第34話 “大好き”
昼を少し過ぎた頃――
ミヤコは、朽ち果てて廃墟となった自宅に独りでいた。
リビングの机。その冷たい木の脚に背を預け、床に座り込む。
それは――彼女がここに戻ってきた時、母の白骨死体がとっていたのと、まったく同じ体勢だった。
(……おかあさん……)
膝を抱え、顔を深く埋める。
呼吸は浅く、細い。
消えない恐怖と、拭えない罪悪感。
(ミャーのせいで……凄く長い時間……苦しんだかもしれない……)
広がるのは最悪の想像――
――頬がこけ、痩せ細り、力なく壁にもたれながら、必死に息を繋いでいる母。
誰にも助けを求められず、静かに衰えていく――
「――っ!! ううううぅ……!」
堪えきれず、頭を膝に押しつける。
両手で髪をぐしゃりと掴む。
(ごめんなさい……っ!! ごめんなさい……!!! おかあさん……)
謝罪の言葉だけが胸の内を埋め尽くし、出口を失った感情が自分を内側から圧迫していく。
この場所に独り取り残されたような感覚が、ミヤコをひたすらに押し潰す。
やがて――力が抜けていく。
髪を掴んでいた腕も下がり、ただ膝を抱えたまま、呼吸だけが細々と続いた。
燃え尽きた後のように、全身から生気が失われていた。
(……ミャーもいっそ……おかあさんと同じように……このまま……)
そんな危うい考えに、意識が沈みかけた、その時――
――コトっ。
小さな音。
それは、この家の中では不自然なほど、はっきりと響いた。
「……え?」
ぼんやりと顔を上げたミヤコの目に、床に転がる〝ナニか〟が映る。
「なに、これは……〝瓶〟? こんなの家にあったっけ?」
手のひらほどの小さな瓶。
調味料入れでも、花瓶でもない。
ラベルは、どこか湿り気を帯びたように曇り、文字も薄れて判読不能になっている。
見慣れたはずの自宅に、記憶のどこにも存在しない〝異物〟がぽつんと落ちていた。
(家のものじゃない……でも、なんだろう……どこかで……)
微かな既視感が、ふいによぎる。
記憶の糸を辿るうち、朝の出来事が蘇った――
『――やっぱり先生だから……吐血を抑える薬でもあったのか……?』
「――そうだ……!! あの時……」
希望でもない。絶望でもない。
ただ、確かめなければならないという衝動。
体が重い。
それでも、立ち上がる。
ふらりとよろめきながら、扉へ向かう。
力の入らない手で戸を開ける。
開いた戸の隙間から、外の光が薄暗い室内へ伸びる。
ミヤコは足を引きずるように、診療所へと歩き出した――
――
――――
――――――
「――やっぱり……そうだ……ッ!!」
村で唯一の診療所、その院長室の奥。
コハンの白骨死体の前にある机の上に、その小瓶は無造作に置かれていた。
瓶の形も、文字が消えかけたラベルも……自宅で見つけたものと、ほとんど同じだった。
ミヤコの脈が一気に速まる。
「同じ〝瓶〟……おかあさんとコハン先生が飲んでいた……薬……?」
揺れる声が、診療所の静寂に吸い込まれていく。
(いや……〝2人だけ〟なのか……?)
疑念が芽生えた瞬間、背中に嫌な汗が滲んだ。
小さな〝瓶〟――それは単なる偶然の一致なのか、それとも……
「さ、探しに行ってみよう……!」
自分を奮い立たせるために声を張り上げ、ミヤコは拳を握る。
小さな村とはいえ、思い当たる人達の家を1軒ずつ調べるのは骨が折れる。
しかし――ミヤコには確かに〝あて〟があった。
診療所から飛び出し、村の中央へと駆ける――
「――あ! ミヤコ! いたいた!! いや~家に帰った時にも、声かけようと思ったんだけど……」
背後から能天気な声が飛び込んでくる。
振り向けば、手をぶんぶん振りながら駆けてくるタイガの姿。
ついさっきまで、激しく言葉をぶつけ合ったのに――彼はまるで忘れてしまったみたいに、相変わらずの笑顔を浮かべていた。
「タイガ!! あっちの家と、そこの家と……あと――あの家!! そこでこの〝小瓶〟探してくれ!!」
それだけ手早く伝えると、ミヤコはすぐさま走り去った。
「へ……? あ、ちょ! ちょっと待ってよ! ミヤ……わかった~……!!」
突然の頼みに戸惑いながらも、タイガは文句ひとつ言わず付き合ってくれた。
(ミャーの予想が正しければ……この薬を飲んでいた人は……!!)
頭に浮かんだ顔――狩人のベンガおじさん、村のナンバー2的なポジションのレオさん、おかあさんの友達のオレンちゃん。
思い当たる人達には全員、共通点があった……それは――
――
――――
――――――
――時刻はもう夕方。
赤く傾いた陽が、壊れた窓から細く差し込み、室内を血のような色に染めていた。
再び、ミヤコの家。
「はあ……!! はあ……っ!!」
机に両手をつき、肩で息をする。
荒い呼吸が、静まり返った部屋にやけに大きく響く。
その後ろで、まだ状況を掴みきれないタイガが首をかしげていた。
「とりあえず言われた通り瓶を探してきたけど……なにこれ? まさかなんかのお宝!!?」
タイガは目を輝かせて、小瓶を宝石でも見つけたかのように掲げる。
その能天気さが、逆に場の緊張感を際立たせていた。
「いいや……多分、なにかの薬だ……おかあさん達が、死ぬ前に飲んでいた……薬」
「……っ!! 飲んでたって……だって……」
タイガの表情が変わる。
ようやく、ただ事ではないと理解し始める。
「この薬を飲んでいた人達はみんな……病気で死なずに餓死した人達……だと思う……」
その呟きは、鉛のような重さを帯びていた。
ミヤコは瓶を1本ずつ机に並べながら、そのラベルを確認していく。
「集まった数は12本……あの日、生き残っていた人の数と、おんなじだ……」
ラベルはどれも傷み、薬の名までは判別出来ない。
けれど文字の残り方は瓶ごとに違い、中にはその一部をかろうじて読めるモノもあった。
(吐血を抑える薬だと朝は思ったが……そんなモノがあれば、村のみんなに配っていてもいいはずだ……)
不穏な推論が、少しずつ形を成す。
(生き残った12人の家以外には……なかった。病気の症状が抑えられるモノなら、もっと沢山の人に渡すはずだ……)
汗ばんだ手が瓶を滑らせそうになり、ミヤコは慌てて強く握り直した。
(貴重な薬だから、出し惜しみしていた? 生き残った何人かだけに渡すために……いや、みんなはそんなことしない……
そんなことをする人達なら……ミャーに残った食料を全部渡すようなこともしない……!!)
思い出すのは、村のみんなの優しい笑顔。
残り少ない食料を分け与えてくれた、温かい日々。
――そんな人達が、自分達だけが助かろうとしたなんて、絶対にありえない。
(なら……考えられるのは……)
心臓が、嫌な音を立てて跳ねる。
その時、タイガがぽつりと呟く。
「……ねえ……ホントにこれ、ミヤコのおかあさん達が飲んでいた薬なの……?」
声が少しだけ低い。
さっきまでの軽さが、薄れている。
「そ、そんなのおかしいよ……だって……」
「ちょっと黙っててくれッ!!!」
ミヤコは叫んだ。
それは、嫌な真実から目をそらすための怒声だった。
だが……叫びの余韻が消えると、彼女は身を縮めた。
「……ごめん……怒鳴って……」
「……いいんだよ」
タイガは柔らかな声で応える。
責めるでも驚くでもなく、ただミヤコを見つめていた。
「今朝だって……ミャー、酷いこと言った……」
「気にしてないよ」
寄り添うような、軽い言い方。
それが、むしろ彼の真剣さを感じさせる。
「駅のホームでだって……酷いこと言って、湖に落として……」
「あ~!! あれはちょっとヒヤッとしたな~。死ぬかと思った!!」
タイガは大げさに肩をすくめ、明るく返した。
「う……!! ほ、本当にごめんなさい……!!」
ミヤコは深々と頭を下げる。
だがタイガは、軽く手を振って笑いながら答えた。
「いいよ! 助かったんだし、もう気にしてない!!」
夕日の赤を背にしたその笑顔は、あまりにも眩しかった。
心が暗闇へ沈みかけていたミヤコにとって、それは一瞬だけ差し込む救いの光のように思えた。
「……ありがとう……そう言ってくれると、ミャーも……」
感謝を告げながら、ミヤコは再び手の中の瓶に目を落とす。
しかし――
その視線の先にあったものが、彼女を再び地の底へ突き落とした。
「……え……? ……あ……あぁ……っ!!」
思えば、ずっと違和感はあった――
なぜ吐血していない遺体が12体もあったのか。
あの日、ミヤコが村の食料を持ち出すまで生き残っていた12人。
病の進行があれば、数人は餓死する前に力尽きていてもおかしくない。
――それなのに。
「……ミヤコ……? どうし……っ!!!?」
タイガが心配そうに身を乗り出す。
けれど、ミヤコの手にある瓶のラベルを見た瞬間――彼は息を呑んだ。
呼びかけようとした言葉が、喉につかえる。
彼女の全身を締め上げていくのは、恐怖と、確信へ変わりつつある予感――
(――そうだ……全員が、餓死するまで……病気を耐え抜いたなんて……おかしな話だったんだ……)
鼓動ばかりが、やけに大きく聞こえる。
冷たい汗が背筋を伝い、指先まで震え始める。
(もしこれが病気を治す薬なら、みんなに渡してる……だからこれは……病気を治す薬なんかじゃ、ない……)
点と点が、勝手に繋がっていく。
繋がってほしくない形に――
それだけじゃない。
なぜ母も、コハン先生も、日記を〝ミヤコが村から出る日まで〟しか書いていないのか。
その後の〝餓死するまでの数日間〟が――まるで存在していないのかのように。
答えは、ひとつしかなかった。
(……みんな……みんな、餓死したんじゃない……ッ!! おかあさんの死因……それは……ッ!!)
ふと、手の中にある1本の瓶へ目が留まる。
それは12本の中で、もっともラベルの状態が良いものだった。
かすれも欠けもなく、はっきりとした印が――そこに残されていた。
ミヤコの視界が狭まる。
赤黒い夕陽の光が、ラベルの上だけをぎらつかせる。
そこに描かれていたのは――
「――ああ……ッ! うあ……あ……ッ!!」
白地に黒く浮かぶ、〝ドクロ〟のマーク――
「あああああああぁぁぁぁ……ッ!!! なんで……!! なんでェ……ッ!!!」
喉から迸る絶叫は、もはや言葉ですらなかった。
全てを理解してしまった。あの日、自分が村から離れた後に起きたことを――
(あの日……ミャーが村を出たあと……
みんなは……おかあさんは……この薬を飲んで……!! それで……ッ!!)
想像が、勝手に形を取る――
――瓶を手に取る母の姿。
震える指先。
そして……自らの最期を覚悟し、瓶の中身を口に含む――
見たくもない母の最期が、現実と見分けがつかないほど鮮明になっていく。
ミヤコはうずくまり、その場から動けなくなる。
歯の根が噛み合わず、呼吸は切れ切れに乱れた。
「……ミヤコ……」
タイガはそっと彼女の肩に触れ、静かに呼びかける。
けれどその声も、ミヤコの耳には届かない。
「うあああああァ……ッ!! あ……あああぁ……っ!!」
崩れ落ちそうな叫び。
耐えきれない絶望が、そのまま呻きとなって漏れる。
(なんで……なんでこんなこと……いつから、決めてたんだ?
最初から……?
ミャーに食料を与えた時には、もうみんなで薬を飲むことを……)
「ああああああああぁぁぁぁぁ……ッ!! うああああああぁぁぁぁ……」
叫びは泣き声へと崩れ、言葉の形をなさない。
「ミヤコ!! 大丈夫!!? ミヤコッ!!!」
必死に呼びかけるタイガの声すら、まるで水の底から響く音のように遠い。
「そんなぁ……!! そんなあああああぁぁぁ……!! うわああああああああああああッ!!!!」
(薬を飲む瞬間……一体……どんなことを思ってたんだろう……
後悔……? 悲しみ……? 恐怖……?
嫌だ……考えたくない……考えたくないのに……!!)
思考は止められない。
嫌な映像が次々と押し寄せ、感情をぐちゃぐちゃにかき乱す。
ミヤコは母が飲んだと思われる瓶を、両手で強く握りしめた。
「お"かあざん……! おがあ"……ざん……!!」
舌がもつれ、呼びかけさえまともな音にならない。
この村に戻ってからずっと、彼女の心は張り裂けそうだった。
――そして今、とうとう限界が訪れる。
(……自らなんて……こんなの……おかあさん……
そんなことをする原因になったミャーのこと……恨んでるに決まってる……憎んでるに決まってる……)
心は真っ黒に染まり、罪悪感に塗り潰される。
「おかあ……さ……んェ……?」
だが、その時だった。
歪んだ視界の隅に、ふと何かが映る。
(瓶の底に……何か……ある……?)
ミヤコは呼吸を荒げながら、おぼつかない指で瓶をひっくり返す。
ゆっくりと……恐る恐る。
そこにあったものは――
――
――――
――――――
――それは、ミヤコがまだ7歳の頃。
村の子供達は今流行りの〝シール遊び〟に夢中だった。
誰かが村の外から持ち込んだ遊びらしく、みんなは〝自分だけのシール〟を作っていた。
紙や羊皮紙を小さく切って裏に麦粉を煮詰めた糊や蜜を塗り、簡単に貼り付けられるようにするのだ。
表には木炭や草花の汁で、星や獣の模様、あるいは冒険者を真似た紋章を描くのが流行りだ。
「ほら見ろ! オレのは、ドラゴンだぞ!」
「いいね~、私のは花の模様だよ!」
シールが出来上がると、家の壁や樽、時には大人の服にまで、競い合うようにベタベタと貼り付けた。
「ほっほっほ……これは困ったのう……」
頬をぽりぽりとかきながら、苦笑する村長。
怒るに怒れない、穏やかな光景だった。
「へへへ! 次は何処に貼ってやろうかな……!!」
「こらーーッ!! もう、やめなさい!!!」
腰に手を当てて声を張り上げるチーシャ。
けれど眉間に皺を寄せつつも、本気で怒っていないのは丸わかりだった。
「えへへ……やっとできたにゃ!」
その時、ミヤコの手にも、ぎゅっと握りしめた1枚のシールがあった。
「なんだぁ? 化け猫、お前のシール変なの~!!」
シヤがからかいながら覗き込む。
「にゃあ!? にゃんだと~!!」
飛びかかろうとするミヤコを、母チーシャが慌てて止めに入った。
「わぁ! 待った待った!! えと……子猫ちゃんはどんなシールを作ったのかな~?」
「あ! おかあさん!! えっとね~、ミャーはね~!」
ニコニコと笑いながら、ミヤコは誇らしげにシールを見せつける。
「これは……あら、猫ちゃんの肉球?」
「そうにゃ!」
フフン、と小さな胸を張るミヤコ。
自信満々な顔は、褒められる準備万端だ。
「わあ~! 凄くイイじゃない! 子猫ちゃんにピッタリ!」
「えへへ~、そうでしょそうでしょ~!」
ぴょこぴょこと猫耳を揺らしながら、ミヤコは照れ笑いを浮かべる。
「でも変だよ! その肉球の形!」
だが、シヤが茶々を入れた。
「だって形が歪んでるんだぜ!」
「ち、違う! 歪んでるんじゃなくてハート型になってるの!!」
「ん? ハート?」
チーシャは目を凝らし、シールを見た。
確かにその肉球は普通とは違っていた。
大きな丸の上に小さな丸が4つ並ぶ、あの形――ではなく。
そこに並んでいたのは、小さなハートの連なり。
掌を示す大きなハートと、その上に4つ並んだ小さなハートが指のように寄り添っていた。
「ホントだ~! 確かにハートになってる!! かわいい~!!」
「でしょ~!! えへへへへ……」
チーシャに褒められて、ミヤコの頬は思わず緩みきる。
「はっ! チーシャおばさんもそんなのがいいなんて、変なモノ好きの似た者親子だな」
「にゃんだと!!? ミャーのことは百歩譲っていいけど、おかあさんのことを馬鹿にするのは許さねェぞ!!!」
シヤはわざとミヤコを怒らせ、ケラケラと笑う。
「まあまあ、この肉球はワイルドなシヤ君にはちょっと可愛すぎるもんね」
「む~……おかあさん、いつもなら怒るところにゃのに、今日はなんだかシヤに甘いにゃ……」
「え~? そんなことないわよ~」
そう言いつつも、チーシャの口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「へへ……〝似た者親子〟か……」
ふと漏れた母の呟き。
「……?」
その意味を、この時のミヤコはまだ知らない。
ただ、母の横顔がいつもより少しだけ誇らしげに見えたことだけを覚えている。
「あ! そうだ……おかあさん、ちょっとしゃがんで!」
「へ? な~に?」
チーシャは娘の目線に合わせるように膝を折る。
「えい! ペタ!」
「わわ! ちょっと~!」
ミヤコは母の頬に、〝ハートの肉球〟のシールを貼り付けた。
「えへへ……それあげる! あと使ってないシールもあげる!」
「ちょっと~、顔に貼るなんて……ありがとう……」
苦笑しながらも、チーシャは頬に触れる。
その指先は、ほんの一瞬だけ、その場所を大切そうに撫でた。
まるでそこに、〝宝物〟を預かったかのように。
「可愛いシール貰っちゃった、どこに貼ろうかな……ホウキとか?」
「え~ホウキ~?」
ミヤコはぷくっと頬を膨らませる。
「もっと大事なモノに……ううん、大切な時に貼ってほしいにゃ! だってこのシールは――」
――
――――
――――――
――そこで記憶が途切れ、ミヤコの意識は現在へ引き戻される。
手の中にあるのは、母が飲んだ瓶。
その底に残されていたモノは――
――
――――
――――――
「――〝大好き〟って伝えるためのシールだにゃ!」
幼い日の声が、鮮明に蘇る。
「っ!! ……そっか……」
それを聞いたチーシャは、頬に貼られたシールへ指先をそっと添えた。
愛おしそうに、娘の言葉を噛みしめるように。
「そんなに大事なシール……もったいなくて、使えないかも……」
「え~? 使ってくれにゃいと意味がないにゃ~!!」
「あはは! そうね、じゃあ本当に大事な時の為に取っておくわ」
その時の母の笑顔は、今も胸に焼き付いて離れない――
――
――――
――――――
――瓶の底に貼られていたモノ。
色褪せ、かすれてはいたが、ミヤコにはすぐに分かった。
それは紛れもなく……幼い自分が母へ贈ったシール。
〝大好き〟と伝える〝ハートの肉球〟のシールだった。
「あ……あ……っ! おかあ……さん……?」
母が最後に残したモノ。
それは、絶望ではなく――ミヤコへの愛の証だった。
ふと、崩れかけた家のカーテンが揺れ、風がそっと吹き込む。
耳に届いたのは、もう聞こえるはずのない……
けれど確かにそこにあるように思える、あの優しい声――
『――ミヤコ……大好き』
「……っ!!!」
ミヤコは息を止め、声のした方へ顔を上げた。
見開かれた瞳に涙が膨らみ、両の頬を幾筋も伝った。
「ああ……!! おかあさん……おかあさあああああああん……ッ!!!」
瓶を抱きしめ、幼子のように泣き叫ぶ。
その声には、押し込めていた悔恨も、罪悪感も、そして溢れんばかりの愛情も混じっていた。
「ごめんなさい……!! ごめんなさい……!!!
お"かあざあああああ"あ"あ"あ"あ"あああああああああああああああああん"ん……!!!!
うわ"あ"あ"ああああああああああああああ"あ"あ"あ"あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ"ぁ"ぁ"ぁ"……ッ!!!
ワガママ言ってごめんなさい……ッ!! ずっと勘違いしててごめ"んなさい……!!! みんなの病気のこと……気づけなくてごめんなさい"……ッ!!!
ミャーも……ミャーもおかあさんのこと……
ずっと、ずっと、大好きだにゃあああ"あ"あ"あ"ああああああああああああああああああああああああ"あ"あああ……!!!!
う"わ"あ"あ"あ"あ"あ"ああああああああああああ"あ"あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ"ぁ"……ッ!!!」
嗚咽に震える声を包み込むように、また一陣の風が吹き込む。
冷たいはずの風が、なぜかやさしかった。
泣きじゃくるミヤコの髪を揺らし、頬の涙をさらい……
まるで〝そこに誰かが居る〟みたいに、そっと、頭を撫でていった――
~あとがき~
第35話は明日の20時10分に投稿です。
第1章完結まで毎日投稿中!!




