第80話 “濃煙の後”
――同時刻、ロマの小屋。
「……スゥー……ハァー……ッ……!!!」
椅子に深く腰を沈め、ロマは額から汗を流していた。
乱れた呼吸はまだ整いきらず、肩もわずかに上下している。
「お疲れ様、ロマ……」
「ああ……く……っ!!」
ルリノに労われても、その表情から苦さは消えない。
むしろ声をかけられたことで、なおさら自分の不甲斐なさが浮き彫りになったようだった。
「ほぼほぼ……理解出来なかった……っ!!! 悔しいけど天才だよ、〝彼女〟……」
歯を食いしばりながらロマは先ほどのやり取りを思い出す――
――
――――
――――――
――小屋に現れた、不穏な空気をまとった小さな少女。
いや、見た目こそそうだが、実年齢は44歳の錬金術師マリー。
彼女がルリノに施した不可解な治療について問いただすつもりだった。
だが結果は、ほとんど一方的に煙に巻かれただけだった――
――
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――――――
「――やっぱり、専門家と渡り合うにはまだ早かったか……まだたった1年、しかもほぼ独学だもんなぁ~……はぁ……」
悔しさを滲ませながらも、ロマは自分の現在地を冷静に見つめようとする。
「1番の問題は……核心的な部分を問いただせなかったことだ。オレに知識が無さ過ぎて、錬金術の基本的なことしか話せなかった……」
ロマは椅子の背にもたれ、天井を仰いだ。
ルリノに何をしたのか。それを聞き出すつもりが、マリーの使う言葉を追うだけで精一杯だった。
疑問が残っても、どこをどう問い返せばいいのかさえわからなかった。
「ロマ……」
ルリノはそんな彼を、ただ静かに見つめていた。
複雑な顔をしていた彼女は、やがて少しだけ表情をやわらげた。
「大丈夫よ、ロマ……私、あなたがあんなに熱くなってくれたことだけでも、ホントに……」
ルリノが慰めの言葉をかけようとした、その時だった。
「がうぁ……がうあー……っ!!」
「え……? その声は……」
ルリノは思わず、小屋の扉へ目を向ける。
外から、爪で扉を引っかくような小さな音が聞こえていた。
ガリ、ガリ、と控えめなのに妙に急かすような音。
それに混じる幼い鳴き声は、聞き覚えがある。
「意外なお客さんだな……開けるぞ」
ロマは短くそう言うと、ゆっくり扉を開いた。
そこにいたのは、先ほど森で出会った小さなホワイトタイガーだった。
白いふわふわの毛並みが、風を受け小さく揺らいでいる。
けれど、その愛らしい見た目に反して、明らかに落ち着かない様子だ。
「どうしたんだい? 何か困りごとかい?」
「がう!! がうあう……!!」
「ついてきてほしいって言ってるのかしら?」
ルリノの言葉を聞くと、小さな虎は勢いよく首を縦に振った。
そしてすぐに身を翻し、森の方へ駆け出していく。
「あ、おい……!!! しょうがない。行くか……」
ロマは訳もわからないまま、その背を追った。
ルリノも遅れまいと後に続く。
(なぜだろう……胸騒ぎがする……)
森へ入った途端、空気がひやりと肌にまとわりつく。
木々の隙間を抜ける風の音が、今は妙に耳に残った――
――
――――
――――――
――森の奥の、少し開けた広場。
「これは……っ!!!」
小さな虎に導かれるまま辿り着いた先で、ロマは息を呑んだ。
木々の間から、昼過ぎの陽がまだらに差し込んでいる。
その下では、何十頭もの白い虎が輪になって身を寄せ合っていた。
それだけでも十分に圧倒される光景だったが、彼らは威嚇するでもなく、ただ広場の中心を見つめている。
「ガルアァ……」
「ガウゥ……」
低く漏れる唸り声は、敵意ではなかった。
不安と焦りとが入り混じったような声だ。
理由は1つ。
彼らが囲んでいる、その中心にいた。
「ガ……ッ!!! ガグアァ……!!!」
地面に倒れ込み、苦しげに呻いている1頭の大きな虎。
人の背丈の3倍はあろうかという巨体。
本来なら、その背には白と黒の鮮やかな縞模様が美しく走っていたはずだ。
だが今は、その一部がひどく爛れ、毛は抜け落ち、肉が焼けただれたように赤黒く変色していた。
まるでナニカに溶かされたような、見るからに異様で痛々しい傷だった。
だが――1番目を引くのは、それじゃない。
傷付いた虎の傍らに、黒焦げでボロボロになった何かがあった。
それは――
「タイガ!!?」
「っ!!? 嘘……なんで……っ!!!」
そのぼろきれのようなモノの正体は……青いマフラーをした少年、タイガだった。
変わり果てた彼の側で、猫耳の少女ミヤコがうずくまっていた。
「うう……ぐす……っ!! ロマぁ……っ!!!」
「な、何があったんだい……?」
こちらを振り返る彼女の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
だが、そんな彼女の背中もただ事ではなかった。
ケープと服がドロドロに溶かされ、白い肌が丸見えになっていた。
「……!! というかキミもただ事じゃないじゃないか!! 大丈夫かい?」
「ミャーのことはいい!!! それよりもタイガを……っ!!!」
「……っ!! わかった……」
叫ぶミヤコの気迫に押され、ロマは無言のままタイガの治療を始めた――
――
――――
――――――
「――ガウゥ……」
「ガウァ……」
治療するロマを見ながら広場の虎達も、切ない声をあげた。
その場に満ちていたのは獣の威圧感ではない。
仲間をどうにか救ってほしいという、祈りに近いモノだった。
「まったく……キミ達が来てから大忙しだな……っ!!! 薬のストックを大量に用意しておいて良かった……」
ロマは苦い顔のまま髪をかき上げる。
その場でポーションの調合をしながら、タイガと大きな虎の傷口を観察する。
「虎の方は……酸でも浴びたのか?」
「わからない……でもクロトは〝毒〟だって言ってた……」
ポツリと呟いたミヤコの言葉に、ロマとルリノは思わず顔を見合わせた。
「っ……!! 色々と衝撃的だが、1つずつ教えてくれるかい?」
「……クロトに、賞金首だってことがバレた……それで戦った結果、こうなっちまって……っ!!!」
ミヤコはうつむきながら、拳をギュッと握る。
「毒からは、ミャーが守ろうとしたんだけど……タイガは爆発を食らったんだ……っ!!!」
「なるほど。キミには毒耐性があるからね……それでその背中か……」
「……ミヤコさん……」
ルリノは羽織っていた上着を、そっと慰めるようにミヤコの肩にかけた。
ミヤコは受け取った上着の上から、自分の体を抱きしめ震える。
「タイガがあんなにも、一方的にやられるなんて……っ!!」
「それが《B》ランク冒険者の力だ……満身創痍で勝てる相手じゃない」
ロマは短く唸りながらも、腰に差していた試験管を2本、素早く抜き出す。
その栓を抜き片方の黄色の薬を虎に、もう片方の白色の薬はタイガにそっと流しかける。
「ングア……ッ!!! ……グウゥゥゥ……」
「……」
虎の巨体が一瞬びくりと跳ねる。
だが直後、その呻きはさっきよりわずかに落ち着いたものへ変わった。
傷口からは淡い緑色の光が滲み、爛れた部分を包むように広がっていく。
薬は確かに効いていた。少なくとも、痛みを和らげる程度には。
だが、タイガの方はうんともすんとも言わない。
その身体を淡い光が包むのは同じだが、彼は気を失ったまま何の反応も返さなかった。
「タイガ……」
ミヤコは心配そうな目をタイガに向けながらも、虎の方に近づき、その頭を撫でた。
「ごめんな……おミャーもタイガを逃がすときに、毒を食らったんだよな……」
時は、少し前に遡る――
――
――――
――――――
――タイガに絡みついていた糸が、突如として爆発した。
広場に絶叫が響き渡り、濃煙が辺りを包み込む。
その晴れ切らない煙の中に、クロトの毒の弾丸が撃ち込まれる――瞬間。
大きな白い虎が、煙に紛れてタイガを広場から連れ出していたのだ。
だがその際、クロトの毒を何発か食らってしまった――
――
――――
――――――
「――身を挺して、タイガを守ってくれてありがとう……」
「ガウゥ……」
だが虎自身は、守り切れたとは思っていないらしい。
悔しげに耳を伏せ、低い唸り声を漏らした。
「……薬が足りないな。また小屋から取ってくる」
「ロマ……私も手伝う!!!」
ルリノはすぐにロマの隣へ並んだ。
彼女の声に、ためらいはない。
「ルリノ……悪いね、キミには苦労をかけてばっかりだ」
「気にしないで……タイガさんと虎さんは、絶対に助けないと……!!」
「ああ……そうだね……!!」
2人はそのまま小屋へ向かって駆け出した。
「……ミャーだって……出来ることを……!!」
ミヤコも震える足で立ち上がり、おぼつかない足取りで2人の背を追う。
足元の土を蹴る音が、静かな森へ鋭く響いていく――
――
――――
――――――
「――どうだ……? タイガ、治りそう……か?」
必要な薬と機材を小屋から運んできた3人は、戻ってすぐにタイガと虎の治療へ取りかかっていた。
ロマの手元を見守ることしか出来ないミヤコは、焦りを押し殺しきれない声で問いかける。
「……ぶっちゃけ常人なら助からないけど、さっきの回復力を見たばかりだからね……まだ息はあるし心臓も動いてるから、可能性はゼロじゃない」
「……そうか……」
ロマは傷口に薬を塗り広げながら、冷静に今の状況を分析する。
その返事に納得したのか、それとも不安を覚えたのか……ミヤコの表情は陰に隠れて見えなかった。
「にゃんで……にゃんでこんなことに……タイガは悪いことしてないのに……一昨日だって、村を守って……それなのに……っ!!!」
「ミヤコさん……」
ルリノはその横顔を見て、胸を痛める。
「まさかクロトさん達が……2人に襲い掛かるなんて……」
「ああ、そうだね。聞いた限り、状況はかなり悪いね……」
ロマも治療の手を止めずに、ミヤコから聞いた話を頭の中で組み立てていた。
傷を治せたとしても、クロト達に見つかればまた襲われる。
タイガとミヤコを、どうやって追っ手から守ればいいのか。
「……やっぱり……腕利きの冒険者だけど、ちょっと過激なところがある人だって、そうわかってたのに……私……」
クロトのしたことを知り、ルリノの表情が暗く沈む。
服の裾をいじる指が止まらず、声も次第に小さくなっていった。
「おいおい。間違ってもルリノ、キミのせいではないからね?」
「……でも……」
ロマがそう言っても、彼女の顔は晴れない。
しばらくの間、唇を引き結んだまま、うつむいてしまう。
しかし――
「――やっぱり……言うべきだ……っ!!」
ルリノは意を決したように小さく呟くと、ぎゅっと両手を握りしめる。
そして、顔を上げた。
「ご、ごめんなさい……っ!!!」
「え……?」
突然、深く頭を下げるルリノ。
ミヤコもロマも、揃って目を丸くする。
「ルリノ……? だからキミは悪くないって……」
「違うの!!! 私……黙ってたことがあるの……!!!」
ロマの言葉を遮り、ルリノは震える声で言った。
「確信は……持ててないけど……絶対じゃないけど……」
何度も予防線を張るように言いながらも、彼女の目は逸れなかった。
言わなければならない。
そう思っているのが、その必死な声音だけで伝わってくる。
そして……次に口からこぼれた言葉は、あまりにも重かった――
「――昨夜の〝惨殺死体〟は……クロトさんがやったモノだと思う……っ!!」
「「っ!!!?」」
第81話は明日の20時10分に投稿です。
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