第63話 “血塗れの光景”
――グリングリンロッジの外れ。
シャワーを浴び終えたロマは、寝間着姿で部屋へ戻った。
机の上には、空のマグカップと読みかけの書物が置きっぱなしになっている。
それを片づける気力もなく、ベッドにドスンと腰を下ろした。
「だあー!! 疲れた~っ!!」
時計はないが、窓の外の暗さからして、すでに0時を回っているだろう。
「はあ……今日は色々と忙しい1日だったな……」
髪をタオルで拭きながら、ロマは小さく息をつく。
そのままベッドに仰向けになり、天井を見上げた。
(……タイガだけじゃなく、クロトまで〝転生者〟だったとはな……しかも、どっちも騒がしいときた。
港町を案内して……酒場で騒いで……最後には〝アレ〟だもんなぁ……)
思考が途切れる。
脳裏に、月明かりに照らされた〝あの光景〟が浮かんだ――
――
――――
――――――
――真っ暗な森の中。
湿った地面を蹴る足音が、いくつも重なっていた。
「はあ……っ!! はあ……っ!! 大変だ……大変なことになったぞ……!!」
滝のような汗を流しながら、先頭を走るのはロッジの駐在だった。
その背中を追って、ロマ達も必死に走る。
ランタンの小さな光が、暗闇を切り裂くように揺れ動く。
「……キミ達は見ない方がいいんじゃない? かなり酷いことに、なっているみたいだし……」
ロマは一緒に走る、同行者達へ声をかけた。
「ご心配にゃく。死体はこの前たくさん見たから……全部白骨だったけど……」
ミヤコは耳をピクピクと動かしながらも、怯えた様子は見せない。
「ふ……っ。その言葉、オレ様には言ってないよな?」
軽口を叩くクロトに、ロマはわずかに眉をひそめる。
「あたりまえだ、冒険者なんだろ? 死体には慣れているだろ」
「ああ……あまり慣れていいモノでも、ないとは思うがな……」
クロトも不遜な態度を潜め、神妙な面持ちで前を見据えていた。
だが――この場で一番〝異様〟なのは、彼ではなかった。
さっきまで誰よりも騒がしく、誰よりも目立っていた少年。
そのタイガが、今は麦わら帽子を目深にかぶり、黙り込んでいる。
「……」
帽子の影に隠れたその顔は見えない。
(……タイガ……さっきからずっと黙ったままだ……)
「えと……あー……た、タイ……」
ロマはタイガに声を掛けようとしたが、なんと言えばいいか分からず、言葉は喉で詰まった。
迷っているうちに、前方から鋭い声が飛んできた――
「――ロマ! みんな!!」
「ルリノ!!? キミも来てたのか……」
目の前に、青い顔をしているルリノがいた。
駐在も彼女の登場に驚く。
「ルリノちゃん! 随分と早いな……」
「た……大変なの……こんな、こと……」
ルリノは震える声で、森の暗闇の奥を指さす。
その指先、ランタンの明かりが照らし出したのは――
「――っ!! こ、これは……想像以上に……」
分かっていたはずだった。
けれど実際に目にした瞬間、ロマは息を飲み、足がすくんだ。
そこに広がっていたのは――大量の、バラバラにされた死体の山だった。
赤黒くぬかるんだ足元には、誰のものかも分からない腕が転がっている。
「――ひ……酷い……ッ!!」
「う……っ!! ああ……やっぱり、見るんじゃにゃかった……」
ルリノは口元を覆い、ミヤコは両腕を体に引き寄せた。
2人とも、その先へ踏み出すことが出来ない。
生温い風が頬を撫でるたび、鉄と腐臭が入り混じった匂いが鼻を刺す。
そんな2人の視界を遮るように、ロマとクロトが前へ出た。
血に濡れた地面へとランタンの明かりが伸び、赤黒い影を映し出す。
「……凄まじいな。暗くてよくは見えんが……それでも、並の者の犯行じゃないことはわかる」
クロトの低い声。
その言葉にロマも頷き、慎重に血だまりへと目を向ける。
「ああ……これは……切り口がとても綺麗だ、しかも全て同じように切られている……ということは……」
2人の視線が交わる。
ロマは、考えついた答えを確かめるように口にした。
「これ全部……1人でやったのか……」
「だな。まあ〝1体〟かもしれないけどな」
クロトの短い補足に、ロマの背筋が凍る。
理解するのに、時間はかからなかった。
「〝モンスター〟がやったってのかい? ヤツらがこんな綺麗にバラバラに出来るのか?」
「ふ……この世界には想像を絶するような恐ろしいモンスターが沢山いるのさ……」
クロトは気持ち控えめに威張りながら、ロマに言った。
だが、笑い声はどこか空回りしていた。
その場に流れる空気は、もう誰も軽口を叩けるようなものではなかった。
やがて、駐在が声を震わせながら切り出した。
「そ、それか……ま……〝魔族〟がやったってことも、考えられないか……?」
「っ……!!」
その一言に、ロマは思わず周囲を見回した。
ランタンの光が届かない木々の間が、急に気にかかる。
頭上で葉がこすれ合う音まで、やけに近くに聞こえた。
誰も口を開かず、地面に落ちる影だけが、灯りに合わせて形を変えていた。
――〝魔族〟。
その言葉1つで、誰も声を出せなくなる。
だが――
「――いや……それはありえない」
その沈黙を断ち切るように、クロトの低い声が響いた。
彼の表情はいつもの皮肉も笑みもなく、冷えきった鉄のように無機質だった。
「死体に噛み傷がない。ここら辺の魔族は基本〝人喰い〟だからな……殺したなら幾らか食っていくはずだ……
まあもっとも、気まぐれで殺した可能性も否定出来ないがな……」
クロトは苦虫を噛みつぶしたような顔で言い、短く舌打ちを漏らした。
夜の静寂が、再び重く降り積もる。
「気まぐれ……そうでないことを祈るよ……」
ロマも声を低くして、そう返した。
その声は祈りというより、自分に言い聞かせるような震えを帯びていた――
「――うぐ……酷い臭い……ミャーちょっと気持ち悪くなってきたにゃ……」
「す、少し離れましょうか、ミヤコさん……あまり無理はしない方がいいですよ……」
ミヤコは顔を青くしながら、胸元を押さえて後ずさる。
血と腐臭が混ざりあった空気は重く、吐き気を催すほどに生臭い。
ルリノは慌てて彼女の背を支え、2人で死体の山から離れようとした――
――その時だった。
びちゃ……と、湿った音が唐突に響く。
血だまりを踏みしめる音。
誰もが息を止める中、その音は1歩、また1歩と続いた。
「え……? お、おい……!! 何やっているんだ!! タイガ!!」
ロマが叫ぶ。
足音の主――タイガは、ずっと無言のままだった。
恐怖でもなく、怒りでもない。
ただ、何かに引き寄せられるように、血の海を進んでいく。
足元を染める赤にも一切の動揺を見せず、まるで自分がそこに属しているかのように。
やがて、彼はある〝塊〟の前で立ち止まる。
そして、両手でそっと持ち上げた。
「……それは……なッ!!?」
ロマの目が見開かれる。
タイガの手の中にあったのは――人の頭だった。
苦痛に歪んだ男の顔。
目は見開かれ、叫ぶ途中のように口が裂けている。
「……」
タイガは黙ったまま、その顔を見つめていた。
そして――
――
――――
――――――
「……ふぅ……」
ベッドの上で、ロマは天井を見つめていた。
(……調べるのと片づけるので、かなり時間がかかった……)
死体はひとまず、村の集会所に安置した。
タイガはその作業の間、一切休まず動き続けていた。
(まあでも……タイガのお陰で徹夜にはならずに済んだ……彼のスピードに感謝だな)
ロマの脳裏にこびりついたのは、血だまりの海でも、無残に散らばった肉塊でもない。
それは――あの時、タイガが見せた表情だった。
(……ただ能天気な奴だと思ってたけど……あんな顔も見せるんだな……
あの惨状の中で唯一、タイガだけが……)
静まり返った森で見たその横顔だけが、異様に鮮明に焼きついて離れなかった。
(……オレには無理だな。あんなに惨いのは初めてだけど……それでも、誰かの死なんて、もう……)
ロマはまぶたを閉じた。
体は疲れきっているのに、頭の中では今夜の出来事がまだ続いている。
あの死体の山から考えをそらそうとすると……今度は消毒液の匂いが蘇った。
白い部屋が……あの屋上がまぶたの裏に浮かぶ。
(ああ……今日も……夢見が……悪そう……だ……)
もう少しだけ起きていようとした。
けれど、次の考えが浮かぶ前に、ロマは眠りに落ちていた――
――
――――
――――――
――遠くで、車の走る音がした。
「……あれ……? なんだこれ……?」
ロマはまぶたを開く。
フェンスの向こうにビルの群れが並び、その上には青空が広がっていた。
乾いた風にさらされながら、しばらくその景色を見つめる。
「ん? どうしたのロマ? もしかして寝てた……? こんなところで~? 器用だね~」
くすくすと笑いながらこちらを覗き込むのは、長い栗色の髪を風になびかせた、懐かしい少女だった。
「ああ……またか……ホント、いつの間に……」
下を向くと、いつもの緑のコートはない。
そこにあったのは、淡い青色の病衣だった。
「はぁ……なんでオレはまた……」
自分に呆れるように、ロマは小さく呟く。
そこは昨夜、夢で見たかつての景色――
――病院の屋上。
(夢の内容っていうのは、日中に経験したことに大きく影響を受ける……というのに……)
「タイガのあんな顔を見て、ミヤコちゃんの故郷の話を聞いて……それで見るのがこの夢か……」
額を押さえ、苦い顔で呟くロマに、ミドリはきょとんと首を傾げた。
「タイガ? ミヤコちゃん……? 誰それ? うちの病棟にはそんな子いないけど……漫画かアニメの話?」
「ああいや、2人は……あれ……?」
ロマの意識が、少しずつ鮮明になっていく。
それと同時に、胸の奥に奇妙な違和感が生まれた。
口にした名前の輪郭が、指の隙間から砂がこぼれるみたいに、ぼやけていく。
「……誰だっけ……」
第64話は明日の20時10分に投稿です。
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