加しているチームが審判も兼ねるような形にはなりませんか?」
数人の議員が資料へ目を落とした。
高山はすぐ答えた。
「その懸念は理解できます。ただ、行政組織である以上、民主的統制は必要です」
「もちろんです」
村田は即座に認めた。
「政府の統制をなくせと言っているわけではありません」
「では?」
「監督する政府と、VOICEによって監督される政府が同じ主体になる。それをどう整理するのかです」
高山は答えた。
「国会による監視を加えることも考えられます」
「国会も当事者になりませんか」
「といいますと?」
「VOICEで国会議員の判断に反対が集まることもあるでしょう」
「……」
「政府も当事者。国会も当事者」
村田は笑った。
「誰に監督させるのが一番いいんでしょうね」
高山の表情は変わらなかった。
「最終的には、民主的正統性を持つ国会が責任を負うべきだと思います」
「それも一つの考え方だと思います」
村田は否定しない。
「ただもう一つ」
「はい」
「緊急停止の条文です」
資料を指した。
「『その他国民生活に重大な支障』という部分ですが、これはかなり広く読めませんか?」
「緊急事態に柔軟に対応するためです」
「必要性は分かります」
村田はうなずいた。
「ですが、将来の政権が大規模な政府批判を『社会秩序への重大な支障』と判断した場合、この条文でVOICEを止めることは理論上可能ですか?」
高山は少し間を置いた。
「そのような恣意的運用を防ぐため、要件の具体化は必要だと思います」
「つまり、今の草案ではまだ防げない?」
「草案ですから、そこは今後詰めるべき部分です」
「分かりました」
村田はあっさり引いた。
そして最後に言った。
「法案の趣旨には理解できるところが多いです」
高山を見る。
「だからこそ、VOICEを監督する仕組みと、政府からVOICEを守る仕組みを、同時に考えたほうがよいと思います」
その言葉は議事録に残った。
高山は答えた。
「ご指摘は重要だと思います。今後の修正検討の中で考慮します」
真正面からの衝突にはならなかった。
だが、
政府による監督強化に問題なし
という形で部会を通すこともできなくなった。
結局、
政府による監督の必要性を認めつつ、VOICEの独立性および政府自身が利害当事者となる場合の統制方法について、さらなる検討を要する
との意見を付して、政調審議会へ上げることになった。
***
報告を受けた三浦は、
「上出来ですね」
と言った。
「止めてはいないぞ」
村田は電話越しに答えた。
「十分です」
高山案が通る可能性はまだある。
三浦の感覚では、こちらがやや有利。
それでも3割、4割程度は成立する可能性が残っている。
政調審議会まで、あと数日。
三浦は酒井周辺にも追加で説明を入れた。
そして、そのころ。
三浦にとって思いもよらない神風が吹いた。
*
解散風。
別の重要法案をめぐって、政府と野党の対立が急激に激しくなった。
当時の国会は、自由共和党だけで安定多数を握っているわけではない。
連立を組む別の与党が態度を変えれば、政権運営が一気に不安定になる。
野党は政府案に強く反発した。
審議拒否も辞さない姿勢を見せる。
内閣支持率は決して高くなかったが、その法案単体については世論調査で政府案への支持が上回っていた。
総理は考えた。
――ここで国民に信を問えば勝てる。
党執行部へ、衆議院解散の可能性を伝えた。
その瞬間、党内の空気は変わった。
政策論。
制度論。
派閥間の駆け引き。
そんなものより、選挙である。
議員にとって、自分が議員でなくなれば、その先の政策など存在しない。
高山のVOICE法案も例外ではなかった。
「今これを出すのはまずい」
という声が一気に増えた。
VOICEは、すでに一定の国民支持を得ている。
そのVOICEへ、
政府の監督を強める。
停止命令を可能にする。
そう読める法案を、選挙直前に与党が出す。
野党がどう宣伝するかは目に見えていた。
『与党が国民の声を封じようとしている』
事実がどうであれ、その一言で選挙を戦われる。
党執行部にとって、得るものより失うもののほうが大きかった。
*
政調審議会は予定どおり開かれた。
しかし高山案に割かれた時間は短かった。
「趣旨は理解するが、現在は選挙を控えた極めて微妙な時期である」
「VOICEの法的位置づけについては、より幅広い議論が必要」
「急いで結論を出す案件ではない」
そんな意見が続いた。
酒井も強く反対はしなかった。
ただ、
「今やる話じゃないだろう」
とだけ言った。
最大派閥の領袖がそう言えば、流れは決まる。
高山案は否決されたわけではない。
廃案にもなっていない。
継続検討。
政治の世界では、ときにそれが最も静かな葬り方だった。
*
結果として、VOICEについては当面、従来どおりの扱いが続くことになった。
VOICE内部の利用規約。
コメント管理。
利用者向け投票。
市民会議の試験運用。
そうした内部機能については、原則として総デジタル庁とVOICE運営側の行政判断で進める。
大きな法的枠組みは変えない。
現状維持。
ただし、その「現状維持」が、VOICE側にとっては成長を続けられることを意味した。
三浦は秘書から結果を聞くと、椅子にもたれた。
「助かった……」
本当にそれだけだった。
自分が勝ったとは思わない。
村田の質問だけで止められたわけでもない。
酒井を説得できたからでもない。
解散風という偶然がなければ、高山案が通った可能性は十分あった。
「政治って、運もいるな」
三浦はつぶやいた。
*
一方、高山は結果を聞いても、表立って不満を見せなかった。
「分かりました。選挙後に改めて議論しましょう」
そう答えた。
だが執務室へ戻ると、しばらく無言で窓の外を見ていた。
あと少しだった。
VOICEは今ならまだ制御できる。
政治参加の補助的なシステムにとどめることもできる。
しかし投票機能。
市民会議。
その2つが実装されれば、性質が変わる。
行政への意見提出システムではなくなる。
政治的意思決定の一部を担う仕組みになる。
――これ以上、成長させてはいけない。
高山はそう考えていた。
ただし。
その前にやることがある。
自分の選挙だった。
どれほど立派な制度論を持っていても、落選すれば何もできない。
まず国会へ戻る。
すべては、それからだった。
*
後に海翔は、この一連の出来事について論文にこう書いている。
VOICEをめぐる最初の本格的な政治的攻防は、VOICE推進派の完全な勝利によって終わったわけではなかった。むしろ、別の政治問題――衆議院解散の可能性――によって結論が先送りされたにすぎない。
しかし、その先送りが大きかった。
政治の世界では、
何かを決めること
だけが結果ではない。
決めないことによって、既存の状態が続く。
それもまた、一つの政治的決定である。
VOICEは止められなかった。
そして止められなければ、成長する。
三浦に必要だったのは、勝つことではなかった。
時間だった。
あと半年。
あと1年。
国民がVOICEを使うことに慣れる。
自治体が使う。
企業が見る。
市民団体が使う。
保守もリベラルも利用する。
一度そこまで社会へ根を張れば、後から引き抜くことは難しくなる。
この時、高山が失ったのは一つの法案ではなかった。
VOICEをまだ簡単に止められたかもしれない、わずかな時間だった。




