第44話 “相対する転生者達とケモニア”
「確か……村を出たのは1ヶ月くらい前だったよね。随分な長旅だったじゃないか。お疲れ様。ダルかっただろう?」
ロマはいつものように、気だるげに口元を緩める。
けれどその声音には、長旅を労うやわらかさと、無事に帰ってきた彼女への安堵が混じっていた。
「ううん! 村からこんなにも長い間離れたのは初めてだったから、色々と新鮮だったわ」
ルリノはそう答え、穏やかに笑った。
「でも、病弱な娘とお年を召した村長の旅だ。大変だったはずだよ、ゆっくりしていきな。お茶でも淹れようか?」
「ふふ、お生憎様。ここにはちょっと寄っただけよ。それに大都市の風景にずっとワクワクして、疲れなんて飛んで行ったわ……まあ、〝お父さんはまだ帰って来てない〟んだけどね。なんだか向こうで用事が出来たみたい」
「おや、そうか……」
それを聞くとロマは悪戯っぽく口角を上げた。
「はは。ファザコンのキミが、よく村長を置いて先に帰ってこれたね。『一緒じゃなきゃ嫌だ』って駄々をこねなかったのかい?」
「ふふ。残念、寂しがり屋の私は卒業したのよ」
「……へえ~」
ロマの冗談めいた言葉にも、軽く微笑んで受け流す。
その様子に、彼は面食らった。
今の彼女には、ほんの少しの自信と落ち着きが、その仕草の端々に滲んでいる。
そんな彼女を見て、ロマはふと首を傾げた。
「……ん? なんか……雰囲気、変わった?」
「え? ……そ、そうかな……? えへへ、私も都会で大人になったかしら」
少し照れくさそうに頬へ手を添えるルリノ。
その仕草は可憐だが、以前よりもどこか垢抜けた印象があった。
そうやって2人は、しばらく近況を語り合っていた。
その最中、ルリノがロマの背後へ目を向けた。
「あら……? お客さんが来てたの? ごめんなさい、邪魔しちゃったかしら」
そう言われ、ミヤコは背筋を正す。
「あ……い、いえ、大丈夫にゃ」
「うん! 気にしないで!!」
少し緊張気味のミヤコと、普段通りの無邪気な笑顔を浮かべるタイガ。
ルリノはほっと肩の力を抜き、小屋の中へ足を踏み入れた。
そしてスカートの裾を軽くつまみ、客人へ向けて丁寧に一礼する。
「ありがとう。私は〝グリンリィ・ルリノ〟と言います。この村、〝グリングリン・ロッジ〟の村長の娘よ」
「ボクはタイガ! よろしく! ルリノ〝さん〟!!」
タイガは勢いよく頭を下げる。
そのやけに丁寧な呼び方に、ロマは眉をひそめた。
「〝さん〟……? オレは最初から呼び捨てだったのに……」
「あれ? ダメだった?」
タイガは悪気もなく、きょとんと首を傾げた。
「いや……別にいいけど……」
言葉とは裏腹に、初対面の扱いの差に、なんとも言えない引っかかりを覚える。
そんな2人をよそに、ミヤコは一歩前へ出て、ぺこりと頭を下げた。
「ご、ご丁寧にどうも……ミャーは〝チュンシャー・ミヤコ〟と言います……」
ぎこちないが、精いっぱい丁寧に名乗る。
ルリノはそんなミヤコの様子に、優しく微笑み返した。
「ふふ、よろしくお願いしますね。タイガさん、ミヤコさん」
挨拶がひと通り済み、小屋の中にふっと和んだ空気が流れる。
その時、不意にタイガが口を開いた。
「ミヤコの〝チュンシャー〟って名字?」
「え? うん……言ってなかったか?」
「うん、初めて聞いたと思う」
あまりに自然な調子のやり取りに、ロマは目を瞬かせた。
「え……いやキミ達……昨日今日知り合った仲じゃないだろう? それなのに、名前を知らなかったなんて……」
「あら? そうなの?」
先ほどまで2人の信頼の深さを目の当たりにしていたロマは、困惑を隠せない。
ルリノもまた、その言葉を聞いて少し驚いたように2人を見比べた。
「でもまあ、話す機会なかったしにゃあ……言うて出会ってまだ〝2週間〟とかだし」
「え……〝2週間〟!? それなのに随分と仲がいいんだね……」
ロマは改めて2人を見比べ、やがて納得したように息を吐いた。
「……過ごした時間は関係ないか……」
「ええ、素敵な2人ね」
ロマがしみじみと漏らすと、ルリノも素直に頷く。
「え……? な、なんだよ急に……恥ずかしいな……」
不意打ちみたいな褒め言葉に、ミヤコは耳まで赤くして視線を逸らす。
「えへへ! ありがと!!」
一方のタイガは、何のてらいもなく笑って礼を言った。
そのまっすぐな反応が嬉しかったのか、ルリノもいっそう表情を明るくし、声を弾ませる。
「ねえ2人とも、この村にはどのくらい滞在するの? よければ5日後のパーティーに来ない?」
「え!? パーティー……? つまり……宴!!?」
タイガの目がぱっと輝いた。
食いつき方があまりにも露骨で、ルリノはくすりと笑う。
「パーティー? なんのパーティーだい? 理由もなしにやるわけじゃないだろ?」
ロマが問うと、ルリノの笑みがほんの少しだけ静かなものに変わった。
「今回のパーティーはね……私の〝快気祝い〟よ」
「っ!!」
その一言に、ロマは息を呑んだ。
目を見開いたまま数秒固まり、次の瞬間には、抑えきれない安堵がその表情に広がっていく。
「てことは……ちゃんと〝病気〟治ったのか。良かった……ホントに……っ!!」
絞り出すようなその声には、驚き以上に、心からの安心が込められていた。
そんなロマを見て、ルリノも嬉しそうに頷いた。
「ええ……だってその為に1ヶ月も都市に行ってたんだもの。じゃないと帰ってきてないわ」
そう言ってルリノは腰に手を当て、元気いっぱいに胸を張った。
「もうこの通り……ピンピンしてるわ!!」
「はは……そうか」
ロマは小さく笑う。
その短い返事だけで、彼がどれほどルリノのことを想ってたかがよくわかった。
「パーティーは港町の方でやるの! 2人も来てくれる?」
「うん!! いくいく~ッ!!!」
「港町ってことは……魚もいっぱい食べられそうだにゃ……!! ゴロゴロゴロ……!!」
タイガもミヤコも飛び跳ねるように喜んだ。
ルリノの誘いを、まるでご褒美みたいに両手いっぱいで受け取る。
「やったー!!! 宴だぁー!!! 一度やってみたかったんだよー!!!」
はしゃいだ声が小屋の空気を震わせる。
まるで部屋までもがその浮き立つ気配に釣られたように、棚の空っぽのコップがコト……と小さく揺れた。
「さて! それじゃあ私はお暇させてもらうわね。パーティーは5日後の夜に、港町の〝スタロン亭〟でね!!」
「ああ、わかった……あ、送っていこうか?」
ロマのささやかな気遣いに、ルリノは首を振る。
「大丈夫よ……今の私には〝護衛〟がいるから……」
「ん? 〝護衛〟?」
その言葉にロマは疑問を浮かべるが、ルリノはそれ以上答えず、スカートの裾をひらりと翻して部屋を出ていく。
「じゃあね! また……あ……っ!!」
扉を開いた、その瞬間だった。
ルリノの足がぴたりと止まる。
外から差し込む光の中で、その表情がわずかに強張った。
彼女の視線の先――
「――お、見つけた。ルリノ嬢……全く、このオレ様から無断で離れるなんて、罪深いヒロインだ」
低くよく通る声が、外気と一緒に流れ込んでくる。
その声の主は、まるで初めから待ち構えていたかのように、扉の前に佇んでいた。
「……別に、いちいちあなたの許可を取る必要なんてないでしょ? あなたの仕事は、この村まで私を送り届けること……もうとっくに仕事は終わってるわ」
ルリノは冷ややかに言い返した。
先ほどまでの柔らかな笑みは消え、その声音には静かな抵抗があった。
そのただならぬ気配に、ロマは反射的に立ち上がり、扉の方へ歩み寄った。
「おいルリノ、誰か来てるのか?」
「ああロマ……気にしないで、この人はさっき言ってた〝護衛〟の……」
説明しようとしたルリノの言葉を、尊大な声が遮った。
「気にするな? いいや気にしろ!! なにせここには、この〝超イケメン天才冒険者〟――〝クロト様〟がいるのだからなッ!!」
ビシィッ!! という音でも鳴りそうな勢いで自分を指差し、男は高らかに名乗りを上げる。
「あぁ? ……誰だこ……の、男は……」
思わず間の抜けた声を上げたロマ。その目の前には――
――全身を黒一色で包み、漆黒の瞳を細めて佇む、とんでもない美少年の姿があった。
長い睫毛が影を落とし、その視線は見る者を一瞬で射抜く。鼻筋は鋭く、彫刻のような顔立ちはあまりに整い過ぎて、もはや人間離れしているほど。
肩まで流れる黒髪が風に乗ってさらりとなびき、まるで絵物語から抜け出した騎士のような威容を誇っていた。
黒のロングコートには、血のように赤い糸が縫い込まれており、その存在感をより強調している。
「お~!! 確かにすっげェイケメン!!!」
小屋の中からひょこっと顔を出したタイガが、素直な感想を叫ぶ。
「ふ……っ、言わなくても知ってる。だが正直なのは良いことだぞ!! 少年!!!」
クロトと名乗った青年は満足げに顎を引き、当然のように頷いた。
「にゃんだこいつ……また一段と変なのが現れたな……」
その図太い態度に、ミヤコも呆れ顔でぼそりと呟く。
だが、そんなクロトを冷ややかに窘めるように、彼の背後から小さな声が聞こえてきた――
「――クロト……またいきなりそんな態度だから、みんな困ってる」
「ふっ……なんだ〝ノエル〟。この神に愛されし〝プレイヤー〟であるオレ様が、〝モブ共〟に対してへりくだった態度をするとでも?」
誰もがクロトに注目していたせいで、そこにもう1人いたことに誰も気づいていなかった。
その隣には、いつの間にか小柄な少女が立っている。
頭の上からぴょこんと突き出した大きな犬耳。
それだけで、彼女がただの人間ではないと分かった。
「あ……あいつ、〝ケモニア〟だにゃ」
「ホントだ! ミヤコと同じケモ耳が生えてるよ!」
同族との思わぬ出会いに、ミヤコの猫耳がぴくりと動く。
タイガも興味深そうに身を乗り出した。
「うん……よろしく、〝子猫〟さん」
その〝ノエル〟と呼ばれた少女は静かに応えながら、背後の大きな尻尾をふわりと揺らした。
陽を浴びた銀髪のセミロングは淡く輝き、青みがかった瞳は冷ややかでありながら、その奥に芯の強さを宿している。
群青色を基調とした軽装の鎧は無駄を削ぎ落とした実用一点張りの装いだが、腰に結んだ黒いマントの切れ端が、全体を引き締めるアクセントとなっていた。
そして何より目を引くのは、その〝顔立ち〟だ。
人間に近い輪郭ながら、鼻筋は低く、〝犬のような黒い小さな鼻〟がついている。
彼女はミヤコよりも〝獣性が濃い〟ケモニア族のようだ。
「む……〝子猫〟って呼ぶな。そう呼んでいいのは……故郷のみんなだけだにゃ……」
そう言いながら、ミヤコは表情を曇らせた。
その呼び名は、今はもう戻れない故郷を思い出させる。
「そう……ごめんなさい。じゃあ……〝大〟猫さん?」
「いや〝大〟にすればいいって訳じゃねェよ!!」
あまりにもズレた返しに、ミヤコは反射的に盛大なツッコミを叩き込む。
だが当のノエルはきょとんとしており、どこまでが本気なのか分からない。
そんな2人のやり取りを見かねたのか、クロトが得意げに一歩前へ出た。
「おいおい……全く世話が焼ける。このオレ様が命じる! 同じケモニア同士、仲良くするんだ!!」
「クロトは黙ってて」「おミャーは黙ってろ!!!」
「んな……っ!!? このオレ様になんて口を、このケモキャラ共め……!!!」
ミヤコだけではない。仲間であるはずのノエルからまで冷たくあしらわれ、クロトはショックを受けたように両手で頭を抱える。
「ふ……ふはは……っ!! まあいい。こんな事でへそを曲げるような小さい男ではないのだよオレ様は……」
そう言いながら、大げさにコートを翻し、クロトは小屋に背を向ける。
「さあ行くぞ! ルリノ嬢!!」
「はいはい……それじゃあロマ、後でね」
ルリノは少し寂しそうに、こちらへ手を振った。
「あ、ああ……またね」
ロマもぎこちなく手を振り返す。
そうして、ルリノはクロトに促されるように小屋の外へ出ていった。
村へ向かって歩いていく3人。
その道の先から、落ち着きのない声が飛んできた。
「……あ! クロトさん! に、荷物……運んできたっス!!」
その声の方を見ると、大きなリュックを背負った金髪の青年が、クロトの元へ駆け寄ってきた。
だが、その足取りは軽くない。背の荷はぱんぱんに膨れ上がっていて、今にも縫い目がはじけそうだった。肩紐は食い込み、青年は前かがみになりながら、ふらつく足でどうにかそれを運んでいる。
額には玉のような汗が浮かび、荒い息遣いがここまで聞こえてきそうだった。
「ん? お前……運べって言ったのは村の中央までだ。ここじゃないぞ?」
「エェ!!? す、すみません!!」
青年は肩をびくりと跳ねさせ、何度も何度も頭を下げた。
そのたびに巨大なリュックがぐらりと揺れ、今にも後ろへ引っくり返りそうになる。
「はぁ……まったく、ドジな奴だ。さっさと運べ、〝モブくん〟」
「は、はい……っ!!」
尊大に命じると、クロトは悪びれもせず、その青年の前を当然のように歩いていく。
金髪の青年は慌ててリュックを背負い直した。
ずしりと重みがのしかかったのか、一瞬だけ顔をしかめる。それでも文句ひとつこぼさず、彼は小走りでクロトの後を追った。
「……」
ルリノはそんな光景を、黙って見つめていた。
止めるでもなく、かといって見過ごしていいとも思えていない――そんな戸惑いが、その表情に滲んでいる。
やがて彼女もまた、静かに目を伏せて、彼らの後を追って歩き出した。
その背中を見送りながら、ロマの胸にも、言葉にしきれないざらつきが残る。
「ゴロロロロ……にゃんだあいつ……怪しいヤツだったなぁ」
ミヤコも、去っていくクロトの姿が完全に見えなくなるまで、喉の奥を低く鳴らしながら鋭く睨み続けていた。
尻尾の先までぴんと張り詰めていて、全身が警戒を訴えている。
「え? 別に面白い人だったじゃん。それにすっげェイケメンだし!!」
タイガはいつもと変わらず、呑気な様子でベッドに座っていた。
「顔がいいのは認めるけど……あいつ……」
ミヤコは声を落とし、ぼそりと呟く。
「……〝血の臭い〟がしたぞ……」
その一言に、一瞬だけ空気が冷えた。
〝血〟――思わずぎょっとするような言葉だったが、タイガは拍子抜けするほどあっさりと返した。
「ん? 別に冒険者は全員、血の臭いがするよ? モンスターをやっつけてるんだし、当たり前だよ」
確かに、その通りだ。
なんなら、ついさっきまで森で騒いでいた自分達にだって、多少なりとも血や泥の臭いは染みついている。
けれど……
「いや確かにそうだけど、あいつのは……」
ミヤコの胸の奥に浮かんだのは、ちょっとばかり嫌な予感だった。
だが、そこで言葉を切る。
自分でも、まだうまく説明できない違和感だった。
「まあ……いいか。ミャーだって〝犬ほど〟は嗅覚が鋭くないし、気のせいだな……」
そう自分に言い聞かせるように呟くと、ミヤコは木々に陽射しを遮られた薄暗い道から目を逸らした――
(――〝犬ほど〟は嗅覚が鋭くない……か……)
ミヤコの言った言葉を反芻しながら、ロマはふと元の世界での知識を思い出す。
(ミヤコちゃんはそう言ったけど、確か猫の嗅覚は、人間より遥かに鋭かったはずだ……)
そう――もし、その違和感が本物だったとしたら。
(……杞憂で終わればいいけど……)
ロマは、ルリノ達が消えていった木陰の奥を、もう一度だけ静かに見つめた――
――
――――
――――――
――その頃。
村の中央へと歩いていく4人の間には、しばらく会話がなかった。
辺りには、靴音と衣擦れだけが響いている。
だが、不意にノエルがぽつりと呟く。
「……あの人達……」
「ん? どうしたノエル。やっぱりケモニア同士、気になるか?」
クロトが横目で問うと、ノエルは小さく首を振った。
「ううん、ケモニアの子じゃない……男の人の方……」
ノエルは立ち止まり、クンクンと鼻を鳴らす。
何かを確かめるように、慎重に。
「男の人……2人とも……ちょっとだけ〝クロトと同じ匂い〟がした……」
「……ほう、オレ様と……」
それを聞いた瞬間、クロトの口元がゆるりと歪んだ。
朝の陽射しが木々に遮られた森の道。
その濃い影の中で、クロトの笑みだけが妙に白く浮かび上がった。
「ということは……つまり……はは!」
喉の奥で、愉快そうな笑いが漏れた。
そしてクロトは、面白いゲームでも見つけたように目を細める。
「ノエルが言うなら間違いないな。なにせ犬の嗅覚は、人間の〝1万倍〟から〝10万倍〟とも言われているからな……」
その言葉の先に、何を見出したのか。
クロトだけが知っている愉悦を滲ませたまま、4人の姿は村の方へと溶けていった。




