第57話 “路地裏の騒ぎと小さな勇気”
――グリングリン・ポートの路地裏。
ついさっきまで陽気な喧騒に包まれていた表通りが嘘のように、そこだけ空気が淀んでいた。
石壁に挟まれた細い路地には、潮と酒と――何かが焼けたような、鼻を刺す焦げ臭さがこもっている。
「……で? これは一体どういう状況……?」
駆けつけたロマが、引きつった顔で問いかける。
その隣で、ミヤコの耳もぴくりと立った。
路地の奥では――
薄いオレンジ色のエプロンをつけた若い女性が、青ざめた顔のまま立ち尽くしている。
その前には、傷だらけになった金髪の青年が、ふらつきながらも彼女を庇うように両手を広げていた。
頬は赤く腫れ、口元には血がにじみ、軽装の鎧にも泥と靴跡が生々しく残っている。
それでも彼は倒れずに立っていた――いや、正確には、驚きのあまりその場から動けずにいた。
目の前の石畳の上には、赤錆びた剣や革鎧、折れた棍棒が無惨に散らばっている。
そのすぐ傍らには、いかにも荒事慣れした風体の男達が4人、泡を吹きながら地面に転がっていた。手足はぴくぴくと震え、焦げた布と革の臭いが立ちのぼっている。
そして――
その4人の荒くれ達の前に、タイガは1人、呑気に伸びをしながら立っていた。
まるで自分だけが別の場面にいるみたいに、その物々しい光景とはひどく不釣り合いな空気をまとっている。
彼はロマ達に気づくと、ぱっと表情を明るくした。
「あ、ミヤコ! ロマ! いや~、乱暴者に襲われてる人が居たからさ、助けたんだ!」
ロマは返す言葉に困り、どうにか口角だけを持ち上げた。
「助けたねェ……いや、まあ、漫画やアニメなら王道の展開だけどさ……」
「目立つことするんじゃねェよ!! おミャー!!!」
ロマの言葉を遮るように、ミヤコが怒鳴り声を上げる。
「表まで聞こえたんだぞ!? さっきの轟音!! 辺りは大騒ぎになってる!!!」
耳も尻尾も逆立てんばかりの勢いで、ミヤコはずかずかとタイガに詰め寄り睨み上げ、彼にだけ聞こえるよう声を潜める。
「……おミャー……今、自分がどういう状況かわかってんだろうな?」
「わかってるよ! 追われる身だもんね……!」
タイガも声を潜めてそう答え、変装のために被っている大きな麦わら帽子に軽く手を添えた。
だが次の瞬間――タイガは笑みを引っ込めた。
「でも……放ってはおけないよ。〝勇者〟は困っている人に、絶対に手を差し伸べる」
迷いなく言い切るタイガに、ミヤコはたまらず深いため息をついた。
「はぁ……そうですか。そりゃあさぞ立派ですね、〝勇者〟様」
「えへへ! ありがとう!!」
「褒めてねェよ……」
ミヤコのこめかみに、ぴくりと青筋が浮かんだ。
横でロマが堪え切れずに吹き出す。
そんな中、青年がタイガへと話しかけた。
「あ、あの……危ないところを、助けていただき……あ、ありがとうございました!!」
おずおずと、それでも必死に声を絞り出すように言って、金髪の青年が何度も頭を下げた。
礼を口にしながらも、その肩はまだ小さく震えている。
だがタイガは、そんな彼を見て、いつもの調子で笑った。
「“気にすんな!! 楽に行こう!!”」
「っ……!!」
強張っていた青年の肩が、わずかに下がった。
「すみません……ホントに……すみません……っ!!」
今まで無理に踏ん張っていた膝が震え、その目からぽろぽろと涙が落ちる。
「おいおい、泣き始めちゃったよ……緊張の糸が切れたのか……ん? あれ?」
声をかけようとしたロマは……ふと、青年の顔をまじまじと見た。
「キミ……確かクロトの荷物持ちしてた……?」
「えっ……!? あ……そういうあなたは確か……ロマさん」
ロマにそう言われ、青年は長めの前髪の隙間から覗く黄色の瞳を揺らした。
驚きと気まずさとで、視線が落ち着かない。
その横で、ミヤコも会話を聞いて、ようやく彼のことを思い出したらしい。
「あー、確かに見覚えあるな……随分派手にやられてるなぁ」
「う……っ!!」
ミヤコの言葉に、彼は胸を刺されたように顔を歪める。
言われなくても、青年自身が痛いほど承知していた。
その姿は、どう見てもボロボロだった。
殴られた傷に加えて、もともとの装備もひどくくたびれていた。
色褪せた黄土色の革ベストには、幾筋もの繕い跡が残っている。足元に落ちた剣も刃が欠け、鍔には赤錆が浮いていた。
「く……っ!! うう……情けない……っ!!!」
「うわ!? また泣き始めたぞ……」
青年は歯を食いしばったが、こらえきれない涙が頬を伝った。
顔を伏せ、しゃくり上げる合間に言葉を絞り出す。
「ボクが、助けようと……したのに……こんな、ボコボコに、されて……結局は、逆に助けられて……」
握り締めた拳は白くなっていて、その爪が掌に食い込むほど力が入っている。
「おいおい、“気楽に行こう”って言われたろ?」
ロマは少しでも空気を軽くしようと、わざと砕けた調子で言って、青年の肩をぽんと叩いた。
「で、でも……ぉ!! ボク、クロトさんのところでも……足、引っ張ってばっかりで……」
だが、いったん溢れ出した弱音は、そう簡単には止まりそうになかった。
助けられた安堵よりも、何も出来なかった情けなさの方が、今はずっと大きいのだろう。
そんな彼の様子を前にして、さすがのタイガも困ったように眉を下げた。
「なんで泣くのさ~」
青年が涙の残る顔を上げる。
タイガは、青年がなぜそこまで落ち込むのか分からないらしく、首を傾げた。
「キミ、とっても〝カッコよかった〟んだから。泣く必要なんてないよ」
「え……?」
予想もしなかった評価に、青年は目をぱちくりさせた。
「か、〝カッコいい〟……? あ、あんな、ただボコボコに殴られただけなのに……?」
タイガの言っている意味が、本気でわからない――そんな顔だった。
ついさっきまで、自分の不甲斐なさを責め続けていたのだ。
その誉め言葉を、素直に受け取れるはずもない。
そこへ……ためらいがちな声が加わった。
「え、えと……あ……その……」
消え入りそうな呼びかけが、青年の背後から届いた。
声の主は、彼の後ろでずっと青ざめた顔をしていた、薄いオレンジ色のエプロン姿の女性だった。
「ご、ごめんなさい……ずっと……だ、黙ってて……わ、私……〝その人達〟に、言い寄られて……こ、怖くて……」
女性の視線が、石畳に倒れた4人へ一瞬だけ向かう。
それだけで、また肩が小さく震えた。
「だ、だから……た、助けていただき……ありがとう、ございました……!!」
そう言って、彼女は深く頭を下げた。
言葉はたどたどしくても、感謝を伝えたい気持ちは確かだった。
「あはは! 無理しないで! 気楽に気楽に~」
タイガは励ますように、いつも以上に呑気な口調で返す。
だが、そんな彼女を見て、青年の胸にはまた別の痛みが滲んだ。
(こんなに……震えてる……ボクが、もっとしっかりしていれば、彼女にこんな恐怖は……っ!!!)
顔を伏せ、彼は彼女から目を逸らした。
だが――
「――あの……あ、あなたも……ありがとう……助けて、くれて……」
「っ!?」
自分にまで礼を言われ、青年ははっと顔を上げた。
女性はまだ怯えていた。
それでも、彼女はまっすぐに青年を見ていた。
「いっぱい、殴られたのに……それでもずっと、私を庇ってくれて……だから……ホントに、ありがとう……!!」
「……あ……そ、そんな……ボクは……っ!!」
青年は再び戸惑う。
彼女から直接向けられた感謝の言葉を、自分なんかが受け取っていいのか――そんな迷いが、その声には滲んでいた。
そんな彼に、タイガはやさしい声で言った。
「よかったじゃん」
そして、満面の笑みを浮かべる。
「ちゃんと守ってたんだよ、キミは!!」
「っ!!」
青年の拳から、ふっと力が抜けた。
開いた掌には、爪の形が赤く残っている。
「……う……ああ……っ!!」
そこへ、ぽたり。
また1粒、涙が落ちた。
けれど青年は、もう拳を握り直さなかった――
――
――――
――――――
「――ま、これでひとまず一件落着かい?」
ロマは場の空気が少し和らいだのを感じて、話を締めようとした。
だが――
「いや、全然そうじゃねェだろ……だって……」
ミヤコが眉をひそめて言いかけた、その時だった。
「おーい!! 大丈夫かー!? そこで何か大きな音がしたんだが!!?」
表通りの方から、路地裏へ向かってくる複数人の声と、慌ただしい足音が響いてきた。
静まり返っていた空気が一気にざわつき、ミヤコの耳がぴんと立つ。
「やば……!? おいタイガ! 逃げるぞ!!」
急かすように、ミヤコは路地裏の奥を指さした。
「え? なんで? 別にボク、今日は逃げないといけないことはしてない……」
「バカ!! これだけの状況だぞ!? 色々と聞かれるに決まってんだろ、ミャー達の事とかも詳しく……!!!」
「あ! そっか! 〝ジジョウチョウシュ〟ってヤツだね、そりゃまずい」
そこまで言われて、ようやくタイガも納得したように頷く。
「さっさと人目に付かないところまで行くぞ!!」
「うん、わかった!!」
そう言って駆け出そうとする2人を見て、ロマは訝しげに目を細めた。
「キミ達、聞かれてまずいことでもあるのかい……?」
「まあね! いつか話すよ!!」
あまりにも率直な返答に、ロマは思わず苦笑する。
「はは……了解。今は一緒に逃げるか」
「えと……ボクもいいですか? クロトさん達に、迷惑がかかるかもしれないので……」
青年もまた、おずおずと声を上げた。
すると、エプロン姿の女性も勇気を振り絞るように一歩前へ出る。
「あ、あの……それでしたら、私が抜け道を案内します。今日はしくじっちゃったけど、この路地裏はよく近道として使ってたんです……」
それを聞いて、ロマは少し眉を下げた。
「そうかい? ありがとう……でも危ないから、今後はもうこの路地裏は通っちゃダメだよ?」
「はい……肝に銘じます、すみません……それじゃあこっちです!!」
女性に先導され、5人は路地裏の奥へ駆け出した。
背後から迫ってくる人声と足音が、石壁に反響して追い立てるように響く。
振り返る余裕もないまま、彼らは入り組んだ細道をいくつも曲がり、ただ前へ前へと走り抜けた――
第58話は明日の20時10分に投稿です。
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