第79話 “敗走”
「っ!!? 猫さん……!?」
今まで冷静さを崩さなかったノエルの目が、大きく見開かれる。
小さな少女の背に浴びせられた猛毒。その凄惨な有様に、彼女の頬を冷たい汗が伝った。
「そんなァ……っ!!? ミヤコ、どうして……!!!?」
「あぐうううう……があああああああああああああああああッッ!!!!!」
ミヤコは地面にうずくまり、絶叫をあげる。
タイガは目の前の光景を理解しきれず、立ち尽くしたまま、ただ目に涙を滲ませることしか出来ない。
毒を浴びた背中の状態は、あまりにも酷かった。
纏っていたケープもシャツも見る間に溶け、露わになった肌は赤くなっていた。
このままでは肉まで溶ける。
いや、それだけじゃ済まない。もっと深く、もっと取り返しのつかないところまで蝕まれてしまう……そんな最悪の想像が、タイガの頭の中で一気に膨れあがった。
「は、早く……っ!! 毒を流さないと……!! み、水……? 水で毒を……あ……っ」
動揺するタイガだが、その瞬間に〝何か〟に気づく。
しかしその隙を、漆黒の冒険者は見逃さない。
「ふ……よそ見をしていていいのかな?」
クロトは鼻で笑い、愉しげに視線を落とす。
その先には――
ジジジジジジ……
糸の先端を舐めるように燃えながら、こちらへ進んでくる小さな火があった。
「え……? なんだこれ……こっちに、向かって……」
その炎はゆっくりと、だが確実に、身動きが取れないタイガの元へ向かっていく。
その火の進み方に、タイガは見覚えがあった――
「なんだよ、これ……まるで〝導火線〟だ……っ!!!?」
――気づいた時には、もう遅い。
いつの間にか、タイガに絡みついていた透明な糸の一部が、黒く変色していた。
火はタイガの足元まで到達し、彼の全身に纏わりついていた糸へ触れる。
次の瞬間、その糸すべてが閃き――
――ドカアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンッッッ!!!!!!
「うわあああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!?」
激しい閃光が視界を焼く。
爆音が遅れて空間を殴りつけ、衝撃が地面ごと周囲を震わせた。
タイガに絡みついていた糸が、炎に触れた途端、爆裂したのだ。
「〝爆裂糸〟……!!! ははは!! どうだ、木っ端みじんだ!!!」
「が……っ!!! かはァ……っ!!!!」
黒煙の中で、タイガが息を潰されるような声を漏らす。
全身でまともに爆発を食らい、服も肌も煤に汚れ、衝撃で身体は大きく揺らいだ。
膝が折れ、目からはみるみる光が消えていく。
包帯の下から、また赤いものが滲んでいく。
今にも意識が途切れそうだった。
「っ!!? た、タイガァッ!!?」
苦痛に顔を歪め、身を縮めていたミヤコも思わず顔を上げる。
「嘘だろ……タイガの……力になれたと思ったのに……!!!」
彼女の声は、自分が猛毒を浴びた瞬間よりも震えていた。
身を挺してまで守り抜こうとした彼が、結果的に自分よりも重傷を負っている。
そのショックは計り知れない。
「ふ……まだだ。オレ様は念には念を入れるタイプだ」
「!!!? や……やめろォ!!!!」
ミヤコは息を詰まらせながら、何度も制止の言葉を重ねた。
次に何をされるのか、もうわかっている。やめさせなければ、今度こそタイガが死ぬ。
だが、その悲痛な叫びは、黒き冒険者の愉悦を止めるにはあまりに弱い。
クロトの指先が――再び紫に染まる。
「チェックメイトだ……〝スレッド・シュート〟!!!」
「うわああああああああああああああああああッッッ!!!!?」
バババババアンッッッ!!!!
次の瞬間、まだ晴れきらない爆煙めがけて、無数の弾丸が容赦なく撃ち込まれた。
毒を帯びたそれらは、濃い煙の奥へ次々と食い込み、鈍い炸裂音を連ねていく。
「やめろォ!!! やべてぐれえええェェェ!!!!」
猛毒の弾が撃ち込まれるたび、煙の塊がびくびくと揺れた。
灰色だった濃煙は、見る間にどす黒い紫へ染まっていく。
あの中がどうなっているのか、わざわざ目にしなくてもわかってしまう。
煙の向こうでは、今も毒がタイガを蝕んでいるはずだ。
無事でいてほしいのに、思い浮かぶのは、傷ついていく彼の姿ばかりだった。
「あ……ああ……っ」
ミヤコの喉から、もはや言葉にもならない声が漏れる。
視界の奥から色が抜けていく。
背中の痛みすら遠のいて、ただ目の前の地獄だけが、異様な鮮明さで広場を埋め尽くしていた――
――やがて。
何発もの毒弾を吐き尽くし、ようやくクロトの攻撃が止む。
その静けさが、さっきまでの轟音よりもよほど恐ろしかった。
ゆっくりと。
重たく淀んだ煙が、押されるようにして薄れていく。
濃煙の中央。
そこにタイガは――
――いなかった。
「……え?」
ミヤコは、目の前の光景を理解出来なかった。
焼け焦げた地面。毒に汚れた煙の名残。
けれど、そこにあるはずの少年の姿だけが、跡形もなく消えていた。
「あ、跡形もなく消えた……? いや……でも……」
まさか、タイガは毒に溶かされてしまったのか。
けれど、それにしては何かがおかしい。
あの場に残るはずのものが、あまりにも少なすぎる。
そして、その疑問に明確な答えを持つ者がいた。
「ち……っ、〝逃げた〟か」
毒弾を放った張本人――クロトだった。
その舌打ちは、怒りというより、計算を狂わされた苛立ちに近い。
その言葉を聞いた瞬間、周囲の冒険者達の間にざわめきが走った。
「え……あ、ありえないですよ!! あんな状態で動くなんて……」
「毒で跡形もなく消えたんじゃないですか?」
だがクロトは、それを即座に切り捨てる。
「いいや、それこそありえない。あの毒は人を一瞬で消せるようなもんじゃない。仮に出来たとしても、そこまでの量は撃ってないしな」
冷静に言い放ちながらも、その目には、僅かな動揺が浮かんでいた。
自分の攻撃を最も正確に把握しているからこそ、導き出される答えが信じがたいのだろう。
「あんな手負いの状態で、更に爆発まで食らってるのに……とんでもない〝タフネス〟だ……」
タイガは、クロトが仕留めたつもりでいた間に逃げ延びていた。
その事実を、いちばん認めたくないであろうクロトが真っ先に受け入れている。
「そう遠くへは行けないはずだ……このあたり一帯をくまなく捜せ!! 草の根を分けても探し出せ!!!」
「りょ、了解!!!」
クロトの号令が飛ぶや否や、冒険者達は一斉に散った。
広場から路地へ、路地から家々の影へ、慌ただしい足音が村中へ広がっていく――
「――あれ……? 猫さんは……?」
その喧騒の中で、ノエルがぽつりと呟いた。
「嘘……猫さんも消えてる……!!」
「まったく……すばしっこいネコ共だ」
ミヤコがうずくまっていた場所には、もう誰もいない。
ノエルの耳がピンと逆立つ。
「あんなまともに毒を受けたのに……動けるなんて……」
驚愕する彼女に、冷静な態度でクロトが指摘する。
「いや、あいつは〝毒を食らってなんかいない〟」
「え……? どういうこと……?」
聞き返すノエルだが、それに対しクロトは首を振る。
「さあな、オレ様にもわからん」
「……なにそれ」
曖昧な答えにノエルは呆れた様子で彼を睨む。
だがクロトはそんなことは気にせずに、村の小屋へと視線をやる。
そこにはつい先ほど、自身の毒の弾丸でドロドロに溶かした柱があった。
「まあ、何はともあれ……丁度いい」
クロトは溶けた柱から、家々の隙間に覗く人影へと目を移す。
「すべてをなすりつけるのに、ヤツらは随分と好都合だからな……!!」
村人達は、クロトの思惑など知る由もなく、不安げに広場を窺っていた。
クロトの口角が、ゆっくりと吊り上がる――
第80話は明後日の20時10分に投稿です。
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