第66話 “連鎖する異変”
「――はぁ……っ!! はぁ……っ!! ……んはァッ!⁉︎」
ルリノは飛び起きた。
自室のベッドが激しく揺れる。
肩で息をし、全身が水をかぶったみたいに汗で濡れている。
胸の奥で、心臓が暴れるように跳ねている。
「……ま、まただ……また、体が溶ける……夢……」
震える指先で、自分の腕をつねる。
もちろん、指が沈むはずもない。
そこにあるのは、いつもの温かい自分の腕――
――けれど、それでも。
「2日も……連続で……」
つねった腕から、なかなか手を離せなかった。
息を整えようとしても、また体が形を失う気がしてならない。
(私……どこか変なのかしら……)
ルリノは不安を振り払うように首を振り、窓の方へ視線を向ける。
するとちょうど、焦ったような早いノックの音が部屋に響いた。
「ルリノちゃん!! 大変だァ!!」
「へ……? ど、どうしたの……?」
扉を開けて飛び込んできたのは、汗だくの村人。
彼が告げたのは、衝撃的な一言だった。
「大変だ……昨日から居なくなってたあいつが、変わり果てた姿で見つかった……!!」
「え!!?」
――
――――
――――――
――昼前、ロッジの外れの小屋。
目覚めたロマはしばらく机の前で呆けていた。
(……頭が痛い……転生前の、最悪の夢を見たせいだ……)
ぼやけた視界に、また夢で見たミドリの姿が浮かびそうになり、ロマは頭を振る。
(ああ、いや……でも……あれは最悪ではないか……最悪は――)
――思い出すのは、いつもとは違う夕方の屋上。
そこに佇む彼女は――
――コン、コン。
沈みかけたロマの意識を、ノックの音が引き戻した。
「……昨日と同じようなタイミングでの来客だな……」
「ロマ……居る? ちょっといい……?」
ルリノの声。
普段は明るく透き通る声なのに、今日は沈んだ響きが混じっている。
「ああ、今開けるよ」
ロマはドアを開き、ルリノを部屋へと招き入れた。
「どうしたんだい? ……って、昨夜のことだよね」
「えと……それもあるんだけど……」
ルリノは目を伏せ、小さく息を吸い込んだ。
「……ごめんね、ロマ。あなたに……聞いてもらいたいことがあるの……」
そのままぽつりぽつりと、都市での出来事を語り始める――
――
――――
――――――
「――治療中の記憶がないだって!!?」
ロマの声が一気に荒れた。
握りしめた拳が震えている。
あのときのマリーとのやり取りが、ロマの頭に蘇る――
――
――――
――――――
『――ルリノ嬢は〝世界で初めて〟の、その治療法の患者だからねェ……』
「――やっぱり……ロクでもなかったんだ、あの〝医者〟……!!」
ロマは椅子を蹴る勢いで立ち上がり、そのまま外へ向かって歩き出す。
「ま、待ってロマ!! なにをするつもりなの!?」
「決まってる! キミの〝主治医〟を問い詰めるんだ!! 昨日港町の酒場で出会ったんだ。子供みたいな見た目なのに、とんでもなく不気味な雰囲気の女だった……っ!!」
怒りと焦りが混ざった声。
だがその体を、ルリノが必死に両手で押しとどめた。
「お、落ち着いてよ……!! そんな喧嘩腰じゃあマリーさんと揉めるだけだわ」
「だからって……これが落ち着いていられるか!!! この様子じゃ、まだ帰ってこない〝村長〟のことも不安だ……!!!」
彼の気がこれだけ立つのは、ルリノの事だけじゃない。
「村長とはいきなり離れ離れになったんだろう? マリーから『村長に用事が出来た』って伝えられただけで……心配だ。こうなったら大都市でのこと、何があったか洗いざらい聞き出して……っ!!!」
「……お願いよ……ロマ……っ!!」
ルリノの声は震えていた。
潤んだ瞳が、まるで助けを求めるように揺れている。
ロマは言い募るのをやめた。
怒りの熱が少しずつ引くにつれ、ルリノを困らせてしまったことに気づく。
「……ルリノ……」
握りしめていた拳が、ゆっくりほどけていく。
「……ごめん……こんなことの為に、打ち明けた訳じゃないよね……」
「ロマ……ううん……いいのよ。私こそごめん。昨夜のことに加えて、今朝も新しく〝問題〟が起こって……せめて私個人の悩みくらい、誰かに打ち明けて少しでも気を楽にしようとしちゃったんだ」
「へ……? 今朝も問題が?」
「うん……実はね――」
――
――――
――――――
――今朝、ロッジの小さな診療所。
そこのベッドの上に、口をポカーンと開け、目の焦点が合わない男が1人。
「えと……ゴーボンさん?」
戸惑いながら男の名前を呼ぶルリノ。
だが彼からの反応はない。
口と鼻から汁を垂らして、なんとも情けない面を晒し続けている。
「ほら、なんてアホ面だ。村でも秀才で知られていたこいつが、変わり果てた姿になっちまって……」
「ほ、ホントね……でも勘違いするような言い方しないでよ……私はてっきり……」
家まで慌てて知らせに来た様子と、その言葉から最悪の事態を想定していたルリノ。
村人の生存が確認出来て、ひとまず胸をなでおろす。
けれど隣の村人は、その焦った調子を変えずに話す。
「大したことないように言うなよ! 確かに命は無事だったが、こいつの体を見てみろよ。かなり傷だらけだぜ」
「あ……確かに……」
その顔に目を奪われて気づかなかったが、彼の全身には包帯が巻かれ、治療の跡が残っている。
腕にも青いあざがあり、見れば見るほど、先ほどの安堵が薄れていった。
ルリノがその姿に唖然としていると、部屋に白衣を着た男が入って来た。
「まあ、全治2ヶ月といったところかね……ロマのポーションを使えば、半分ほどの期間に短縮出来るだろうが」
「ハスラさん! あの……なんでゴーボンさんはこんな……意識がおぼろげな状態に?」
ハスラと呼ばれた医者は、その白い口髭を撫でながら首を振った。
「わからん。酩酊状態に似た症状だが、アルコールは検出されなかった……何か〝未知の毒〟にでもやられたのかね」
そう言いながらハスラは、苦い顔をする。
「それに随分と痛めつけられていたよ……可哀想に……まあ、この様子じゃその時の痛みを覚えているかも怪しいがね」
「……そうですか……」
その言葉を聞き、ルリノはゴーボンに視線を向ける。
声を掛けた時から、その表情は少しも変わっていなかった。
宙を見つめる瞳。
その奥には、何か恐ろしいものを見てしまったような闇がある気がして……ルリノは、気づかぬうちに半歩ほど身を引いていた――
――
――――
――――――
「――マジか。そんなことが……」
今朝のことを聞き、ロマは険しい表情を浮かべた。
「ゴーボンさんが、何か〝良くない薬〟を使ったんじゃないかって可能性もあるんだけど……そんなことする人じゃないし……」
「ああ。彼がドラッグに手を出すとは思えない……とすると……」
ロマの脳裏に嫌な想像が浮かぶ。
「襲われた……?」
「でも……理由がわからないって。ゴーボンさん、財布は持ってたんですって。何かを盗まれた形跡はゼロ」
「じゃあ一体なんで……」
その時、唐突に昨夜のクロトの言葉を思い出す――
――
――――
――――――
『――この世界には想像を絶するような恐ろしいモンスターが沢山いるのさ……』
「――モンスター……〝未知の毒〟を持つモンスターにやられた……とか?」
「え!? それって……まさか……っ!!?」
その推理で、ルリノの中でも昨夜の惨劇と今朝の事件が繋がったのだろう。
彼女は目を見開き、顔を青くした。
「ああ、そうだ……」
ロマもその想像を、躊躇いながらもハッキリと言葉にする。
「根拠はまだ薄いけど……昨夜のヤツと〝同じ〟……かもな……」
――
――――
――――――
――昼間の港町。
表通りはもうすっかり目覚め、行き交う人々の声で賑わっていた。
その時、通りの一角で些細な揉めごとがあった。
別になんてことはない、この町ではよくある漁師と商人の喧嘩だ。
漁師の怒鳴り声は、通りに面したホテルの一室にまで、壁越しにくぐもって届いた――
「――んん……っ」
白い布にくるまっていた人物が身じろぎし、ゆっくりと目を開いた。
(……今、何時だ……?)
毛布の中から細い腕が伸びる。
机の上の懐中時計を引き寄せ、蓋を開けて時刻を確かめた。
「……寝すぎた」
そう小さく呟くと、ベッドを抜け出し、カーテンと窓を開けた。
昼の光が室内へ流れ込み、小さな人影を照らし出した。
ぼさぼさの長い茶色の髪。
光のない濃緑の瞳の下には、起きたばかりというのに濃い隈があった。
子供のような華奢な体を包む、いつもの汚れた白衣はなかった。
代わりにあばらが浮いた胸、内臓が詰まっているのか疑わしいほど細い腹がそこにはあった。
部屋には昨夜焚いたアロマの名残、彼女の寝衣はそれだけだった。
机の上に置いておいたビーカーに茶葉を入れると、彼女は――ルリノの主治医マリーは遅めの朝の一杯を淹れ始めた。
(昔は何日も徹夜して実験に明け暮れたというのに……少し夜更かしをしただけで昼間まで寝てしまうとは……)
「はぁ……年は取りたくないな……」
そう言って、見た目以上に経験を重ねた彼女は、ビーカーの紅茶をすする。
マリーは窓辺に移り、昨夜のことを思い出す。
(しかも昨日は成果なしときた……とんだ無駄骨だ)
彼女がうなだれると、長い茶髪の隙間から、肩甲骨の角張った輪郭がのぞいた。
その肩も、掴めば折れてしまいそうなほど細い。
だが、次の瞬間にはその表情に不気味な色が宿る。
(まあ……)
するとヌチ……と湿った音が鳴りそうな、歪んだ笑みをマリーは浮かべた。
(あたりを引くまで、何度もやるだけさ……ふへへへ……)
不意に風が吹く。
それは部屋のカーテンを大きく揺らし、日差しが差し込んだはずの空間に大きな影を落とす。
その暗闇の中、マリーの口元だけが、ぬらぬらと光って浮かび上がっていた――
――
――――
――――――
「――マリー先生にも相談してみようかな。ゴーボンさんのこと」
「はあ!!? なんだってあいつに……っ!!」
再びロマの小屋。
ルリノの口から出た名前に、ロマは強い拒否反応を示す。
「キミ……さっきの流れでその名前を出すか……!?」
「あはは、ごめん。でもマリー先生、ホントに優秀なお医者様なのよ? それに見た目もとってもチャーミングだし」
「……女性の見た目をどうこう言いたくないが、見てると心配になるほど華奢で不健康そうな彼女をチャーミングとはオレは思わないな……」
ルリノはそれを聞くと困ったように眉を下げてしまう。
「え~、そうかなぁ? 普段のマリー先生の言動を見れば、この気持ちもわかると思うんだけど……」
「言動って……それこそ不気味以外の何物でもないけど」
「そんなことないわよ!」
ロマの言葉を強く否定するように、ルリノは声を上げた。
「ん~、どうすればロマが誤解を解いてくれるかしら……あ!」
すると彼女は何かを閃いたように目を見開き、小声で話し始めた。
「えっとね……これは内緒なんだけどね……」
「ん? なんだ?」
「マリー先生ってね……寝るときは……〝裸〟なの」
「ぶっ!!?」
とんでもない暴露を聞き、ロマは仰け反るほどの衝撃を受ける。
「そんなこと聞いて、オレはどうしたらいいんだ……?」
「え? 『マリー先生カワイイー!!』ってなったらいいなって」
「なるかァ!!!」
ルリノのズレた発言に、ロマは思わず怒鳴るようにツッコミを入れる。
「キミがあの医者に懐いてるのはわかった。でも悪いけど、オレはどうしても好きになれない……なんとなく、本能で受け入れられないんだ」
「……そっか……残念」
そう言い少ししょんぼりするルリノ。
「しょうがないよね。ロマ、さっきもあんなに怒ってたし……」
「……それはごめん。大人げなかった」
「なんか意外だったな。ロマが私の為に、そんなにも怒ってくれるだなんて」
「あたりまえだろ!! だってキミは……」
言いかけて、ロマは言葉を飲み込んだ。
「ん……? キミは……?」
ルリノが小首をかしげ、そっと顔を覗き込む。
「……なんでもないよ……」
「……へ~、なんでも~」
彼女の視線から逃げるように、ロマは顔をそむけた。
そんな反応が可愛らしくて、ルリノは思わずニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべてしまう。
胸の奥が、ほんのり甘くなる。
この感覚が何なのか、ルリノは自分でもよくわからなかった。
けれど――嫌じゃない、そんな不思議な感覚。
だが対照的に、ロマの胸には別の色の感情が湧き上がっていた――
――
――――
――――――
『――〝病院から抜け出した悪い子〟を探しに来たんだ~』
『えへへ! 残念! 私も〝悪い子〟でした~!!』
(――言えるわけないだろ……未練がましく、面影を重ねてるなんて……)
ふと顔が伏せられ、表情に影が落ちる。
「……ロマ?」
ルリノはその陰りに気づき、今度は悪戯ではなく、本気で心配してその顔を見つめた――
――その刹那。
ピッシャーーーーーーーンッッッ!!!
凄まじい轟音が、森の奥から響き渡った。
家の壁が震え、空気がビリビリと揺れる。
「っ!!? なんだァッ!!?」
「ら、〝落雷〟!? こんな晴れているのに……?」
「〝落雷〟……?」
ロマの顔色が変わった。
窓の外へ視線を走らせる。
ルリノの言う通り空は晴れている。雨雲なんてどこにもない。
「……まさか……」
これは自然現象じゃない。
あの音は――
第67話は明日の20時10分に投稿です。
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