第60話 “主治医”
「ふへへ、そんな若いヤツらだけで大人の話だなんて……おばさんも混ぜておくれよォ」
くぐもった声が響いた瞬間、ロマの肩がわずかに跳ねた。
クロトはというと、振り返りもせずに唇の端を上げる。
「おや〝マリー先生〟、いいところに。あなたのことも話しておきたかった」
「〝先生〟……?」
ロマが眉をひそめる。
声の方を振り向いたその先――
そこに立っていたのは、まるで場違いな存在だった。
身長は130㎝ほど。見た目はどう見ても10歳にも満たない、小さな女の子。
だが、彼女のまとう空気は幼子のそれではなかった。
乾いた木の枝のように細い腕、指先にこびりついた黒い染み。
腰まで伸びる茶色の髪はぼさぼさで、薬品の匂いと焦げた臭気が混じっている。
光を失った緑の瞳が、ロマの顔から服装へと動く。時折まばたきを挟みながら、細部まで確かめているようだった。
白衣は焦げ跡と薬品のしみで斑になり、裾まで擦り切れている。
それでも腰に吊るされたポーチの中では、試験管や薬瓶が種類ごとに分けられ、取り出しやすいように収められていた。
まるで〝自分の身体よりも実験道具のほうが大切〟だと言わんばかりに。
「紹介するよロマくん。彼女は〝マリー先生〟、ルリノ嬢の病気を治した〝主治医〟で……キミと同じ〝錬金術師〟さ」
「な……っ!!? 〝主治医〟!? こんな子供が!?」
ロマが思わず声を上げると、少女――マリーは口元を歪め、にやりと笑った。
「ふへへ……どうやら〝コービット族〟を見るのは初めてみたいだね……」
その声にはどこか湿った響きがあり、酒場のざわめきの中でも妙に耳へ残った。
笑いかけられているのに、ロマは口元をこわばらせる。
「こんなナリだが、私は結婚もしたし出産もした。れっきとした〝大人〟さ……」
「結婚!!? 出産!!? ……そ、そうか、聞いたことがあるぞ。確かこの世界には、子供のような見た目のまま大人になる種族がいるって……」
「そう、それが〝コービット族〟。〝特殊な種族〟を除けば、エルフの次にレアだよ。ふへへ……」
そう自己紹介しながら、不気味な笑みを浮かべるマリー。
その笑みは、酒場の灯の下でまるで仮面のように貼りついて見えた。
ロマは彼女の周囲に漂う重い空気に、思わず固唾をのむ――
――けれど。
ロマは胸の内のざらりとした不安を、ぐっと押し殺すようにして一歩踏み出した。
「え、えと……あなたがルリノの病気を治してくれたんだよね? ありがとう、感謝してもしきれない……」
震えを隠すようにして差し出した手。
マリーは一瞬だけ目を細め、その後ゆっくりと手を伸ばす。
「なに、私は私に出来ることをしたまでさ……」
握手――しかしマリーの手は、驚くほど冷たかった。
それは冷水に触れたような感触で、ロマの胸に再び小さな警戒心を灯らせる。
マリーが手を離すと、クロトが近くの席を示す。
3人はテーブルを囲んで腰を下ろした。
「この地方まで来たのは……まさか、ルリノの経過を見るため?」
「ああ、そうだよ」
あまりに淡々とした返答に、ロマは思わず目を丸くした。
「ホントに? 信じられない……1人の患者の為に、わざわざこんな田舎まで来るなんて……」
その瞬間だけ、ロマの胸の重石がふっと軽くなる。
(なんだ……雰囲気はこんなだけど、案外悪い人じゃ……)
そう思いかけた、まさにその時だった。
「うん。私の〝新しい治療法〟が、ちゃんと機能してるか見るためにね……ルリノ嬢は〝世界で初めて〟の、その治療法の患者だからねェ……」
マリーの言葉に、ロマは目を見開いた。
「〝世界で初めて〟……っ!!? おいッ!! それってホントに安全なのか!?」
「〝動物実験〟では成功率100%だよ」
「つまりまだ〝臨床試験〟の段階じゃないか……っ!!」
ロマはテーブルに両手をついて身を乗り出した。
体重のかかった天板が、ぎしりと軋む。
「お前……!!! そんな〝治療法〟をルリノに使ったのか……っ!!」
ロマの声が震える。
その目には怒りと、わずかな焦りが混じっていた。
しかしマリーは怯むこともなく、唇の端を歪めて笑う。
「ふへへ、ならキミが〝錬金した薬〟も、わざわざ色んな人で試してからルリノ嬢に投与したのかい? 彼女から聞いたよ、キミも病を治すために色んな薬を試していたみたいじゃないかい?」
「そ、それは……」
「だろう? どんな薬だって、〝初めての患者〟がいる。危険もあるが私はそれを、むしろ名誉なことだと思うがね。ふへへ……」
ロマは何も返せなかった。
言っていること自体は、間違いとは言い切れない。
それなのに――
さっき握った冷たい手の感触だけが、妙に掌に残っていた。
「まあ、こんな騒がしい場所ではなんだ……村には何日か滞在する、後日また話そうじゃないか。治療法について、同じ〝錬金術師〟として……」
その時初めて、光の乏しかった緑の瞳がわずかに輝いた。
それは純粋な探究心。けれどその純粋さが、どこか危うく感じられる。
「……ああ、そうだな。あんたとは後でゆっくり話したい」
だがロマも臆することなく、マリーに向き合う。
彼の声には挑むような硬さがあり、それがかえってマリーの笑みを深めた。
「ふへへ……決まりだね。じゃあ私は、そろそろお暇するよ……」
「おっと、送っていこう。マリー先生、レディを1人で帰すわけにはいかない」
今まで2人の様子を静観していたクロトだったが、マリーが帰ると言ったとたん軽口を叩きながら立ち上がる。
だがマリーは肩越しにちらりと一瞥しただけで、気だるげに首を振った。
「お気になさらず。自衛出来るくらいの力はあるし、少し人混みに酔った。1人になりたい」
「そうか。わかった、お気をつけて」
クロトからの別れの言葉を聞くと、マリーは振り向かずに軽く手を振り、静かに酒場を出ていった。
扉の鈴が、ちりん、と鳴った。
一瞬だけ外の潮風が入り込み、酒場の酒と料理の匂いを揺らす。
扉が閉じる。
マリーが持ち込んだ薬品の匂いが、しばらくロマの鼻にまとわりついていた。
彼女の姿が完全に見えなくなったのを確認すると、クロトはロマの方へ目を向けた。
「……ふっ、苦手か? マリー先生のことが」
「苦手ってか……なんか危ない感じがする、あの人……明らかに〝マッドサイエンティスト〟って感じだ」
その言葉に、クロトは思わず吹き出した。
「ふはははっ!! そうか……〝錬金術師〟は皆、マリー先生のようなヤツらだと思っていたが、どうやらキミは違うようだ」
「そんな簡単なラベルでまとめられちゃ困るね。まあでも……」
ロマは、手元のジョッキを無意識になぞりながら、視線をわずかに遠くへと滑らせる。
「……ルリノを治してくれたことには……感謝しないとな……ま、本当に彼女が治っているならな!!」
そう言い終えると、ロマはジョッキを一気にあおった。
喉を鳴らし、冷たい酒で苛立ちを押し流すように飲み干すと、「ぷはーッ!!」と息を吐く。
空になったジョッキを机に置き、ようやくクロトの方へ向き直る。
「あんたも、ありがとな……ルリノの護衛をしてくれたんだろ?」
「ん? いやなに、オレ様はどちらかというとマリー先生の……まあいい、感謝は素直に受け取っておくべきだな! はーはっはー!! どういたしまして!!」
胸を張って高笑いするクロトに、ロマは苦笑を返すしかなかった。
「まあなんだ、ロマくん。こんな騒がしい場所でしけた顔をしててもしょうがないだろう? 一緒に飲もうではないか!! 交友を深めるために!!」
「そうだね……うん、わかった……」
クロトが差し出す新しいジョッキを、ロマはわずかに躊躇してから受け取る。
そしてコツン、と軽く触れ合わせたジョッキが乾いた音を響かせた。
その一瞬、さっきまで張り詰めていた空気がふっとほどける。
(正直、クロトにもちょっと苦手意識はある。態度とか高慢だし……でも、そんなに悪いヤツじゃないかもしれない……)
そう思いながら、ロマは改めて酒場の中を見渡した。
壁に吊るされたランプの光がゆらゆらと揺れ、木の柱や机に温かな明かりを落としている。
笑い声と歌声が重なり、樽酒の香りがふわりと漂う。
いつの間にか、クロトが連れてきた冒険者達も港町の人々の輪に混ざり、肩を組んで杯を交わしている。
「さあ、〝同郷〟のよしみだ。われらの故郷に乾杯」
「まあ、そうだな。天才冒険者様と仲良くなって損は……ん?」
ロマの手が止まった。
ジョッキが口へ届く寸前で、宙に固定される。
「ちょっと待て。〝同郷〟って何のことだ……?」
「ふ、決まっているだろう。〝あの世界〟のことだ」
クロトはゆっくりとジョッキを置き、片肘をついて身を乗り出した。
その顔には、いつもの軽薄な笑み――けれど、その奥に宿る光はどこか違っていた。
「キミもオレ様と同じ……〝転生者〟だろう?」
第61話は明日の20時10分に投稿です。
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