政府からVOICEを守る仕組み
2か月もかからず、市民会議は再発防止案をまとめた。
かなり厳しい内容だった。
第一に、
政治資金の現金授受を原則禁止する。
寄附。
政治資金パーティー券。
政治団体間の資金移動。
一定額以上の政治活動費。
すべて追跡可能な電子決済または金融機関経由を原則とする。
第二に、
企業・団体から個々の国会議員と強く結びついた政党支部への献金を禁止する。
企業・団体が政治資金を提供する場合は、原則として政党本部または都道府県単位の組織へ集約する。
企業が、
「この議員に渡したい」
という形で資金を提供することを難しくする。
第三に、
政治資金パーティー券を献金とほぼ同じ透明性基準で扱う。
名称が違うだけで実質的に資金提供なら、同じように公開する。
第四に、
政治資金の電子公開を原則リアルタイム化する。
年に一度、紙に近い形式で収支報告書を公開するのではない。
企業名。
金額。
受領した政党・政治団体。
日付。
を検索可能なデータとして公開する。
第五に、
一定規模以上の企業・団体と国会議員、政務三役、高級官僚との政策面談をロビー活動記録として残す。
誰と。
いつ。
何について。
どの団体を代表して。
面談したか。
政策上の働きかけを伴う場合には記録する。
私的な冠婚葬祭まで登録する必要はない。
だが、
「規制を変えてほしい」
「この公共事業を進めてほしい」
という話をしたなら記録する。
第六に、
政治資金と公共調達情報を自動的に照合できるようにする。
ある会社がどの政党へいくら資金を提供し、その会社が国からどの程度の契約を受注しているのか。
因果関係があると決めつけるのではない。
誰でも比較できるようにする。
第七に、
故意の不記載・虚偽記載について、会計担当者だけに責任を負わせない。
議員本人が関与、指示、認識していたことが確定した場合には、議員側にも重い責任を負わせる。
悪質なケースでは一定期間の公民権停止まで含める。
第八に、
内部通報者の保護を強化する。
政治家や企業による報復的人事。
解雇。
取引停止。
圧力。
それらから通報者を守る。
*
佐野は一覧を読んで、
「厳しいなあ……」
と漏らした。
「部長たち狙い撃ちみたいですね」
中原が言った。
「俺たちじゃない。政治家側も相当だぞ」
「でも面談記録ですよ」
「まあな」
「先生と飯食ったら毎回書くんですか?」
「政策の話したら、そうなるかもな」
「面倒ですね」
「俺もそう思う」
佐野は資料を閉じた。
「でも、こういう事件が起きた以上、『面倒だから嫌です』では通らんだろ」
*
そして最後。
附則として付けられた1項を読んだとき、佐野は思わず姿勢を正した。
『国会議員、行政職員及び企業・団体間の不適切な利益交換を監視するため、VOICE内に政府審査部門を設置する。重大な疑義があり審査上必要と認められる場合、関係機関又は関係者に対し、電子メール、通信記録、面談記録その他必要な行政文書等の提出を求めることができるものとし、将来的には法的な提出義務を付与することを検討する。』
佐野は2度読んだ。
「……おいおい」
中原が顔を上げた。
「何です?」
「これ」
画面を向ける。
「メールまで見る気か?」
「通信記録もですね」
「電話の中身まで、って議論も出てるぞ」
「さすがに無理でしょう」
「ああ。通るわけない」
令状もない。
捜査機関でもない。
ましてVOICE利用者が作った組織が企業や政府へ強制的に通信内容を提出させる。
今の法制度の延長線では、あまりにも強い権限だった。
佐野はしばらく画面を眺めた。
「でも……」
「はい?」
「これ、本気で全部取ろうとしてるのかな」
「どういうことです?」
佐野は腕を組んだ。
「交渉で最初から高い要求を出すときあるだろ」
「ああ」
「相手がどこで怒るかを見る」
「観測気球?」
「そんな感じだ」
佐野は画面を指した。
「最初に政府がVOICE内部の情報を見ようとした」
「はい」
「それで反発が起きた」
「はい」
「今度はVOICE側が、『じゃあ、こっちも政府の中を見るぞ』と言い始めた」
中原はしばらく考えた。
「相互監視?」
「というより……」
佐野は少し黙った。
「政府がVOICEに手を出さないなら、VOICEも政府の通信まで手を出さない。そこへ持っていきたいんじゃないか」
「VOICEの独立ですか」
佐野は椅子へ深く座った。
「そう見える」
ただ、それが市民会議参加者の本当の戦略なのかは分からない。
本気で必要だと思って提案しただけかもしれない。
VOICEは時々、意図があるのかないのか分からないまま、結果として政治的に巧妙な動きをする。
そこが不気味だった。
*
「でも、VOICEを政府から独立させるってできるのか?」
佐野は独り言のように言った。
「憲法的に?」
中原が聞いた。
「行政権って内閣だろ」
佐野はタブレットを開き、AIへ質問した。
『日本国憲法上、政府から独立したVOICE運営機関を法律で設置することは可能か。』
数秒後、回答が表示された。
佐野は目で追った。
日本国憲法第65条は、
「行政権は、内閣に属する」
と規定している。
そのため、内閣から完全に切り離された機関へ一般的な行政権を移すことには憲法上の問題がある。
しかし日本には、公正取引委員会など、行政組織上は内閣・内閣総理大臣の所轄下にありながら、個々の職権行使については独立性を与えられた行政委員会が存在する。
つまり、
内閣の日常的な指揮命令を受けずに一定の行政権限を行使する組織
そのものが直ちに否定されるわけではない。
VOICEについても、
本人認証基盤の管理。
利用規約の運営。
個人情報保護。
公式世論調査。
政府からの情報提供要請の審査。
市民会議の運営。
といった限定された職務に絞り、
設置根拠を法律で定め、
委員の任命方法。
任期。
罷免要件。
国会への報告義務。
司法審査。
会計監査。
などによって民主的統制を残すのであれば、強い独立性を持たせる制度設計は可能と考えられる。
一方で、
政府へ強制的に命令する。
法律と同等のルールを独自に制定する。
国政上の最終決定を拘束する。
といった権限まで持たせるなら、憲法上の問題は格段に大きくなる。
佐野は読み終えた。
「なるほど……」
「できるんですか?」
「完全独立は怪しい。でも、公取委みたいな形なら相当独立させられるみたいだ」
「じゃあ、あり得る?」
「あり得るな」
佐野は画面を見つめた。
これまでVOICEは、政府が運営する巨大システムだと思っていた。
だが、政府から一定の距離を置いた独立行政委員会のような存在になれば、意味が変わる。
「これ、本当に怪物になってきたな」
佐野は小さく言った。
*
市民会議案はVOICE利用者による投票へかけられた。
結果。
賛成 73%。
圧倒的だった。
これが国会へ参考案として提出された。
VOICE側からも説明者が国会の委員会へ出席した。
市民会議の48人がそのまま出席するわけではない。
議論内容を把握した専門家から代表を選んだ。
40代の弁護士だった。
VOICE上では本人確認済みの実名で活動しており、憲法・情報法にも詳しかった。
国会議員から、
「あなたは誰から選挙で選ばれたのですか」
と問われると、
「私は国民を代表して法律を決めるためにここへ来ているわけではありません。VOICE市民会議が何を議論し、何を提案したのかを説明するために来ています。決めるのは国会です」
と答えた。
その場面はニュースで何度も流れた。
*
審議の途中。
各社の世論調査結果が出始めた。
そこで政治家たちをさらに神経質にさせる数字が現れた。
野党の新興政党、
《公共未来党》。
もともとは行政改革、政治資金の透明化、デジタル民主主義などを掲げていた中規模政党だった。
VOICEについては主要政党の中で最も強い推進派だった。
政府からの独立。
市民会議の制度化。
国会議員の政治資金完全電子化。
そうした政策を明確に掲げていた。
ある民間ネット調査では、その支持率が、
31%
まで上昇した。
単純比較はできない。
ネット調査は若年層に偏る。
VOICE支持者が公共未来党へ集中している可能性もある。
だが、
今選挙をすれば第1党になるかもしれない。
という見出しには十分な数字だった。
そしてVOICE自身による初の公式政党支持率調査が公表された。
公共未来党。
24%。
自由共和党。
22%。
差はわずか2ポイント。
しかし与党には衝撃だった。
「これ、自由共和党止められないな」
佐野が言った。
中原が資料を見ながら答える。
「止めたら公共未来党が喜びますからね」
「『VOICEを守る選挙』なんてやられたら最悪だ」
「有権者に分かりやすいですし」
「政治って、正しいかどうかだけじゃないからな」
佐野は数字を見た。
「この局面でVOICEにブレーキかけるのは、選挙戦略として怖すぎる」
*
主要政党の空気が変わった。
VOICEをどう止めるかではなく、
VOICEとどう付き合うか
を考え始めた。
結局、VOICE市民会議が作った再発防止策は、国会でいくつか修正されたうえで、大部分が採用された。
最大の修正は、例の政府審査部門だった。
VOICEが政府や企業へ通信内容の提出を、
義務付ける
という仕組みは認められなかった。
代わりに、
必要な資料の提出を要請できる
という形になった。
提出するかどうかは、政府や企業側が判断する。
拒否しても、それだけで処罰されるわけではない。
ただし。
VOICE側が何を要請したのか。
政府がそれに応じたのか、拒否したのか。
拒否した場合、どのような理由を示したのか。
その記録は残る。
つまり政府は、
「出さない」
ことができる。
だが、
「出すよう求められたこと自体をなかったことにする」
のは難しくなった。
佐野は最終案を読んだ。
「うまいところに落ちたな」
中原が聞いた。
「VOICEが負けたんですかね」
「いや」
佐野は首を振った。
「最初からここ狙ってたなら、大勝ちだろ」
「やっぱり交渉だったと思います?」
「分からん」
「珍しいですね。部長が分からないって言うの」
「お前、俺を何だと思ってるんだ」
*
制度が正式に決まった数日後。
佐野は中原を自分の部屋へ呼んだ。
「ちょっと座って」
「はい」
中原は向かいの椅子へ座った。
佐野は机に置かれた政治資金制度改正の資料を指で叩いた。
「中原」
「はい」
「君が部長になるころには、渉外の仕事、かなり変わってると思うぞ」
「そうですか」
「ああ」
「政治家との面談記録。献金の即時公開。公共工事との自動照合。官僚との接触記録」
「面倒ですね」
「面倒だ」
佐野は即答した。
「でも、その前提で仕事できる人間が必要になる」
「昔みたいに人脈だけじゃ駄目?」
「人脈は残るよ」
佐野は少し考えた。
「ただ、『誰を知ってるか』より、『公開されても困らない形で何を伝えられるか』のほうが大事になる」
「政策の中身ですか」
「そうだ」
「それ、渉外というより政策部門ですね」
「たぶん、そうなっていく」
佐野は笑った。
「だからVOICEは見ておけ」
「はい」
「今後、この仕事に一番影響するかもしれない」
「分かりました」
中原が立ち上がる。
佐野はその背中を見ながら思った。
――君の時代には、か。
自分はあと何年現役だろう。
5年。
7年。
場合によっては10年。
そこまで考えて、佐野は苦笑した。
今回決まった制度の施行予定は、翌年だった。
「いや……」
小さくつぶやいた。
「俺の時代から変わるじゃねえか」
机の上には、これまで佐野が長年使ってきた手帳が置かれていた。
政治家。
秘書。
官僚。
経済団体。
個人の携帯番号が並んでいる。
佐野にとって、それは渉外部長としての財産だった。
しかしこれからは。
誰と会ったか。
何を話したか。
何を要望したか。
それを記録し、場合によっては国民へ見せることになる。
人脈が消えるわけではない。
政治と企業の関係がなくなるわけでもない。
ただ、
見えないことそのものが力だった時代
が終わろうとしている。
佐野は、古い手帳を一度手に取った。
それから机の上へ戻した。
「参ったな」
そう言いながらも、少し笑っていた。
変わるなら、対応するしかない。
それもまた、企業で長く生き残ってきた佐野のやり方だった。




