第6話 “シャワーの中に、ほどける記憶”
――小柄な女性の調査員に連れられて、猫耳の少女は城の長い廊下を歩いていた。
行く道の壁には、高そうな調度品が整然と並び、床に敷かれた絨毯は足音を優しく吸い込んでいる。
「まったく……なんで私が部屋案内なんて任されるアル……」
ぶつくさ言いながら、女性調査員は少女を先導していく。
背丈は低めながら、腰には二振りの刀を携えており、その歩き方からは鍛え上げられた武闘家の気配が滲んでいた。
黒髪のおさげには赤いメッシュが編み込まれ、髪が揺れるたびに深紅の輝きが目を引く。
「マ、私以外に女の子の調査員は居ないから、しょうがないカ。でも私〝副隊長〟なのにナ~」
「え!? おミャーそんなに偉かったのか!!?」
「うん! まあ、あのハーフエルフも〝副隊長〟なんだけどナ。うちには2人も〝副隊長〟がいるアル」
そう言って胸を張る彼女の胸元には、上の階級を示す銀色のバッジが輝いていた。
少女は驚きと関心の入り混じった瞳で、その姿をまじまじと見つめる――
◆ ◆ ◆
――やがて、豪奢な装飾が施された扉の前で足が止まった。
「ここが、オマエの泊まる部屋アルヨ」
調査員が訛りの強い声でそう言って扉を押すと、ふわりと淡い香が鼻先をかすめた。
目に飛び込んできたのは、赤と金を基調にした豪華な部屋だった。
けれど派手すぎることはなく、絹の柔らかな色合いが、どこか落ち着いた空気を漂わせている。
壁には鳳凰の刺繍。
窓からは柔らかな光が差し込み、奥には天蓋付きの寝台が鎮座していた。
透ける薄布と金糸の布団――ここはまるで絵本に描かれるような幻想的な部屋だ。
そして中央には、見覚えのあるふかふかの長椅子。
少女はその座り心地を気に入っていたので、見つけた瞬間に思わず頬を緩めた。
「明日の昼まで、ここでゆっくりするアル。風呂も、食事も、寝具も全部用意してあるネ」
「……あ、ありがとう……す、すごい部屋だにゃァ……!!」
少女はおそるおそる長椅子に腰を下ろし、きょろきょろと周囲を見回す。
柱の細工に、天井の模様。何もかもが庶民の暮らしとはまるで違っていた。
「なに言ってるカ。〝勇者のペンダント〟見つけたら、オマエもこのくらいの部屋住めるアル」
「え!? そうなの!?」
「いや……これの倍はデカい部屋作れるネ」
その言葉に、少女は目を見開いた。
それだけの報奨金が出るということだろう。思わず口元がゆるむ。
「あはは!! いや〜にゃんか悪いなァホント。ミャーはただ昔、故郷の『行っちゃダメ』って言われてた内緒の小屋に行っただけにゃのに~」
「全然悪そうに思ってないアル。顔がニヤけまくってるヨ」
調査員に言われた通り、少女の口元は緩み、目もへにゃっと曲がっていた。
あまりにも無防備で、ふぬけた顔だった。
「ま、私はもう行くヨロシ。ごゆっくり〜」
そう言って調査員は軽く手を振り、扉を閉めて部屋を後にした――
――やがて周囲に人の気配がなくなったのを確認すると、少女はベッドに向かって勢いよくダイブした。
「にゃはははは!! にゃんてラッキーだにゃ! 上手くいけば一生遊んで暮らせるにゃあ!!」
ふかふかの布団に体を埋め、手足と尻尾をばたつかせる。
少女の笑い声が、だだっ広い部屋に響いた。
その頬は紅潮し、金の刺繍が施された豪華な掛け布団の感触に、全身が喜びで満たされた。
無意識に喉も上機嫌な音を奏でる。
「ゴロロロロ……!! いや~! でもまさか、あんにゃ村にあったペンダントが〝勇者の装備〟かもしれにゃいなんてな!!」
自然と笑みが止まらなくなる。
けれど、村の事を言葉に出した途端、胸の中で何かが静かにざわめいた。
「ほんと、にゃんで勇者もあんな辺境に、そんな大事なものを残したんだろうな~。あんな村に……」
ふいに、心の奥底に沈めていた記憶が浮かび上がってくる。
あれほど浮かれていた気分が、足元から静かに崩れ始める――
(――ここから出すわけにはいかないの……!)
(――みんなとは……もう会っちゃダメ……!!)
(――これからは……独りで……生きていきなさい……)
――脳裏に響いたその声は、どれも冷たく……苦いものだった。
「……あんにゃ……村に……」
豪奢な調度で飾られた部屋に、少女の声だけがぽつりと落ちた。
先程まで笑い声が響いていた空間に、今は静けさが染み渡っていく。
仰向けのまま、しばらく天井を見つめていた。
そしてふと、力なく呟いた。
「――風呂行こ。クエストに行ってたせいで、しばらく入れてなかったにゃ」
ベッドの上で独りごちると、彼女は身を起こし、軽やかな足取りで部屋の奥へと向かった――
◆ ◆ ◆
――来賓用の浴室は、赤と金の装飾がほの暗い灯りに浮かび上がり、静かな空気に包まれていた。
少女は肩のケープを外し、旅装束を1つずつ脱いでいく。
彼女の白い肌が、徐々に湯の気配に触れ始める。
華奢な肩。
なだらかな曲線を描く腰回り。
室内に漂う湯気にそっと包まれ、その表面はほんのりと熱を帯びていった。
きめ細かなその肌は、あたたかな空気にふわりと撫でられ、肩や頬に仄かな紅を灯す。
衣服を畳んで籠に収め、首元のチョーカーを外す。
小さな鈴は音を立てず、静かに布の上に落ちる。
そして少女は、湯気の漂うシャワールームへと足を踏み入れた――
――大きな窓の向こうでは、城から見える都市の光が、乳白色の湯けむりの向こうで揺れていた。
「……これ、どうやって使うにゃ?」
つぶやきながら、少女は壁に設置された金属の蛇口をじっと見つめた。
初めて見る機構に、わずかに眉をひそめつつ、手探りで操作してみる。
静寂に包まれたシャワールームに、ひとつ、滴る音。
ほどなくして、あたたかな水流が細い肩を打ち、しなやかな背へと静かに滑っていった。
「おお、すげェ……あったかい水が流れてくるにゃ……」
声に驚きが混じる。
肩をすくめるように身じろぎしながら、少女はその感触に身を委ねていた。
その雫は、少女の体をゆるやかに流れ下っていく。
濡れた尻尾が背後で静かに揺れ、その毛並みは湯気をまとって仄かな艶を帯びていた。
「……ふう……」
少女は目を伏せ、小さく息をこぼす。長いまつ毛の陰にその表情を隠しながら、ただ、身体に落ちる熱を静かに受け入れていた。
湯気に包まれながら、彼女は瞬きを一度……
まるで、そのまぶたの裏に何かを見たかのように――
(――ゃん! ……子猫ちゃん!)
――かすかに揺れた耳の先に、遠く過ぎ去った誰かの声が触れた気がした。
熱いシャワーが降り注ぎ続ける中で、少女の意識は、やがて静かに記憶の中へと沈んでゆく――
◆ ◆ ◆
――4年前。
東の大陸、辺境の地〝ヤマモモ村〟。
それは少女の――かつての故郷。
「どいて! どいてェ!!」
昼下がりの村。
土煙を上げて駆ける足音が、村に響く。
駆け抜けるのは、1人の若い女性。焦りを滲ませたその声に、人々は道を開ける。
「お、〝チーシャ〟じゃないか! 子供達が帰ってきたって――」
「知ってる!! だから病院に急いでるの!!!」
駐在の問いかけを食い気味に遮ると、〝チーシャ〟と呼ばれた女性は息も荒く走り抜けた――
「――子猫ちゃん!!! みんな!!!」
本来、静けさを保つべき診療所の大部屋に、けたたましい声が響いた。
その瞬間、ベッドにいた子供達が一斉に顔を上げる。
「あ! おかーさん!」
その中のひとり、頬と手足にガーゼや絆創膏を貼った子供が、声をあげた。
猫耳と尻尾を持つその子こそ、まだあどけなさを残した幼き日の少女だった。
部屋には他にも複数のベッドが並び、そこには彼女と同じように手当てを受けている子供達がいた。
包帯だらけの子もいれば、足をギプスで固定されている子もいる。
チーシャはずかずかとその中を進み、少女のベッドの前でぴたりと足を止めた。
「え、えへへ……おかあさん……こ、これ……」
彼女は絆創膏だらけの手で、小さな花を差し出す。
それだけで、部屋の空気が澄んだ風のような香りに包まれた。
「も、森の奥でしか咲かない伝説の花……〝ブレイブフラワー〟……これが、どうしてもほしくて……」
「こォんの大馬鹿ァ!!!」
「ぐへェ!!」
小さな頭に、ドンッ! と、容赦ないゲンコツが振り下ろされた。
「コラァ!! 怪我人だぞ!」
横から声を飛ばしたのは、この村で唯一の医者――白髪混じりの、おじさんだった。
「だって!! この子ったら3日も帰ってこなかったのよ!!? みんながどれだけ心配したと思ってるの!!!」
「だからって、ぶつことにゃいじゃ~ん!!」
少女は涙目になって母を仰ぎ見た。
チーシャ――彼女は、見た目には少女の姉と言っても通じるほど若々しい女性だった。
明るい茶色の長い髪をおさげに結んで、田舎の村の風景によくなじんでいる。
けれど、近くで見るとびっくりするほど可愛い――そんな女性だ。
だが今は、その顔が怒りで歪んでいた。
橙色の瞳が、陽炎のように揺れている。
「あんたねェ……みんながどれだけ心配したと思ってるの!! 村長……お父さんなんて徹夜して村の若い男達と、みんなを探してたんだから!!」
その言葉に、少女の表情が一変する。
「え……おじいちゃんが? もう結構な年なのに……」
小さな肩がすくみ、手元の布団をぎゅっと握りしめた。
彼女の隣にいた子供達も、次々に視線を伏せる。
そして……
「ご……ごめんなさい! みんなに心配かけて」
「ボクも……本当にごめんなさい!!」
「ごめんなさァい……」
子供達が次々に謝罪の言葉を並べていく。
「……ふふ」
それを聞き、チーシャは少しだけ表情を和らげた。
「うんうん、みんなはちゃんと謝れて偉いね。あとでみんなの親御さん達が来ると思うから、その時にもちゃんと言うんだよ?」
「「「はーい!!」」」
猫の少女以外の子供達は、元気よく返事をする。
「さあて……そんな素直なみんなと違う、〝悪い子〟は誰かなァ?」
「にゃ、にゃあ……」
目をそらす〝悪い子〟に、チーシャはジトっと鋭い視線を送る。
「……」
「……やれやれ」
口をつぐむ娘に、チーシャは肩をすくめたが――
少しして……少女はゆっくりと、口を開いた。
「みゃ……ミャーが一番、悪いんだ……みんにゃに無理言って……花を取りに行こうって、言いだしたのは……ミャーなんだ」
「……子猫ちゃん……」
チーシャは真剣な目で、娘をまっすぐに見つめる。
「だ、だから……みんにゃ……おかあさん……」
涙をこらえるように、少女は唇を噛み――やがて、その想いを吐き出した。
「……ごめんなさい……ッ!!」
「……」
病室に、しんとした沈黙が落ちる。
子供達は言葉を飲み込み、チーシャの反応をじっと待つ。
「ば、化け猫……」
ぽつりと、誰かが小さくつぶやいた。
罵倒ではない。
〝化け猫〟は村の子供達に呼ばれている愛称だった。
初めはみんなと違う、少女の耳と尻尾をからかうために呼んでいたが、今ではすっかり子供達の中で定着した、親しみのこもった名前だった。
――わずか数十秒。けれど途方もなく長く感じられた沈黙のあと。
チーシャはグイっと、少女の体を抱きしめた。
「……おかあさん……?」
戸惑いの声を上げた娘を、母は全身で包み込む。
泣きたくなるほど強く、けれど溶ける様に優しく。
「……バカ……心配したんだから……ッ!!」
その言葉と共に、チーシャの瞳に光るものが浮かんだ。
頬を伝うほどではない。
だけど確かにそこにあるのは、感情の滲みだった。
「……おかあさん……ッ!!」
少女もまた、小さな腕で母を抱きしめ返す。
温もりに包まれながら、彼女の頬にも涙が滲んでいた。
「おかえり! 子猫ちゃん!!」
その一言に、少女は笑顔を見せ――大きくうなずいた。
「うん! ただいま!!」
◆ ◆ ◆
――水音の向こうで、ぬくもりが揺れていた。
柔らかな声、体を包む感触。
それは、遠い日に母と過ごした幸せな記憶。
けれど少女の胸に残ったのは、微笑みではなく、深く息を吸いたくなるような、淡い痛みだった。
蛇口をひねると、ぬくもりの奔流が途切れた。
たちまち静寂が浴室を包み、残されたのは、肩先から名残惜しげに滴る雫の音だけ。
ほんのり桃に染まった白い肌は、水滴をまといながらかすかに光を帯び、湯気の中で揺れている。
少女は扉へ向かって、一歩踏み出す。
引き戸を開けると、間接照明の柔らかな明かりが、薄暗い脱衣所に滲んだ。
火照りの余韻を残したまま踏み出した足裏に、ひやりとした空気が絡みつく。
湯気に包まれていた身体が、静かに現実の温度に触れていく。
棚に置いてある薄い麻のタオルを手に取る。
やわらかな布を頭に乗せると、髪を包み込むようにゆっくりと拭きはじめた。
やがて、彼女は用意されていた寝間着を手に取る。
薄いベージュのシャツは、柔らかな布地が皺ひとつなく折りたたまれていた。
頭からくぐらせると、ゆっくりと袖を通し、布が素肌を撫でながら落ち着いていく。
寝る支度を整えた少女は、いったん小さく息をついた。
ひとり静かに、灯りの落ちた部屋へと歩き出す。
遠い思い出の、余韻をまとったまま――
~あとがき~
第7話は明日の18時に投稿です。
第1章完結まで毎日投稿中!!
『ヤマモモ村』について――
東の大陸の南端、深い森に囲まれた偏狭の地。
人口100人前後の小さな村。
〝ヤマモモ〟の名を冠し、同名の果樹を大切に育てている。
家々は日干し煉瓦で築かれ、平らな屋根の上には干された魚や果物が並ぶ。
細い路地にはヤギやロバが行き来し、子供達のはしゃぐ声が、その静けさを時折破る。
畑では麦や豆が育ち、川辺では男達が網を投げて魚を捕らえる姿が日常の光景だった。
外の世界との交流がほとんど絶たれたその村には、昔から多神教の教えと、そして――
〝勇者〟にまつわる伝承が静かに息づいていた。




