第23話 “淡い気持ち”
『――20日目。
昨日、子猫ちゃんがお腹を空かせて泣いていました。
無理もありません……育ち盛りの子供にとって、空腹は何よりも苦痛。
今この村で生き残っている子供は、子猫ちゃんと〝シヤくん〟の2人だけです』
(〝シヤ〟……っ!! あいつだけ!!? 他のヤツは……全員……ッ!!?)
思考が、そこで途切れた。
続きを考えることを、心が拒んだ。
その先にある答えが、あまりにも残酷だと理解ってしまったから――
『――村に残った僅かな食料。
大人達は、それを出来るだけ多く、2人に分け与えようとしてくれています。
だけど〝シヤくん〟は、あんまりご飯を食べてくれません……いや、食べたくても食べられないでしょう。
咳がひどくて、とても苦しそうです』
(あんなに活発だった〝シヤ〟が……)
少女は、元気だった頃のシヤを思い返した――
『――おい、化け猫!! どっちが魚をいっぱい捕れるか勝負だ!』
『ふふん! ミャーの力を見せつけてやる!!』
〝シヤ〟は村の子供達の中心だった。
明るく、無鉄砲で、でも誰よりもまっすぐな子だった。
喧嘩もいっぱいした。
くだらないことで噛みついて、最後は、どちらも先に謝るものかと意地を張って……
それでも次の日には、何事もなかったみたいに笑って……
思えば彼こそ、この村で一番気が合う相手だったのかもしれない――
『――子供は村の宝です。お願いです、神様、勇者様……どうにかこの2人だけは……無事に……』
しかし、その願いも虚しく――
――
――――
――――――
『――21日目……〝シヤくん〟が……死んじゃった……っ!!!』
「――う……ああ……っ!!! そんな……そんなのって……!!!!」
少女の口から、言葉にならない音がこぼれた。
視界が白く弾けて、その場にへたり込んだ。
シヤと過ごした日々が、次々と目の前に蘇った。
それはまだ、物心がついたばかりの頃――
『――やーい!! おまえの〝みみ〟ヘンなの!!!』
『んにゃ? いきなりにゃんだおミャー……』
それがシヤとの出会いだった。
『えほんにでてくるバケモノみてー!! 〝バケネコ〟だ、おまえは!!』
『にゃんだとこらー!!!』
売り言葉に、買い言葉。
――ドカァ!!!
少女はカッとなり、考えるより先に拳を振るっていた。
『いってェ!!? やったなこのヤロー!!』
バシィ!!!
『んにゃあ!!? こいつ~!!!!』
ドゴォ!!! バキィ!!! シャァッ!!!!
取っ組み合いの大ゲンカ。頬を殴り、砂埃を巻き上げ、地面を転がり回った。
大人達に引きはがされるまで、2人は全力でぶつかり合った――
(――出会った時から、ずっとそうだった……喧嘩ばかりして、バカにし合って……ロクでもないヤツ……にゃのに……!!!)
思い返すほど、もう二度と会えないという実感だけが大きくなっていく――
『――とても悲しかった……最期にあの子は、うちの娘の耳を……ずっと前から〝可愛い〟って思っていたと話してくれました――』
「――っ!!!? ……嘘……だって……ずっと……バカにしてた――」
そう……記憶の中のシヤは、いつだって少女の耳をからかってきた。
笑いながら、わざと大声で、周りに聞こえるように。
けれど、あれは〝嫌い〟だからじゃなくて……
ずっと……目が離せなかったから――
――
――――
――――――
『――ようバケネコ! 今日もヘンな耳だな~!!』
『うるせェ!! またケンカ売ってんのか!?』
『――おい化け猫~!! また川に遊びに行こうぜ!!』
『うん! 今日もお魚いっぱい捕ってやるにゃ!!』
笑い声。
泥の匂い。
夕暮れの川面に反射する光。
喧嘩して、罵り合って、それでも気づけば、いつも隣にいた。
あの日も、そうだった。
些細な事で取っ組み合いになって……
全身が痛くて、息が上がって、それでも――
『――はあ……はあ……っ!!』
『……ぐ……!! 痛っ……ああもう!! こんなにボロボロになって、またおかあさんに怒られるにゃ……』
『……ぷっ……はは……っ!!』
シヤの笑い声が、川のせせらぎに溶けた。
体中にひりつくような痛みがあるはずなのに、どこか楽しそうだった。
『にゃんだよ、なに笑ってんだ。一応喧嘩中だぞ?』
『いや~……お前、やっぱ強いな。〝普通のヒト〟じゃないから』
その言葉に、少女は一瞬だけ息を止めた。
〝普通じゃない〟と言われることに、慣れているはずだったのに……
シヤの口から出ると、ちょっとだけ怖かった。
『……別に、耳と尻尾があるだけで……ミャーはみんなと……』
『オレ、お前のこと〝好き〟だ』
『……え?』
心臓が変な跳ね方をした。
耳の先が熱くなって、言葉が喉につっかえる。
でも……
『……お前のそういう、みんなと違って強いところが!!』
次の一言で、全部がいつものシヤに戻っていた。
『だ……だから~!! 別にミャーは、みんにゃと同じだって……!!』
聞き慣れた軽口。ふざけた褒め方。
だけど今なら分かる。
不器用なあいつが、想いを伝えようとすると……ああなるんだ――
――
――――
――――――
――ぽたっ。ぽたっ。
気づいた時には、床に小さな染みが広がっていた。
「うう……っ、ああああ……!!」
「み、ミーちゃん……もういいネ……これ以上は……!!」
玲玲がそっと声をかける。
その声音には、慰めよりも、折れかけた少女を支えようとする必死さがあった。
だが少女は、首を横に振る。
小さく、けれどはっきりと。
やめたら……ここで終わってしまう。
知らないまま逃げたら、また同じ後悔が自分を潰す。
涙に濡れた睫毛の奥で、視線だけが紙に縫い止められていた――
『――もう子供は子猫ちゃんだけ……村に居る人の数は……残り20人……もう……どうしたら……』
文字が、痛い。
それでも、少女は次の行を追った。
そこには、今までで最も崩れた文字が並んでいた。
文字を整える余裕も、書き直す力も、もう残っていない――
――
――――
――――――
『22日目……………………7にんも……しんだ……!! もう……もう一体、どうすればいいの……!?
わかんないよ……おとうさん……おかあさん――』
――途切れた点の列が、叫びになっていた。
言葉という形を保てないほどの絶望が、吐き出されたまま、そこに残っている。
涙がとめどなく溢れる。
けれど、ここで読むのをやめることはできない。
「……また……日付が飛んでる……次は……」
口から出た声は、自分のものとは思えないほど薄かった。
けれど指先は紙をめくる。
ページは、最期へと近づいていた――
――
――――
――――――
『――25日目……
この何日かの間……ずっと、考えていました。
きっと……この村の人は、みんな死んでしまうのでしょう……
〝たったひとり〟を除いて――』
「……っ!!」
〝たったひとり〟――それが自分だと理解した瞬間、身体の内側がギュッと縮んだ。
痛みではない。自分だけが生き残ることへの罪悪感だ。
母が抱えてきた苦しみ。
村人達が迎えた死。
そのすべてが、もうそこに書いてある。
(苦しい……っ!! この先には、みんにゃの最期が書かれてる……!!
恐いよ……悲しいよ……
……でも、だからこそミャーは知らなきゃダメだ……!!!
おかあさんが、どんな気持ちで過ごしたのか……
みんなが、どんな最期を迎えたのか……たとえそれを知って、ミャーの心がズタズタに引き裂かれても……ッ!!!)
恐さは消えない。
それでも、どんな答えも受け止める覚悟はできていた。
そして、意を決し――次の一文へ目を落とした。
だが、そこに記されていたのは――
『――子猫ちゃん……私の娘は、まだ感染していない様子です。
きっとあの子は、最後まで生き残ってくれるでしょう……
そして……それこそが、私達の〝希望〟です――』
「――え……? 〝希望〟……?」
あまりに場違いな言葉を、少女はすぐには飲み込めなかった。
溜まっていた絶望が、行き場を失って宙に浮く。
「い、いや……だってもう……〝希望〟なんて……どこにも……」
言葉は否定というより、〝信じられない〟という戸惑いに近い――
『村長が……おとうさんが、最期に言っていました――』
――
――――
――――――
――それは、父が亡くなる前日の夜のこと。
月明かりに照らされた村長の家は、昼とは別の顔をしていた。
物音ひとつなく、理由もなく落ち着かない夜だった。
「チーシャ……お前にとって〝村〟とは、なんだ?」
「え……?」
唐突な問い。
「えっと……」
しかも〝村〟という漠然とした言葉に、チーシャはすぐには答えられなかった。
だが……少し間を置いて、ゆっくりと口を開いた。
「……月並みの答えだけど……人が集まるところ……いや、〝人が集まって生まれる絆〟かな……」
言い終えてから、少し恥ずかしくなって頬をかく。
けれど――
「ほっほっほ。いい答えじゃ」
ミケは、心から嬉しそうに目を細めた。
「……ワシも、同じような事を思っとる。〝村〟とは建物や土地のことではなく……そこに生きる人達の〝想い〟だと思うんじゃ」
「〝想い〟……?」
〝同じような事〟と言われたはずなのに、父の言葉は、自分のそれとはどこか違って聞こえた。
「そうじゃ……誰かが死んでも、〝村〟が終わるわけじゃない」
「っ……!! 止めてよ……そんな縁起でもない……」
その言葉の裏に、何か暗いモノを感じて、続きを拒む。
「いや……大事な事じゃ。聞いておくれ」
だがミケは、穏やかな瞳でまっすぐにチーシャを見つめていた。
逃がさないように――ではなく、託すように。
「……」
その灯火のような視線を受け止めて、チーシャは小さく息を吸い、黙って頷いた。
「……誰かが死んでも、〝村〟が終わるわけじゃない。〝想い〟は受け継がれ、覚えている誰かがいる限り、それは続いていくものだ……
そうやって、遠い昔から受け継がれてきた……それが村……いや、〝この世の全て〟にも同じことが言える」
「……随分と……壮大な話になったわね」
思わず、苦笑がこぼれる。
けれど――
ミケの表情は、少しも冗談めいていなかった。
「……チーシャ……ワシらには、まだ〝希望〟がある」
「え……〝希望〟!? そ、それって何? まだ村を救う方法が……?」
縋るような期待が、声に滲んだ。
だが――
ミケは、静かに首を振った。
「っ……! じゃあ一体……何が〝希望〟だって言うのよ……」
「さっきも言ったじゃろう……それは〝想い〟じゃ……〝人の想い〟」
答えの意味をつかめず、チーシャは視線を落とす。
「……わからないよ……〝人の想い〟で……誰かが覚えているからって、この村は救われるの……?」
「いつかわかるさ……お前は聡い子だ」
そう言って、彼は歯を見せて笑った。
それが……
チーシャと父が交わした、最後の言葉だった――
――
――――
――――――
『――おとうさんの言ってたこと……最初はわからなかったけど……今ならなんとなくわかるかも。
自分が死んでしまうこと……村のみんなが死んでしまうこと……最初は絶望して、世界を恨んだけど……
私達には、あの子がいる。
生き残ってくれるあの子が……覚えていてくれるあの子が……
それだけで、この村の〝想い〟は続いていく――』
「――〝想い〟……? やめてよ……そんなの無理だよ……っ!!
だってミャー、今日ここに来るまで……
みんなのこと、ずっと……憎んでたんだ……ッ!!!」
言葉にした途端、少女はうつむいた。
命を懸けて守ってくれた人達を、自分はずっと憎んでいた。
そのことが、何よりも苦しかった。
『だから、子猫ちゃんに……残っていた食料のすべてを渡して、村から旅立ってもらうことにしました――』
「――そんな……ッ!!」
人生最悪の日。
大好きだった村を、みんなを憎むようになった、あの日。
わずかな食料とともに――
『――これからは……独りで……生きていきなさい……』
裏切りの言葉を受け取った日……
けれど違った。
あの日に受け取ったもの……それは愛だった。
全ては、唯一の生存者である自分を、村から逃がすためだったのだ。
「……次が……最後の日付……」
少女は、最後の一枚に指をかけた。
その薄い紙の向こうに、村の終わりが待っている。
それでも、彼女は逃げずに、指を進めた。
そして――
26日目の記録を読み始めた――




