廃校から始まる子育て
人口減少の速度を少しでも緩めるため、2040年代にはさまざまな試みが行われていた。
海翔がその中でも注目したのは、
子供を育てることによって生じる保護者の負担を、社会全体へ移していこうとする動き
だった。
人口減少への対応は、それだけではない。
外国人労働者の受け入れも拡大していた。
もちろん、無制限に受け入れるわけではない。
在留資格。
日本語教育。
社会保険加入。
家族帯同。
受け入れ企業の責任。
地域ごとの受け入れ能力。
そうした条件を設けながら、必要な分野では積極的に受け入れる方向へ政策が変化していた。
理由は単純だった。
人が足りない。
建設。
介護。
物流。
農業。
製造業。
地方の公共交通。
道路や上下水道などのインフラ維持。
日本人だけで現在の社会機能を維持することが、徐々に難しくなっていた。
外国人は労働力であると同時に、日本国内で生活し、物を買い、家賃を払い、税や社会保険料を納める生活者でもある。
人口減少による国内市場の縮小を、わずかでも緩和する存在としても見られるようになった。
社会保障についても制度整備が進んだ。
日本は外国人労働者の主要な送り出し国との社会保障協定を少しずつ広げていた。
日本で一定期間働いた人が帰国したあとも、加入期間を無駄にせず将来の年金へ結びつけやすくする。
日本円で受け取る年金は、帰国先の物価水準によってはかなり大きな意味を持つ場合もある。
それ自体を、
日本で合法的に長く働く一つの利点
として説明する国も出ていた。
しかし、外国人を受け入れても、日本人の出生数そのものが増えるわけではない。
人口減少を完全に止めることは難しい。
そこでVOICEでは、
「少なくとも、子供を持ちたい人が、金や仕事を理由に諦めなくてもよい社会にはできないか」
という議論が繰り返されていた。
*
VOICEと従来の行政との違いは、こうしたところにも現れていた。
官僚が新しい制度を作る場合、まず失敗しないことを考える。
もちろん、すべての官僚が保守的という意味ではない。
行政には税金を使う責任がある。
法的根拠が必要になる。
公平性を説明しなければならない。
制度を作る前には需要を予測し、予算を積算し、関係省庁と調整する。
実施した結果が悪ければ、
「なぜ最初から分からなかったのか」
と国会で追及される。
野党。
メディア。
会計検査。
国民。
失敗した政策には、必ず誰かが責任を求められる。
だから少なくとも計画段階では、
「当時の情報では、この判断は合理的だった」
と説明できるだけの準備が必要になる。
一方、VOICEの市民提案には、その重さがなかった。
提案した市民が大臣になるわけではない。
失敗すれば、
「これは駄目だったな」
「じゃあ次はこうしよう」
で済むことも多い。
もちろん税金を使う段階になれば行政側の審査は入る。
だが、
アイデアを出す段階では、失敗を恐れる必要がない。
そのため、ときどき行政からはまず出てこないような提案が飛び出した。
*
始まりは、何の変哲もない要望だった。
スレッドのタイトルは、
『学童保育の費用負担をもっと軽くしてほしい』
だった。
投稿者は小学生2人を育てる会社員の女性。
最初の書き込みも、ごく普通だった。
「学童の費用が高すぎます。国でも県でも市でもいいので、もっと補助してほしいです」
すぐに似た境遇の利用者が集まった。
「分かる。うち2人だから月10万近く飛んでる」
「10万? 民間?」
「民間。公立空いてなかった」
「それきつい」
「会社復帰できたのはいいけど、週5で学童入れたら何のために働いてるのか分からなくなる」
「うちは週2だけ時短に戻してもらった」
「時短できる会社ならまだいいよ。うちは小学校入ったら普通勤務に戻された」
「保育園より小学校のほうが大変なの何なの」
「それ。小1の壁って本当にある」
「夏休みも地獄」
「朝8時半登校なのに会社8時半始業なんだけど」
「分身するしかない」
「うちは夫が朝担当。でも夫が出張だと詰む」
「祖父母近くにいる家前提で制度作ってない?」
「学校で夕方まで見てくれたら一番楽なんだけどな」
「先生死ぬって」
「先生じゃなくて、専属スタッフ置けばいいじゃん」
「それやると、また税金がーって言われる」
「給食費無償になったけど、学童と習い事と長期休暇で結局出てく」
「子供産んだら金かかるって、そりゃみんな2人目ためらうよ」
「学童のお迎え19時までに来てくださいって言われても、その19時が無理なのよ」
「18時59分に駅から走ったことある」
「分かりすぎて泣ける」
海翔は読みながら思った。
――ここまでは、本当によくあるVOICEだな。
*
こうした要望は、珍しくない。
通常なら、この後に自治体や官兵衛から、
必要な財源
既存制度との公平性
人材確保の難しさ
などが示される。
「学童だけ無料にすると、保育園や家庭保育との公平性はどうするのか」
「全国で実施すると何兆円かかるのか」
そうした現実的な話になり、熱が少しずつ冷める。
ところが、このスレッドは妙な方向へ進んだ。
*
「学校自体はほぼ無償になったけど、そのほかで金かかりすぎじゃない?」
「だったらもう、子供にかかる費用、全部社会で持ってくれないかな」
「全部って何?」
「食費とか服とかまで?」
「そこまでいったら助かる」
「お年寄りに年金出してるなら、子供にも出していいんじゃない?」
「子ども年金?」
「それいいじゃん」
「名前だけは強い」
「月いくら?」
「子供育てるのに必要な平均額全部」
「それもう年金というより子供給付だよ」
「でも少子化対策には絶対なるでしょ」
「子供増えたら将来税金払ってくれるんだから、支出じゃなくて投資じゃない?」
「人間を投資って言い方ちょっと嫌だけど、言いたいことは分かる」
「いっそ国が子育て費用全部持つくらいやればいい」
「はい予算」
「絶対言われる」
「じゃあ税金上げたらいいじゃん」
「え?」
「全部出してもらえるなら、消費税少しくらい上がっても私はいい」
「珍しい意見きた」
「何%上げれば足りるの?」
「官兵衛聞こう」
「官兵衛。日本で18歳までの子供について、教育、保育、医療、一定水準の食費・衣服費・学童保育費などを公費で負担すると仮定した場合、追加財源は年間いくら程度必要ですか。消費税換算では何%分ですか」
*
このころの官兵衛は、初期ほど融通が利かないAIではなくなっていた。
質問が曖昧でも、
回答に必要な仮定を自分で列挙したうえで概算する
という機能が追加されていた。
官兵衛が答える。
《概算には「子育て費用をどこまで公費負担するか」の定義が必要です。以下では、18歳未満の子供について、現在すでに公費負担されている教育・医療等を除き、追加的に食費、衣服費、保育・学童、教材、学校外活動の一部など標準的な養育費を広く給付するケースを仮定します。》
《この場合、追加財政支出は年間十数兆円規模となる可能性があります。消費税1%分の税収を概算約3兆円前後と仮定すれば、おおむね消費税4~6%分程度に相当する可能性があります。》
《ただし、既存の児童手当、教育無償化、税控除等を統合する場合には必要な純増額は小さくなります。また出生数が増加した場合には支出も増えます。逆に将来の税収・社会保険料増加効果を短期財源として相殺することはできません。》
「6%くらいって出た」
「高っ」
「いや、でも全部出るんでしょ?」
「今の消費税16%はちょっと考えるな」
「私はありかも」
「本当に?」
「子供2人いて、食費、学童、服、教材、習い事の一部まで出るなら、今払ってる額より安い」
「子供いない人、納得しないでしょ」
「そこなんだよね」
「独身者増税とか言われて炎上する未来しか見えない」
「子供いない人には別の控除作るとか?」
「それやったら財源減るじゃん」
「そもそも子供が増えれば、将来年金支える人も増えるんだから、子供いない人にも利益はあるでしょ」
「将来すぎる」
「でも老後は将来じゃん」
「子供も『国のお金で育ててもらったから年金払おう』って思うかもしれない」
「うちの息子なら『もらうのは好きだけど払うのは嫌』って言うと思う(笑)」
「それはうちも」
海翔は当時のコメントを残していた。
――思いきり自分たちに都合のいい話ではある。
――でも「国が払え」だけじゃなくて、消費税増も受け入れるって言っているのは面白い。
――負担と給付をセットで比較し始めてる。
*
そこから、さらに話が飛んだ。
「私、この前久しぶりにハリポタ見たんだけど」
「急に何」
「寄宿舎いいなって思った」
「ホグワーツ?」
「そう。ああいうの」
「魔法学校作るの?」
「違う違う」
「子供が学校に泊まれるようにするってこと?」
「そう」
「えー」
「でもさ。夕飯間に合わない日あるじゃん」
「ある」
「朝も学校始まる時間に合わせて家出たら会社間に合わない」
「それは分かる」
「私、早出の日に朝7時に学校まで連れてったことある」
「先生いた?」
「いない」
「そりゃいないでしょ」
「校門前に子供置いて行くわけにもいかないし、結局会社遅刻した」
「学校7時から預かってくれたら助かる」
「先生が7時出勤になるじゃん」
「先生にやらせる必要ないでしょ。別の人雇えばいい」
「そうだよ。先生にも子供いるかもしれないし」
「朝7時から夜8時までいて、希望者だけ泊まれる学校?」
「それもう寄宿学校じゃん」
「いいじゃん」
「子供嫌がらない?」
「毎日じゃなくていいの。親が出張とか夜勤のときだけ泊まれる」
「あ、それならほしい」
「祖父母に預けられない家とか助かる」
「シングル家庭にもいいかも」
「私なんか夫婦2人とも出張の日、調整するだけで1週間くらい消耗する」
「寄宿舎あったら昔みたいに夜遅くまで飲めるし」
「目的それ?」
「大事よ」
「私、今でも月1くらい飲むけど」
「え、いいな。今度一緒に行こう。どの辺住んでるの?」
「それは言えないw」
「あ、VOICEだった」
「ですよねー」
*
海翔はそこで笑った。
「完全に井戸端会議じゃん」
政治スレッドなのか。
SNSなのか。
途中から誰も分からなくなっている。
VOICEでは珍しいことではなかった。
政策の話をしているうちに、
子供の愚痴。
夫の愚痴。
学校の愚痴。
昨日の夕飯。
酒。
そうした話へ脱線する。
だが、完全な無駄とも言えなかった。
政策の背景には、そうした生活がある。
*
普通なら、このままスレッドの下へ沈んでいく話だった。
「寄宿舎あったら便利だね」
で終わる。
しかし違ったことが一つあった。
この雑談が、公開された政治スレッドで行われていたことである。
そして、それを偶然読んだ自治体職員がいた。
*
その自治体では、数年前に廃校となった中学校を改修し、宿泊施設として再利用していた。
地域振興事業だった。
教室を客室へ変える。
体育館をイベントスペースにする。
給食室をレストランとして活用する。
校庭ではキャンプもできる。
計画段階では、
廃校を活用した体験型ホテル
として期待された。
しかし経営はうまくいかなかった。
開業直後こそ珍しさで客が来た。
テレビにも出た。
SNSでも話題になった。
ところが2年目から急速に宿泊者が減った。
学校に泊まれる。
それだけでは、一度行けば十分だった。
維持費だけが残った。
*
市役所の地域政策課にいた担当者は、その施設の処遇について頭を抱えていた。
「また赤字か……」
年度末の数字を見ながらため息をつく。
閉鎖する。
民間へ売却する。
福祉施設へ転用する。
いくつか案は出ていた。
だが校舎は大きい。
地方にある。
買い手など簡単には見つからない。
その日の昼休み。
担当者は何となくVOICEを眺めていた。
子育て関連スレッド。
自分にも小学生の子供がいたため、時々見るカテゴリだった。
そこで目に入った。
「寄宿舎あったらいい」
というコメント。
「寄宿舎?」
最初は笑った。
ホグワーツ。
飲みに行きたい。
朝7時。
夕食。
泊まり。
完全な雑談だった。
しかし読み進めるうち、担当者の手が止まった。
――待てよ。
自分が毎月赤字報告を見ている、あの廃校ホテル。
客室がある。
厨房がある。
大浴場もある。
体育館。
運動場。
学校として使われていた建物だから、子供向けの動線も作りやすい。
近隣には小学校もある。
「……使えないか?」
声に出した。
*
もちろん問題はいくらでもある。
ホテルと児童福祉施設では必要な基準が違う。
職員。
夜間の見守り。
医療。
防犯。
食事。
学校への送迎。
親権者との連絡。
事故が起きた場合の責任。
そして何より費用。
自治体単独で運営するのは難しい。
「無理だな」
一度はそう思った。
だが画面を閉じようとして、もう一度考えた。
――いや。
国は今、少子化対策の実証事業を募集している。
県にも子育て支援枠がある。
廃校活用も政府の地方再生政策に乗るかもしれない。
複数の補助制度を組み合わせれば。
全部を恒久制度として始めるから無理なのだ。
まず20人。
週末だけ。
あるいは、親が夜勤・出張などで家庭にいない日に限定する。
対象年齢も絞る。
半年。
1年。
そこで費用と事故率、子供の満足度、保護者の就業継続への効果を見る。
――実験なら。
担当者は少し姿勢を起こした。
「……できるかもしれない」
*
午後。
担当者は上司の席へ向かった。
「課長、ちょっといいですか」
「何?」
「例の廃校ホテルなんですけど」
課長が露骨に嫌な顔をした。
「また赤字増えた?」
「いや、そっちじゃなくて」
「じゃあ何」
「子供の宿泊型預かり施設にできませんか」
課長は黙った。
「……何?」
「平日は学童。夜は必要な家庭だけ宿泊」
「急にどうした」
「VOICE見てたら、そういう話が出てまして」
「VOICE?」
「はい」
「市民提案?」
「いや」
担当者は少し言いにくそうにした。
「ママさんたちが雑談してただけです」
「雑談?」
「ホグワーツみたいな寄宿舎がほしいって」
課長はしばらく担当者の顔を見た。
「君、疲れてない?」
「いや、真面目な話です」
「ホグワーツが?」
「そこは忘れてください」
*
担当者は説明した。
朝早い勤務。
夜遅い勤務。
出張。
ひとり親。
祖父母に頼れない家庭。
学童の高額化。
学校と勤務時間の不一致。
そして、赤字の廃校ホテル。
課長の表情が少しずつ変わった。
「なるほど……」
「単独予算だと無理です」
「当たり前だ」
「でも実証事業なら国に出せませんか」
「少子化対策?」
「それと廃校活用」
「二重取りは怒られるぞ」
「同じ経費を二重には取りませんよ」
「分かってる」
課長も考え始めた。
「県にも話すか」
「はい」
「学校側とも調整がいるな」
「送迎が必要です」
「児童相談関係も確認しないと」
「福祉部にも入ってもらいます」
課長は椅子の背にもたれた。
「うまくいかない可能性、高いぞ」
「はい」
「利用者集まらなかったら?」
「やめればいいです」
「簡単に言うなよ」
「ホテルの赤字を毎年出し続けるよりはいいでしょう」
課長が黙った。
「……それはそうだな」
*
海翔は、この事例を面白いと思った。
後から制度だけを見ると、
「廃校を利用した宿泊型子育て支援施設の実証事業」
という、いかにも行政が考えたような名称になっている。
有識者会議も開かれた。
補助金も出た。
安全基準も作られた。
専門スタッフも配置された。
実証結果の報告書は100ページを超えた。
しかし最初まで遡れば、
「ハリポタみたいに学校に泊まれたらよくない?」
というVOICE上の雑談だった。
海翔は論文へ書いた。
VOICEが政策形成へ与えた影響の一つに、政策課題として整理される以前の「生活上の愚痴」や「雑談」を、行政が直接観察できるようになったことが挙げられる。
そして続けた。
従来、市民の雑談が政策案になるためには、市民団体、議員、自治体への陳情、アンケート調査など、いくつもの段階を経る必要があった。VOICEでは、それらの前段階にある会話そのものが公開空間に存在した。
少し考えて、最後に一文加えた。
行政側が優れたアイデアを生み出したのではない。市民が優れた政策を考えたわけでもない。両者が偶然、同じ場所を見るようになったことで、政策が生まれたのである。
海翔は読み返した。
「これ、VOICEっぽいな」
寄宿舎構想そのものが成功したかどうか。
それはまた別の話だった。
実際、最初の実証地域では問題もかなり起きている。
しかしVOICEには、そこで終わらない文化があった。
失敗したら。
なぜ失敗したのかを調べる。
そして次の自治体では、少しやり方を変える。
その繰り返しが、やがて一つの新しい子育ての形を作っていくことになる。
***
海翔は卒業論文の続きを書いていた。
廃校を利用した寄宿舎の事例と同じように、ほんの些細な要望から始まり、結果として国の政策目的にも貢献するようになったサービスはいくつもある。
その背景にあったのが、VOICEの商用利用だった。
代表的なものの一つが婚活サービスである。
*
民間のマッチングアプリは、便利ではある。
だが利用者の本人確認には限界があった。
独身だと言っていた相手が実は既婚者だった。
年齢を偽っていた。
プロフィール写真が別人だった。
投資話を持ち掛けるロマンス詐欺。
繁華街の高額な飲食店へ誘導し、店側と結託して料金を取る。
犯罪というほどではなくても、
結婚する気はないが遊び相手を探している人
と、
本気で結婚相手を探している人
が同じ場所にいること自体が、利用者の不満になっていた。
そこでVOICE上に、
「本人確認だけでなく、独身であることまで確認された婚活サービスがほしい」
という要望が出た。
これも最初は、
「既婚者を一発で排除できるだけで神」
「年齢詐称もできないなら使いたい」
「でもVOICEに婚姻歴まで知られるのは嫌」
「そこ重要」
という程度のやり取りだった。
実際に作られた仕組みでは、その点にかなり慎重な設計が採られた。
VOICE運営側が、
誰と結婚しているか
いつ結婚したか
といった戸籍情報そのものを保有するわけではない。
公的な情報源へ資格照会し、
「現在独身である」
「成人している」
という必要な事実だけを確認する。
婚活事業者側にも、必要以上の行政情報は渡さない。
利用者に表示されるのは、
本人確認済
独身確認済
成人確認済
といった資格表示だけだった。
それだけでも、従来の婚活サービスとは安心感が大きく違った。
*
同じ仕組みは、ほかにも広がった。
フリーマーケット。
アルバイト紹介。
家庭教師。
家事代行。
個人間の中古車取引。
高額商品の売買。
匿名で活動はできる。
しかし運営側では、
「現実に存在する1人の人間である」
ことだけは確認されている。
詐欺をしてアカウントを捨て、別名で作り直すことが難しい。
特に、
匿名性は残したい。しかし無責任な匿名にはしたくない
という分野で、VOICEの本人認証基盤は強かった。
海翔はそこを、
「名前を公開しないことと、誰なのかまったく分からないことを分離した」
と表現した。
*
当然、VOICEそのものの重要性も増した。
政治参加だけなら、半日停止しても不便で済む場合がある。
しかし、
行政手続き。
施設予約。
企業サービス。
アルバイト。
本人確認。
婚活。
個人間取引。
まで載るようになると話が違う。
VOICEが止まれば、社会生活の一部が止まる。
サイバー防衛への投資は、それまでとは比較にならない規模になった。
システムは複数地域へ分散された。
一つの拠点が物理的に利用不能になっても、別の拠点へ切り替わる。
通信経路も複数用意する。
データも暗号化したうえで分散して保持する。
大規模攻撃を受け、いったん一部サービスを切り離した場合でも、基幹機能から順番に復旧できるようになった。
当然、金はかかった。
だが、そのころには企業から得る利用料や各種商用サービスの収入がかなり大きくなっていた。
VOICEの運営費について、国庫からの負担は急速に減っていった。
政府から制度上独立するだけではない。
財布まで政府から離れ始めたのである。




