第59話 “港町の酒場”
――空がすっかり群青に染まる頃。
港の灯台の下では、家々の明かりがひとつ、またひとつと灯り始めていた。
昼には魚と潮の匂いに満ちていた通りを、今は焼きたてのパンと香辛料、それに甘いワインの香りが流れていく。
開け放たれた店先からは笑い声がこぼれ、橙色の灯りが石畳の上で揺れていた。
だが、そんな静かに浮き立つ街とは対照的に、ミヤコは猫耳をペタンと垂らしていた。
「色々あったせいで防具屋に行き損ねたにゃ……」
「ご、ごめんなさい……ボクが面倒かけたせいで……」
ぶつくさ文句を言う彼女に、チビュウは申し訳なさそうに頭を下げる。
彼の体には包帯が巻かれ、絆創膏も貼られており、手当てを受けた跡が見て取れた。
そんな彼が気に病まないように、ロマは軽い口調で言う。
「まあまあ、人命最優先だ。怪我をそのままにしたら感染症が怖い。これはダルがってられないさ」
「……そうだにゃ。チビュウ、別におミャーを責めてるわけじゃないから謝らなくていい」
「は、はい……」
短い会話が途切れた。
しばらくは店先の笑い声も遠く感じられ、石畳を踏む4人分の足音と、港から届く波の音が妙にはっきり聞こえた。
そんな流れを断つように、チビュウが口を開く。
「……そ、そろそろ酒場が開く時間ですね。あ! そうだ皆さん! よければうちの打ち上げに来ますか?」
「打ち上げ? ああ、ルリノの護衛クエスト達成のか」
「はい!」
チビュウは笑顔で頷いた。
少し前までの沈んだ様子はだいぶ薄れている。
けれど、その明るさはどこか作ったものでもあった。「場の空気を重くしたくない」とでも言いたげな、不器用な気遣いが見え隠れしている。
その理由は――すぐ隣を見れば明らかだった。
「はあああぁぁぁ~~~…………」
昼までの元気はどこへやら。
タイガは肩を落とし、魂でも抜けたみたいな顔で歩いていた。
もう何時間もずっとこの調子である。
さすがのミヤコもうんざりしたように耳を伏せた。
「おい、おミャーいい加減にしろよ。いつまでもクヨクヨすんな」
「だって~……」
タイガは不貞腐れたまま、呟く。
「今日だけで〝2回〟も、仲間に誘って断られた……」
「はは。ごめんね」
「す、すみません……」
断った本人達を目の前にして、隠しもせず未練をこぼすタイガ。
ロマは肩の力を抜いたまま受け流し、チビュウは申し訳なさそうに首をすくめる。
責められているわけではないとわかっていても、あれほど真っすぐに誘ってもらった手前、どうしても居心地が悪いのだろう。
「でも……ボクはクロトさんについていくって決めたので……」
「そっか~……決めたことなら仕方ないよね……はぁ~~~……」
タイガは納得したように言いながらも、そのため息だけが、やけに長く石畳の上へ落ちた。
「ま、ミャーより弱いヤツが仲間になっても困るけどな」
「んな!? ひ、酷いですよ~!!」
ミヤコの辛辣な言葉を受け、冗談っぽく返すチビュウ。
場を和ませるための彼なりの配慮だろう。
それを見て、ロマも軽く笑いながらタイガの背を叩く。
「ほらしっかりしろよ!! これから〝宴〟だぞ!! ……こういう時は、盛り上がるモンだろ?」
「〝宴〟……」
その一言に、タイガはぴたりと足を止めた。
うつむいていた顔が、ゆっくり持ち上がる。
ちょうどその時、通りの店先に灯った橙色の明かりが、タイガの青い瞳に映り込んだ。
「そうだね……そうだよね……うん!」
噛み締めるように繰り返してから、ぐっと拳を握る。
「……よし!!! ……宴だあァーーーッッ!!!」
両手を突き上げ、タイガはさっきまでの落ち込みを吹き飛ばすみたいに叫んだ。
通りの向こうを歩いていた数人が、何事かとこちらを振り向く。
それでも本人は気にも留めず、むしろ一気に元気を取り戻した顔で胸を張っていた。
「チビュウ!! 宴はどこでやるの!!?」
タイガは勢いそのままにチビュウの肩へ腕を回す。
待ちきれないと言わんばかりに身を弾ませる姿は、無邪気な子供そのものだった。
「え、えと……あっちです!!」
「そうか!! それじゃあ行くぞー!! 野郎どもーッ!!!」
「お、おーっ!!」
早くも一行を仕切り始めたタイガに、チビュウも戸惑いながら声を張り上げる。
調子を合わせるのに必死なのが見え見えだったが、それでも彼なりにこの勢いへ乗ろうとしているのが伝わってきた。
そんな2人を少し後ろから眺めながら、ロマとミヤコは顔を見合わせる。
「はは。よかった、元気になったね」
「おミャー凄いな。タイガ一瞬で元に戻ったぞ」
たった一言でタイガを立ち直らせたロマに、ミヤコは半ば本気で感心したような声を漏らした。
ロマは照れくささをごまかすみたいに、指先を軽く振る。
「彼の好きな〝漫画のキャラ〟なら、そうするって言っただけさ」
「ああ。確かおミャーらが居た世界の〝絵物語〟みたいなもんだっけ」
ミヤコはそれを聞いて、ようやく腑に落ちたというふうに頷いた。
「あいつ、通じもしないのにずっとそのネタ言ってたからな……てか〝絵物語〟の登場人物に憧れてるって、子供かよ」
「はは! 確かに。あの年にしちゃ、あまりにも純粋すぎる」
少し前までタイガに振り回されるたび、ため息ばかりだったはずなのに。
けれど当のタイガは、そんな2人の空気などまるで意に介していない。
チビュウを引っ張るようにしながら、明かりが灯り始めた通りをずんずん進んでいく。
港町の夜は、昼とはまた違う賑わいを見せていた。店先からは料理の匂いと笑い声が流れ、酒場の上機嫌な客の話し声が、道のあちこちで弾んでいる。
その最中、チビュウが前方を見て声を上げた。
「あ……アレです!! あそこでクロトさん達が打ち上げをしています!!」
「おっ! あの大きな建物がそれ!?」
チビュウが指差した先に、ひときわ大きな建物が見えた。
入口の上には〝スタロン亭〟と彫られた木製の看板が掲げられている。
窓からは橙色の灯りがこぼれ、扉の向こうからは賑やかな笑い声と食器の触れ合う音が絶えず漏れていた。
いかにも繁盛していそうな、大きな酒場だった。
「あれ……? あそこってルリノの〝快気祝い〟をする予定の店じゃないか」
ロマが目を細めて呟く。
看板に刻まれた店名を見て、昨日の朝のやり取りが脳裏に蘇った。
ルリノが快気祝いの会場に挙げていたのは、この店だった――
『――パーティーは5日後の夜に、港町の〝スタロン亭〟でね!』
――客が出入りするたびに扉が開き、煮込み料理の香りを乗せた空気が通りへ流れ出してくる。
「いい匂い! これは……シチューかな!? うっひょ~!! 早く入ろっ!!!」
「あ!? ちょ、ちょっと!!? うわあああああああああああ!? 引っ張らないでくださいよ~!!」
タイガは目を輝かせたかと思うと、次の瞬間にはチビュウの腕を掴んだまま駆け出していた。
引っぱられたチビュウは、半ば宙を舞うような勢いで連れていかれる。
「お、おいちょっ……!! あいつら、もう行っちゃったぞ……」
「はは、オレ達も行こうか」
先に飛び込んでいった2人に遅れまいと、ミヤコも駆け足で扉をくぐる。
ロマも苦笑しながら肩をすくめ、後を追った――
◆ ◆ ◆
――〝スタロン亭〟。
木の壁や床には、長年の酒と潮の香りが深く染み込んでいる。明るいランプの光が、使い込まれた木目の上で跳ねていた。
奥のテーブルには色とりどりの料理が並び、魚の香ばしい匂いと焼いた貝の湯気が、温かなざわめきに溶けている。
1日の仕事を終えた人々が、笑い声と乾杯の声を競うように響かせていた。
「「「「かんぱーいッ!!!」」」」
「ぎゃははははははははは!!!! 今日も酒がうめェぜ!!」
ジョッキのぶつかる音が、波のように何度も響いた。
その喧噪の中、タイガは右へ左へと首を巡らせ、料理の並ぶテーブルを次々とのぞき込んでいた。
「わっ!! すごいねミヤコ! 見て見て! ご馳走の山だよ!!」
「ちょ、タイガ! 落ち着け!! 走ると危な……ああ!? 帽子が落ちるぞ!!」
慌てて追いかけるミヤコの姿に、ロマは苦笑を浮かべながら店員にビールを注文する。
「はは、いいね~元気で」
「ぜえ……!! ぜえ……!! げ、元気すぎますよ……」
タイガにここまで引っ張り回されたチビュウは、肩で息をしながらどうにか呼吸を整えていた。
特別な祝いごとがあるわけでなくても、この酒場はいつもこんな具合だった。
ただ飲んで、笑って、季節の移ろいを愉しむ――そんな土地の呼吸がそのまま形になったような場所。
(騒がしいのはあまり得意じゃないけど、この酒場はどこかあたたかくて好きなんだよな……)
木樽の匂い、ランプの揺れ……ひとつひとつが、不思議と心をほぐしてくれる。
――のだが。
その空気を切り裂くように、甲高い笑い声が酒場全体のざわめきを押しのけた。
「はーっはっはーっ!!! おやおや、こんなところで会うとは奇遇だな! 錬金術師クン」
「げ……その声は……」
笑い声が矢のように突き刺さり、周囲の客も「誰だ?」とそろって視線を向ける――
――酒樽の影から軽やかに姿を現したのは、黒ずくめの服に身を包んだ美少年――クロトだった。
ランプの光を受けた黒髪が、彼の不敵な笑みを縁取るように光る。
「あまり歓迎したくない相手だ」という感情を隠しきれないまま、ロマはとりあえず挨拶を返した。
「どうも……クロトさん」
「クロトでいいさ……いや、天才イケメン冒険者のクロト様と呼んでもいいぞ!!」
相変わらずの自信全開の態度に、ロマは反射的に眉をひそめ、肩を落とした。
「はあ……ダル……こんな面倒なヤツにルリノは護衛されてたのか……」
ロマが周囲を見渡すと、見慣れぬ屈強な男達も木のテーブルを囲んで大声で笑っていた。
酒場の片隅では、彼らの笑いに少し怯えた港の住人の姿も見える。
「ああ、あいつらはオレ様のパーティーメンバーだ。見た目は厳ついが、イイヤツらさ。あまり邪険にしないでやってくれ」
「別に。オレは気にしてないよ」
そう言いながらもロマの目は細く鋭く、冒険者達の動きを観察していた。
「……チビュウみたいに謙虚で大人しいヤツは居ないのか」
「み、みんなボクよりもパワーがあるんですよ!! ……まあ……その分、声も大きいですが……」
チビュウは慌ててパーティーメンバーを庇った。
しかし言いながら自分でも少し苦しいと思ったのか、最後の方は声がしぼむ。
そしてチビュウが口を開いてようやく、クロトは彼の存在に気づいたように目を向けた。
「ん? なんだモブくん、ロマくん達と一緒に居たのか」
その態度に、ロマの胸の奥で小さな棘が引っかかる。
「は、はい……!! ロマさん達には街でお世話になって……」
「世話……? というかお前、なんかいつも以上にボロボロじゃないか?」
クロトの視線が、チビュウの頬の腫れや絆創膏、包帯へ順に落ちる。
ぞんざいな声音だったが、さすがに怪我そのものは見逃せなかったらしい。
「はい……ちょっと街で荒くれ者に襲われまして……」
「おいおい、それで助けられたってことか? 全く、〝情けない〟……」
「は? 〝情けない〟……?」
その言葉に、ロマはぴくりと反応した。
半歩前へ出て、自然にチビュウをかばう位置へ立つ。
「チビュウは絡まれていた女性を助けるために、荒くれ者達に立ち向かったんだ……!! 彼は勇気ある行動をとったんだ」
「ん? そうだったのか……?」
ロマの言葉を受けて、クロトは考えを改める……ことはなかった。
「はあ……また〝悪癖〟が出たな。力がないくせに、荒事に向かっていく……いい加減に直したまえよ……」
「っ!! お前……ッ!!!」
あまりにも素っ気ない。
いや、それどころか、相手を切り捨てるような言い方だった。
ロマの中にさっきからくすぶっていた反感が、ここで一気に熱を持つ。
だが、肝心のチビュウの方が、その空気に真っ青になって割って入った。
「わ……っ!! え、えっと……ロマさん、ボクは大丈夫ですので……」
「でも……!!」
申し訳なさそうに、それでも必死でクロトを庇おうとする。
その姿を見てしまうと、ロマも強く出られない。
怒りの矛先をどこへ向ければいいのか、一瞬わからなくなる。
すると、クロトもその様子から何かを察したのか、今度は少しだけ口調を和らげた。
「……はっはっは! 随分とうちのメンバーのことを思ってくれてるのだな。すまないロマくん、キミを不快にさせた。でもこれも彼の為なんだ」
意外なくらいあっさり謝罪を口にしながら、クロトは続ける。
「冒険者が生き残るには、戦闘力よりも、肝心な時に即座に逃げる判断力の方が重要なのだよ。そしてこいつには、まるでそれがなくてな……だからちょっと強い言い方になったんだ」
「……そうか……」
理屈は通っている。
チビュウが無謀な真似をしたのも事実だ。
助けが間に合わなければ、もっとひどい怪我をしていたかもしれない。
それでもロマの胸に残ったざらつきは、簡単には消えなかった。
正しいことを言っているからといって、あの見下すような物言いまで飲み込めるわけじゃない。
「ふははは! 良き友人を得たのだな、イイことだぞチビュウ!」
「っ!! は、はい!! ありがとうございます!!」
クロトは何事もなかったみたいに笑い、チビュウも反射的に頭を下げる。
その様子は一見いつも通りだ。
だがロマには、その主従関係にも似た距離感がどうしても引っかかった。
「旅先の住人とすぐ馴染むのも、冒険者には必要なスキルだからな!! フフフフ……!!」
「でも、クロトはいつも全然馴染めてない」
不遜な笑みを浮かべるクロトの横から、すかさず鋭い声が飛ぶ。
声の主は、銀のセミロングヘアに犬耳を持つ少女――ノエルだった。
耳先がぴくりと動き、尻尾を小さく揺らしながら冷静に言い放つ。
「ぐ……ち、違うぞノエル。あれはオレ様の美貌に遠慮してしまっているだけだ。ふっ……全く、美し過ぎるのも楽じゃあない……」
「そんな態度だから、みんなと馴染めない」
的確な一撃。
クロトはまたもや「ぐ……」と呻き、肩をすくめる。
「の、ノエル……お前はあの猫娘と仲良くなっておけ、オレ様達はちょっと大人の話をするから……チビュウもほら、一杯飲んでこい」
「うん、わかった」
「わ、わかりました!!」
ノエルは素直に頷き、尻尾をふわりと揺らしながらミヤコの方へ駆けていく。
チビュウもぺこりと一礼してから、他のパーティーメンバーのところへ小走りで向かった。
その背中を見送りながら、ロマは眉をひそめてクロトを睨んだ。
「なんだよ、大人の話って」
「はは、それはただの方便さ。なに、別に大したことじゃない……ただ……」
そう言いかけたクロトの背後から、小さな影が――音もなく、ぬるりと近づいてきた。
「ふへへ、そんな若いヤツらだけで大人の話だなんて……おばさんも混ぜておくれよォ」
くぐもった声が響いた瞬間、ロマの肩がわずかに跳ねた。
そこにいたのは――
第60話は明日の20時10分に投稿です。
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