第67話 “雷鳴”
――グリングリンロッジから少し離れた森の奥。
深い緑が、海のように広がっていた。
その中にポタッと一滴の墨を垂らしたかのような黒がある。
真っ二つに裂けた、1本の大木。
断面は炭のように焦げ、プスプスと白煙を上げていた。
「わわ……!! 危ないところだった……まさかこんな離れたところまで飛ぶとは……!!」
焦りながら茂みをかき分けて飛び出してきたのは、まだ少し電気を纏った少年――タイガだった。
「念のため、森のめっちゃ奥で特訓してて良かった~。村の近くに落ちたら大変だもん」
「いや充分に危ねェよ……」
呑気に笑うタイガの背後で、ミヤコは完全に青ざめていた。
猫耳はピンと立ったまま警戒し、尻尾も不安げに揺れている。
「あれ、遠くに落ちたから良かったけど、ミャーのとこに飛んで来てたら死んでたぞ……?」
「あ……!! そっか、ごめんね」
「ごめんじゃねェよ……はぁ……」
いつものように呆れた返事。
けれど今日は、その声の沈み方がひときわ深かった。
「ん? どうしたのミヤコ? なんか暗い顔してるね」
「ああ……どっかの〝誰かさん〟が、またやらかしたからな……ッ!!」
ミヤコはわなわなと肩を震わせる。
「そうか……その〝誰かさん〟のせいでミヤコは暗い顔してるのか!! まったく困ったヤツだ……!!!」
「そうだな……自分のことと知らずに呑気に〝雷〟ぶっ放してる、非常に面倒なヤツだ……っ!!!」
「〝雷〟か!! ボクと〝同じ属性〟の魔法を……ん?」
そこまで言って、タイガは気づく。
「……それって……ボク……? なんで?」
「なんでじゃねェだろ!!! おミャー……っ!!!」
ミヤコはリュックから小さな木製のかごをばっと取り出し、ぶちまけるように叫んだ。
「なんであの〝レアスライム〟を逃がしちまったんだああああアァッ!!!!」
渾身の怒声が森の中へ響く。
彼女が抱えるかごの中には、昨日までは鮮やかなピンク色の小さなスライムがいた。
「あの〝メルヘンスライム〟はなァ!! 売れば30万ディジーにもなる、〝レアモンスター〟だったんだぞ!!!」
「あ~。プゥプルのことか」
鬼気迫るミヤコの叫びを受けても、タイガは「そんなこともあったな」くらいの調子で首をかいた。
その反応が、ミヤコの怒りにさらに油を注ぐ。
「にゃんでだ!!? にゃんで逃がしやがったッ!!!? ただでさえ旅の資金は足りていないのに!!!」
ミヤコはタイガの胸倉をがっと掴み、ぐいっと引き寄せた。
だがタイガは顔色ひとつ変えず、あっさりと言う。
「だってさ、〝窮屈〟そうだったじゃん」
「っ!!? 〝窮屈〟……?」
その一言に、ミヤコの目が大きく開く。
「うん。プゥプル……ずっと怯えていたんだ、かごの中で。だから逃がした」
「だからって……おミャー……」
ミヤコの指先から、ほんの少しだけ力が抜けた。
「相手はスライム……〝モンスター〟だぞ……? それに〝同情〟したのか……?」
「そんなんじゃないよ。ただ嫌なんだ、誰かが〝窮屈〟な思いをするのが」
「……」
ミヤコは何も言わず、タイガの服から手を離した。
握り込まれていた胸元には、まだ皺が残っている。
風に揺らされた空っぽのかごが、カタ……と小さく鳴った。
「……それが……おミャーの思う〝勇者〟の姿か?」
「え……?」
その言葉に、今までどれだけ捲し立てられても動じなかったタイガの瞳が、初めて小さく揺れた。
「……いや……どうだろう……これはただ、ボクが〝そうするべき〟って思ったことだから……」
「……そうか……はぁ~……っ!!!」
ミヤコは大きく息を吐き、片手で顔を覆った。
(タイガのそういう哲学に、ミャーも救われた身だ……ち……っ!)
怒っていたはずなのに、怒りだけでは片づかないものが混ざってしまったらしい。
その様子を見たタイガは、きょとんとしたまま立ち尽くす。
けれど何かまずいことをしたのだとは察したのか、少しだけ眉を下げた。
「えと……ごめんね?」
「ホントだよ……これからは、勝手なことするなよ」
「うん、気を付ける」
一応は反省したらしいタイガに、ミヤコは完全には納得していない顔のまま、無理やり矛を収める。
「さぁ!! それじゃあ特訓に戻ろうか!! ビリビリィ……ッ!!!」
「あ……!! ちょっと待て待て!!」
切り替えの早さそのままに、もう一度雷を放とうとしたタイガを、ミヤコは慌てて止めた。
「もっと森の奥に行った方がいいだろ。村まで轟音が届くかもしれないから」
「あ、そっか」
タイガは素直に頷くと、纏っていた雷をいったん散らした。
青白い火花がぱちぱちと弾け、すぐに空気へ溶けて消えていく。
「気を付けろよ……何度も撃って、威力は上がってきてるくせに、相変わらず遠くを狙うと〝でたらめ〟な方向に飛んでいくんだから……」
ミヤコは、黒く裂けた幹を睨んだ。
自分の真上にあれが降ってきたらと思うと、胸がゾワッと冷える。
そんな緊張の残る空気を、がさりと茂みを揺らす音が破った――
「――おいおい……〝でたらめ〟って……その話は本当かい?」
茂みをかき分けてロマが現れた。
半分あきれ、半分引き気味の表情でタイガを見つめている。
「とんでもなく危険じゃないかキミ……」
「あ! ロマ!! いや~、ボクも上手いこと制御出来るように頑張ってるんだけどさ~」
タイガは困ったような表情を浮かべ、頭をポリポリかいた。
「え……? さっきの雷……もしかしてタイガさんが……? ってうわっ!!?」
ロマの後ろにいたルリノが、真っ黒に焦げた大木を見た瞬間、目をまん丸にした。
勢いよく後ずさりし、思わずロマの袖をぎゅっとつかむ。
「こ、これ……呪文の練習でやった……の……?」
「うん……でも上手く制御出来ないんだ……」
タイガは腕を組み、眉を寄せて唸っていた。
そんな中、ロマがため息をひとつつき、助け舟を出すように言った。
「ちょっと見せてくれないかい? キミの呪文。威力は抑えた状態でね」
「うん! わかった!! じゃあ、あの木に向かって撃ってみるね」
タイガは返事が終わるより早く、跳ねるように距離を取り、狙いを定める。
だがその最中に、ロマは思い出したように呟く。
「あ……ごめんね、相談事の途中だったのに。タイガに持っていかれちゃったね」
ロマは申し訳なさそうに肩をすくめ、隣のルリノを見る。
話題が自然と特訓に切り替わってしまったのを気にしているようだった。
「いいのよ、別に。正直、記憶がないっていう不安を誰かに聞いてほしかっただけだから……」
「そうか……その不安を、少しでも減らせたのならいいんだけど……」
ロマは優しく言い、ルリノの表情を確かめるように見つめる。
まだ不安は消えていないが、少なくとも先程よりは落ち着いている……そう思った矢先――
「――ピ……ッカアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
「うおォッ!!?」
ピッシャアアアアアアアアアン!!!!
雷鳴のような叫びとともに、タイガの指先から凄まじい電光が迸った。
それは標的の木へ――はいかず、その右隣の木の中心を派手に焼き焦がす。
ズゥン!! と大地に伝わる振動。焦げた匂いが一帯に広がる。
「だあー……!! この距離、威力でもダメかぁ……ボク魔法は向いてないのかなぁ~」
「い、いや……普通に物凄い威力だし……それに……え?」
ロマは呆れと戦慄の中間のような表情を浮かべながら、ゆっくりとタイガを見る。
「キミ……〝呪文〟は?」
「え? ああ、ボク知らないんだよ、〝雷の呪文〟」
「な……!!? じゃあ今まで〝無詠唱〟でやってたのか!? この大木の時も!?」
ロマは震える指で、先ほど縦に真っ二つになった大木を指し示す。
「うん、そうだよ……もしかして、何かスゴイことなのかな!?」
タイガは期待で目をキラッと輝かせ、ロマを見つめた。
ロマは、肺の中身を全部吐き出すような深いため息をつく。
「……はあぁー…………ああ、キミは物凄い〝大馬鹿〟だよ……」
「な……っ!? 大馬鹿!!?」
容赦のない評価に、タイガは心臓を撃ち抜かれたように肩を跳ねさせた。
「いいかいタイガ……〝雷属性の呪文〟は、まず〝初級〟から……」
ロマが説明を始めかけた、その時だった――
――不意に、森の音が消えた。
「……?」
「どうしたの? ロマ?」
唐突に言葉を切ったロマに、ルリノは首を傾げる。
違和感――それが彼が口を止めた理由。
タイガも無言で辺りを見回している。
さっきまで聞こえていた葉擦れが、鳥の声が、風の流れまでもが、ぴたりと止まった気がした。
すぐ隣で、ルリノの服がこすれる音だけが、やけにはっきりと聞こえた――
そして――
「――ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァッッッ!!!」
「「「「!!!?」」」」
第68話は明日の20時10分に投稿です。
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