第21話 “あの日の真実”
ただ恨み続けてきた、あの日々。
その真実に心を揺さぶられながらも、少女は母の手記を読み進める。
『あの子には本当に酷いことをしてる……村のみんなの事は伝えず、いきなり地下室に閉じ込めるなんて――』
チーシャの後悔を表すように、手記の文字は歪み始めていた――
「――ミーちゃんの為だってのは、痛いほどわかるけど……でも酷いヨ!! なんでミーちゃんに、病気のこと言わなかったアルかッ!?」
玲玲は手記の中の大人達に憤っていた。
少女に同情しているらしい。
「言わなかったのは……しょうがないよ……〝見る〟・〝聞く〟・〝知る〟だけでも、病気ってうつるから……」
「え……? 病気を……〝知る〟だけでうつる……?」
玲玲は彼女の言葉に疑問を抱く。
それを聞き、雲は何かを察した。
「なるほど。それがこの村で信じられていた、〝迷信〟ですか……」
「え……? め、〝迷信〟だって!!?」
少女はその一言で強い衝撃を受ける。
〝迷信〟……自分がこれまでずっと信じていたことを、バッサリと切り捨てるように否定された。
「ええ……まあ、全てが間違ってるとは言いません。実際〝病気の人を見る〟……つまり近づくのはよくありませんし、〝病人との会話〟は飛沫が飛ぶ。それもよくある〝感染経路〟です」
「〝感染経路〟……?」
聞きなれない言葉に、彼女は困惑した。
「知らなくても無理はないでしょう。〝病原体〟というのは本来、目に見えないほどの小さな存在です。空気や感染者との接触を通じて体に入り、病を引き起こすんです」
「目に見えない……!!? う、病原体ってそういうモノだったのか……でもそんなもの、防ぎようがにゃいじゃないか……ッ!!」
「いいえ……消毒や口を覆うマスク、感染者の適切な隔離などで防げます。
まあ……この村に、その知識はなかった……いえ、あっても広まらなかったようですが……」
雲はあっさりと言い放つ。
「ですが、知識がなかったにしては、村の対処は、ある程度理にかなっています。〝見ない〟〝聞かない〟〝知らせない〟……予防としては正解に近い。
問題は……この病が、村の人々にとって〝普通〟じゃなかったということです」
平坦な口調。
だが、その内容は少女の知っていた常識を根底から覆すものだった――
『――子供達には、この惨状を伝えない。
病気の〝予防〟も兼ねて――それが、もう1か月以上前に村の大人達で決めたこと。
でも……これが本当に正しいのか、今でもわかりません。
あの時とは状況が違いすぎる……まさか、ここまで多くの犠牲が出るなんて……』
〝予防〟という名目のもとに張られた、秘密のベール。
だがその裏で、チーシャもまた葛藤を抱えていた。
『議論をする余裕もないのです。
この〝病原体〟に感染すると、人の思考が鈍るようです。
ボーっとしたり、普段出来てた事が出来なくなったり……
ジラおじさんが井戸に落ちてしまったのも、きっとそのせいだと思います。
そんな状況です……皆、今を生きることだけで精一杯……』
(……みんにゃの様子が変だったのって、やっぱり……)
あの日、村人達が見せた異様な様子。その理由が、ようやく少女にも見え始めた。
『子猫ちゃんを地下室に閉じ込めた時……あの子は泣いていた……
あたりまえだよね。あんなに暗くて狭い場所に、たったひとりで……
不安だったよね、怖かったよね……ごめんね。
……そんなことしか……できなかったのが、悔しくてたまらない……』
震えを増していく筆致。
言葉の隙間から、抑えきれなかった罪悪感が溢れ出していた。
「……おかあさん……」
あの時、母もまた……悩んでいた。
娘を守ることと、村の決まりのあいだで――
『――食事を持って行った時、子猫ちゃんに聞かれた。
「どうして閉じ込めたのか」って。
……当然だよね。
けど……ごめん。今は答えられないんだ。
それが……私達が決めた〝ルール〟だから――』
――綴られた言葉のひとつひとつが、過去の傷を開く。
紙面の端に、インクのしずくがぽつりと落ちていた。
それはまるで、涙の跡のように――
『――これが今日、この手記を書くまでに起こった出来事です。
〝もしもの時〟なんて書いたけど……いつかこの手記を、みんなで読みながら「大変だったね」と語り合える日が来るように……私は祈っています――』
――
――――
――――――
(……おかあさん……)
少女は廃墟と化した家の中を、ゆっくりと見渡した。
崩れかけた柱。割れた窓。剥がれ落ちた壁。
かつて生活の匂いがあったはずの空間には、今や乾いた冷気だけが満ちている。
書斎に座ったままの、村長ミケの白骨。
机に向かう姿勢だけが、まるで〝まだ何かを守ろうとしている〟みたいに見えて、喉がきゅっと詰まった。
母が祈った〝いつか〟は、もうどこにもない。
少女は、祖父の白骨から目をそらすことができなかった――
「――これで……1日目の手記は終わり……」
少女は痛む心を抱えたまま、息を整えながらページの端を押さえた。
「はぁ……ずいぶんと長かったですね……これを書くまでの、村のことまで書いてますから」
「っ!!」
雲が、感想とも確認ともつかない声音で呟いた。
少女は反射的に何か言い返そうとして……喉まで出かかった言葉を飲み込む。
そんな気力は残っていなかった。
ただ、続きを確かめるようにページをめくる。
「でも……2日目からは、だいぶ少なくなってる……」
少女は一度、深く息を吸い込んだ。
そして、逃げ出したい気持ちを押し込め……
次のページを開いた――
――
――――
――――――
『――日記を書き始めてから2日目。
チャトさんが……命を落としてしまいました』
「……っ!! チャトおじさん……!!」
続きを読み始めてすぐ、知っている名前に少女の目が留まった。
記憶の中のチャトは、いつも明るく笑っていた。
けれど、その笑顔も永遠に失われてしまった……
『いつも明るくて、ヤマモモの木のお世話もよくしてくれていたのに……とても残念です』
人の死が、あまりにも短い一文で記されていく。
そこに感情がないわけじゃない。
悲しみが大きすぎて、文字が追いついていない。
『子猫ちゃんは、今日も地下室の隅っこでべそをかいていました……
……ごめん。ごめんね……』
指先が、ページを押さえる力を少しだけ強めた。
手記の一文が、あの地下室の冷たさを鮮明に呼び戻す――
――
――――
――――――
『――3日目。
今日は誰も死ななかった。
でも――』
――
――――
――――――
「――ゴオッホ……ッ!!! ゲェッホオッ!!」
「先生……ッ!!!」
口を押えるコハンの手に、吐き出された赤い液体が粘りつく。
鮮やかな色が、白いシーツの上で不気味に目立った。
「……はぁ……ッ!!! はぁ……ッ!!!」
荒い呼吸のまま、それでもコハンは必死にベッドから起き上がろうとする。
「ダメよ……ッ!! ジッとしてなきゃ……」
チーシャは縋るように止めた。
だがコハンの意志は、折れない。医者としての意地が、体を無理やり動かしていた。
「今……オレが休んだら……誰がこの村のヤツらを……」
「そうだけど……あ、で、でも! そんな状態で外に出たら、みんなに病気うつしちゃうかもしれないでしょ?」
何とかコハンを引き止めようと、チーシャは必死に言葉を続けた。
だが彼は静かに首を振り、呟く。
「……もう、あの子以外、この村に〝感染〟してねェヤツなんていないさ……チーシャ、お前も症状が出てないだけで……恐らく……」
「……っ!! ……そう……だよね……」
チーシャはうつむき、黙って唇を噛んだ。
否定する言葉も、抗う言葉も、もう残っていない――
――
――――
――――――
『――診療所のコハン先生の体調が悪化した。
あの人は村で唯一の医者。もしものことがあれば、この村は……
いや、先生だけじゃない。
もう誰にも……誰にも死んでほしくない……!!』
最後の一文は、必死に縋りつくような――魂を削った、叫びだった。
だが、その祈りすら、現実は無情に踏みにじっていく――
――
――――
――――――
『――4日目。
大変なことが起きました――』
「――ちくしょォッ!!! なんてことだ!!」
荒々しい怒号が、村長の家に響き渡る。
「……落ち着け」
「落ち着いていられるかァ!!! コハンも動けねェ状態の今、これは致命的だぞ!!!」
ボサボサの金髪を振り乱し、厳つい体つきの駐在は机へ身を乗り出す。
見回りや力仕事を担い、ミケの右腕として村を支えてきた男だった。
その声の余韻が残る中……
ギィ……
と扉が軋み、チーシャが不安げに顔をのぞかせる。
「ど、どうしたの……? 声、外まで聞こえてたわよ……」
「チーシャ……どうしたもこうしたもない!! 見回りで倉庫に行ったら……っ!!」
「え……?」
――
――――
――――――
『――食糧庫の番をしていたタクくん、ロクさん、カブさんの3人が……死んでいました。
その亡骸は、森のモンスターか野生動物に荒らされてしまい、判別も困難な状態だったそうです――
――気づくのが遅れたのは、食糧庫が村の外れにあったからでしょう。
本来、倉庫は村の中央に置かれるものです。
ですが、この村は川沿いで、中央部が谷になり、湿気が溜まりやすい。
保存に適さないため、倉庫は風通しの良い高台に建てていました。
ですが……それが今回、仇になりました。
森に近いその場所を守るため、屈強な3人が食糧庫に泊まり込み、交代で見張ってくれていたのに……
その3人が倒れてしまい、倉庫は完全に荒らされてしまっていたのです――』
「――そんな……!! それじゃあ村の食料は……ッ!!!」
かつての自分の叫びが、記憶の底から蘇る――
『――また少なくなってる……』
『――ここでミャーに……餓死しろってことか!!?』
『――ま、待って!! ミャー、もうずっとおなかペコペコで……!!』
『――このままじゃしんじゃうよお!! まってェ!!!』
(――だからあの時……ご飯がどんどん少なくなっていったのか……!?)
飢えと悲しみが、増えていった日々。
それは誰かの冷たさでも、怠慢でもなかった。
村そのものが、崩れ始めていた証だったのだ――
――
――――
――――――
――チーシャは駐在の言葉を聞いた途端、愕然とした。
「村の食料が……無くなったってこと……ッ!?」
「ああ……倉庫は、空っぽに近い」
言い切った彼の声は、乾いていた。
怒鳴っていたはずの喉が、もう掠れている。
「残ったのは……各家の備えまで、かき集めても……1週間。それだけだ」
「……っ……!!」
悪くなり続ける状況。
不安に駆られ、チーシャの呼吸が細かく乱れていく。
「むぅ……っ!!」
村長ミケもまた、額に手を当て、顔を歪ませた。
「オレが……まだ動けるヤツらと、王国まで食料を買って来る!!! それで少しは……」
駐在は、まるで暗い空気を蹴り飛ばすように言い放つ。
「……頼む。ワシも村中から金を集める……ッ!!」
ミケも、言葉を噛みしめるように応えた。
2人は残された手立てを、必死に探していた。
――けれど。
チーシャは……その場に立ち尽くしてしまった。
(……問題が……増えていく……止まらない……!!)
世界が、ジワジワと狭くなっていく。
手記の文字も、その時の心を写したように、ぐちゃぐちゃになっている。
線がまっすぐ引けず、インクの端が滲んで、やけに太く、黒く残っている――
――
――――
――――――
『――病気に加えて、食料まで失うなんて……私達は、どうすればいいの……?』
(――あの時……村はこんなにも追い詰められていたのに……)
少女は唇を強く噛む。
(それなのに……ミャーは……何も知らずに……)
込み上げる後悔と痛みが、体を震わせた。
涙は流れなかった。
代わりに、心が静かに軋んでいた――
――
――――
――――――
『――5日目。
モシちゃんが死んだ。
遺体は彼女の家に置いておくことにした。
せめて……家族が少しでも長く一緒にいられるようにって。
……コハン先生は反対してたけど、最終的には家族の望むようにしてあげた。
それにお墓を作る余裕も無くなってきて、どうやら前に死んだチャトさんもまだ埋葬されていないらしい――』
「――最悪ですね……遺体を放置すれば、そこから感染が広がる危険が……」
「雲……ッ!!!」
玲玲は思わず声を荒げた。雲の無神経な言葉に、堪えきれない怒りが込み上げる。
けれど彼は特に気にする様子もなく、どこか事務的に呟いた。
「……診療所の先生だけが、正しい知識を持っていたようですね。
なのに、なぜ彼の意見は通らなかったのでしょうか?」
「先生でも、他の大人が反対したらにゃんにもできないよ……それに多分、先生この時は体調悪くて、強く抗議できなかったんじゃないかな……」
それを聞き、雲は僅かに眉を歪める。
「なるほど……多数決が絶対か……まあ、よくあることです……」
肩をすくめながらも、彼はそれ以上、何も言わなかった。
少女も言い返さず、ただ手記へ視線を戻した。
日付ごとの記録は、目に見えて短くなっていく。
まるで、文を書き残す力さえ失われていくように――
――
――――
――――――
『――6日目。
誰も死ななかった……お願い、もう誰もいなくならないで……
……明日、生きてる人は何人いるんだろう。
考えたくない。考えたら、胸が締め付けられて……息が、苦しくなる――』
――
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――――――
『――7日目。
今日も死者はいなかった。よかった、このまま落ち着いてくれれば……
子猫ちゃんを閉じ込めて、もう1週間。
本当にごめんね。明日は美味しいお魚さん、釣ってくるから――』
(――死者の出ない日が続いてる……!! おかあさんの文字も、少しだけ元気を取り戻したみたいに見える……)
少女は唾を飲み込んだ。
文字の端々に、ほんのわずかだが〝肩の力が抜けた気配〟がある――
――
――――
――――――
『――8日目。
今日も死者はゼロだった……っ!
体調を崩してたコハン先生も少しずつ回復してきて……まだ希望はあるのかもしれない。
昼頃には、王国に行ってた人達も帰ってきた。
なかなか帰ってこないから心配してたけど、村のみんなの分を買い集めて、持ち帰る準備をするのに時間がかかってたみたい。
理由あって決して多くはないけれど、これで少しは持つ……と思う。
その後、村の比較的元気な人達と川へ魚釣りに行った。
食糧庫が駄目になったから、ご飯は森や川から自分達でなんとかするしかない。
あまり釣れなかったけど……うん、これからだよね。
明日は山菜でも採りに行こうかな……!』
――初めて、死者の出ない日が3日続いた。
手記にようやく〝前を向こうとする力〟が芽生えた。
(光が見え始めた……!! もう無理かもって思ってたけど、この調子なら……!!)
少女の中で消えそうだったモノが、かすかに息を吹き返す。
滅んだ村の景色は、何ひとつ変わらない。
白骨化した住人も、冷え切った空気も、静けさも。
それでも――
(もしかしてだけど……何人かは村を出て、どこかで今も生きてるかもしれない……!!)
それなら……この手記も、遺された骨も、〝終わり〟ではなくなるかもしれない。
少女は廃墟の中で、そんな身勝手な願いにすがりそうになってしまった。
祈るしかなかった中で、それがほんの少しだけでも叶ったような――
――そんな錯覚。




