一人一票、4,000万人
佐野は、その後も世論の動きを注意深く追っていた。
政治資金問題が発覚してから、各所で緊急の世論調査が始まっている。
新聞社。
テレビ局。
民間のネットサービス。
そしてVOICE。
質問の仕方は少しずつ違ったが、多くの調査に共通していたのは、
「政治家の金の問題について、国会自身に十分な自浄作用が期待できると思うか」
という問いだった。
結果も、おおむね似ていた。
細かな数字には差がある。
だが、どの調査でも、
「期待できない」
が過半数だった。
「まあ、そうなるよな」
佐野はタブレットを見ながらつぶやいた。
向かいの席にいた渉外企画課長の中原が聞いた。
「どこ見てるんです?」
「世論調査」
「またですか」
「またって何だよ。うちの部署には重要だろ」
「部長、昨日からずっと数字見てません?」
「数字は逃げないからな。人間の発言より信用できる」
「その数字を人間が作ってるんですけどね」
「嫌なこと言うな」
佐野は笑った。
*
もっとも、どの数字をどこまで信用するかは難しかった。
従来型のメディア調査では、電話調査がまだ残っている。
だが2030年代後半ともなると、知らない番号からかかってきた電話に出て、何分も政治について答えてくれる人間は国民全体の一部だった。
高齢者の比率が高くなる。
政治に強い関心を持つ人も多い。
統計的な補正は行われるものの、
「電話世論調査は特定の層を強く反映している」
という認識が広がっていた。
民間のネット調査は、参加者数なら圧倒的に多い。
しかし別の問題がある。
1人で複数のアカウントを作れるサービスがある。
組織的に呼びかければ、特定の選択肢へ投票を集中させることもできる。
専門の調査会社は、電話番号や決済情報、端末情報などを使い、1人1回答になるよう工夫していた。
それでも完全ではない。
電話番号を複数持つ人間もいる。
本人確認を厳格にしすぎれば、
「そこまでしてアンケートに答えたくない」
という人が増える。
結果として、政治好きばかりが残る。
厳密にすればするほど、一般国民から離れてしまう可能性がある。
「世論調査って、思ってたより面倒なんですね」
中原が言った。
「昔からそうだよ」
「VOICEなら一人一票じゃないですか」
「そこなんだよ」
佐野は画面を指した。
*
VOICEで行われている調査は、まだVOICE運営組織による公式なものではなかった。
有志がスレッドを作る。
利用者が意思表示をする。
コメントをAIで分類する。
それを集計して、
「VOICE利用者の70%が国会の自浄作用に期待していない」
といった数字を出している。
1人が何度も投票することはできない。
本人確認があるからだ。
その意味では、民間SNSより信頼性が高い。
ただし、一般利用者から見える情報だけでは、回答者が選挙権を持っているかまでは分からなかった。
VOICEには子供向けアカウントもある。
2030年代には、VOICEの資格確認はJPKIを入口として住民情報と照合し、運営側には必要最小限の資格情報だけを返す方式になっていた。
政治参加用アカウントなら、
日本国籍を持っているか。
年齢要件を満たしているか。
必要に応じて、
どの自治体に属するか。
そうした情報である。
氏名や住所そのものを、毎回VOICE側へ渡す必要はない。
だからVOICE運営組織なら、
18歳未満を除く。
年代別に補正する。
地域構成を実際の有権者比率へ近づける。
といった集計も可能なはずだった。
「中原」
「はい?」
「運営側、絶対もっと精度の高い数字持ってるよな」
「でしょうね」
「年代も分かる。地域も分かる。1人1アカウントも保証されてる」
「はい」
「実際の有権者構成に合わせて補正すれば、そこらのネット調査より相当正確になる」
「党支持率とかですか?」
「それも」
佐野は椅子へ背を預けた。
「欲しいなあ、その数字」
「無理でしょう」
「だから欲しいんだよ」
「子供みたいですね」
「渉外の仕事なんて、他人が持ってない情報を持ってるやつが強いんだ」
*
このころ、VOICEの利用者はすでに4,000万人を超えていた。
もっとも、全員が政治参加のために使っているわけではない。
VOICEを比較的安全なSNSとして利用する層が大きく増えていた。
本人確認がある。
なりすましが難しい。
広告がない。
投稿ルールも明確。
誹謗中傷や執拗な嫌がらせも、民間SNSと比較すればかなり少ない。
典型的な投資詐欺や偽アカウントによる勧誘も起こりにくかった。
さらに暫定機能ではあるが、
「この情報は事実として確認できるか」
とAIへ問い合わせる簡易ファクトチェックも使える。
華やかな機能は少ない。
だが親から見れば、子供にも比較的使わせやすい。
政治にまったく興味がない人でもVOICEアカウントを持つようになった理由だった。
そうした人でも、調査画面が出れば数秒で回答できる。
佐野には、それが非常に大きく見えた。
「公式世論調査まで始めたら、また一段変わるな」
佐野が言った。
「何がです?」
「政治家が、新聞社の支持率よりVOICEを見るようになる」
「そこまで行きます?」
「一人一票で4,000万人の母集団だぞ。条件さえ整えば行くだろ」
*
佐野は人脈を使った。
霞が関。
与党周辺。
経済団体。
調査会社。
知っている相手へ何本か電話した。
だが結果は同じだった。
『いや、こっちも持ってません』
『運営内部では出しているかもしれませんが、外には来てませんね』
『官邸にも正式には出てないと思いますよ』
「正式には、ね……」
佐野は電話を切った。
その表現が気になった。
しばらくすると、中原が部屋へ入ってきた。
「部長」
「何だ?」
「国会、VOICEのデータの件やってます」
「つけて」
壁のテレビをつける。
*
野党議員が政府を追及していた。
「政府は、VOICE運営組織が保有する利用者データへアクセスできますか」
担当大臣が答える。
「政府が恣意的にVOICE利用者の思想信条や政治的意見を取得することはありません」
「『恣意的に』とはどういう意味ですか」
「必要性がある場合には、法令に基づく対応を行う可能性があります」
「必要性とは?」
「例えば犯罪捜査、重大なサイバー攻撃、外国勢力による組織的干渉などです」
野党議員はすぐに返した。
「今、『など』とおっしゃいましたね」
議場がざわつく。
「その『など』に何が入るのかを聞いているんです」
佐野は思わず笑った。
「そこ突くよな」
中原もうなずいた。
「一番嫌な言葉ですからね。『その他』と『など』」
「契約書でもそうだ」
政府側は、
具体的な情報取得は必要性と相当性を踏まえて判断する
という答弁を繰り返した。
だが野党は、
確度の高い世論情報を時の政権だけが利用できるのであれば、選挙の公平性そのものに関わる
と主張した。
国会に監視委員会を置く案も出た。
しかしメディアの解説者は疑問を呈した。
「与党が多数を占める委員会が、政府による情報利用を本当に監視できるのかという問題は残ります」
「まあ、そう言われるよな」
佐野はつぶやいた。
*
そして状況をさらに悪化させる報道が出た。
官邸周辺からVOICE運営組織へ、
政党支持率や政策別の利用者動向について情報提供が可能か確認する働きかけがあった
というものだった。
政府はすぐに否定した。
正確には否定ではなかった。
「制度上提供可能かどうか、一般的な照会を行っただけであり、圧力を加えた事実はない」
という説明だった。
佐野はニュースを見ながら顔をしかめた。
「それ、受ける側がどう感じるかだろ」
中原が言った。
「上から『出せますか』って聞かれたら、普通の会社なら『出せ』に聞こえますよね」
「そういうことだ」
「実際、圧力だったんですかね」
「知らん」
佐野は即答した。
「ただ、圧力だと思われる聞き方をした時点で失敗だ」
*
VOICE内の反発は急速に強くなった。
今度は、単なる批判では終わらなかった。
すぐに制度案が作られ始めた。
『政府によるVOICE情報へのアクセスを第三者機関の審査対象にするべき』
『政府からの情報提供要請をすべて記録し、一定期間後に公開すべき』
『政党支持率など政治的利用価値の高い情報は、政権だけに提供してはならない』
さまざまな案が出た。
その中で支持を集めたのが、
VOICE情報利用監督委員会
の設置案だった。
政府がVOICE内部の非公開情報を取得したい場合、原則としてこの委員会の審査を受ける。
委員は、
国会が指名する者。
政府が指名する情報・安全保障などの専門家。
VOICE利用者が選挙で選ぶ代表。
で構成する。
VOICE代表だけで過半数にはしない。
一方で政府側だけでも決められない構成にする。
さらに、最終的な採決結果は、
政府側委員 賛成何人、反対何人
国会側委員 賛成何人、反対何人
VOICE側委員 賛成何人、反対何人
という形で原則公開する。
佐野はその案を読み、
「まあ、最初の形としては悪くないんじゃないか」
と言った。
中原が振り返った。
「部長、ずいぶんVOICE寄りになってません?」
「違う」
「そうですか?」
「予測できるルールのほうが企業にはありがたいんだよ」
佐野は画面を指した。
「誰に電話すれば情報が取れるか分からない世界より、何をしたら何が公開されるのか最初から分かる世界のほうが仕事は楽だ」
「渉外部長が言うと説得力ありますね」
「嫌味か?」
「褒めました」
*
VOICEには独特の文化が生まれていた。
まず具体案を作る。
やってみる。
問題が出れば直す。
半年後にまた見直す。
その繰り返しである。
一度作った制度を修正すること自体を、失敗とは考えなかった。
むしろ、
何年運用しても一度も変更されない制度のほうがおかしい
という感覚があった。
その理由の一つは、市民会議だった。
VOICEを使う者なら、いつ自分が無作為抽出され、
決める側
になるか分からない。
他人が決めたことなら、
「こんなことも分からなかったのか」
と簡単に批判できる。
だが、自分が48人の1人になる可能性がある。
専門家の説明を聞いても判断を間違えるかもしれない。
半年後に、
「やっぱりこれは駄目だった」
と認めなければならないかもしれない。
そう考えると、以前ほど失敗した人間を激しく責めにくくなる。
佐野は、そこに民間SNSとの違いを感じていた。
「批判するだけなら簡単なんだよな」
佐野が言った。
「はい?」
「民間SNS」
中原は少し考えた。
「ああ」
「ずっと客席に座って、監督の采配に文句言ってればいい」
「VOICEは?」
「たまに『じゃあ、お前が監督やれ』ってグラウンドに下ろされる」
中原が笑った。
「それは文句言いにくくなりますね」
「だろ」
***
事件発覚から2か月。
当初、最も強い批判を浴びたのは建設業界だった。
しかし時間がたつにつれ、政府・与党の対応の遅さへ批判の矛先が移っていった。
佐野は、VOICEの関連動向をまとめた報告書を読みながら息を吐いた。
「まあ……」
「はい?」
「とりあえず、うちにとっての嵐は越えたかな」
中原は慎重だった。
「まだ言わないほうがいいんじゃないですか」
「縁起でもないこと言うな」
「部長がそういうこと言うと、次の日何か出るんですよ」
「俺を疫病神みたいに言うなよ」
*
VOICEと政府との関係についても、議論はかなり整理されてきていた。
従来の政府方式なら、
有識者会議を設置する。
委員を選ぶ。
数か月かけてヒアリングする。
中間報告を作る。
パブリックコメントを取る。
最終報告を出す。
そこから制度案を作る。
どうしても時間がかかる。
VOICEでは違った。
すでに何十本ものスレッドで議論されている。
AIが論点を分類する。
複数のスレッドで共通している主張を抜き出す。
反対意見もまとめる。
VOICE運営側がそれを材料に原案を作り、市民会議に渡す。
市民会議が修正する。
投票する。
まず動かす。
この流れがすでに何度も繰り返され、運営側も利用者も慣れていた。
*
政治資金事件そのものでは、最終的に与野党を合わせて6人ほどの国会議員が逮捕された。
当初メディアが予想していたほど、何十人にも波及する大事件にはならなかった。
だが、事件そのものより大きなものが残った。
政治家と企業。
政府とVOICE。
政治資金。
情報公開。
これらの制度を見直そうとする動きである。
一度動き始めると、それを止めるほうが難しくなった。
まず、VOICE情報利用監督委員会が試験的に設置された。
政府がVOICEの非公開情報を求める際には、原則としてそこを通す。
委員は国会側、政府側の専門家、VOICE側代表で構成された。
VOICE側は過半数を持たない。
しかし議決の内訳は公開する。
例えば政府の情報提供要請について、
国会選出委員 賛成4、反対2
政府選出専門委員 賛成3、反対1
VOICE代表 賛成1、反対4
という結果になれば、その事実が残る。
政府側の票で提供が決まったとしても、
VOICE代表の大多数が反対していた
ことを国民が知ることができる。
それだけでも政府にとっては一定の圧力になる。
VOICE代表を選ぶための立候補資格、選挙方法、任期、利益相反規則なども併せて作られた。
*
もう一つ、大きな変更があった。
VOICE運営組織自身が、公式世論調査を実施できるようになったことである。
何を調査してよいかは、VOICE情報利用監督委員会が事前に審査する。
政党支持率。
政策への賛否。
制度への満足度。
年齢別、地域別の傾向。
ただし個人を追跡できる情報は公開しない。
各政党にも同じ時刻に公表する。
政府だけが事前に数字を見ることも認めない。
佐野はその仕組みを聞いたとき、
「これ、世論調査会社には相当な脅威だぞ」
と中原に言った。
「うちにもですよ」
「何で?」
「部長が人脈使って数字を先に取る価値がなくなります」
「……お前、最近俺に遠慮なくなったな」
*
そして本題。
政治資金問題の再発防止策である。
ここでは、
国会議員だけに再発防止策を作らせてよいのか
という議論が起きた。
過去にも政治資金問題が起こるたび、再発防止策は作られてきた。
規制を強化する。
公開範囲を広げる。
罰則を追加する。
だが、
なぜか抜け穴が残る。
政党支部。
政治資金パーティー。
関連政治団体。
秘書。
第三者団体。
制度を一つ塞ぐと、別の経路が残る。
メディアが法案段階で問題を指摘しても、
「現時点では一定の前進である」
「今後さらなる検討が必要だ」
という言葉で成立する。
そして時間がたつ。
国民の関心が薄れる。
今回も同じではないか。
そんな不信が強かった。
VOICE内では、
「当事者である国会議員だけにルールを決めさせるより、市民会議でも別案を作らせて比較すればいい」
という意見が支持された。
最終決定権は国会にある。
VOICEの結論に法的拘束力はない。
あくまで参考案である。
その条件なら、政府側も強く拒否しにくかった。
*
国会では各党が委員会へ出す議員の人選を始めた。
国会対策委員会同士で日程を調整する。
参考人を誰にするか。
専門家を何人呼ぶか。
そんな話をしている間に、VOICEでは市民会議の参加者が決まり、第1回会合まで終わっていた。
佐野はそのニュースを見て呆れた。
「向こう、もう始まってるぞ」
中原が言った。
「慣れてますからね」
「国会が遅いのか、VOICEが速すぎるのか分からんな」
*
今回の市民会議には、国会議員を参加させなかった。
政治家側の意見は、国会審議で十分に表明できる。
市民会議にまで議員が入れば、発言力の差によって議論が引っ張られる可能性もある。
代わりに、国会運営に詳しい政治記者。
政治資金制度を研究する学者。
行政法の専門家。
企業側の実務を知る者。
公共調達の専門家。
元官僚。
などが説明者として参加した。
その中で、まず整理されたのが、
なぜ政治家・官僚・企業は結びつくのか
という問題だった。
必ずしも不正が目的ではない。
企業は法律、規制、税制、公共事業によって事業環境が大きく変わるため、自社の事情を政治家や官僚へ説明したい。
政治家は政策を作るため、実際の産業界で何が起きているか知る必要がある。同時に選挙や政治活動には資金と人的支援も必要になる。
官僚も、現場を知らずに制度を作ることはできないため、企業から技術や市場の情報を得る必要がある。
接触すること自体は必要なのである。
問題は、その必要な接触が、
金銭と政策判断の交換
に変わっていないことを、外から確認できない点だった。




