第20話 “受け繋がれなかった力”
「――私……罹ったことアルヨ……?」
「え……っ?」
あまりに軽く告げられた一言に、少女は思わず間の抜けた声を漏らした。
玲玲の言葉をきっかけに、周囲の調査員達も次々と手を挙げる。
「お、オレもなったことあります……」
「自分も小さい頃に」
「オレなんか去年罹ったぞ」
「あー。確かにお前しばらく休んでたよな」
「ど、どういう……ことだ……?」
少女は、目の前で交わされる言葉を、どうしても呑み込めなかった。
村の惨状と、あまりにも軽い調査員達の反応。
その食い違いに、少女の思考はぐらぐらと揺れた。
「なんだよ……それじゃあ、アレか……? そんな珍しくもない病気のせいで、この村は……ミャーの故郷は滅んだって言うのかよッ!?」
少女は、崩れそうな心を誤魔化すように声を荒げた――
「ええ。赤咳は〝よくある病気〟です。因みに、特効薬がないのも……まあ、よくある事です」
雲は、彼女を慰めもしない。
ただ答えだけを、刃のような言葉にして突きつける。
「ふざけんな!! そんなことが……ッ!!!」
少女が噛みつく。
だが雲は、感情の波に呑まれない。
「ありえるんですよ、そんなことが……〝とある原因〟でね」
「え……? 原因……?」
雲は意味深に言葉を切る。
少女の鼓動が早くなる。
思考が、不吉な予感で満ちていく。
「そう……それは恐らく――」
――
――――
――――――
「――〝免疫力〟の……問題……?」
チーシャは、呆然としたまま呟いた。
「ああ、そうだ。この病は、都市のヤツら……いや、この世界の殆どの人間にとっては、ただの〝少し重い風邪〟程度のモンなんだとさ」
「そんな……ッ!? じゃあなんで、この村の人達は……はっ!!?」
言いかけて……チーシャは息を呑む。
「その……〝免疫力〟ってモノのせいなの?」
「そうだ」
コハンの声は低く沈んでいた。
自分自身にも、逃げ道のない答えを言い聞かせているようだった。
「この村は……随分と長い間、外の世界との繋がりがなかった。
オレ達は、森に守られるようにして暮らしてきた。
だが……その森が、壁にもなってしまっていたんだ」
「……壁?」
ギリ……!! と音がする。
その歯軋りが、コハンの無念を何よりも雄弁に物語っていた。
「外の病気も、空気も、常識も……全部、この村には届かなかった。良くも悪くもな」
それは遠回しな言い方だったが、言葉の奥に潜む意味は、とても暗い真実だった。
「外の人間は、赤咳に何度も何度も罹ってきた。
それこそ、何百年も前から……熱を出し、咳き込み……そうやって〝身体が覚えていく〟」
「覚える……?」
「そうだ。外の世界でも昔、赤咳で大勢の死者が出たそうだ。
だが、その病から〝生き残った〟ヤツらもいる。
そいつらの身体は、一度戦った病気を、〝次は負けない〟ようにと覚えていくんだ。
それが……〝免疫〟だ」
チーシャの喉が、かすかに鳴る。
理解したくないのに、理解せざるを得ない。
「その力は受け継がれ、今じゃ殆どの人類が赤咳の〝免疫〟を獲得している……
先人達が世界に残した、病との戦いの結果だな……」
「……でも……私達は……〝一度も、戦ってこなかった〟」
その言葉は……静かに村へ、突き刺さった。
「森に守られ、外からほとんど何も入らなかったこの村は……
赤咳という病と、一度たりとも向き合う機会がなかったんだ」
コハンの声はかすれていた。
その声には、医者としての悔恨と、村人としての悲しみが宿っていた。
「だから……外から赤咳を持ち込んだ〝冒険者〟は熱を出す程度で済んだのに……
この村の人間にとっては、〝最初の一撃で致命傷〟だった」
「……そ……そんな……」
チーシャは口元を押さえたまま、浅い息を繰り返した。
「免疫のない身体は……赤咳という病魔に、耐えられなかった……ッ!!」
コハンは拳を握り締める。
手のひらに、爪が食い込む程に。
「村に広がるのは早かった。誰かが発症し、少しでも咳をすれば……
免疫のない人間ばかりの村じゃ。それは乾いた綿へ火を落とすようなものだ」
「……だから……こんなにも早く……こんなにも多く……」
チーシャの言葉が途切れ、目の縁に涙がたまっていく。
「そうだ。外の世界では〝ただの風邪〟でも……
この村にとっては〝致命的な不治の病〟……
……それが……この村を襲っている、脅威の正体だ……」
すべてを言い切ると、コハンは力を失ったように目を閉じた。
誰も、その言葉に返事をすることが出来ない。
やがて手記は、さらに残酷な続きを語り始める――
――
――――
――――――
『――今のところ赤咳を治す手段は無く、どうにか感染しないようにするのが精一杯です……
感染してしまった人には、先生が王国から持って来てくれた、咳や高熱を抑える薬で対処しています。
ですが、それで病が治る人は1人もいません。
最初はご年配の方達だけが感染し、命を落としていました。
でも今では、村のほとんどの住人が感染しています。
おとうさん……村長も、医者のコハン先生も体調が悪そうで……恐らく……
……私も……既に手遅れかもしれません。
どうにか子供達だけは守ろうと、それぞれの家から出さず、入院している子達も他の患者と接触させないよう、細心の注意を払っていたのですが――』
――
――――
――――――
――コハンが帰って来てから、1か月が経った頃。
まだ日も上がり切っていない早朝の病院。
窓の外は薄い灰色で、鳥の声すら遠かった。
院長室の机の上には、本と紙が崩れそうなほど積み上がっていた。
王国から持ち帰った書物、古い報告書、病の記録、薬草の索引。
ページの端は折れ、文字の周りには走り書きがびっしり残り、インクの匂いが淀んでいる。
「クソ……!! クソックソ……ッ!!! 生存者が〝1万人に1人〟だって!? そんな状態からどうやって人類は、これだけの〝免疫力〟を手に入れたんだ……ッ!!!」
コハンは机に爪を立て、本に記された一文一文を、食い入るように睨みつけていた。
額には汗。
喉は乾ききっている。
体は小刻みに震え続け、目の下の隈は長い間消えていない。
眠れば――その間にまた誰かが死ぬ。
眠ることさえ許されず、死に追い立てられるような日々が、彼の神経を削っていた。
だが、その耳に……ふと、普段なら聞こえない音が混じる。
「……ぉぃ……だいじょ……」
「ぃき……してな……」
言葉になりきらない声。
廊下の遠くで、誰かを引きずるような足音と、激しい衣擦れの音。
足音が、いつもより多い。
しかも慌ただしい。
「……? なんだ……? 何か……騒ぎ声が……」
コハンが顔を上げた、その瞬間。
ドタドタドタ、と走る足音が院内を裂き、子供の叫び声が飛び込んできた。
「先生ェ!!! 大変だァ!!!!」
「ッ!!? 何事だッ!!?」
コハンは椅子を蹴り、立ち上がる。
扉へ駆けながら、コハンの腹の底へ嫌な確信が沈んでいく。
そして……その確信は、すぐに現実となる――
――
――――
――――――
『――1か月前、ついに最初の〝子供の犠牲者〟が出てしまいました。
それは入院していた子で……どうやら病院に来ていた患者から、うつってしまったようです――』
「――え!!? 嘘……入院してた子達って……!!!」
間違いない。
それは、少女が一緒に森へ冒険に行った友達の事だ。
「い、一体……誰……が……っ!!?」
問いは、最後まで言葉にならなかった。
(……ついさっき、思い返していたじゃないか――)
――
――――
――――――
『――うん……病院の患者さんにうつされたかな……へへ、見たな・聞いたな・知ったな~?』
そして……子供達が退院した日のこと――
『――お、おい……ホントにどうした? まだそんなに調子が悪いのか? ……あれ、てか〝サビ〟はどこに――』
あの日の沈黙が、今になってまったく別の意味を持った――
『――今は……話しちゃ〝いけねェ〟んだ……ッ!!』
――
――――
――――――
(――あの時、みんながあんな顔をしていたのは……ミャーを嫌ってたからじゃない……!!
〝サビ〟が……いなくなって……それで……っ!!!)
「あ……ああ……っ!!!」
少女の膝が折れた。
日記が手を離れ、床にパサリと落ちた。
「ミーちゃん!!!」
玲玲がすぐさま駆け寄り、倒れかけた少女の肩を抱く。
「はあー……ッ!!! はあ……っ!!!!」
「もういいヨ!! 無理すんナ!!!」
彼女の背中は汗で湿り、呼吸だけが異様に速くなっていた。
「うう……!! くぅ……っ!!!」
嗚咽をこらえるたび、息をすることさえ痛かった。
その瞳の中……今はもういない友人の笑顔が浮かぶ。
その輪郭は、あふれる涙に滲むように失われていった。
「……ミーちゃん、少しあっちで休もう?」
玲玲の声はやわらかく、それでもどこか怯えていた。
それほどまでに、少女の姿は痛々しかった。
「……いや……頼む……最後まで……読ませてくれ……っ!!!」
かすれた声だったが、その言葉だけはハッキリしていた。
少女は震える手で、日記を拾い上げる。
手記のページはもう、彼女の涙と汗でよれ始めていた。
「ミャーが……読まないと……知らないと……っ!!」
「ミーちゃん……」
「……はあ……っ!! はあ……っ!!!」
彼女は何度も息を整え、再び日記の続きを読み上げ始めた――
――
――――
――――――
『――今では村の子供達は全員〝病原体〟に感染してしまったようです。
ただ〝1人〟を除いて――』
「――ただ……〝1人〟……?」
その数字を確かめるように、小さく口にする。
その声は、戸惑いが混じったモノだったが……
その場にいた誰もが、日記に記された〝1人〟の正体を、既に悟っていた。
隊員達の視線が、自然と少女へ向く――
『――その1人……それはケモニアの女の子……〝私の娘〟です』
「……っ……!!」
息を吸おうとして、喉から細い音だけが漏れた。
目の前の文字が、涙で滲んで見えなかった――
『――彼女は村の子供達の中で唯一……いえ、もしかしたら村の中で唯一の、病気に感染していない人間かもしれません』
「……ミャーだけが……? にゃんで……」
かすれた声。
それは問いというより、呻きに近かった。
手記は、その声に容赦なく答えを返す――
『――理由はおそらく……彼女が〝村の外から来た子〟だからです』
「え……っ!?」
その文章に、玲玲は思わず少女の方を振り返る。
だが、当事者の少女の反応は意外とあっさりしていて……
「あ……っ。そうか……」
そう、彼女は知っていた。
知っていたのに、少女自身も忘れかけていた、自分の生い立ち――
『――あの子はある時、村を訪れた〝2人の旅人〟が連れていた、赤子でした。
2人の旅人は、どちらも満身創痍でした。
ですが赤子には怪我はなく、至って健康でした。
彼女の両親は、コハン先生が懸命に治療しましたが……助けられず――』
「――ミャーの……血のつながった両親……」
幼い頃の記憶が蘇る。
母に連れられた、村の人達の墓地。
森の外れ、綺麗な花が咲き誇る広場に、それはポツンと立っていた。
十字架と円を組み合わせた、簡素な木のお墓の下に、自分の〝本当の両親〟が眠っているのだと教えてもらった――
『――赤子は私が引き取り、村のみんなに支えてもらいながら育てました。
あの子は正真正銘、私の子であり、この村の住人……ですが……
流れる血は〝村の外のモノ〟です。
そんなこと、今まで気にしたことありませんでした。
ですが、そのことが今……私の〝希望〟になっています。
あの子はきっと……〝免疫を持っている〟……!!』
「だからミャーは……病気に……」
少女の中で、遠い過去の声が響いた――
『――なぜあの子だけ……そうか。あの子は、〝外から来た子〟だからか――』
(――あの時の男の人の言葉は、そういう意味……!!?
それにあの生気がない虚ろな目は……ミャーへの軽蔑じゃなくて……〝病原体〟に感染してたから……!!?)
少女を苦しめ続けていた誤解が、ひとつずつ剥がれ落ちていく。
手記の文字が、あの日に隠されていた真実を次々と解き明かしていく。
彼女が本当の事を知らぬまま、憎み続けてきた日々の意味を――
『――それでも、彼女も他のみんなと同じように、いつ〝病原体〟に感染してしまうかわかりません……
だから……これはとんでもなく強引な手段だし……きっと、愚かなことなんだと思う……だけど……
子猫ちゃんを守るために、彼女を〝おとうさんの家の地下室へ隔離する〟ことにしました』
「……っ!!? そんな……ッ!!!」
少女の猫耳がぴんと立ち、次の瞬間、力なく伏せられた。
「じゃあ……あの仕打ちは全部……ミャーの為だって言うのか……っ!!!」
信じられない。
全てが、自分を守ろうとした〝結果〟だなんて……
生き残ってしまった。
自分だけが――ひとりぼっちで。
手記の文字が、鉛のように少女の両腕へ重くのしかかる。
たった数十枚の紙なのに、抱えているだけで苦しかった。
(ミャーだけ……にゃんで……ッ!!)




