第49話 “長い夢”
――グリングリン・ロッジ、村長の家。
村の中央に近いその小屋には、表で騒ぐ村人達とタイガの声が、かなりはっきりと届いていた。
「グリングリン・ロッジさいこーッ!!!!」
それに続いて、村人達の笑い声とジョッキの音が重なる。
けれど、そんな陽気な空気とは裏腹に、その小屋の中には明かりが1つも灯っていなかった。
外のキャンプファイヤーの光だけが、窓からゆらゆらと差し込んでいる。
赤く揺れるその明かりは、部屋の壁や家具の影を大きく伸ばし、外の賑やかさと中の静けさを、くっきりと分けていた。
村長の机。
壁に掛けられた古い上着。
使い込まれた椅子。
そこにあるものはどれも、家の主の気配を残している。
けれど今……その主はいない。
そして、その部屋の隅に――独り。
不気味にぷるぷると震える人影があった。
「……う……うぅ……っ!! うぐ……!!!」
その人影は床にうずくまり、低い声で呻いていた。
腕の中には、〝緑色のもさもさ〟したモノ。
それを大事そうに抱きしめ、愛おしそうに顔をうずめている。
「うあ……びえ……びえぇ……!!!」
声は段々と震えていき……
やがて――
「――びええええええええん!!!! おとうさあああああああああん!!!!!」
子供のような泣き声へと変わった。
「会いたいよぉ……!!! もう1週間以上も会ってないなんて、ざびじいよぉ~!!!!! びええええええええええん!!!!」
大粒の涙を流しながら、駄々をこね泣きじゃくる少女。
そんな彼女を見て、いつの間にか部屋の入口に立っていた青年が、深いため息をつく。
「はあ……やっぱり無理してたか、〝ルリノ〟」
「びえええぇ……ふぇ? ろ、〝ロマ〟?」
部屋の隅でうずくまっていた人影――ルリノは、突然現れたロマに驚いて顔を上げた。
普段は整っている大人びた顔が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。
それを見られたと気づいた瞬間、恥ずかしさで頬がかっと赤く染まった。
「な、なんでロマが入って……!!? いや、見ないでェ!!!」
「はは、恥ずかしがることない。ファザコンのキミがこんなにも長い間、村長と離れて平気なはずないんだ。村のみんなも気づいてるよ、どっかで限界が来るって」
ルリノは尻もちをついたまま、じりじりと後ずさる。
ロマはそんな彼女を眺めていたが、ふとルリノが抱きしめているものに目を留めた。
「で……〝それ〟はなんだい?」
「んぇ……? こ、これは、その……お父さんの代わりに……」
「……その〝ブロッコリー〟が?」
ロマは、ルリノが胸に抱えている人の頭ほどの大きさのブロッコリーを指差した。
「うん」
「いや何を父親代わりにしてんの!!?」
「え……だって似てるじゃん?」
「いやまあ……確かにちょっと似てるけど……はあ……」
ロマは眉間を押さえ、困り果てたように首を振る。
「野菜に父性を感じるほど、思い詰めてたなんて……全く。無茶をするもんだ」
呆れた声ではあったが、そこに冷たさはなかった。
ロマはルリノの側まで歩み寄ると、膝をついて、そっと彼女の頭を撫でた。
「都市の方で、村長の用事が終わるまで待ってれば良かったじゃないか……」
「だ、だってェ……っ!!! やっぱり長い事、村の代表がいないのはマズイと思ったし……それにぃ……」
両手で目元をこすりながら、彼女は必死に言葉を続けた。
「病気も完治したし、私ももう大人だし……ずっと甘えていられないわよっ!!! この年でお父さんに甘えてるなんて、普通じゃない……」
けれど、その姿は言葉とは正反対だった。
床に座り込み、泣き腫らした目で、父親代わりのブロッコリーを抱きしめている。
どう見ても、強がりきれていない。
「キミねェ……人に隠れて『お父さんに会いたい』って泣きじゃくるのが、大人なのかい?」
「それはぁ……だってェ……」
ルリノは返す言葉を探すように唇を震わせる。
「でも……ずっとこんな様子じゃ、きっと〝お母さん〟も不安に思うわ……」
「……ルリノ……」
〝お母さん〟。
その言葉を口にした瞬間、ルリノの表情はさらに暗く沈んだ。
ロマはそんな彼女と視線を合わせ、静かに微笑んだ。
「大丈夫だよ。無理に大人ぶる必要なんてないさ」
「……え?」
「キミはキミのペースでいいんだ」
「んえぇ……でもぉ……」
それでも納得しきれないルリノに、ロマは小さく笑う。
「はは!! 強情だな。村のみんなを信じろよ。たった1年しか住んでないオレでも、ここの結束はかなり強いってわかる。もしもの時は、みんなが支えてくれるさ」
「……だからよ……」
「え?」
その慰めの言葉に、ルリノは一層声を低くした。
「この村の人達はみんな優しいわ。でも……優しすぎるのよ……誰かが傷ついた時は、我が身を顧みずに助けてくれる……でも、だからこそ……私はそれが怖いの……っ!!!」
「……ルリノ……」
ルリノは震える手を、ギュッと握り締める。
「今日だって、みんなボロボロになるまでバンブームに挑み続けてたでしょ……? ここの人達はみんなそうなの……」
ルリノは涙にまみれた顔を上げる。
「だから……っ!!! 私もみんなを守れるようになりたいの……!!! 一刻も早く……!!!」
「……」
寂しさで歪んだその表情の奥に、確かな覚悟が宿っていた。
父親に会いたくて泣く少女。
けれど同時に、村を背負おうとしている少女。
その2つは矛盾しているようで、どちらも彼女の本心だった。
「そうか……わかった」
ロマはその意思を汲み取り、小さく頷く。
「じゃあ、キミがみんなを守れるようになるまでは……オレが代わりになるよ」
「……え?」
思いがけない言葉に、ルリノは目を丸くした。
「オレがこの村を守るって言ったんだ。キミが強くなるまでね」
「え……でも……いいの? だってロマ……」
ルリノはたどたどしく、ずっと胸に引っかかっていた不安を口にする。
「タイガさん達と……旅に出ちゃうんじゃ……」
「へ……? いや、なに言ってんだよ。別にオレはそんな……」
「だ、だってェ……!!!」
否定しようとするロマの言葉を遮って、ルリノは思いの丈をぶつけた。
「ロマ……楽しそうだったから……!! 同じ世界から来た、〝転生者〟と会って……っ!!!」
外から、またタイガ達の笑い声が聞こえてくる。
ロマがタイガと話していた時の顔。
同じ世界を知る者同士だからこそ通じ合う言葉。
この村の誰も知らない景色を、ロマとタイガだけが知っている。
それが、ルリノには少しだけ怖かった。
「それに……タイガさん、ロマのこと仲間にしたいって言ってた……」
「ルリノ……」
不安の滲んだ彼女の声を受け止めるように、ロマは柔らかく笑う。
「馬鹿だなぁ……それでオレが村から出ていくと思ったのかい?」
「……うん」
「はは、全く……」
深刻にさせすぎないように、ロマはあえて軽い調子で返した。
それから、はっきりと言う。
「確かに、あいつらとの旅は楽しそうだけど……でも、オレは行かないよ」
「え……? ホントに……? で、でも……!!」
「ホントだ。実はもうタイガからの旅の誘いは断ったんだ」
「っ!!」
揺れるルリノの瞳を、ロマは真っすぐに見つめる。
「ここはオレにとって……まあ……この世界での〝故郷〟みたいなもんになったからな……」
そう言ったロマの瞳に、一瞬だけ影が差す。
「ていうか、〝故郷〟なんて呼べる場所、元の世界じゃなかったんだ……それをそう簡単に手放すもんか」
「そっか……ロマ、元の世界では……ずっと……」
ロマの言葉には、少しだけ孤独の色が宿っていた。
それは、ルリノが抱えているモノとよく似ていた。
形は違う。理由も違う。
けれど、寂しさという意味では、2人は同じ場所に立っていた。
「ああ、だから何処にも行かない。少なくとも、キミがファザコンじゃなくなるまではね」
「むぅ……ファザコンじゃないもん……ちょっと人より甘えん坊なだけだもん……」
冗談めいたロマの言葉に、ルリノはむっと頬を膨らませる。
そこにはもう、さっきまでの張り詰めた悲しさはなかった。
「はは、そうだね。その甘えん坊が大人になるまで、オレが支えるよ」
「……そっか……ふふ……」
ロマの言葉に、ルリノはようやく安心したように笑った。
涙の跡はまだ残っている。
目元も赤いままだ。
けれどその笑顔は、さっきよりずっと柔らかかった。
「ロマ……ありがとう」
「……礼には及ばないよ……」
彼女からの感謝に、ロマはふっと笑って返す。
(むしろ礼を言うのは、こっちの方だ……)
外では、たき火の炎がゆっくりと小さくなっていた。
あれほど響いていた笑い声も、少しずつ穏やかなものへ変わっていく。
ジョッキの音はまばらになり、歌声も遠く、眠たげに揺れていた。
こじんまりとした宴は、そろそろお開きらしい。
窓から差し込む赤い明かりが、小さく、小さくなっていく。
その光が消えかけるまで、ロマとルリノは村長の部屋で、静かな時間を過ごした――
――
――――
――――――
――グリングリン・ロッジの外れ。
賑やかだった村も、今は少しずつ眠り始めた頃。
森を背にした小さな家の中では、灯りがひとつ、ぼんやりと揺れていた。
散らかった机の上には、空になったマグカップと、読みかけの書物。
その隣で、シャワーを浴び終え寝間着に着替えたロマがベッドに腰を下ろした。
「ふう……今日は色々と、忙しい1日だったな……」
濡れた髪をタオルで拭きながら、ロマは小さく息をつく。
タイガとミヤコとの出会い。
ルリノの帰郷と漆黒の冒険者。
バンブームの騒ぎと宴。
1日とは思えないほど、色々な出来事が押し寄せてきた。
ロマはそのままベッドに仰向けになり、ぼんやりと天井を見上げる。
(……初めて、他の〝転生者〟と会ったな……)
ゆっくりと目を閉じる。
目蓋の裏に、今日の光景が浮かんでは消えていく。
そのすべてが、少しずつ遠ざかっていく。
(久々に……昔の事を思い出したな……)
そして……沈んでいく意識は、記憶の奥までたどり着いた――
――誰かの笑い声。消毒液の匂い。微かな陽の光。
思い出そうとするほど、眠気が深まり、記憶と夢の境目が曖昧になっていく――
(――ああ……マズい。今日は……夢見、が……悪そう……だ……)
そう思いながらも、ロマは抗うことも出来ずに、意識を手放した――
――
――――
――――――
「――マ……ね……ロ……え……ロマ……てば……っ!!」
ボヤけた視界が、ゆっくりと輪郭を取り戻していく。
清潔な白。
光沢を帯びた床。
消毒液のにおい。
淡い色で彩られた壁とカーテン。
そこは、やけに明るい大部屋だった。
あちこちから聞こえる騒がしい声は、子供達の笑い声だ。
そして、すぐ近くで響くのは――
「――ねぇ!! ……マ! ロマ……てばッ!!」
自分を呼ぶ声。
懐かしいようで、少しくすぐったい響き。
もう二度と聞くことは出来ないと思っていたはずの声。
「この〜……“ゴムゴムの〜!!」
声が少し怒ったように響いた次の瞬間、目の前で何かが伸びた。
「銃”!!!」
「あ痛てェッ!!?」
額にペシン! と乾いた音が響き、小さな痛みが走る。
思わず目を見開いたロマの視界が、完全に鮮明になった。
「なにすんだァッ!! 〝ミドリ〟!!!」
ロマは反射的に、自分を呼んでいた声の主へ怒鳴った。
「だってー!! ずっと漫画読んでて、返事してくれないじゃん」
ミドリ――そう呼ばれた少女は、名前と同じく澄んだ緑の瞳を細め、頬をぷくっと膨らませる。
体格は小柄で、同年代よりも少し背が低い。
栗色の髪は腰まで伸び、光を受けると柔らかい金色が混じる。
淡い緑色の病衣の上から、茶色いカーディガンを羽織っている。
袖や裾が少し長めで、彼女の華奢な体にはゆったりとしている。
そして頭に貼られた大きなピンク色の絆創膏(の形をしている髪飾り)を基調に、パステルカラーの絆創膏を、怪我もしていないのに体全体に貼り付けている……
見間違えるはずがない――遠い日の、その姿を――
「――え? ミドリ……? な、なんでキミが……」
「へ? なぁにぃ? ロマくんってば寝ぼけてるの~?」
素っ頓狂な声を出したロマを見て、ミドリはニヤニヤしながら顔を覗き込む。
ロマは無意識のうちに、自分の服へ視線を落とす。
そこにあったのは、深緑のコートでも腰に巻かれた試験管でもなく――淡い青色の病衣。
「ここは……〝小児科病棟〟か……」
「え……? ホントにどうしちゃったのさ〜?」
あまりにとんちんかんな呟きに、ミドリは苦笑いを浮かべる。
ここは小児科病棟のプレイルーム。
壁には子供達の絵が貼られ、隅には読みかけの絵本やぬいぐるみが転がっている。
昼下がりの陽光がカーテン越しに差し込み、空気は柔らかい。
ロマにとっては、数え切れない程の時間を過ごした場所。
それなのに、まるで〝帰ってきた〟かのような感覚が、奇妙な違和感と共に胸に広がった。
「ああ……いや……」
ロマは自分の手を見下ろし、確かめるように拳を握り……そして開く。
意識がはっきりするにつれ、あの鮮やかな森の光景が遠のいていく。
まるでさっきまでの事が、すべて夢だったかのように。
ロマは深く息を吸った。
消毒液の匂いが、肺の奥まで入り込む。
その懐かしさに、ほんの少しだけ顔を歪めた後――彼はミドリと向き合い、笑って答えた。
「随分と……〝長い夢〟を見ていたみたいだ……」
その言葉は、真っ白なプレイルームの中で、やけに静かに響いた――
第50話は明日の20時10分に投稿です。




