第53話 “ドクロのマーク”
――朝、少し遅くに目が覚めたロマは、小屋の簡素なキッチンでコーヒーを淹れていた。
「……はあ……〝生まれ変わったら〟……か……」
小さく呟いた言葉は、湯気の向こうに消えていった。
思い出したのは、元の世界でミドリに言われたこと。
(まさか、本当に生まれ変わるなんて思わなかったが……しかも〝異世界〟に)
ロマはため息をつきながら、カップを片手に椅子へ腰を下ろした。
眠気が残る頭の奥に、転生した時の記憶がじわりと浮かび上がる――
◆ ◆ ◆
――聞こえてきたのは、水のせせらぎの音。
ロマが目を覚ましたのは、森に囲まれた寺院のような建物の前にある、小さな石造りの広場だった。
地面の石はわずかに温かく、朝日が差し込んでいる。
周囲には苔むした柱、割れた灯籠のようなもの、古い祠の残骸らしき石造物……どれも長い年月を経て、静寂と湿気に沈んでいた――
――だが、その静寂の中心だけが異様に澄みきっていた。
広場の中央には、巨大な赤い扉がある。
朽ちた石造物に囲まれながら、その赤い表面には傷ひとつなかった。
中央には、木の年輪のような無数の輪が重なる奇妙な模様が浮かんでいる。
材質は石にも木にも金属にも似ていない。
まるで〝この世のものではない〟物質で形作られているように感じられた。
そして、その扉の前に――
扉以上に異様で、息を呑むほど美しい1人の女性が立っていた。
長く流れる水色の髪。
白いワンピースは朝日に照らされて淡く輝き、肩に掛けた深い青のマントが風に合わせてほのかに揺れ動く。
その手に握られているのは1本の杖。水晶の核が淡い光を脈打つように灯し、呼吸するかのように光の粒がゆらめいていた。
彼女の立つ足元だけ、苔ひとつ乱れず、まるで〝世界そのものが彼女に触れないよう道を開けている〟かのようだった。
「……突然ですが……お願いします……」
鈴のように澄んだ声が、静かな広場に落ちた。
けれどその声音は震えており、必死に祈りを捧げているような陰を抱えていた。
「私達の世界に〝転生〟して……世界を救う、〝勇者〟になってください……」
その言葉と同時に、彼女の頬を一筋の雫が伝い落ちる。
水滴が石畳に落ちる音が、やけに重く響いたように感じた――
◆ ◆ ◆
(――テンプレ通り……といっても、普通〝女神〟って微笑んでるモノのような気がするけどな……)
ロマはカップを持ったまま、遠い記憶を手繰り寄せていた。
あの場所は、元の世界でもこの世界でもない〝どこか〟。
そこで見たのは――あの女神の、酷く悲しそうな表情だった。
窓の外に視線を投げる。
朝霧に煙る森は静かで、現実味だけが妙に強い――
――その時。
コン、コン――と控えめなノック音がした。
「はーい、どちら様ですか?」
ロマは気だるげにノックに返事する。
すると、返ってきたのは意外な声だった――
――
――――
――――――
――同じ頃。
森の小さな道を、ゆっくりと歩く足音が1つ。
ルリノだった。
昼前の森は陽光が眩しく、木々の葉先の水滴を照らしていた。
昨夜の宴のにぎわいが嘘のように、村の外れは静かだった。
(心配かけたくないけど……やっぱり、ロマだけには言うべきかな。治療を受けていた数日間の記憶がないこと……)
誰かに言うつもりはなかった。
けれど昨夜見た悪夢のせいか、胸の奥に広がる不安がどうしても抑えきれない。
また心配をかけると思うと、気が進まなかった。
けれど――
――
――――
――――――
『――その甘えん坊が大人になるまで、オレが支えるよ』
昨日の言葉を思い出し、ルリノは今の不安を、ロマに少しだけ預けてもいいのだと思えた。
そして……彼の小屋の前までやってきた。
その時――
「――あれ? 中からはなし声がする……?」
まさかの先客に、ルリノは驚く。
(し、しかもこの声……相手は……女の子じゃない!!? い、一体誰と……っ!!?)
胸の奥が、ちくりと変な痛み方をした。
自分はロマに相談しに来ただけ。
別に……誰が先に来ていたって関係ない。
頭ではわかっているのに、でもなぜか落ち着かない。
ルリノはきょろきょろと周囲を見回した後、そっと扉のそばまで近寄った。
(な、何を話してるのかな……?)
聞くべきではない。
それはわかっている。
けれど、気づけばルリノは、扉に静かに耳を当てていた。
すると、中から聞こえてきたのは、やはり意外な人物の声だった。
(え……!!? こ、この人は――!!?)
――
――――
――――――
「――意外なお客さんだね、どうしたんだい?」
部屋に招き入れた少女へ、ロマは問いかけた。
「えと……実はちょっと、おミャーに聞きたいことが……」
その客人……ミヤコは目を伏せ、もごもごとした声で訊ねる。
「おミャー……薬とか、詳しかったりするか……? ほら、棚にいっぱいあるし……」
「んー、まあポートの方にあった薬の本は全部読んだけど……でも大都市の図書館の100分の1にも満たない量だし、後は独学って感じかな」
「充分だ……あのな……その……」
ミヤコはそこで言葉を区切り、言い淀む。
よく見れば、彼女の身体は震えていた。
額にも汗が滲み、明らかに緊張しているのが見て取れる。
「お、おいおい……大丈夫かい? もしかして体調が悪いのかい?」
(薬のこと、聞いてきたし……風邪でも引いたのかな?)
ロマはミヤコのただならぬ様子に、心配になりながら声をかける。
「いや……体調が、悪い訳じゃ……ないんだ……」
だがミヤコの様子は、それどころではなかった。
呼吸が浅い。
唇がかすかに震えている。
動悸を抑えるように、胸元の服をぎゅっと掴んでいた。
(ホントは……「やっぱりなんでもにゃい」って言って、目を背けたい……でも……っ!!!)
ミヤコはギュッと目をつむり、大きく深呼吸をした。
震える息を、無理やり整える。
そして……覚悟を決めたように目を開くと、懐からあるものを取り出した。
「なあ……この〝薬〟……知ってるか?」
それは――
――擦れた〝ドクロのマーク〟がついた、〝小瓶〟だった。
「え……?」
ロマの表情が変わった。
眠気も、気だるさも、その一瞬で消える。
「それは……っ!? ちょっと待って、よく見せてもらってもいいかい?」
「あ……え……う、うん……」
ロマの見開いた目に、ミヤコの胸が嫌な音を立てる。
彼女は動揺しながら、その小瓶を震える手でロマに渡した。
「これは……ラベルが擦れているけど、まさか……」
「な……なにか……知ってるのか……?」
ミヤコは不安を隠すことも出来ずに尋ねた。
すると……彼は酷く渋い顔で口を開く。
「ああ……こいつは、この世界の歴史上……」
ロマは小瓶を見つめたまま、低く言った――
「――〝最悪の薬〟だよ」
「っ!!!?」
その言葉に、ミヤコの瞳に涙が滲んだ。
(〝最悪の薬〟……? う、嘘……だって、これは……おかあさんが……村の、みんなが……)
ドクロの印を見た時から、その薬がどういうモノかはわかっていた。
けれど、わかっていることと、誰かの口から真実として告げられることは違う。
推測だったものが、現実になってしまう。
ミヤコの中に、凄惨な光景が蘇る――
――
――――
――――――
――それは今は亡き、流行り病で滅んでしまった故郷での出来事。
日記の内容と、母の亡骸と村の状況。
ミヤコが去った後、村に起こった事。
病で弱っていく身体。
尽きた食料。
それらを合わせた結果、導き出された答え……
それは……
最後に生き残った僅かな住人達は、その小瓶の薬を飲んだということ――
――
――――
――――――
――抑えられなくなった大粒の雫が、ミヤコの瞳から零れる。
「ああ……そんな……そんなぁ……っ!!!」
悲しみに満ち、揺らぐ声。
「……」
ミヤコの様子を見て、ロマも事態を察する。
(……この薬と……ミヤコちゃんには、何か関係が……)
この瓶がミヤコにとって、ただの拾い物ではないのは明らかだった。
ロマは言葉を続けるか迷う。
だが、そうしてるうちにミヤコの方が先に口を開いた。
「なあ……この薬は、具体的にどういうモノだったんだ……?」
「それは……」
ロマは言葉を詰まらせる。
(真実を言うと、ミヤコちゃんを傷つける結果になるかもしれない……でも……)
そう悩んでいると、ミヤコが顔を上げた。
瞳からは涙が溢れていた。
けれどそこには、強い決意の光が宿っている。
(……いや、彼女も冒険者だ。残酷な現実を受け入れる覚悟は……あるはずだ)
ロマもミヤコの覚悟に応えるように、大きく深呼吸をする。
そして、ゆっくりと語り始めた。
「これはね……大量の犠牲者を出した、最悪の薬なんだ」
「大量の……犠牲者……?」
ミヤコの声が、かすかに震える。
ロマは小瓶に視線を落とした。
擦れたドクロの印が、小屋の影でやけに暗く見えた。
「ああ、この薬の名は〝レテナール〟。これは本来は痛み止めの目的で作られた薬だったんだけど……こいつは量をほんの少し間違えただけで、人を死に至らしめるとんでもない〝欠陥品〟だったんだ」
「……っ!! 欠陥品!?」
その言葉に、ミヤコの瞳が大きく揺れる。
「そう。しかも眠るように〝安らかに死ねる〟もんだったんで、世界中で流行ってしまったんだ。奴隷や、魔王の脅威に絶望した人々の間で服用され、大量の死者が出た」
ロマは苦虫を嚙み潰したような顔で、その小瓶を睨む。
世界中の心の闇につけ込み、多くの人間を死へ誘った薬。
だが、ミヤコは――
「……安らかに……」
震えていた声から、抑揚が消えた。
ロマはその変化に気づきながらも、説明を続ける。
「何年も前に、政府によって販売は全面的に禁止。普通は医者の研究目的以外じゃ、所持出来ない薬だよ。空き瓶とはいえ、こんなモノどこで……」
そうミヤコに問おうとした――
だが……彼女から返ってきたのは、ロマの予想だにしない言葉だった。
「よかった……っ!!」
「なっ!!?」
耳を疑った。
その一言に、ロマは強い衝撃を受ける。
「え……な、なにを……!?」
「じゃあ、おかあさんは……みんなは……苦しまなかったんだな……っ!!!」
「っ!!!?」
その言葉で、ロマはすべてを察する。
(そうか……この小瓶を、ミヤコちゃんがどこで手に入れたのか……なんで薬について聞いてきたのか……そのすべてが……なんとなく、わかった……)
彼女は、この薬が危険なものだとわかっていた。
きっと、もう答えには辿り着いていた。
それでも確かめたかったのだ。
ロマは彼女の凄惨な過去を悟り、顔をうつむける。
「ごめんな……おかしいよな。いきなり小屋に来て、泣き始めてさ……もう泣かないって決めたのに……」
自分の行動がおかしい事に、ミヤコも気づいていた。
だけど、その涙は止まらない。
「それに不謹慎だよな……でも、これについたドクロを見て、ずっと……みんな、物凄く苦しかったんじゃないかって……そう思ったら……っ!!!」
「……大丈夫だよ」
だが、そんなミヤコにロマは優しく……けれど強く声をかける。
「これが最悪の薬だって事は変わらないけど……でも、ミヤコちゃんの想いは間違いなんかじゃない!!」
「っ……!! ああ……うああ……っ!!!」
その言葉を受け、ミヤコの瞳から一層涙が溢れた。
それは、悲しみだけではなかった。
やっと確かめられた。
やっと、少しだけ受け入れられた。
その痛みを吐き出すように、ミヤコは声を殺して泣いた――
――
――――
――――――
――小屋の外。
扉の前で、その影は小さく震えていた。
「うう……っ!! ひっく……ミヤコざん……!!!」
こっそり話を聞いていたルリノも、彼女の過去を知り、涙を流していた。
(こんな盗み聞きするようなマネして……とても悲しいこと、聞いちゃった……ごめんなさい……私……!!!)
ルリノは深い罪悪感に捕らわれていた。
軽い気持ちだった。
少し気になっただけだった。
それなのに……彼女のとても私的で、大切な部分に触れてしまった。
「でも……ミヤコさん……っ!! とても、大変だったのね……っ!!!」
「うん。ミヤコは苦しい過去を乗り越えた、凄いヤツなんだ……!!!」
「そうね……ミヤコさんは凄い人……んぇ?」
感動で泣いていたルリノだったが、そこで〝違和感〟に気づく。
だがその〝違和感〟は、そんなこと気にせずに話を進める。
「そしてロマも、そんなミヤコの過去を受け止める強さを持ってる……く~! やっぱ仲間にしたいな~!!」
「た、タイガさん……!!? いつからそこに!!?」
ルリノは思わず飛び上がった。
いつの間にか、彼女のすぐ後ろにタイガが立っていたのだ。
泣いているルリノとは対照的に、彼はいつもの調子だが真剣に頷いている。
「ん? さっきからずっと居たよ。ルリノさんが扉に耳を当てたところから」
動揺するルリノに対し、タイガはなんてことない調子で続ける。
「ボクも用事があってさ、ミヤコを探しに来たんだ。宿に居なかったから」
「そ、そうだったの……? で、でもなんでずっと後ろに?」
「ん? だって順番じゃん。ルリノさんが先に小屋に居たからさ、後ろに並んでた」
「じゅ、順番……?」
扉の前で盗み聞きしている人間の後ろに並ぶ。
変なところで律儀だ。
「でさ、ミヤコの用事は終わったかな? よし、それじゃあ入ろう!!」
「え……ちょ、ちょっと待ってェ!!?」
中からはまだ、ミヤコのすすり泣く声が聞こえる。
無遠慮に小屋に突入しようとするタイガを、ルリノは必死に制止する。
第54話は明日の20時10分に投稿です。




