100年後の世界平和
「で、その劉と」
グリフが何事もなかったように話を戻した。
「日本で事業始めようと思ってる」
「え?」
海翔が言った。
「父さん、初耳なんだけど」
「初めて言ったからな」
「そういう問題?」
三浦が聞いた。
「何やるんだ?」
「農園」
「農園?」
「観光農園にする」
三浦がまじまじとグリフを見た。
「その年で?」
「何だよ」
「劉ってのはいくつ?」
「俺より一つ下だったかな。六十二か六十三」
「2人ともじじいじゃねえか」
「お前もだろ」
「俺は農業しない」
「俺だって全部自分で耕すわけじゃない」
「若いの連れてくるのか?」
「ルンザットから何人か」
「日本人は?」
「募集する」
「外国人も?」
「入れたい」
三浦が言った。
「多国籍農園か」
「いや」
グリフは少し笑った。
「無国籍と名乗るつもりだ」
*
「無国籍?」
「国籍をなくすわけじゃないぞ」
「それは分かる」
三浦は少し考えた。
「言いたいことも、なんとなく分かる」
「何で今なんです?」
海翔が聞いた。
「こんなに外国人に警戒感が出てる時期に」
グリフが答えた。
「今だから、でもある」
三浦が眉を上げた。
「何が狙いだ」
グリフは少しだけ恥ずかしそうに笑った。
「世界平和」
沈黙。
三浦がグリフを見る。
「……は?」
「世界平和」
「聞こえたよ」
「じゃあ聞き返すな」
「冗談だろ」
三浦は笑おうとした。
「笑えねえぞ」
海翔は黙った。
父の口調は、ふざけていなかった。
「本気なのか?」
三浦が聞いた。
「本気」
「今、下手したら戦争になるかもしれない時期だぞ」
言ったあと。
三浦自身が止まった。
グリフも海翔も黙る。
「戦争になるのか?」
グリフが静かに聞いた。
三浦は一瞬だけ目をそらした。
「いや」
すぐに笑った。
「今の無し」
「政府高官が言ったぞ」
「聞かなかったことにして」
「もう聞いた」
「冗談だよ、冗談」
海翔は何も言わなかった。
だが胸の中がざわついた。
政府高官の口から、自然に出た“戦争”という言葉。
冗談として片づけるには、少し重かった。
*
グリフは続けた。
「俺だって、明日世界平和が実現するとは思ってない」
「当たり前だ」
「政府が今やってる備えも必要だと思う」
三浦が少し意外そうに見る。
「NINJAも?」
「必要ならな」
「平和主義者が防衛強化を認めるのか」
「平和主義と無防備は別だろ」
グリフは答えた。
「殴られないように備えることと、殴り合いそのものを減らすことは両方できる」
三浦は黙って聞いた。
「俺たちが目指すのは100年後だ」
「100年?」
「ああ」
「お前も俺もいないぞ」
「だからいい」
「何がいいんだ」
「結果を自分の手柄にしようとしなくて済む」
三浦は少し笑った。
「それは確かにな」
「100年後、今より戦争が少ない世界にする。そのために、今できることを少しやる」
*
三浦は腕を組んだ。
「思想としては分かる」
「お」
「ただし」
急に政治家らしい口調になった。
「実現可能性については慎重な検証が必要だと思います」
海翔が吹き出した。
「三浦さん、急に国会答弁みたいになってます」
「あ」
三浦も笑った。
「ごめんごめん」
「副大臣に染まってるぞ」
「嫌だなあ」
三浦はビールを飲んだ。
「で、その無国籍観光農園が、どう世界平和になるんだよ」
グリフは説明を始めた。
「戦争の原因って、いろいろあるだろ」
「ああ」
「領土」
「あるな」
「資源」
「ある」
「政権維持」
「ある」
「宗教」
「ある」
「民族」
「それもある」
「その中で、民族とか国民同士の対立を少しでも弱くできないかと思った」
三浦が聞く。
「農園で?」
「接触仮説って知ってる?」
「聞いたことはある」
海翔は知らなかった。
「何それ」
「社会心理学の考え方だ」
グリフが言った。
「簡単に言うと、偏見を持ってる集団同士でも、実際に個人として接触して、一緒に活動すると偏見が弱くなることがある」
「友達になれば仲良くなる、みたいな?」
「もっと条件がある」
「条件?」
「ただ会わせればいいわけじゃない」
グリフは指を折った。
「同じ立場に近いこと」
「うん」
「共通の目標があること」
「うん」
「競争だけじゃなく協力すること」
「うん」
「あと、それを周りの制度や組織がちゃんと支えること」
三浦が言った。
「なるほど」
「だから、イベントで1日一緒に飯食って、“国際交流しました”だけじゃ弱い」
「農園なら?」
「一緒に働く」
「野菜作る」
「客を呼ぶ」
「売上出す」
「失敗したら一緒に困る」
「成功したら一緒に儲かる」
「そういうこと」
*
海翔にも、何となく分かった。
学校の交流会で、
仲良くしましょう
と言われるより。
一緒に店を回して、
「今日売上やばいぞ」
「雨だから客来ない」
「じゃあSNSで宣伝しよう」
「収穫間に合わない」
「みんなでやるぞ」
そんなことをしているほうが、人間関係はできそうだった。
「しかも実利がある」
海翔が言った。
「そう」
「仲良くすること自体が目的じゃない」
「そこが大事だと思ってる」
三浦が笑った。
「世界平和より先に、農園黒字化しろよ」
「当然だ」
「赤字で民族対立したら笑えないぞ」
「それは最悪だな」
三浦が聞いた。
「じゃあ、お前ら家族も日本に戻ってくるのか?」
「いや」
「違うの?」
「農園が安定したら、別のことをやる」
「何」
グリフはさらりと言った。
「VOICEを世界に広げる」
三浦がビールを吹き出しかけた。
「おい!」
むせる。
「大丈夫ですか」
海翔がティッシュを渡した。
「そういう奇抜なこと言うの、俺の役割だったろうが!」
「いつの話だ」
「キャラ取るなよ!」
*
グリフは笑った。
「農園だけで戦争なくなるなんて思ってない」
「そりゃそうだ」
「そもそも民族対立がなくても戦争は起きる」
三浦の表情が少し戻った。
「そうだな」
「むしろ普通の人間は、戦争するほど外国人を憎んでないと思うんだ」
「……まあ、そうかもしれない」
「中国人全員を殺したい日本人がどれだけいる?」
「ほとんどいないだろうな」
「逆も同じだと思う」
「中国人全員が日本人を殺したいわけじゃない」
「当たり前だ」
「じゃあ、なんで戦争になる」
三浦は答えなかった。
グリフは続けた。
「21世紀にもなって、大きな国同士が戦争したら、勝った側だって大損するって分かってる」
「経済的にはな」
「兵士は死ぬ」
「ああ」
「民間人も死ぬ」
「ああ」
「貿易も止まる。投資も逃げる。インフラも壊れる」
「そうだな」
「それでも起きる」
「起きる」
「だったら、国民同士が憎み合ってるからだけじゃ説明できない」
三浦が少し考えた。
「指導者?」
「俺は、そこが大きいと思ってる」
*
グリフの考えはこうだった。
民主主義の国でも、選挙は数年に一度しかない。
選挙の時点では、
外交。
経済。
社会保障。
治安。
さまざまな争点をまとめて1人の政治家、一つの政党へ託す。
国民が、
「この人に戦争を始めてほしい」
と思って投票しているとは限らない。
むしろ、そんな人は少数だろう。
だが選挙と選挙の間には、政治家へ大きな裁量が委ねられている。
国際危機が起きる。
情報が限られる。
指導者が、
「今行動しなければ国が危険だ」
と言う。
戦争が始まる。
一度始まれば、自国兵士が死ぬ。
相手国から攻撃される。
その瞬間から、
「相手が悪い」
という感情は強くなる。
国民同士の憎悪は、戦争の原因であるだけでなく、戦争の結果として作られることもある。
*
「だからVOICE?」
三浦が聞いた。
「ああ」
「選挙と選挙の間にも国民が意思を示せるようにする」
「そう」
「開戦するかどうかを国民投票にするのか?」
「そこまで単純じゃない」
グリフは首を振った。
「軍事には秘密もあるし、緊急事態もある」
「だよな」
「でも政府が何を恐れてるのか、国民がどこまでリスクを取る気があるのか、それを日常的に確認できる仕組みは作れる」
「なるほど」
「指導者の思い込みと、国民の意思が離れすぎるのを防ぐ」
「それで戦争が減る?」
「少しは」
三浦は苦笑した。
「“少しは”かよ」
「100年計画だからな」
三浦はしばらく黙っていた。
そして言った。
「かなり楽観的だぞ」
「分かってる」
「お花畑と言われても仕方ない」
「それも分かってる」
「独裁国家ならVOICEなんか導入しない」
「そうだな」
「導入したとしても政府が操作するかもしれない」
「あるな」
「国民自身が戦争を支持する場合もある」
「ある」
「ナショナリズムが強くなったら、VOICEが逆に戦争を後押しする可能性だってある」
「ある」
三浦は眉をひそめた。
「全部認めるのかよ」
「認めるよ」
「じゃあ駄目じゃん」
グリフは笑った。
「だから100年なんだよ」
三浦が止まる。
*
「最初から完成品を世界に持っていくつもりはない」
グリフは言った。
「日本だって、いきなり今のVOICEになったわけじゃない」
三浦は黙っている。
「最初は電子署名だった」
「ああ」
「そのあと自治体」
「ああ」
「市民会議」
「ああ」
「政治資金」
「……ああ」
「失敗しながら変わった」
三浦が笑った。
「それを世界規模でやるって?」
「100年くらいあれば」
「お前、自分が死ぬの利用して無責任なこと言ってないか?」
「結果が出るころには文句言われなくて済む」
「卑怯だな」
「でも」
グリフは少し真面目な顔になった。
「始める前に、お前には話しておきたかった」
三浦の笑顔が消えた。
「俺に?」
「ああ」
「何で」
「VOICEを作ったのは俺だけじゃないからな」
「俺が作ったわけでもないぞ」
「俺とお前と、あと何万人かで作った」
「何万人まで増えた」
「今じゃ何千万人か」
三浦は小さく笑った。
「それなら俺の許可はいらんだろ」
「許可じゃない」
「じゃあ?」
「報告」
それだけ言った。
*
海翔は黙って聞いていた。
たぶん。
父は三浦にだけ話したかったのではない。
自分にも聞かせたかったのだろう。
面と向かって息子に、
「俺は残りの人生で世界平和を目指す」
と言うのは、さすがに恥ずかしい。
三浦を呼び。
酒を飲み。
昔話をして。
その流れで言う。
いかにも父らしかった。
三浦が聞いた。
「どこから始める」
「まずインドネシア」
「まあ、そこだよな」
「あとフィリピン」
「うん」
「ベトナム」
「その3つ?」
「日本に働きに来てる人が多い」
「ああ」
「日本に住んだ経験がある人なら、VOICEを知ってる可能性も高い」
「持って帰ってもらう?」
「そういう人も使える」
「政府は乗るか?」
「最初から国政じゃない」
「やっぱり?」
「日本と同じだ。小さいところから始める」
三浦が少し笑った。
「それなら、お前らしいな」
*
「劉は?」
三浦が聞いた。
「その劉ってやつも賛成してるのか」
「ああ」
「中国籍なんだろ」
「そう」
「中国にVOICE持っていく気か?」
グリフは笑った。
「あいつは俺よりすごいぞ」
「何が」
「中国を民主化するって言ってる」
沈黙。
三浦が真顔になった。
「馬鹿なの?」
「俺も言った」
「死ぬぞ」
「それも言った」
「何て?」
「ヤバくなったら逃げるから大丈夫だって」
三浦は両手で顔を覆った。
「大丈夫じゃねえよ……」
海翔も思った。
――劉って人、多分おかしい。
*
60を過ぎた男が2人。
1人は、
100年後の世界平和。
もう1人は、
中国の民主化。
を始めようとしている。
高校生だったころの自分なら、
――変なじいさんたち。
で終わったと思う。
だが。
今の海翔には、少し違って聞こえた。
もし。
本当に100年後。
戦争が今より少なくなっているとして。
そこに父たちが始めた何かが、ほんの少しでも残っているのなら。
自分にも何かできるかもしれない。
「父さん」
「何だ」
海翔は言いかけた。
――俺も手伝う。
だが4月から就職する。
まだ社会人にもなっていない。
そのとき。
「海翔は」
三浦が先に言った。
「まず社会勉強してからだな」
「……何で分かったんですか」
「顔」
「そんな分かりやすい?」
「親父に似てるからな」
グリフが笑った。
*
三浦は立ち上がり、部屋の中をゆっくり見回した。
机。
壁。
窓。
昔と大きくは変わっていない。
「ああ……」
懐かしそうに言った。
「ここだったな」
「何が?」
海翔が聞く。
「最初のころ」
三浦は窓際を指した。
「ここにスマホ置いて」
今度はテーブルを見る。
「グリフと2人で配信した」
「そんなことしてたんですか」
「してたよ」
誰も見ていないような配信。
金もない。
組織もない。
政治経験もない。
ただ、
国民がもっと政治に話をできる国にしたい
という話だけをしていた。
三浦は小さく笑った。
「あのときはさ」
「うん」
「こんなことになるとは思ってなかったな」
グリフも部屋を見た。
「ああ」
「VOICEなんて名前もなかった」
「なかったな」
三浦はしばらく黙っていた。
それからグリフを見る。
「で、今度は世界か」
「そうなるな」
「話がでかくなりすぎなんだよ」
「お前に言われたくない」
2人は笑った。
海翔は、その2人を見ていた。
何かが始まるときというのは。
案外、こんなものなのかもしれない。
大きな会議室でもない。
国家的な宣言もない。
立派な計画書もない。
昔、無名の男2人が政治配信を始めたのと同じ部屋で。
エスニック料理の皿と空いたビール瓶を前に。
60を過ぎた男が、
「100年後の世界平和を目指す」
と言った。
海翔には、それが妙に父らしく思えた。




