第33話 “死に際に”
――昼になる少し前。
ミヤコはとぼとぼと、村の外れにあるかつての自分の家へと帰ってきた。
足取りは重く、うつむいた顔には影が落ちている。瞳は虚ろで、焦点が定まらず、今にも泣き出しそうで――それでも涙は出なかった。
玄関をゆっくりと押し開ける。
軋む音だけが、ひどく大きく響いた。
「あ! ほふぁふぇひ~!!」
間の抜けた声が中から飛んでくる。
リビングの机の前で、タイガは缶詰の中身を口いっぱいに頬張っていた。
「……タイガ……体は大丈夫か?」
「うん! ちょっと右足がまだ痛いけど……でも全然へっちゃら!!」
言いながら、タイガはわざとらしく右足をぶんぶん振ってみせた。
砲弾を蹴飛ばしても、「ちょっと痛い」で済む……タイガの、ありえないほどのタフネスに、ミヤコは思わず苦笑する。
だがそれもすぐに消え、表情は再び沈んだ。
「……なあ……もうさ……ミャー達、この村から……」
声はか細く、震えていた。
だがその重苦しい空気を、タイガの陽気な声が吹き飛ばす。
「ごちそうさまでした!!」
タイガは両手を合わせ、満足そうに笑った。
「それじゃあ、やろうか!!」
「……へ?」
タイガがこちらを振り返り、ニカっと歯を見せて笑う。
まるで遊びに誘うかのような軽さで――
――村近くの森には、澄んだ空気と野鳥のさえずりが響いていた。
その中で、タイガは1本の大木の前に立っていた。
両足で大地を踏みしめ、調査隊が落としていった〝てつのおの〟を肩の高さに構える。
「どおりゃあッ!!! 〝パワースラッシュ〟!」
風を切る音と共に、斧が弧を描き、疾風のように振り下ろされた。
スパアアアアアアンッ!!!
鋭い音と共に、直径1m近い木が一撃で切り倒された。切り口は驚くほど滑らかだ。
「お~!! 凄いなこのスキル、こんな綺麗に木が伐れるなんて!!」
「ミャーは少しトラウマだけどにゃ……調査隊が使ってたスキルと似てるから……」
【パワースラッシュ】
戦士などが覚える、力をためて重い一撃を放つ初級の武技スキル。
だがミヤコにとっては昨日、開守が村の家々を破壊した光景を思い出させる技でもあった。
「――で……なんでこんにゃことになってるんだっけ?」
気がつけば、彼女は森の端にある少し開けた原っぱで、ロープと木の板を抱えていた。
言われるがままに木材を組み合わせると、それは簡易的な十字架の形になっていく。
「これも追加だよ~!!」
ドサドサッ!!!
タイガが抱えてきたのは、丸太をくり抜いて輪切りにした、不揃いなドーナツ状の木材。しかも山のように積み上げている。
「おお!? 仕事が早いにゃ~、もう原木を加工して……
いやだからにゃんだこれはァ!!!! にゃんでミャー達、こんな大量の〝お墓〟を作ってるんだよ!!!」
ミヤコの目の前には、人が抱えるほどの大きさの木製の十字架がずらりと並んでいた。
「昨日言ったじゃん。『ちゃんとしたお墓作ろう』って」
「いやだから昨日言ったよな!? 『別にいい』って!!!」
「よくないよ! ちゃんと全員弔ってあげよ!」
タイガの口調は軽く、冗談めいてすら聞こえる。
しかし、その手つきも動きも、決してふざけてはいなかった。
ドン! ドン!! スパアアアン!!!
軽口を叩きながらも、タイガは次々と木を伐り倒し、墓の材料に変えていく。
額には汗が光り、斧を振るう腕には寸分の迷いもない。
「村のみんなもさ、ミヤコに弔ってもらえたら喜ぶと思うよ!」
「……っ!! ……ミャーに……弔う……」
その言葉は、慰めの形をしていながら、ミヤコの心の奥をえぐった。
胸の底に沈めて蓋をしていたものが、ひび割れて顔を出す。
「……そんなこと……ない……! ミャーにみんなを……弔う資格なんて……!!」
言葉は途切れ、強く噛んだ唇の端から血が滲む。
ミヤコはうつむき、細い肩を今にも折れそうなほど小刻みに震わせていた。
「……ミヤコ?」
タイガも異変に気づく。
それでも彼は、笑みを崩さぬまま、出来る限り柔らかい声をかける。
「……だいじょうぶだよ、お墓が少しヘンテコでも、ミヤコが自分なりに考えた弔い方なら……きっと喜んでくれるよ!」
善意だ。
痛いほどに、善意。
だからこそ……ミヤコには耐えられなかった。
「……大丈夫だって……?」
かすれた低い声。小さな拳を握り締め、爪が手のひらに食い込む。
「そんなわけないだろ……っ! だって……だっておかあさんは……ッ!!」
「え……? ミヤコ……?」
尋常ではない彼女の気迫に、タイガの目がわずかに揺れる。
抑えきれなくなった感情が、ミヤコの口からついて出た。
「病気で死んだ人達は……最後にみんな、大量に吐血してた……でも、おかあさんや他の何人かはそうじゃなかった……なんでか、わかるか?」
「え……? えと……なんでだろう?」
タイガは答えられない。
けれどミヤコは、もう気づいてしまっていた。
たどり着かなければよかったとさえ思う答えに。
「村を出るとき……おかあさんがミャーに持たせてくれた食料……あれは村に残ってた食料の全部だったんだ……」
絞り出す声は細い。
森のざわめきに攫われそうで、それでも言葉だけは、しっかりと前へ進んでいく。
「……おかあさんはな……病気で死んだんじゃないんだよ……」
そして、嗚咽のような叫びが、ほとばしった。
「おかあさんは……〝餓死〟したんだ!! ミャーに食料を全部渡したせいで……っ!!」
「!!?」
タイガの目が大きく見開かれる。
空気が張り詰めた。
ミヤコは言葉を吐くたびに、自らを切り刻むように苦しんでいく。
「そうだ……全部ミャーのせいだ。食料だけじゃない……っ!! あの時、ミャーが全部気づいて……助けを呼んでまわれば……おかあさんは助かったかもしれないのに……ッ!!!」
震える肩が、小さな身体をいっそう弱々しく見せる。
想像出来る限りの〝もしも〟が、暗い群れになって押し寄せる。
「もしあのとき」「もし違う行動をしていたら」――その無数の〝もしも〟が、1つ残らず〝今の自分〟へ突き刺さってくる。
だが、その自罰的な言葉を断ち切るように、タイガの声が落ちた。
「……それは〝望み過ぎ〟じゃない?」
「……は?」
唐突な一言に、涙で曇った思考が止まる。
意味が掴めないまま、ミヤコは思わず瞬きをした。
「……ミヤコがたとえ何をしたって……村の人達は全員、〝死んでたよ〟」
「な……ッ!!?」
頭が真っ白になる。
息が詰まり、鼓動が嫌な音を立てる。
怒りとも絶望ともつかない感情が渦巻き、気づけば彼の胸倉を掴み上げていた。
「なんだよそれ……ッ!! みんなが死ぬのは、どうしても避けられない運命だったって言うのかよ……!!」
「……」
掴まれながらも、タイガは怯むことなく、ただ真っ直ぐに彼女を見返していた。
その瞳は、あの日、駅のホームで初めて出会った時のままだ。
揺らぎも曇りもなく、ただ一直線に前だけを見据える子供のような眼差し――
『――目的って……別にボクはただ……〝勇者〟になりたいだけだよ?』
――その言葉と共に蘇る、無垢で真っ直ぐすぎる視線。
ミヤコには、それがどうしようもなく腹立たしかった。
「ふざけんなッ!! みんなが……みんなが死ぬしかなかったって……ッ!!!
それが〝勇者〟の言うことかよッ!!!」
「……っ!!」
〝勇者〟――その響きに、一瞬、タイガの瞳が大きく揺らぐ。
けれどすぐに光は戻る。
それを前に、ミヤコは止まらない。
「ミャーは……ミャーはみんなに……死んでほしくなかった……!!」
声は震え、嗚咽混じりの吐息が漏れる。
涙が頬を伝い、土へ落ちて、暗い染みを作った。
「それなのに……あの日まで生き残ってた人は……ミャーのせいで死んだなんて……そんな……」
「違うよッ!!!」
「!!?」
その瞬間、タイガが勢いよくミヤコの肩を掴んだ。
衝撃で身体がびくりと跳ね、視界がぐらりと揺れる。
「そんな風に思ってほしくて、ミヤコに託したんじゃないッ!!!」
「……っ!!」
言葉は鋭い。けれど、切り捨てる鋭さじゃない。
絶望しそうな人間を、踏みとどまらせる強さだった。
「ミヤコがみんなを大切に思うように……みんなだってミヤコに生きてほしかったから託したんだ……
それなのに、ミヤコが自分のせいでみんなが死んだなんて考えてたら!!
それこそみんなの〝想い〟が無駄になる!!!」
「……みんなの……〝想い〟……ッ!!」
胸の奥で、何かが鈍く鳴った。
拒んでいた言葉が、少しだけ入り込んでくる。
頭の中で、日記の文字が蘇る――
『――私達には、あの子がいる。生き残ってくれるあの子が……覚えていてくれるあの子が……
それだけで、この村の〝想い〟は続いていく――』
(――そうだ……ミャーは村の人達の想いを託されたんだ……
けれど……だけど……っ!!)
その思考と現実の狭間で、押し込めていた恐怖が、静かに浮上する。
体がまた震え出す。
これは悲しみじゃない。
口にしてしまえば、すべてが壊れる――そうわかっていても、その〝考え〟はもう抑えられなかった。
「みんなが……ミャーのことを大切に思ってくれてたのなんて……わかってる……けど……!!」
言葉が喉で詰まる。
それでも彼女は、恐怖に突き動かされるまま叫んだ。
「死ぬ……その〝瞬間〟は、わからないじゃないか……!!」
「え……?」
タイガが目を瞬く。ミヤコは声を振り絞りながら、しかし止められない勢いで言葉を吐き出す。
「死ぬその瞬間は!! わからないじゃないか!!! 〝餓死〟なんて……きっと苦しかった……っ!!!
そんな時間が、長く続いて……〝死の間際〟に……
ミャーに食料を分けてなかったらって……外から助けを呼んでくれないかって……
なんでミャーだけ生き残ったんだって……!! ミャーなんかが生き残ったのかって!!!
思ってたかもしれないじゃないかッ!!!!」
一番触れたくなかった想像。
一番、信じたくなかった可能性。
〝最後の1秒〟だけ、母が自分を責めていたかもしれない。
その考えが、希望を根こそぎ奪う。
タイガの顔に動揺が走る。
「そんな……っ! そんなこと……思ってるわけないよ!!」
「なんでおミャーにわかるんだよ!!!」
悲鳴のような反発、それに更に力がこもる。
涙で滲む視界の奥で、タイガの輪郭が震える。
「わかんないよ!! ……わかんないけど……」
言葉が途切れる。
わからない――それは覆しようがない事実だ。
死の間際の心の内など、誰にも。
それでも。
「そう思われてる〝かも〟しれないのが怖いんだ!!!
みんなに……おかあさんに……〝死の間際〟、恨まれてる……そう〝かも〟しれないのが怖いんだッ!!!」
その絶叫とともに、ミヤコはタイガの手を振り払った。
そして感情に突き動かされるように、森の奥へと駆け出す。
「あ……! み、ミヤコッ!!!」
耳に届く呼び声を無視し、足をただ前へ前へと運ぶ。
木々の間をがむしゃらに走り抜けても、思考は止まらなかった。
(なんて都合のいい話だ……ッ!! ミャーだって、帰ってくるまではずっと、おかあさんのこと恨んでたのに……
それなのに、自分の方がおかあさんに恨まれてる〝かも〟しれないって思うと……こんな……こんなに苦しいなんて……!!)
罪悪感と後悔がぐしゃぐしゃに絡まり、彼女の心を引き裂いていく。
自分のせいで母が死んだという確信。
それ故に母が自分を恨んでいるかもしれないという想像。
その全てがミヤコにとっては、苦しくて悲しくて……そして何よりも、怖くてたまらなかった。
無我夢中で走り続け、気づけば帰ってきたのは――かつて自分が暮らしていた家だった。
息を切らし、勢いのままに扉を開け放つ。
「……はあ……!! はあ……ッ!!!」
リビングの奥。
机の脚にもたれかかるように座っている――母の白骨死体……の〝幻影〟。
とうに埋葬したはずなのに……
それなのに、脳裏には初めて死を見た日の光景が、鮮烈によみがえる。
「うう……っ!! あああ……ッ!!」
頭を抱えたまま、床へ膝をつく。
(ただ悲しかった、あの時みたいに泣き叫ぶことも出来ない……最低だ……みんなを疑うなんて……!!
けど……けど……!!!)
かすかな嗚咽。
壊れたように震え続ける肩。
ミヤコはその場に、力を失って崩れ落ちた――
~あとがき~
第34話は明日の20時10分に投稿です。
第1章完結まで毎日投稿中!!




