華は富裕層、実は庶民
海翔は卒論の続きを書いていた。
資料を開いた瞬間、少し笑った。
「この議論、好きなんだよな」
ここまで年金、人口減少、子育て、産業政策と、読むだけでも肩が凝る話が続いている。
書いている本人でさえ疲れてきた。
その点、この話は最初から軽かった。
いや。
扱っているテーマ自体は、格差是正と財源確保という、かなり重い問題である。
だが始まり方がよくなかった。
ほとんど居酒屋の会話だった。
*
「結局さ、金持ちからもっと取ればいいんだろ。持ってんだから」
「お前、自分が金持ちになっても同じこと言える?」
「ならないから大丈夫」
「その自信どこから来るんだよ」
「でも富裕層増税って、やりすぎると節税されるか国外に移るんじゃない?」
「実際そういう話あるよな」
「じゃあ税金以外で、金持ちが喜んで国に金払う方法作ればいいじゃん」
「寄付?」
「寄付って、よほど意識高くないとやらないだろ」
「じゃあ何」
「金持ちにしかもらえない何かを売る」
「国が?」
「国だから売れるもの」
そこで1人が妙なことを言い出した。
「小説で読んだんだけどさ、信長って家臣にやる土地が足りなくなって、茶の湯とか名物茶器を褒美に使ったらしいぞ」
「茶?」
「誰でも好き勝手にやれるものじゃなくして、許された武将だけ茶会やったり、価値のある茶器持ったりできる。それがステータスになったんだと」
「ほんとかよ」
「細かいところは官兵衛に聞け」
「また歴史警察に怒られるぞ」
「要するに、“物そのもの”じゃなくて“特別扱い”を価値にしたってこと」
「なるほど」
「じゃあ日本も競馬禁止にして、金持ちだけ馬券買えるようにしよう」
「やめろ!」
「何」
「俺の唯一の楽しみを少子化と財政再建の犠牲にするな」
「金持ちになればいいじゃん」
「それができたら競馬やってねえよ」
*
そこから大喜利が始まった。
「普通の人が今できることを禁止して売るのは駄目だろ」
「じゃあ最初から金持ちしか興味ないもの」
「金持ちって何欲しいの?」
「知らん」
「このスレッド、富裕層1人もいないの?」
「いたとしても名乗らないだろ」
「金持ちの気持ちを貧乏人だけで考えるスレッド」
「ひどい」
「でも、多分ステータスだろ」
「でかい家」
「高級車」
「高級時計」
「時計なんか1億とかあるらしいぞ」
「時間見るだけなのに」
「スマホで無料なのに」
「そこなんだよ。実用性を超えてることに意味がある」
「じゃあ国がその“実用性を超えた何か”を売ればいいのか」
「そう」
「国家公認の見栄?」
「言い方」
*
「総理大臣の椅子に座れる権」
「官邸で?」
「写真撮影込み」
「総理の椅子ってそんな価値ある?」
「総理経験者なら喜ばない」
「客層狭すぎる」
「皇居に泊まれる」
「それはさすがに駄目だろ」
「陛下の家を勝手に売るな」
「じゃあ迎賓館」
そこで少し空気が変わった。
「迎賓館なら一般公開してるよな」
「外国の元首とか泊まるところだろ」
「そういう場所に、一般人が国賓みたいに1泊できる」
「おお」
「それはちょっと金持ち喜びそう」
「世界中のホテル泊まった人でも、迎賓館は泊まってないだろうし」
「1泊いくら?」
「知らん」
「海外の超高級ホテルのスイートって、1泊1,000万円超えるところあるらしい」
「じゃあ1億」
「いきなり10倍」
「国賓体験込みだぞ。晩餐会風の料理、儀仗隊は無理としても専属ガイドとか」
「1億でも買う人いるかもな」
「10人で10億」
「年間300泊売れば300億」
「毎日使うなよ。本物の国賓来られないだろ」
「じゃあ空いてる日だけ」
「そのへんは後で役人が考える」
*
「300億って、生活保護何人分?」
「官兵衛」
「そこ官兵衛使う?」
「概算でいいだろ」
少しして数字が出た。
「1人あたりの生活扶助だけなのか、医療扶助とか住宅扶助込みなのかで違うって怒られた」
「やっぱり」
「仮に年間180万円くらいで割ると、1万6千人ちょい」
「1万人以上?」
「迎賓館に金持ち泊めるだけで?」
「だけって言うな。警備とか運営費あるだろ」
「でも生活保護受けてる人って100万人単位だぞ」
「え、そんなに?」
「だから迎賓館だけじゃ全然足りない」
「急に現実に戻すな」
「でも発想としては面白くない?」
「金持ちも喜ぶ。国にも金入る」
「貧しい人にも回る」
「一般会計に入れたら、何に使ったか分からなくなるよ」
「じゃあ全部、生活困窮者支援に限定」
「それなら富裕層も払い甲斐ありそう」
「『あなたの1泊で50世帯を1年支援しました』みたいに出す」
「寄付みたいだな」
「でも本人は迎賓館で豪遊できる」
「善人なのか俗物なのか分からん」
「両方でいいだろ」
そこで一つの言葉が書き込まれた。
「華は富裕層、実は庶民」
「何それ」
「見た目の華やかな特典は金持ちが取る。でも実際のお金は庶民に回す」
「ちょっと格好いい」
「信長からえらいところまで来たな」
*
「他に国しか売れないもの何?」
「国宝」
「売るな!」
「売らない。見る権利」
「博物館で見られるだろ」
「ガラス越しじゃなくて、閉館後に学芸員が一対一で解説してくれる」
「それは金持ちじゃなくても歴史好きなら欲しい」
「1回5,000万円」
「急にいらない」
「国宝を手に持てる」
「絶対駄目だろ!」
「落としたらどうすんだ」
「茶碗5億円で割るな」
「じゃあ保存上問題ない文化財限定」
「レプリカで我慢しろ」
「国立博物館を一晩貸し切り」
「それいいな」
「1億くらい取れる?」
「海外の富豪なら買うかも」
「姫路城貸し切り宿泊」
「世界遺産で寝るな」
「でも文化財保護に問題ない建物なら、限定的にはありじゃない?」
「普通入れない時間に、専門家付きで入れるとか」
「国立公園の一般立入禁止区域をガイド付きで」
「自然保護目的なのに金持ち入れたら炎上するぞ」
「人数を年間10人とかにして、その金を全部保全に使う」
「それなら議論にはなるな」
「自衛隊の戦闘機に乗れる」
「それは絶対ダメ」
「後ろの席あるじゃん」
「遊園地じゃねえぞ」
「1億払っても?」
「金の問題じゃない」
「じゃあ輸送機」
「まだ駄目だろ」
「戦闘機シミュレーターを現役パイロット指導で」
「それならありそう」
「戦車」
「お前、乗り物好きなだけだろ」
「護衛艦で1泊」
「修学旅行みたいになってきた」
「でも海外富豪には日本の自衛隊って珍しいかも」
「安全保障情報が漏れない範囲なら、基地の特別見学くらいはありそう」
*
「そういえば、今度都心部って自家用車規制されるんだろ?」
「ああ。バス、タクシー、緊急車両とか以外はかなり絞るらしい」
「じゃあ金持ちだけ通行許可証」
「お」
「年間1,000台限定」
「1台1,000万」
「安い」
「安いの?」
「フェラーリ何台も持ってる人なら払うだろ」
「じゃあオークション」
「出た」
「一番高く払った1,000人だけ、都心へ自家用車で入れる」
「特別ナンバー付けよう」
「それ絶対人気出る」
「“私は1億円払いました”って車が自分から宣伝して走るの?」
「最高の見栄じゃん」
「しかも『収益は全額生活困窮者支援です』って書いとけば慈善家アピールにもなる」
「善意と見栄のハイブリッド」
「強い」
当然、反論も出た。
「でもそれ、不平等じゃない?」
「不平等だよ」
「認めるんだ」
「だって金払った人だけ特別扱いするんだから」
「じゃあ駄目じゃん」
「そこをどう考えるかでしょ」
「何を?」
「理念と実益」
「普通の人は電車とかバス使えば都心に入れる。生活する権利を奪うわけじゃない」
「でも金持ちだけ車で行ける」
「その不公平を許せば、何百億か何千億か貧困対策に回る」
「平等を守る代わりに、その金を捨てるか」
「言い方がずるい」
「でも選択としてはそうじゃない?」
「俺に実害なければ、金持ちに好きに見栄張らせればいいと思う」
「お前は一貫してるな」
「海外のスーパーリッチからも取れない?」
「それ大事」
「国内富裕層だけだと人数限られる」
「外国人向けに何売る?」
「昔アメリカとか、投資すれば永住権取れる制度あったよな」
「日本もやる?」
「在留資格そのものを金で売るのは揉めそう」
「政治参加にもつながるから慎重にしたほうがいい」
「じゃあ権利じゃなくて体験」
「日本でしかできない体験」
「何?」
「国宝」
「また国宝かよ」
「侍」
「雑」
「本物の刀鍛冶に自分専用の刀を作ってもらう」
「それ国じゃなくてもできるだろ」
「人間国宝クラスの職人との特別文化事業」
「文化庁が間に入る」
「収益の半分は伝統文化継承」
「それなら筋いいな」
「桜の名所、一晩貸し切り」
「桜は夜中に何するんだよ」
「宴会」
「いつもの花見じゃん」
「誰もいない姫路城で夜桜とかなら海外富豪好きそう」
「撮影権込み?」
「映画でも撮れる」
「商用撮影は別料金」
「急に商売人が増えた」
「総理と夕食できる権」
その瞬間、返信が集中した。
「それは駄目」
「アウト」
「政治資金問題から何も学んでない」
「金で政治家へのアクセス権売ったら元に戻るだけだろ」
「じゃあ官僚との政策説明会」
「それも慎重に」
「政策への影響力を買えるものは除外だな」
「賛成」
「金で買っていいのは、名誉と体験まで」
「政治的権利、公的サービスの優先、司法、医療あたりは駄目」
「医療は特に駄目だな」
「金持ちだけ臓器移植優先とか絶対やるなよ」
「誰もそこまで言ってない」
「じゃあ勲章」
「金で勲章買うの?」
「それは勲章の価値なくなる」
「勲章じゃなくて別制度作ればいい」
「国家スポンサー?」
「日本文化支援者とか」
「1億円以上寄付したら“ゴールド”」
「100億円で“プラチナ”」
「ソシャゲかよ」
「官邸の壁に名前刻む」
「嫌だろ」
「国立博物館に寄付者名」
「それは今でもありそう」
「専用ナンバープレートのほうがいい」
「金持ちは見せたいんだよ!」
「富裕層への偏見がすごい」
*
海翔は読みながら笑っていた。
途中から完全に、
金持ちが何を欲しがるかを、金持ちではない人たちが勝手に想像する会
になっている。
だが、数日後。
例によって真面目な人間が現れた。
「面白いので、一度分類しませんか」
「出た、まとめる人」
「お願いします」
その人物は案を整理した。
第1群 公有資産の特別利用
第2群 希少な行政上の許可
第3群 文化・科学体験
第4群 名誉
「おお、急に政策になった」
「さっきまで戦車乗りたいって言ってたのに」
「戦車は第3群?」
「入れるな」
*
さらに試算をする人間が現れた。
迎賓館や文化施設だけなら、収入はそれほど大きくない。
数百億。
うまくいって1,000億円台。
だが都心部の限定通行権。
特別ナンバー。
文化施設の超高額貸し切り。
企業創業者などを対象にした大口の顕彰枠。
外国富裕層向けの文化・科学体験。
それらを全国規模で積み上げる。
さらに、
「市場価格を国が決めず、原則オークションにする」
という案が加わると、数字が急に膨らんだ。
「これ、本当に数兆円いく?」
「かなり攻めた条件なら」
「年間?」
「そう」
「マジ?」
「もちろん全部売れる前提だし、運営費も引いてない」
「それでもすごくない?」
「生活保護費って年間いくらだっけ」
「数兆円規模」
「じゃあ本当に全部まかなえる可能性ある?」
「理論上は」
「理論上きた」
「官兵衛が一番嫌いな言葉」
*
そして、この案にも名前が付いた。
誰かが書いた。
「国家プレミアム権でよくない?」
「ダサい」
「分かりやすい」
「プレミアムって商品券みたい」
「国家VIP権」
「もっとダサい」
「華富制度」
「中国の王朝みたい」
「じゃあ国家プレミアム権でいい」
結局、仮称として残った。
*
海翔は論文にまとめた。
この構想は、まだ本格実施されていない。
一部の文化施設で似た実証事業が始まった程度だった。
理由は、制度上の問題が多すぎるからである。
公有財産を富裕層だけに使わせてよいのか。
金銭によって特別扱いすることは、公平原則とどこまで両立するのか。
外国人へ販売する場合、安全保障上の問題はないか。
文化財を傷めないか。
富裕層向け特典が、いつの間にか政治的影響力の購入へ変質しないか。
そして何より、
一度その収入を社会保障財源として使い始めたあと、制度に問題が生じた場合、本当に廃止できるのか。
という問題があった。
年間2兆円をこの制度から得る。
その2兆円で生活困窮者を支援する。
5年後、
「やはり金持ちだけを特別扱いする制度は良くない」
となったとする。
廃止すれば2兆円が消える。
その穴を埋めるには、
増税する。
別の支出を減らす。
国債を出す。
どれかが必要になる。
理念を守るために、実際に生活している誰かへの支援を減らせるのか。
制度を始めるより、やめるほうが難しくなる可能性があった。
***
海翔はしばらく画面を見た。
平等という理念を取るのか。
金という実益を取るのか。
そんなに単純な2択ではない。
けれど、突き詰めていけば、その対立は確かに残った。
海翔は、以前アルバイトをしていたころのことを思い出した。
時給を上げてほしかった。
本当は、
――これだけ働いているんだから、向こうから上げてくれてもいいだろ。
と思っていた。
だが上がらない。
結局、自分から社員に言った。
「すみません。時給のことなんですけど……」
少し年下の社員だった。
年齢だけなら自分のほうが上なのに、その場では向こうが社員で、自分はアルバイトだった。
頭を下げた。
格好は悪かった。
だが時給は上がった。
そのとき海翔は、
格好よく生きることと、実際に財布へ入る金は別物だ
と妙に納得した記憶がある。
論文へは、さすがにその話は書かなかった。
代わりにこう入力した。
この構想が問いかけたのは、富裕層をどこまで平等に扱うべきかではなく、社会が「不平等な名誉や体験」を販売する代わりに、「生活に必要な実利」をより広く分配することを許容できるか、という問題であった。
そして、少し笑いながら付け加えた。
VOICE上では、この考え方を「華は富裕層、実は庶民」と表現する利用者もいた。
「うまいこと言うよな」
迎賓館に1億円払って泊まる人間がいて。
その金で、明日の食費に困っている家庭が助かる。
美しい制度なのか。
下品な制度なのか。
海翔には、まだよく分からなかった。
ただ一つ言えるのは、
国がお金持ち相手の商売を本気で考え始める
などという議論は、少なくとも昔の国会では、かなり口にしづらかっただろう。
VOICEでは、それを笑いながら始めることができた。




