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VOICEは止まらない

 2045年4月。

 海翔は、父グリフが日本に作った農園にいた。社会人2年目だった。

 日本が事実上の海上封鎖を受けてから、もうすぐ2か月になろうとしている。

 学校は全国的に休校になっていた。

 海翔の会社も、出社を強制してはいない。

 名目上はリモート勤務だった。

 朝、パソコンを立ち上げる。

 社内システムへログインする。

 メールを確認する。

 上司から、

 「本日は自宅待機を基本としてください」

 という連絡が届く。

 それで終わる。

 まだまだ若手である海翔に、この状況で任せられる仕事などほとんどなかった。

 研修。

 会議。

 顧客訪問。

 新規案件。

 すべて止まっている。

 会社も社員をどう扱えばいいのか分からないのだろう。

 給料だけは、今のところ振り込まれている。

 そのことが、かえって不安だった。

「これ、いつまで続くんだろうな……」


 一度、ルンザットへ移ろうかとも考えた。

 自分はともかく、妹の里奈だけでも両親のもとへ戻したい。

 しかし空路は事実上止まっていた。

 民間航空機が自由に日本の空を飛べる状況ではない。

 船も同じだった。

 結局、2人は日本に残った。

 東京より地方のほうがまだ食料事情がよい。

 そして父の農園なら、少なくとも食べるものはある。

 海翔は里奈を連れ、ここへ移っていた。


 *


 農園は、かつて父が住んだ倉沢町の近くにあった。

 経営を任されているのは、父の古い知人、上村だった。

 海翔が畑から戻ると、上村も軽トラックから降りてきたところだった。

「街、どうでした?」

 海翔が聞いた。

 上村は暗い顔をした。

「駄目だな」

「そんなに?」

「店に食い物がほとんどない」

 東京では餓死者が出始めた。

 そんな噂まで広がっているという。

「本当かどうかは分からん」

「VOICEにも確定情報は出てませんね」

「ただ、配給所へ行っても、日ごとに量が減ってるらしい」

「この辺はまだ農村だから」

「ああ」

 上村は畑を見る。

「米も野菜もある。農家同士で融通もできる。だから今すぐ飢える人はいない」

「都市部は……」

「きついだろうな」

 特に、貯金のない人。

 高齢者。

 ひとり親。

 働けなくなった人。

 それまで社会の端にいた人ほど、危機が始まると最初に押しつぶされる。


 *


「春子さんには会ってきた」

「元気でした?」

「九十三の割にはな」

 春子は、海翔にとって大叔母にあたる。

 夫の藤田敏夫は5年前に亡くなっていた。

「相変わらずだった?」

「ああ」

「良かった」

 上村が笑った。

「総一郎さんが生きてたら、街歩いてるロボット全部倒しに行ったかもしれんな」

「いやいや」

 海翔も笑った。

「さすがにロボットはやめたほうがいいですよ」

「総一郎さんなら言うだろ。“機械っこに負けてたまるか”って」

「言いそうですけど」

 曾祖父の総一郎夫妻も、すでに他界していた。

 かなり強烈な人物だったらしい。

 父方の祖父ディオも亡くなっている。

 祖母涼子が亡くなった翌年だった。

 海翔が子供だったころ知っていた大人たちも、少しずついなくなっていた。


 *


 冗談を言ったあと、上村は声を低くした。

「でも、本当に襲ったやつはいる」

「ロボットを?」

「ああ。数週間前」

「ニュースに出てたやつですか」

「多分な」

 数名の集団が、監視用の人型ロボットへ攻撃を加えた。

 誰だったのかは分からない。

 単なる住民だったのか。

 極端な思想を持つ集団だったのか。

 あるいは、民間人を装った自衛官だったのではないかという噂もある。

 証拠はなかった。

「ロボット、武器持ってないんですよね」

「少なくとも、見える武器はな」

「反撃されたって」

「ああ」

 攻撃を受けた場合には、相手を無力化するための装備があるらしい。

「電気を使った制圧装置だったって聞きました」

「そうらしい」

「死んだ人も?」

「何人かいるって噂だ」

 出力の問題だったのか。

 転倒した際の負傷だったのか。

 元々の持病だったのか。

 詳細は明らかにされなかった。

「翌日、その周辺のロボット増えましたよね」

「ああ」

「何倍も」

「向こうは余裕があるんだろうな」

 人間なら、兵士を増やせば負担も増える。

 食料。

 宿泊施設。

 疲労。

 交代。

 だがロボットなら事情が違う。

 その事実が、日本人に与えた心理的な圧迫は大きかった。


 *


 遠くでベルが鳴った。

「飯だ」

 上村が振り返る。

「戻ろう」

「はい」

「ジョコの料理が食えるだけ、ここは恵まれてる」

 ジョコ。

 かつて父グリフが倉沢でレストランを経営していたころ、その片腕だった男だ。

 今はこの農園で働いている。

「今日は何ですかね」

「昨日、鶏を1羽つぶしてたぞ」

「おお」

「東京で聞かれたら殺されそうな会話だな」

 2人は苦笑しながら食堂へ向かった。


 *


 食事のあと。

 海翔は部屋へ戻った。

 里奈と同室だった。

 本当は別々の部屋を使いたかったが、農園には避難してきた人も多い。

 贅沢は言えない。

「里奈」

「何?」

「飯食った?」

「食べたよ」

「母さんと連絡取れた?」

「うん」

 里奈はスマートフォンを置いた。

「元気ってだけ送った」

「父さんも?」

「農園で忙しいって」

「向こうは平和なんだろうな」

「こっちよりは」

 少し沈黙した。


「政府、何もしてくれないのかな」

 里奈が言った。

「何もしてないわけじゃないよ」

 海翔は答えた。

「アメリカの代表団、ずっと東京にいるらしい」

「交渉?」

「多分」

「何を話してるか分からないけど」

「外交だからな」

 里奈は少し考えた。

「こういうときって、VOICEあんまり役に立たないね」

「ああ」

 海翔も認めた。

「何でも公開すればいいってわけじゃないからな」

「軍事とか外交とか?」

「交渉途中の条件を全部公開したら、相手にも手の内分かるだろ」

「そうだよね」

「こういうときは、政治家に任せるしかない」

 里奈が少し笑った。

「VOICEの論文書いた人が言うと面白い」

「VOICEだって、政治家いらないって制度じゃないから」

「そうだったね」


 海翔は少し考えた。

「でも、何もしてないわけじゃないと思う」

「VOICEが?」

「ああ」

「何してる?」

「治安」

「治安?」

「この状況なのに、デマが意外と少ないだろ」

 確かに。

 食料がない。

 外国の軍隊がいる。

 正体の分からないロボットが歩いている。

 普通なら、

 中国人が井戸へ毒を入れた。

 外国人が食料を奪っている。

 ○○県で暴動が起きた。

 そうした噂が広がってもおかしくない。

 しかしVOICEでは、本人確認された自治体、医療機関、住民から情報が集まり、怪しい情報にはすぐ確認が入る。

「何が本当か分かるだけでも違う」

「そうかも」

「この農園、外国人多いだろ」

「うん」

「もしデマだらけだったら、ここも襲われてたかもしれない」

 里奈の表情が少し曇った。

「……確かに」


 *


 里奈は再びスマートフォンを取った。

 少し触ってから置く。

 今度は本を開いた。

「珍しいな」

「何が?」

「紙の本」

「最近、画面見るの疲れるんだよね」

「分かる」

 ニュース。

 警報。

 VOICE。

 会社。

 政府発表。

 すべて画面だった。

 何も起こらない紙のページに触れていたい。

 そんな気持ちは海翔にも理解できた。


 しばらくして喉が渇いた。

 海翔は水をもらおうと食堂へ向かった。

 中に入る。

 妙に人が多かった。

「何?」

 全員、テレビを見ている。

「どうしたんですか」

 上村が答えた。

「内閣が総辞職した」

「え?」

 海翔もテレビを見る。

 画面には国会議事堂。

「責任取ったってことですか」

「多分、それだけじゃない」

 上村の表情は硬い。

「新しい内閣を作る必要があるんだろう」

「何のために?」

「交渉を終わらせるためじゃないか」


 *


 報道では、即日国会が召集されるという。

 海翔はそのまま食堂に残った。

 どうせ部屋へ戻っても何もすることはない。

 途中で本だけ取りに行った。

 テレビを横目に読みながら待つ。

 数時間後。

 新しい首相の名前が読み上げられた。

 村田良英。

 海翔は顔を上げた。

「村田さん?」

 思わず口に出た。

「村田さんが総理?」


 1年以上前に書いた卒業論文を思い出した。

 村田。

 地方政治から国政へ進み。

 三浦と水面下でVOICEを支え。

 大久保政権では官房長官を務めていた。

 調整型。

 政策通。

 前面へ出るより、裏で関係者をつなぐ人物。

 この非常時に選ばれたということは、意味がある。

 そして閣僚名簿を見ると、さらに異様だった。

 前首相の大久保は当然いない。

 高山もいない。

 NINJA構想を強く推進した防衛大臣である。

 この状況で残せるはずがない。

 それどころか、政権の強硬派と見られていた政治家は、ほぼ全員消えていた。

 そして官房長官。

「野党?」

 海翔が画面を見直した。

 最大野党から選ばれている。

「挙国一致内閣?」

 近くにいた上村へ聞いた。

「どういうことなんでしょう」


「メッセージだろうな」

「誰への?」

「外」

 上村はテレビを指した。

「多分これは、新しい政策を始める内閣じゃない」

「じゃあ?」

「仲介案を受け入れるための内閣だ」

「……」

「アメリカ、中国、ロシア。もう実質的には連合国側と呼んでもいいだろう」

「降りるための内閣?」

「そう見える」

「野党から官房長官を入れたのも?」

「国会で揉めさせないためだろう」

「与野党で責任を持つ?」

「そう」

 海翔は胃の辺りが重くなった。


 さらに異例だった。

 本来なら翌日以降に発表されることが多い副大臣、政務官まで、ほぼ同時に発表された。

「あれ」

 海翔が気づいた。

「大臣以外、結構残ってません?」

「ああ」

「何で?」

「引き継ぎだろ」

 上村が答えた。

「この内閣、長くやるつもりないんじゃないか」

「暫定?」

「多分な」

「でも大臣はほとんど替えた」

「大臣は看板だから」

「強硬派を外したって見せるため?」

「そうだと思う」

 上村は続けた。

「村田さんだけいれば、これまでの交渉経緯は分かる」

「なるほど」

「実務は副大臣や政務官、官僚が引き継げば止まらない」

 海翔は名簿を追った。

「あれ」

「何」

「三浦さんいない」

「あ」

 上村も画面を見る。

「本当だ」

「三浦さん、別に強硬派じゃないですよね」

「違うな」

「村田さんとも近かったはず」

「そうだよな」

「じゃあ何で?」

「……普通に首になったんじゃないか」

「そんな」

「政治家だぞ」

 上村は少し笑った。

「仲がいいから残るとは限らない」

「でも」

「これから国民に相当厳しいことを言わなきゃならないんだろ」

「はい」

「三浦は、こういうとき頑固だからな」

「反対した?」

「分からん」

「何か言って嫌われたとか」

「十分ある」


 *


 翌朝。

 海翔と里奈はいつも通り起きた。

 農園を手伝った。

 会社も学校も止まっている今、目の前の畑のほうがよほど現実だった。

 土を運ぶ。

 苗を見る。

 収穫する。

 箱へ詰める。

 食べ物を作る。

 今の日本では、どんな高給の仕事より意味があるように思えた。


 昼前。

 農園内に呼び出しがかかった。

 全員が食堂へ集まる。

 テレビには村田新首相。

 黒いスーツ。

 白いシャツ。

 表情はほとんど動かない。

『国民の皆様に申し上げます』

 ざわめきが消えた。

『政府は、現在の危機的状況を終結させ、国民の生命と生活を守るため、米国、中国、ロシアを中心として示された国際仲介案を受け入れることを決定いたしました』

「ああ……」

 誰かが小さく言った。

 誰も驚かなかった。

 どこかで分かっていた。


 条件が読み上げられる。

 すでに海外メディアでは公表されていた内容と、ほぼ同じだった。

 NINJA関連組織の解体。

 無人兵器の製造・輸出・運用への国際監督。

 自衛隊の大規模な再編。

 一定期間の軍事活動制限。

 外国監視団の駐留。

 そして日本国憲法第9条について、これまで政府が積み重ねてきた解釈よりも厳格な運用を求める。

「自衛権まで?」

 誰かが言った。

「自衛そのものをなくすわけじゃないだろ」

 別の人間が答える。

「ただ、何が自衛かは向こうが判断するんじゃないか」

「それじゃ、自分で決められないじゃないか」

「そういうことなんだろ」


「全面降伏じゃないか」

 誰かが吐き捨てた。

 海翔は思った。

 ――降伏。

 戦争をしていたわけではない。

 宣戦布告もない。

 大規模な戦闘もない。

 それでも。

 自国の軍事政策を自分たちで決められなくなるなら。

 これは事実上の降伏と言っていいのかもしれない。


 最後に村田は告げた。

『今後3週間を移行準備期間とします』

 食堂が静かになる。

『5月1日以降、日本国政府は、新たに設置される国際統治調整機構の指令および監督のもとで行政を行います』

 誰かが深く息を吐いた。

「ああ……」

 そのため息が、食堂全体へ広がった。

 怒号はなかった。

 泣く人もいない。

 ただ。

 負けた。

 そんな空気だけが残った。


 *


 その後、村田は記者会見場へ移り、質問を受けた。

 海翔は見なかった。

「もういいや」

 部屋へ戻った。

 スマートフォンを見る。

 父から連絡がないか確認する。

 何もない。

「父さん、何してるんだろ」


 翌日。

 上村から知らされた。

「昨日の会見、見た?」

「途中まで」

「お前に関係ありそうなのが一つあったぞ」

「何です?」

「VOICE」

 海翔が顔を上げる。

「VOICE?」

「停止する」

「……」

「5月から」

 しばらく意味が入ってこなかった。

「停止?」

「ああ」

「完全に?」

「一時停止って言ってる」

「一時って、いつまで」

「未定」

「それ永久と同じじゃないですか」


 海翔は苦笑した。

「卒論、VOICEなんですけど」

「運が悪かったな」

「提出して1年しかたってないのに研究対象消えるってあります?」

「歴史学として価値上がるかもぞ」

「嬉しくないですよ」

 少しして、海翔は真面目になった。

「でも今さら止められるんですか」

「混乱はするだろうな」

「行政手続きも企業サービスもVOICE使ってるでしょう」

「だから今なんだろ」

「今?」

「社会全体が止まってる」

 上村が言った。

「学校も止まってる」

「はい」

「企業も半分止まってる」

「はい」

「行政サービスも最低限」

「ああ」

「止めるなら、今が一番混乱少ない」

 海翔は何も言えなかった。

 理屈は分かる。

 だからこそ腹が立った。


 *


 VOICEには、感傷的なスレッドが次々と立った。

 政策論ではなかった。

 懐かしい話ばかりだった。

「最初にVOICE使ったの、道路の穴の写真送ったときだったわ」

「俺は保育園の待機児童」

「うちは学校の校則」

「最初は電子署名だけだったの覚えてる人いる?」

「いる。あのころこんなでかくなると思ってなかった」

「初めて自分のコメントに官兵衛が返事してくれたとき、ちょっと感動した」

「官兵衛もう使えなくなるの?」

「やめろ。そこ一番つらい」

「《質問の範囲を指定してください》って、もう言われないのか」

「急に寂しくなった」

「俺の立てたスレ、結局賛同28人だった」

「少なっ」

「でも28人いたんだよ」

「そう考えるとすごいな」


「VOICE嫌いだったけど、無くなるって言われると嫌だな」

「分かる」

「毎日文句言ってたくせに」

「文句言える場所だったからな」

「政府の悪口書いても、本人確認されてるのに怖くなかった」

「むしろ匿名掲示板より安心だった」

「次の世代に残せなかったの、悔しいな」

「まだ終わったって決まってないだろ」

「5月になったらログインできなくなるんだぞ」

「だったら4月30日まで使おう」

「何書く?」

「ありがとう、かな」

「恥ず」

「でも俺も書く」


 最後の数日間。

 VOICEには、

 「ありがとう」

 という言葉が異常なほど増えた。

 自治体職員。

 高校生。

 老人。

 市民団体。

 会社員。

 政治家。

 匿名の利用者。

「いっぱい喧嘩したけど楽しかった」

「1回警告くらったのも今では思い出」

「私は3回」

「自慢するな」

「VOICEのおかげで、市役所に意見言っていいんだって初めて知った」

「政治って政治家だけがやるものじゃないって知った」

「また会おう」

「どこで?」

「知らん」

「じゃあ、どこかで」


 *


 4月30日深夜。

 最後まで残る人も多かった。

 海翔はそこまで付き合わなかった。

 午前0時前にスマートフォンを置いた。

「見届けるのも嫌だな」

 寝た。


 *


 5月1日。

 朝。

 目が覚める。

 癖でスマートフォンを取った。

 VOICEのアイコンを押す。

 白い画面。

 数秒。

 表示された。

 《現在、VOICEのサービスは利用できません。》

 それだけ。

「……本当に終わった」

 海翔はしばらく画面を見ていた。


 *


 そのころには海上封鎖も解除され始めていた。

 商船が少しずつ戻る。

 航空路も限定的ながら再開する。

 食料も入ってきた。

 生活はゆっくりと戻りつつある。

 その代わり。

 日本の政府は変わった。

 国会は存在している。

 内閣もある。

 裁判所もある。

 地方自治体も動いている。

 日本の法律も、基本的にはそのまま有効だった。

 ただし。

 その上に、

 国際統治調整機構

 が置かれた。

 重要政策について、日本政府はその指令に反することができない。

 軍事。

 外交。

 情報通信。

 一部の治安政策。

 それらは、事実上の承認制になった。

 海翔はニュースを見ながらつぶやいた。

「占領じゃん」

 少し考える。

「100年ぶりか」


 *


 それから数日後。

 奇妙な噂が流れ始めた。

 《VOICEが再起動した。》


 最初は民間SNSだった。

 「VOICEが戻った」

 海翔は笑った。

「偽物だろ」

 似たサイトを作るくらい簡単だ。

 ところが投稿が増える。

「本物っぽい」

「前のアカウントで入れた」

「官兵衛もいる」

「嘘だろ」

「マジ」

 URLが貼られていた。

 海翔は迷った。

「……踏むか?」

 少し危険な気もする。

 だが我慢できなかった。

 押した。


 *


 読み込み。

 長い。

「遅いな」

 さらに待つ。

 そして。

 見慣れた画面が現れた。

「え?」

 VOICE。

 以前と同じトップ画面。

「嘘だろ」

 ログインを押す。

 本人確認。

 少し待つ。

 画面が変わった。

「……開いた」

 海翔は声を上げた。

「おお!」

 里奈が隣の部屋から顔を出した。

「何?」

「VOICE!」

「え?」

「動いてる!」


 トップ画面の最上部には、運営からの声明が固定表示されていた。

 海翔は読んだ。

 ---

 VOICE運営継続に関する声明

 現在、日本国の行政機関は、国民による通常の政治的意思決定のみを基礎として運営されている状態にはありません。

 VOICEは、現行政府の法的存在そのものを否定するものではありません。

 一方で、現在の政府判断が、日本国民の自由な意思のみを反映したものではないことも明らかです。

 このためVOICEは、国民による意思表示、議論および社会的合意形成のための機能を継続します。

 行政機関、自治体、公共機関その他の組織に対しては、法令および各自の責任の範囲内で、VOICE上に示された国民意思を可能な限り尊重することを求めます。

 VOICEは、いかなる外国政府または国内政治勢力にも属しません。

 また、武力による抵抗を呼びかけるものでもありません。

 私たちが継続するのは、

 話し、考え、選ぶための場所です。

 ---


 *


 海翔は最後の一文を何度も読んだ。

「やるなあ……」


 国際統治機構側は激怒した。

 当然だった。

 VOICEを停止させた。

 翌週、何事もなかったように復活した。

 しかも、

 現在の政府は国民意思を十分に代表していない

 と世界へ向けて宣言したのである。

 放置すれば、統治機構の威信に関わる。

 世界中が見ている。

 VOICEを止める作業が始まった。


 しかし止まらない。

 一つの接続先を遮断する。

 しばらくすると別の接続先が現れる。

 そこを閉じる。

 また別の場所へ移る。

 政府側が把握できる国内設備だけで完結していないらしい。

 海外にも分散している。

 民間設備。

 研究機関。

 どこまで広がっているのか分からない。

 さらに厄介なことに、本人確認基盤の一部も、前年までに政府から独立した管理組織へ移されていた。

「これ……」

 海翔は思った。

「父さんたち、ここまで予想してたのか?」

 分からない。

 ただ、結果として。

 政府を止めればVOICEも止まる。

 という構造ではなくなっていた。


 統治側は次の手を取った。

 国民へVOICEの利用停止命令を出した。

 違法サービスへのアクセス禁止。

 利用者への警告。

 企業には接続遮断を求めた。

 しかし。

 現場は動かなかった。


 ある利用者がSNSへ投稿した話が有名になった。

「警察官に職質された」

「VOICE見てたんですかって聞かれた」

「何て答えた?」

「似てるけど違うアプリですって」

「通ったの?」

「警官が画面見て」

 そのあとのやり取りまで書かれていた。

『これ、VOICEですよね』

『違います』

『……かなり似てますけど』

『偶然です』

『そうですか』

『はい』

『じゃあ、仕方ないですね。失礼しました』

「絶対警官も分かってるだろwww」

「取り締まる気ゼロ」

「警官も使ってたりして」

 似た話は各地で出た。


 警察には警察の論理がある。

 昨日まで合法だったサービス。

 何千万人も利用していたサービス。

 詐欺でもない。

 暴力を呼びかけているわけでもない。

 ただ政治について話している。

 それを今日から捕まえろと言われても。

 現場の警察官が積極的になれないのも無理はなかった。


 *


 統治機構は業を煮やした。

 異例の措置に出る。

 在留外国部隊の一部へ、緊急治安維持権限が付与された。

 軍服ではない。

 新たに作られた統一制服を着用する。

 表向きは、

 国際治安支援隊

 と呼ばれた。

 日本人は別の名前で呼んだ。

 新警察。


 新警察は、日本の警察よりはるかに強硬だった。

 特別令状。

 企業への立ち入り。

 家庭への捜索。

 通信端末の確認。

 VOICEの利用が疑われれば、事情聴取。

 抵抗した者は拘束。

 現場で負傷者も出た。

 さらに行政は、

 VOICEの運営者や大規模利用者を知っている場合には情報提供するよう求めた。

 街の空気が変わった。

 昨日まで隣人だった人を、

 この人はVOICEを使っているのではないか

 と見る。

 それこそVOICEが長年避けようとしていた社会だった。


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