第82話 “惨劇の真実”
――それから30分後。
街道脇に停められた馬車の周りでは、冒険者達が思い思いに休憩していた。
木陰で横になる者、干し肉をかじる者、武器の手入れをする者。
クロトとノエルが先へ消えてからしばらく経つというのに、誰ひとりとして慌てる様子はない。
「……本当に、大丈夫なのかしら……」
ルリノは折りたたみ椅子に腰掛けたまま、何度も街道の先へ視線を向けていた。
その前で、マリーは簡易式の器具を使って、のんびりとコーヒーを淹れている。
小さな魔道具の火にかけられたポットから、細い湯気が立ちのぼり、苦く香ばしい匂いが朝の空気に混じった。
「ふへへ……そんな顔して心配する必要はないよ」
「でも……クロトさん達、何か見つけたんですよね……?」
「ああ、そうだねェ」
マリーはカップにコーヒーを注ぎ、ルリノへ差し出した。
「ありがとうございます……これ……紙? 凄いですね、水でふやけないなんて」
ルリノは礼を言いながら、紙で出来たカップを不思議そうに眺める。
薄くて軽いのに、中身が染み出してくることもない。
見慣れない道具に気を取られるうちに、張りつめていた顔がわずかに緩んだ。
マリーは続けてもう1杯コーヒーを淹れ、そばに控えていたチビュウへも手渡す。
「あ、ありがとうございます……」
チビュウは遠慮がちに頭を下げ、両手でカップを受け取った。
熱そうに息を吹きかけてから、ちびりと一口飲む。
その仕草は少しおどおどしていたが、クロト達の不在そのものに焦っている様子はなかった。
「……みんな、慣れてるんですね。クロトさんが急にいなくなっても、誰も心配してないみたいで……」
「あ、はい……クロトさんなら大丈夫だと思うっす。ノエルさんも一緒ですし……」
チビュウは少し困ったように笑いながらも、そう答えた。
その声音には、疑いのない信頼がある。
「ふへへ……つまり、そういうことさ。強いっていうのはイイねェ。周りが勝手に安心してくれる」
マリーは間延びした声で笑い、コーヒーを一口すすった。
ルリノもカップに口をつける。
苦味が舌に広がり、指先に伝わる温かさが、ほんの少しだけ胸のざわつきを和らげた。
――その時。
「……ん」
マリーの手が、ふと止まった。
「マリーさん?」
ルリノが顔を上げる。
チビュウもカップを持ったまま、きょとんと彼女を見た。
マリーは街道の先――クロトとノエルが消えていった方角をじっと見つめていた。
さっきまでの眠たげな目の奥に、ほんのわずかな鋭さが灯る。
「……ふへ」
小さく笑って、彼女はゆっくりとカップを下ろした。
「思ったより、早かったねェ」
その呟きに、ルリノの背筋がひやりと冷えた。
「え? もしかして、帰って……っ!!?」
ルリノは口を開いたまま、続く言葉を失った。
街道の先。
朝の光が差す向こう側から、ゆっくりと人影が歩いてくる。
見慣れた、不遜な歩き方。
それは間違いなくクロトだった。
けれど――おかしい。
遠目にもわかるほど、その輪郭が妙に赤く滲んで見えた。
最初は、朝日を浴びているのだと思った。
木々の隙間から差す光が、彼の黒い服を赤く染めているだけなのだと。
だが……違う。
近づくたび、ぽたり、ぽたりと何かが地面に落ちていく。
乾いた街道の土に、暗い染みがいくつも広がっていく。
そして風が吹いた。
〝鉄〟のような、生臭い臭いがルリノの鼻を刺す。
「……うそ……」
ようやく、理解してしまった。
そこにいたのは――頭から足元まで、紅に濡れたクロトだった。
「なに……っ!!?なんで……っ!!!? クロトさん、なんであんな姿に……!!!?」
「お? もう見えたっすか? 2人とも目がいいんスね~!!」
呑気に言うチビュウの横で、ルリノだけが顔を強張らせていた。
近づいてくるほど、見間違いであってほしいという願いは残酷に打ち砕かれていく。
黒い服のあちこちに、赤黒い液体が重たく纏わりついていた――
「――帰ったぞ」
クロトは至って平然と、自分の帰還を告げた。
その瞬間、辺りに強烈な血の臭いが広がる。
ルリノは思わず口元を押さえ、顔をしかめた。
まるで頭から赤いペンキを被ったような姿だった。
髪も、服も、手袋も、靴の先まで濡れている。
それなのに本人だけは、少し遠出をして戻ってきた程度の顔をしていた。
「うひゃ~、こりゃまた随分と派手にやったねェ……」
「思ったより数が多くてな……面倒だから一気に片づけたら、このざまだ」
服を泥だらけにして帰ってきた子供でも見るように、マリーは呆れ混じりの声を漏らす。
クロトもまた、「少ししくじった」くらいの軽さで答えた。
「クロト暴れすぎ……私にも少しかかった……」
後ろから続いてきたノエルも、不満そうに呟く。
銀色の髪や鎧の端にも、赤い汚れが飛び散っていた。
そんな何でもないことのように会話する3人を前に、ルリノの顔から血の気が引いていく。
「え……そ、それ……ち……ち……っ!!!?」
思わず、言葉が喉の奥で引っかかる。
それほど、ルリノは動揺していた。
「う……っ!! それ、全部〝返り血〟っすか……?」
チビュウもルリノほどではないが、顔色を悪くしながらクロトに尋ねる。
「なんだ……ルリノ嬢は仕方ないが、チビュウまで顔色を悪くして……このくらいの血を見ることなど、冒険者にはよくあることだぞ。慣れておけ」
「は、はい……わかったっす……」
クロトに言われ、チビュウは慌てて背筋を伸ばす。
けれど、カップを握る手にはまだ小さな震えが残っていた。
そのやり取りを見ながら、ルリノは恐る恐る口を開く。
「え……あの……〝返り血〟って……誰の……?」
それを聞いた途端、クロトの動きが一瞬だけ止まった。
ほんの一拍。
けれど、その一拍だけで、空気が冷たく変わった。
だがすぐに、クロトはいつもの笑みを浮かべる。
ゆっくりと、何でもないことのように答えた。
「そりゃあ……〝邪魔者〟に決まってるだろ?」
「っ!!!」
その答えを聞き、ルリノの目が大きく見開かれる。
これ以上は恐ろしい。
聞いてはいけない。
そう本能が告げているのに、彼女の唇は止まらなかった。
「じゃ……邪魔者って……一体……」
そう言いかけた瞬間――
「――『ポチャルア』」
静かな詠唱と共に、突如として大量の水がクロトへ浴びせられた。
「んがアッ!!!?」
「!!!!?」
目の前のクロトが濁流に呑まれ、ルリノは反射的に顔をかばった。
当のクロトもさすがに不意を突かれたらしく、派手に咳き込みながらよろめいた。
「ほら……早く流さないと、汚れが染みつくよ」
水を放ったのはマリーだった。
掲げた腕の先から勢いよく水流が噴き出し、クロトの全身を容赦なく洗い流していく。
「う……げほっ!! げほっ!!! ……おいおい、〝中級呪文〟はやり過ぎだろ……ッ!!!」
「いやいや。生半可な勢いじゃあ落ちないよ、それは」
むせながら文句を言うクロトに、マリーは悪びれもせず答えた。
「うん、綺麗に落ちたね。洗剤も混ぜた水だ、臭いもしない」
「んぅ……? まだ血の臭いするけど?」
「……流石に〝ケモニアの鼻〟は誤魔化せないよ……」
大きな黒い鼻を押さえ、顔をしかめるノエルに、マリーは気だるげに笑って返す。
一瞬だけ、場の空気が緩んだ。
軽口が続く間に、血まみれで戻ったクロトへの驚きも薄れていったように見えた。
だが、ルリノだけは違う。
服から血が落ちても、さっき見てしまった赤い姿が、まだべったりと頭にこびりついて離れない。
「……返り血……」
ぽつりと零れた声に、マリーが目だけを向ける。
「ふへへ……あまり気にしない方がいいよ」
それは慰めというより、忠告だった。
深く踏み込むな。
そう言外に告げているような声だった。
それを聞いていたクロトも、濡れた前髪をかき上げながら、ぼそりと呟く。
「ああ、ただの〝魔物の群れ〟だ……そういうことにしておいた方が、全て丸く収まる」
「っ!!」
喉が引きつり、言葉にならない音だけが漏れる。
「あ……えう……」
今、何か、とても恐ろしいことを聞いた。
そんな確信だけがあるのに、それを問いただすだけの勇気が出てこない。
クロトはそんなルリノを見ても、表情ひとつ変えなかった。
「……悪いが、邪魔者を始末する為に少し街道が荒れてしまった。時間はかかるが迂回させてもらうぞ」
あまりにも平然とした声だった。
まるで倒木か、ぬかるみを避けるくらいの話をしているみたいに。
その横で、ノエルが淡々と口を挟む。
「〝片づける〟って言って出て行ったのに、逆に散らかしてる……」
「うるさい。村の近くの厄介者を始末したんだ、報酬もなしで。少しくらいの不手際は見逃してもらえるさ……そうだろう? ルリノ嬢」
「え……あ、え……ええ……」
唐突に話を振られ、ルリノはどもりながらも、なんとか声を絞り出した。
頷いたつもりだった。
けれど自分の体が本当に動いたのかさえ、よくわからなかった。
それ以上は、何も聞けなかった――
――やがて一行は再び馬車に乗り込む。
車輪が土に大きな弧を描き、馬車はゆっくりと向きを変える。
迂回するため、来た道を引き返し始めた。
遠ざかっていくのは、クロトが先ほど向かった道。
その先に何があったのか。
何が、あの赤をクロトに浴びせたのか。
ルリノは荷台から、その道を見つめ続けることしか出来なかった――
――
――――
――――――
――森の奥。
そこまで語ったルリノは、震える声で謝った。
「ごめんなさい……昨夜に言うべきだった……!!! でも……私ぃ……っ!!!」
彼女の顔は青ざめ、両手は胸元で固く握られている。
あの時、見てしまったもの。
あの時、聞いてしまった言葉。
それらをようやく吐き出した今でも、彼女はまだ、その場に取り残されているようだった。
そしてルリノは、さらに記憶を辿る。
それは昨夜――村の近くで、惨殺死体が見つかった時のこと――
――
――――
――――――
「――ロマ! みんな!!」
「ルリノ!!? キミも来てたのか……」
ロマ達よりも早く現場に来ていたルリノは、すでにその惨状を目の当たりにしていた。
顔は真っ青で、唇はかすかに震えている。
先に彼女へ知らせを伝えていた駐在も、その到着の早さに驚く。
「ルリノちゃん! 随分と早いな……」
「た……大変なの……こんな、こと……」
ルリノが震える指で示した先。
そこには、地獄のような光景が広がっていた。
街道の脇に、無惨に散らばった死体の山。
人の形を保っているものは少なく、切り刻まれた布や武器……そして赤黒く染まった肉が、そこかしこに散っている。
夜の空気は本来なら澄んでいるはずなのに、その場所だけはむせ返るほどの鉄臭さに満ちていた。
「……っ!! こ、これは……想像以上に……」
ロマも思わず息を呑んだ。
目を逸らしたくなる。
見続ければ脳裏に焼きついてしまう……そんな光景だった。
だが、ルリノの中には、それとは別の恐怖があった。
(ここって……昨日、私達が迂回して通らなかった道じゃ……)
その瞬間、頭の中で何かが繋がってしまう――
――クロトが言った〝邪魔者〟。
返り血。
荒れた街道。
そして今、目の前に広がる惨状――
「――っ!!! これって……っ!!!」
思わず小さく声を漏らした、その瞬間だった。
ふと、視界の端に映ったクロトが――
「――しーっ」
「!!?」
こちらを見ていた。
人差し指を、そっと口元に当てて。
まるで、秘密を共有するみたいに。
まるで、最初からルリノが気づくことまでわかっていたみたいに。
そしてクロトは、静かに微笑んでいた。
いつもの不遜なモノではない。
戦いの勝利を誇るモノでもない。
ただ、ルリノの恐怖を確かめ、その上で黙っていろと告げるような――冷たく、底の見えない微笑みだった。
それだけが、惨劇の中で、消しようのないほど鮮明に焼きついた。
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