第32話 “死因”
夜、村の外れ――
「よし……こんなもんだな」
そこには、土で汚れたタイガとミヤコの姿があった。
2人の手には、村の倉庫から見つけたボロボロのスコップ。刃先は丸く、柄もところどころひび割れている。
「……おかあさん……安らかに眠ってね……」
「ご愁傷様です」
「おミャーそればっかりだな」
掘り返したばかりの土はまだ柔らかく、夜気を含んでひんやりと湿っている。
盛り土の上には、手のひらほどの小石が置かれていた。
2人は、ミヤコの母・チーシャのために簡易的な墓を作ったのだ。
「すっかり日が暮れちまったな……でもまあ、流石にあのまま放置は出来なかったしな」
「そうだね。それじゃあ今日のところは戻る?」
「ああいや……その前にちょっと……」
ミヤコは、ほんの少しだけ視線を落とす。
まだ終わっていないことがある、と言うように――
――村の外れからさらに歩いた先にある、森の中の小さな平原。
木製の十字架と円を組み合わせた墓標が、月光の下に並んでいる。
風が吹くたび、どこからともなく木の軋む音がした。
「ただいま。みんな……おかあさん、おとうさん……」
ミヤコは、広場の隅にチョコンとある1つの墓の前に屈み、手を合わせた。
「へ? おかあさんとおとうさん? だってミヤコのおかあさんのお墓はさっき……」
首を傾げるタイガに、ミヤコは小さな声で答えた。
「こっちは血が繋がってる方の両親だ……顔も名前も知らないけどな……」
「あー! え~と、なんて言うんだっけ……養子ってことか」
理解したように頷くと、タイガも同じようにしゃがみ込み、黙って手を合わせた。
ミヤコはふっと息を吐く。
「……ミャー達は、村の近くで行き倒れてたらしい。それで当時赤ちゃんだったミャーだけが助かって、村長の娘であるおかあさんが面倒見てくれることになったんだ」
「そっか……」
短い返事、それだけ。
慰めも、追及も、同情もない。
けれど――それで充分だ。
並んで座る2人の間に落ちた沈黙は、気まずさではなく、静かな信頼だった――
――お墓からの帰り道。
森の小道を、月明かりが淡く照らしている。
土の匂いと夜露の冷たさが、肌にまとわりつく。
タイガはしばらく鼻歌交じりに歩いていた。
その自由な旋律が、しみったれた夜を少しだけ軽くする。
やがて、彼はふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、お墓のことなんだけど……明日、もっとちゃんとしたモノを作ろう? ミヤコのおかあさんの分だけじゃなく、村のほかの人達の分もね!!」
その言葉に、ミヤコの瞳がわずかに揺れた。
「……いや……別にいいよ……」
「へ?」
声は小さい。
夜に溶けるように、静かに落ちる。
視線を地面に落とし、吐息と一緒に言葉をこぼす。
「村人全員分は……何日かかるか、わからないし……ちゃんとした弔い方にゃんてわからないし……それに……」
……続きが、喉の奥で止まる。
「……それに?」
タイガは急かさない。
ただ、問いを置くだけ。
ミヤコは足を止めかけたが……やめた。
本当は言うべきだ。
でも……
「……いや、とにかく大丈夫。今日は帰ろう」
それだけ言って、ミヤコは歩幅を速めた。
タイガはその背中を、ただ見つめる。
「……そっか……うん。今日はね」
短くそう呟き、タイガはその後ろについていった――
――
――――
――――――
――翌朝。
東の空に淡い茜色が広がり、村の屋根を柔らかな光が包み込む頃。
ミヤコは静かにベッドから身を起こした。
「……久々に、この部屋で眠ったな……まあ元々あったベッドは使えなかったけど……」
かつての寝具は埃まみれで、とても使える状態ではなかった。
少女は村の中を歩き回って見つけた、まだ使えそうな毛布やシーツを敷き、簡易的な寝床を作っていた。
寝ぼけ眼を軽くこすり、自室の扉を押し開ける。
「……懐かしいな……ここからの、リビングの光景」
視線の先に広がるのは、かつて毎朝、目にしていた風景――
――窓から差し込む、柔らかく温かな朝日。
その光に照らされ、木の机の上で湯気を立てている出来立ての目玉焼き。
そしてキッチンから顔を出す、少女が心から愛していた人の笑顔。
『おはよう、子猫ちゃん。朝食出来てるよ!』
今でも耳に残る、とても優しい声。
『おはよう! おかあさん! ――うん! 一緒に食べるにゃ!!」
……だが、その声が返ってくることはもうない。
現実にあるのは、あの日と変わらない朝日が照らす、傷だらけの机。
そこに舞う塵だけが、時間の経過を教えてくれる。
キッチンからも当然、誰も出てこない――
「……はは、なにやってるんだ……」
かつて数え切れないほど交わした朝の言葉……
それをいくら繰り返しても、もう応える声はない。
机に伸ばした指先が、乾いた木肌をそっとなぞる。
「ボロボロだけど……昔ミャーが付けちゃった傷も残ってる……あっ」
ふと机の端の〝あるモノ〟が目に留まった。
「うわっ、懐かし……こんなモノも残ってるのか」
そこにあったのは、幼い頃のミヤコがところ構わず貼りまくったシールだった。
描かれているのは、少し変わった形の肉球。小さなこだわりが光る、ミヤコらしい特徴的な意匠だ。
「思えばずっとあったんだな。確か、このシールの意味は……」
指でなぞりながら記憶を掘り起こす。
だが、すぐに小さく首を振って意識を切り替えた。
「いや、こんなモノ見てる場合じゃないか」
そう、どれほど思いを馳せても過去には戻れない。
けれど、それならば――今できることをやるだけだ。
「……よし! 外に行く前に、タイガの様子は……」
ミヤコはそっと、かつて母が使っていた部屋の戸を開けた。
「……う~ん……むにゃむにゃ……パパぁ……ママぁ……」
中では、ベッドの台に敷いた毛布の上で、タイガが無防備な寝顔を見せていた。
その寝息は穏やかで、子供のように安らかだ。
「……大丈夫そうだな……そっとしておこう、休んでてくれ」
扉を静かに閉め、ミヤコは玄関へと向かう。
家の外には、まだ冷たい朝の空気と、今日やるべき仕事が待っている。
「ふぅ……やることはいっぱいだな……でも……!!」
気合を胸に込め、ミヤコは勢いよく玄関を開け、朝の光の中へ踏み出した――
――日が昇った頃、ミヤコは村中の家を見て回っていた。
「……これで23人目か」
目の前には、かつてこの村で暮らしていた住人の白骨死体が横たわっていた。
鼻をかすめる、長い年月を経た乾いた匂い。もう、この村のどこへ行っても、人の息づかいはない。
ミヤコは、日記の一節を思い出す――
『――お墓を作る余裕も無くなってきて、どうやら前に死んだチャトさんもまだ埋葬されていないらしい――』
「――書かれてた通りだったな……久しぶり、チャトさん」
ここは、日記に書かれていたチャトの家。
床板の上、壁にもたれかかるように白骨が座っている。
「……遅くなったけど、お別れを言いに来たんだ……みんなに……」
ミヤコはゆっくりと、そのそばにしゃがみ込む。
見てるだけで、泣き出してしまいたくなるくらい悲惨な光景。
けれど今は、目を逸らさない。
「……苦しそうだな……こんなに血で汚れて……」
死者が身に着けていた服の胸元は、大量の〝ドス黒いなにか〟で汚れていた。
口元にも同じ汚れがこびりつき、時間を経てもなお、生前の苦悶を訴えているようだ。
「多分、大量に……吐血したんだ……これが死因か……」
病で亡くなった人々は、最後に大量の吐血をすることが多かった。
ミヤコは、地下室でのコハンとのやり取りを思い出す――
『――ち、違うぞミーちゃん! これは……ゴフッ!!?』
(――先生……あの時も、病におかされながら……)
断片だった記憶が、パズルのように少しずつ組み上がっていく。
あの咳。
あの血。
あの必死に隠そうとした様子。
村の真実へ近づくほど、自分の後悔も重くなった。
だが、ミヤコは立ち上がる。
まだ終わっていない――
――診療所。
村で唯一の医者、コハンの拠点だ。
「どうも~、誰か居ますか~? ってここは居るに決まってるよな」
院長室の扉を開けると、そこには白衣のまま机にもたれかかった白骨があった。
その姿は、最後の瞬間まで患者を見守り続けようとした者の、痛ましい成れの果てだった。
「……コハン先生……」
机の上には、一冊のノートが開かれたまま残されていた。
ページの端は黄ばんでおり、文字はところどころ滲んでいる。
けれど最後まで震えるような筆跡で、確かに何かが刻まれていた。
「あれ……先生もおかあさんみたいに日記を……? ごめんね、ちょっと見せてもらうね」
ミヤコは恐る恐るノートをのぞき込む。
そこに並ぶのは、あまりにも冷徹な数字と短い言葉――
『10月1日 死者3人 死因:大量吐血
10月4日 死者1人 死因:同上 死者は増える一方
10月5日 死者7人 死因:同上
残りの生存者13人
病気の対処法、未だ見つからず……この村はおしまいだ』
そこまで記された後、しばらく空白があり――
最後のページには、ひときわ強く、震えるような文字があった。
『10月9日 ミヤコに全てを託すことにした
残りの生存者12人
彼らに、安らかな眠りを
ヤマモモ村よ、どうか永遠に――』
(――10月9日……ミャーが村を出た日だ)
「病気の記録か……」
それは母の日記よりも無機質で、感情の匂いは抑えられていた。
けれど文字の裏側には、患者を救えなかった悔恨。
村を看取るしかなかった苦痛。
そして最後に未来を1人の少女へと託す決意が、確かに滲んでいた。
「……コハン先生……村唯一の医者として、最後まで戦ったんだ……
大変だったよな……苦しかったよな、みんなが死んでいくのを見るのは……」
ミヤコは、そっと白骨の手を取る。
指先はすでに崩れそうなほどもろくなっていたが、そこには確かに命を支えるために働き続けた痕跡があった。
「……でも……先生のしたことは、決して無駄じゃないから……」
その言葉は慰めというより、誓いに近かった。
わずかに震える声が、静まり返った診療所に溶けていく。
「だから……だから安心して……あれ?」
だが――その瞬間、ミヤコの視線がふと止まる。
小さな違和感が、意識の底から浮かび上がる。
「……ドス黒い汚れがない……? 血を吐かなかったのか……?」
コハンの服は長年の埃でくすんでいたが、他の死体のような吐血の跡はまるでなかった。
「やっぱり先生だから……吐血を抑える薬でもあったのか……?」
机の端には空になった小瓶があった。
そこにはかつて、何かの薬が入っていてもおかしくはない。
そしてそれをコハンが服用したのだと――
だが、別の疑問が頭をもたげる。
(いや……それじゃあ死因は何だ?
これまで見てきた遺体のほとんどにも、同じ吐血の跡が残っていたのに……)
吐血せずに亡くなった者――彼らに共通点はあるのだろうか。
ただの偶然、そう結論づけようとしたとき。
(あ……! そういえば……)
その時、あの光景が鮮明によみがえる。
母へ渡したブローチは、少し色あせていた。
けれど、母の胸元には血の染みなどどこにもなかった。
(おかあさんも……綺麗な……まま……)
母、チーシャも吐血していなかった。
ゾワリと背筋を這い上がる嫌な予感。
母とコハン、その共通点はただひとつ――
(おかあさんも……そしておそらくコハン先生も……ミャーが村を出る日までいた数少ない生存者……)
先程読んだノートの記述が、頭をよぎる――
『10月9日 ミヤコに全てを託すことにした
残りの生存者12人』
(――12人は、ミャーが村を出る日までは生き残っていたということ……)
心臓が跳ねる。
その可能性が現実味を増していく。
恐ろしくて、たまらない。
(……その生き残った人達の死因は……もしかして……)
そこから先を考えるな――と心が必死に叫ぶ。
けれど、その問いは頭から離れてくれない。
日記の〝あの記述〟を見た時から……考えないようにしていたこと――
『――だから、子猫ちゃんに……残っていた食料のすべてを渡して――』
――封じ込めていた予感が、毒のように全身を侵食していく。
(……日記には書かれていなかった……
でも……この村からミャーが去った〝その後〟に起こったこと……
それは……)
胸がぎゅっと締め付けられる。呼吸は浅く、喉がひゅうひゅうと音を立てる。
視界から色が一気に失われ、音が遠ざかる。
ただ一つの結末が、心の奥底で形をとり始める。
「……う……あ……ああ……っ! うあああああああっ!!」
膝から崩れ落ち、床に座り込んだ。
震える両手を胸に押し当てても、止まらない寒気。
歯はガチガチと鳴り、冷たい汗が滝のように頬を伝って落ちる。
顔は真っ青になり、全身が細かく痙攣していた。
その小さな体を、どうしようもない恐怖と後悔が、容赦なく押し潰していった――
~あとがき~
第33話は明日の20時10分に投稿です。
第1章完結まで毎日投稿中!!




